20:約束の代償
「……やっ、た」
精魂尽き果てたエディネア・モイスティは、脱力してその場に崩れ落ちる。
と、がむしゃらに駆け寄ってくる影があった。
「エーネっ!!」
少女フレイに飛びつかれるのに、時間はかからなかった。
「フレイ、フレイッ…………!!」
「良かった……! 無事で、ほんとに!!」
「うんっ。ぐすっ、っ、うんっ!! 来てくれて、あ、ありがとうございますっ……!!」
夢にまで見た、大切な幼馴染の温もり。優しい息遣いが耳の奥まで届き、互いの鼓動が混じり合う。
胸に顔を埋めてくるフレイに、エーネは泣き笑いしながら涙を落とした。
「あ、ごめん。私結構汗かいてて……まあエーネもだけど」
「う、うるさいっ……ずっと頑張ってたんです!」
「えへへっ。でも、エーネの匂い安心する。すぅ~~~~~……」
「ちょ、ちょっと!?」
他愛の無い会話で騒ぐ。以前と変わらぬ日常の証だった。
「み、みんなは……?」
「ザンは────大丈夫そう。だけど、マインドとグレイザーは」
フレイは死んだように眠るザンと、ぴくりとも動かないマインド、そして血だまりの中で伏せっているグレイザーを見やった。
「そ、そんな!? 早く魔法でっ!」
「っ、マインドはどうしたら良いのか……エーネ、グレイザーだけでも!」
「……おい。高い声で、喚くんじゃねェ」
唸るような低音に身をすくませる。
体中を負傷したグレイザーが、鈍い動作で起き上がった。
「オレが、この程度でくたばるか」
「いや、十分くたばりそうな血の量……」
「ああああっ、グレイザー!!」
呆れ声のフレイをよそに、エーネは半ば這いずりながら彼に駆け寄った。
傷だらけの男の顔は、今までよりいっそうやつれて見える。
しかし、達成感に満ち溢れた瞳は、かつてないほど優しかった。
「……グレイザー、ありがとうございます。わたしのために……わたし達のために」
「はっ。オレは奴に借りを返しただけだ。して、モイスティ。その格好で近づく気か」
「えっ? あっ!?」
慌てて前を隠すと、グレイザーは深いため息を吐いた。
「魔力が戻ったらオレの治療をしろ。こう見えて話すのがやっとだ」
「は、はいっ」
「それと、そいつに構ってやらなくていいのか?」
そう話す彼が示す方向には────
「ぴ、ぴピピ」
何だか歪な痙攣を繰り返すマインドがいた。
「マインド!?」
二人で青ざめながら手を伸ばす。すると、半壊した顔で微笑まれた。
「あぁ……ごめ、ん。心配、かけて……今、地熱で、エネル、ギー、を」
「だ、大丈夫なの!? 陽に当てない方がいいかな!?」
「わ、わたし達、何かできますか!?」
「うう、ん……大丈夫…………自動、修、復……できる……」
言い終えると、機人は自力でうつ伏せになって両腕を広げた。
また不規則な動きを始めたので、大いに焦るが……
「……地面、あった、かい」
「あ、これ地熱を吸ってる? だけだ」
胸を撫で下ろした所で、最後の人影が視界の隅で起き上がる。
「……その様子だと、どうやら片付いたようだな」
「ざ、ザンっ! 良かった、やっぱり大丈夫そうで……!」
「ああ、お前らも無事で何よりだ」
「────っっ!! みんな、本当にありがとうございますっ……!」
彼の温かな言葉に、無性に涙が込み上げてきた。それはフレイも同じなようで、手の甲で目を拭っている。
そっと手を繋ぐと、年下の幼馴染は珍しくはにかんだ。
「あんたにも世話になったな」
「全くだ。セイヴィア、その女は精神的に脆すぎる。もう少し鍛えてやれ」
「い、言い返せないっ」
「てかさ、エーネ。すっごい聞きたいことあるんだけど、良い?」
和やかな雰囲気から一転。フレイが不審そうな目を向けてきた。
「さっきの技名、何?」
「……え?」
技名? 何だか記憶が曖昧で────
(あっ)
背筋が寒くなった。もしかしなくても、勢いで叫んだあれのことだろうか。
「ん、んー……フレイ、えっと、その話はまた今度で……」
「待って! いつも私の技にケチつけられるから、絶対これだけは言わせてほしい!」
断固として譲らないフレイは、一際大声を張った。
「技に自分の名前入れるのは、個人的に絶対無し!!」
「っ、うぁっ!?」
顔から火が出そうになって、変な声を上げてしまう。
「う、嘘だろエーネ、お前も『そっち側』なのか!?」
「ち、ちち、違うっ、違うんですザン、あの、あの時は、何か、感極まって……っ!」
「エーネ、ほんっとにあれは人のこと言えないからね! そんな、え、エロい服でさ……! すっごい腕上げて、モイスティ・グラ────」
「あああああああっっっ!! 聞こえない聞こえないッ!!」
肩が壊れているのも忘れ、エーネは耳を塞いで金切り声を上げた。
「エーネ、僕は、そういう、の……好き」
「くだらん、と言いたいところだが……そういう年頃もあるだろう。それこそ、モリアデスのようなおかしな奴でなければな」
「や、やめてっっ! グレイザーにまでそういう感じで言われると、ほんとに消えたくなりますからっ!!」
しばらく夢に見そうだ。真っ赤になってうずくまっていた折、
「エーネさーーーーんっ!! みんなーーーー!!」
正気を取り戻させてくれる甘い声が、遠方から響いてきた。
「レトア!!」
「レトアちゃんっ!!」
先頭を走るレトアの背後には、多くの人間が連なっていた。
両親やオーヴェン達はもちろん、牢に捕らわれていた者もいる。
「お前ら……!」
