21:絆
────『改めて僕と戦ってよ。勝利条件は、相手を殺すこと』
「な、何、言って」
────『まだ不利かなぁ……じゃあ、里から相手を突き落とすのも勝利条件だ』
「自分の口で言ったはずです。相手をこの里から『突き落とした』方が勝ちだって」
弟の目が見開かれる。濁った瞳に映るのは虚無だ。
「ずっと疑問でした。勝者が首領になるって話だったのに、何でライが首領をやってるのか。あの日わたしは、『自分から』落ちて……まだ勝負が終わったなんて、聞いてないのに」
きっと、彼にとっては些末な記憶だ。
しかしエーネは覚えている。全てが狂ったあの日に聞いた、一言一句を。
「は、はは。ソフィ、チャンスを上げるよ。今すぐ屁理屈をやめれば、いたぶるのは勘弁してあげる……」
「屁理屈……別に、そう思ってもらってもいいけど」
震えを抑えながら、エーネは顎を引く。
「そっちがどう思おうと、言葉で決めた以上……首領はわたしです、ライ」
「ああ、もう……あああああっ! もうっっ!!」
苛立ちが限界まで達したのか、ライグリッドは頬に爪を立てた。
「突き落とすのも勝手に落ちるのも、同じことだ! そんな言い訳で、この僕が止まるとでも!?」
目を剥き、ぐるりと一回転させる。
一瞬の内に、里の全員を視界に捉えたようだ。
「僕がその気になれば、今すぐ全員を殺すことだってできる! 炎のお姉さんも、剣士さんも、そこに横たわってる彼も、グレイザーも。そしてソフィ、君を!!」
「……本当にできますか? ライに」
フレイが息を呑み、ザンが無いはずの刀を抜く姿勢を取る中。
きっと自分は、勝ち誇った顔さえしていただろう。
「契約、約束────言われたことが全部。ライがそれを無視すれば、確かにわたし達は簡単に殺されます。ライにはその力がある。まごうことなき人外……マニーの言葉は、間違ってなかった」
でも、と一泊置き、エーネは不敵に笑って見せた。
「でも、わたしは首領として────そんな化け物に勝った『強者』として。『弱者』であるライに伝えます。殺すのはやめてほしい、って」
「…………!!」
「もしそれを破れば、どうなるかわかるよね?」
賢い彼が気付かないがない。
「この里の全員の血を浴びたライは、その瞬間から首領なんかじゃない。ただの、大量殺人者です。その先誰を殺しても、誰を従えても……きっとみんな思うはずです!」
人外ライグリッド・モリアデス。
彼こそが、最も契約を蔑ろにし、不徳の限りを尽くす男であると。
「みんなを従える首領モリアデスは、もう死にました。自分で作った信条で……自分にとどめを刺したんです!」
「そ、んな、僕は……僕は、っ!」
今日は少し湿気が多い。しかしあの日同じで、きっと夜は晴れ渡っている。
「今度こそっ、本当に……!!」
仲間を想い、一筋の涙を伝わせたエーネは────深呼吸し、弟に告げた。
「わたしの勝ちです!! ライっ!!」
もう、震えはしない。
「……………………」
ライグリッドは崩れ落ちた。それまでの闘志が嘘のように、無表情に萎んでいく。
「…………は、はは……そうか……」
彼は笑った。今までのどの笑いとも似つかない、寂しく乾いた声だ。
立膝を付き、顔を俯かせるライグリッドが口にした時。
「僕は────負けたのか」
私は、ようやく心から安心することができた。
「ねえ、ソフィ」
「は、はい」
「僕は何で、負けたんだろう」
ライグリッドは突然、沈痛な表情で尋ねる。
「……へ?」
先ほどまでの雰囲気はどこへやら。すっかり糸の切れたエーネが気の抜けた声を出した。
「僕は無敵だ。傷一つ付けられたことがなかった。軍務長官は強かったけど、一対一なんて挑んでくるものだから、結局一撃も食らわなかった」
「……い、嫌味ですか?」
「ううん、違う」
じっとりとした目を向ける姉に、少年は無感情に返す。
「今回だって、大して強い人はいなかった。炎のお姉さんやグレイザーは、特別な力を持ってはいるけど、まだまだ詰めが甘い。剣士さんも機人さんも、個々として見たらそこまでだ」