「グレイザー! やったんだな、ようやく!」
ライグリッドの独裁政治から解放されたカイルは、それはもう満ち足りた顔をしていた。
「家畜も無事で何よりだ。今は我々の家の前に繋いでいるが」
やや血色の良くなった父が言う。母も里を見渡し、儚い表情で続けた。
「突然隕石が降ってきたと聞いたわ。これほどの規模の戦いに参加できず、不甲斐ない」
「う、ごめんなさい」
フレイが気まずそうに謝罪する。
皆の無事と恐ろしい話題が逸れた事で、胸を撫で下ろしていたエーネだが、
「それで、モリアデスはどうなったんだい?」
それはエーネ達を激励してくれた、あの勇敢そうな女性の問いだった。
穏やかだった腹の内に、ずんと冷たいものがのしかかる。
「ライグリッドは……この里の首領は……」
それは、無意識のうちに心の隅に追いやろうとしていた事だった。
しかし、もう現実を見る時である。
「わたしが、殺しました」
場の喧騒が静まり返った。潰れんばかりの重圧を感じながら、エーネは必死に言葉を紡ぐ。
「わたしの魔法で、あいつを押し流して。この里の崖から……!」
「違うよ」
力強く遮ったのは、他でもないフレイング・ダイナだ。
「エーネはライグリッドを殺したんじゃない。あの人を崖から落とすことで、この里にいるみんなの命を守ったんだよ」
ここから落下すれば、彼とて無事でいられるはずがない。そう知った上で、フレイは確信に満ちた眼差しをしていた。
「……ありがとうございます、フレイ」
「エーネ……」
「でも、わたしは────」
「待て」
ドスの効いた声だった。全員がグレイザーに顔を向ける。
対する彼はその場の誰でもなく────己の足元を見ていた。
「モイスティ」
「……? は、はい」
「任せたぞ」
「…………!!」
直接エーネの過去を聞いた彼だけは知っていた。
自分の『本当の思惑』。そうなったら良いと願っていた事象。
それが今、現実になろうとしている。
(来る……!)
「何だ!? じ、地面が!」
「と、とりあえずマインドをっ!」
烈嶺の地表そのものが揺れていた。異変に気付いたフレイ達が慌てる中、エーネはじっと目を瞑る。
激しい動悸と、真なる決着の時を予感して。
「パンパカパーン!」
広場の床を突き破った少年は、空中で錐揉みしながら片足で着地した。
土や泥にまみれ、体中を水で覆われていても。根源たる恐ろしさは変わらない。
「ラ、ライ……グリッド……!!」
「あははは、ははっ……ハハハハハハハッッッ!!!」
ライグリッド・モリアデスは、両腕を広げ声高に笑う。
群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う中、怒り交じりの濁声で。
「やるじゃないかっ! 良いね、君の気概を感じたよ、ソフィ!!」
「…………」
「初めてだ、こんな痛み、屈辱────そして高揚感!!」
未だ刺さっていたナイフが引き抜かれる。飛び散る鮮血を気にも留めず、彼は厳かに刃の側面を舐め取った。
「それにしても危なかったよ。とっさに壁を破壊して内部に侵入しなきゃ、頭から落ちてた」
「は? そ、そんなことって……」
「わけないよ、炎のお姉さん。だってそこから、一直線に天井を突き破ってここまで来たわけだからねぇ」
「ま、マジ……かよ」
ザンが後ずさった。口元を押さえたフレイは、敵意と動揺に揺れている。
「嘘。噓でしょ……だって、あんなにっ、頑張って……!」
「嘘なものか。だって僕は、こうしてピンピンしてるよ」
ライグリッドは里全域を見渡し、改めて支配権を確認した上で────
「さあ、殺してあげるよ」
確かな殺意を漲らせ、嘲りの表情を浮かべた。
「この里の人間にも容赦はしない! 弱者の分際で首領たる僕に逆らうなんて、許されないことだからねぇ!!」
「ライ、お前は!!」
「あぁ父さん? 安心して、二人は最後に回してあげるよ」
少年の視線は、まっすぐに姉を捉えていた。
「見るがいいさ。愚かな約束の代償に、大切な一人娘が死ぬ瞬間を!!」
「エーネッッ!!」
フレイとザンが同時に叫ぶ。身動きの取れないマインドも、必死に手を伸ばしていた。
ライグリッドの拳が迫る。皆が絶望に打ちひしがれる、その一瞬前に。
「ライ、何言ってるんですか?」
エーネは静かに、たしなめるように問うた。
「……は?」
「首領って言ってるけど……何の権利があって、わたしを殺そうとしてるの?」
我ながら、やや無理のある低音だ。正直言って心臓が爆発しそうである。
この高鳴りも発汗も、普段ならすぐさま看破されてしまうだろう。
しかし、今の彼には気付くことができない。
「何が言いたいの、ソフィ? 最期だってのに随分図が高いじゃないか……みっともなく命乞いでもしたら、楽に殺してあげるってのに」
「…………ふっ」
守護者グレイザーが鼻で笑った。ライグリッドはこめかみに青筋を立てる。
「図が高い?」
エーネはゆっくりと復唱した。
「それはこっちのセリフです。この里の長に向かって、ど、どういう口の利き方なんですか?」
「……長?」
「さっき何が起こったか、忘れたわけじゃないですよね」
崖の方角と、ライグリッド交互に指差す。
目を細めたエーネは、慈愛を込めて言った。
「ライはさっき、負けたじゃないですか。八年前、自分で仕掛けた決闘に」
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