「…………」
「でもソフィ、君には結局、大した傷を負わせられなかった。君を仕留めてさえいれば……その後、苦労することなんてなかったのに」
ライグリッドは上目遣いに姉を見上げた。そこにあるのは純粋な疑問だ。
敗北を知らない少年の、無邪気な────
「僕は」
「……ら、ライ、血が! 血が止まってません!!」
と、エーネは彼の足元を見ながら遮った。グレイザーに刺された場所から、未だに血が流れている。
「ほんとだ。こういう時、どうすればいいんだろうねぇ」
「あああっ、血の止め方くらい知っといてください……!」
エーネはおろおろしながらグレイザーの方を向いた。最も重症な彼の治療が終わっていないからだろう。
守護者は無言で頷く。逃げ回っていた者達も足を止めていた。
「こっちはこっちで、人外めいた慈悲深さだな」
ザンが苦笑いしながらコメントする。
「ライ、じっとしててください」
「え?」
弟の前に膝立ちになるエーネ。患部に手をかざし、祈るように唇を結ぶ。
「あっ……」
淡い緑色の光が、彼女の指先を中心に生み出された。
万物を包み込むような、誰もが見惚れてしまう優しいオーラ。エーネの持つ慈愛がそのまま形になったような、奇跡を秘めた癒しの魔法。
(何回見ても、綺麗……)
あの温かみと、エーネから感じる思いやりの塊。
それは私に、いつも立ち上がる力をくれる。
「仲間が、いたからです」
徐々に塞がっていく傷口を眺めながら、少女は呟くように応えた。
「わたしのために、戦ってくれる人がいたから。長い時を一緒に過ごしたフレイやザン。出会って間も無いけど、街を救うのを手伝ってくれたマインドに、戦いを通して仲良くなったレトアちゃん。それに、前に殺されそうになったグレイザーも……わたしの仲間が、わたしを信じてくれたから」
「仲間……か」
「ライって、友達がいないでしょ?」
エーネははにかみながら尋ねると、オーヴェン達の方に視線を向けた。
「ふさわしい人もいたはずです。でもライは、仲間を作らなかった。部下はいても、五人がかりで取り囲む私達に対して、そっちはずっと一人だった」
「だって、僕は」
「そう、ライは最強です。でもね……想像してみてっ」
治療を終えたエーネは、少し身を引いて体を起こす。
「最強の自分に人が付いてきたら、もっと最強だと思いませんか?」
ライグリッドは目を見開いた。まるで考えたこともなかったというように、何度も瞬きをする。
「そんな人達がいなかったから……わたし達弱者が力を合わせて、ライを上回れたんです」
みんなの注目を浴びて、ずっとほんのり赤面しながら。エーネは一言一言を一生懸命紡いだ。
そんないじらしい姉に────弟は俯いたまま、少しだけ口元を綻ばせりる。
「僕は、負けたのか」
先ほどと同じ言葉を、自分に言い聞かせるように。
「僕が知らない内に、君が創り上げていた……」
「……うん」
「弱者達の、強固な絆の力に────負けたのか」
静寂に包まれたソールフィネッジに、小さな笑い声だけが響いている。彼を知る人間は、きっと誰もが驚いたことだろう。
「あははっ、あははははっ。そっか、そっかぁ」
それは初めて聞いた────森羅万象を凌駕する恐るべき人外の、人間らしい声だった。
────『ひぐっ、ふええええぇぇ……!』
────『なかないで。だいじょうぶ、だいじょうぶだよ』
きっと、かつてはあったはずだ。
────『ぼくがいるから。ソフィは、ひとりじゃないよ』
私の知らない、想いと絆の物語が。
「ソフィ……いや」
顔を上げたライグリッドは、姉に微笑みかけた。
「立派になったねぇ────エーネ」
「わたしは、ライの姉さんですからっ!!」
運命の姉弟が視線を交わしたその瞬間。
烈嶺ソールフィネッジは、実に八年ぶりの歓声に包まれた。
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