19:水神エディネア・モイスティ
「まだ、負けてない。わたしは諦めないって、言ったじゃないですか」
「エーネ……!」
「わ、わたしに考えがあるの……っ!」
エーネは力強く言った。
眩暈が治まり、徐々に真っ直ぐになっていく彼女の立ち姿は、いつになく堂々たるものに見える。
「みんなお願い。ライに……わたしの弟に、一回だけ大きな攻撃を食らわせてください。致命傷じゃなくて良い。ただ、立ってられないくらいの強い攻撃を……!」
「ふふっ、みんなそれをしようとして、ボロボロになってるんじゃない」
嘲笑するライグリッド。少女は目を閉じ、懐かしむような顔になる。
「覚えてないですよね────あの日の、取るに足らないやり取りなんて」
「はぁ?」
「これが最後です」
どこまでも慈悲深く、争いごとを好まないエーネ。
今ここに来て、そんな彼女の放つ眼光は────この場の誰よりも鋭かった。
「フレイ、ザン、マインド……グレイザー!! もう一度、わたしに力を!!」
「……はっ。言ったはずだ」
無数の民の未来を背負う男の、決意そのものがそこにあった。
「言われるまでもねェと!!」
「!!」
猛獣のような動作で、ライグリッドに斬り掛かるグレイザー。
まさかすぐに動くとは思っていなかったらしい。彼は若干反応が遅れた。
「俺も援護する! せめて、わずかな隙でも!!」
光銃はバラバラだ。それでも落ちていたナイフを手に取り、ザン・セイヴィアも最後の力を振り絞る。
「これだけヤバいとこまで来たんだから……今度俺達に奢れよ、エーネ!」
「うんっ……よく考えたら、結局それ旅のお金だけどっ!」
瞬間移動と見まがうほどの人外の動き。晴れた視界にそれを捉えながら。
私は、静かに思い返していた。
────私の炎は、地面も伝うよ? もうこのタワーに逃げ場は無い!!
グレイザーとの命のやり取り。
あのハッタリを実現するならば、自分の出番は多分もう少し後だ。
「ぜえあああっ!!」
「そんな投げやりな攻撃……!」
魂のこもった刺突。ライグリッドは辟易したように、なおも躱し続ける。
「この人が投げやりなものか。お前にはわからないだろうがなッ!」
「君こそわかった方が良いよ、剣士さん。もう立ってられないはずなのにさ」
ザンの凄みに対しても、相変わらず飄飄とした態度だ。
しかし徐々に────本当に少しずつだが、その動きが鈍くなってきていた。
「食い下がることを知らない男は、いつか必ず心で敗北する。お前にとっては、それが今だ!」
「口だけは一丁前だね。この僕が、一度だって負けたことがあるのかい!?」
「行こう、グレイザー!!」
ナイフを携えたザンは、里全域を振動させた。
「エーネのために……モリアデスを終わらせるぞッ!!」
突如、彼は捨て身の特攻を行った。敵の動きを予測し、胸を目掛け一直線に。
「血迷ったね!」
腕を広げ、万全の受け入れ態勢を取るライグリッド。このままでは、ザンは首ごとへし折られてしまうだろう。
「────頃合いか」
「!」
悲劇の直前。グレイザーは人外の瞳に向け、不意の銃撃を放った。
顔を逸らして避けるライグリッド。マインドの一撃が効いていたのだろう。
「け、拳銃!?」
「覚えておくが良い」
守護者は隙を見逃さない。
「どれほど強くとも、人の想いを理解し切ることはできねェ。それでもオレ達は、悲しみを越え……守ると決めたもののために、敵を討つ」
そこには私の知らない、決して軽くはない葛藤があったのだろう。
それでも守護者として、民のため戦う彼の背は────誰よりも大きかった。
「その想いを欠くお前に、夜明けは決して訪れない!!」
「なっ!?」
「くたばれ!!」
グレイザーは飛び込んだ。文字通り頭から、人外の足元に向けて。
一瞬。私やエーネのような非肉体派にとっては、瞬く間のことだった。
逃げ遅れた彼に向け、最後のナイフを手にしたグレイザーは────
「ぐああああっっ!?」
全てを賭けて、その右足に刃を突き立てた。
「うっ、う、あああっ!!」
ライグリッドの鋼鉄の肌が、次第と抉られていく。守護者の執念の一撃が、ついに彼に人間の証を流させた。
真紅だ。私達と、同じ。
「は、放せ、邪魔だっ!!」
「……もう少し、だっ!」
ライグリッドの上半身に、同じくナイフ突き立てようとするザン。凄まじい握力で押さえつけられてもなお、未だ離れずにいた。
「逃さないぞ、決して!!」
「いい加減にしろっっ!」
ザンのナイフが折れる。と同時に、彼の胴を剛撃が揺らした。
悲鳴を上げることすらできず、そのまま横方向に吹き飛ばされるが、
「ザンっっ!!」
顛末を予想していた私は、彼が飛んで来る方角に待機していた。
……炎の壁を張るわけにはいかないので、受け止めるのは素手だけれど。
「うぐうっ!!」
「がはっ……」
共に倒れ込んだ私に、体格差のある少年がのしかかる。
「はは……ありがとな、フレイ。受け止めて、くれて」
「うん、ご、ごめんね……エーネの水は、今は温存中で」
衝撃に目が眩みながらも、互いに顔を見合わせて笑った。
「……後は、頼んだ」
「うん、きっと」
義兄は気絶した。そっと彼の頭を寝かせ、私は再び体を起こす。
「おおおおおおおおおおッッッ!!!」
「この……このッ!!」
無敵のはずの人外の肉体に、鋭いナイフがめり込んでいく。腹這いになり、鬼気迫る雄叫びを上げるグレイザーに、彼は何度も渾身の打撃を加えた。
意識が遠のいていく。しかし負けるわけにはいかない。
彼女と約束したのだから。履き違えたこともあったけれど、今────
この男を倒さずして、最強の街は訪れない。
「ぐ、ぐっ、折れろ……! 折れろッ! モリアデスッ!!」
「くッッ!? お、折れるのは君だっ! 良い加減やめろ!!」
「がっっ……! リ……ア…………」
人外の右足が貫かれる。
無防備な彼の背に致命的な一撃が入ったのは、それと同時だった。
ついに力尽きたグレイザーは、ナイフを手放し動かなくなる。
「何なんだ……何なんだよ、君達は!!」
左足だけで後ずさりながら、ライグリッドは忌々しそうに吠えた。
「そんな無様な姿になってまで、どうして!! 世界の王には勝てないとわかっているのに! 何故受け入れない!?」
「無様なもんか。勝てない、もんか……!!」
もはや動ける者はわずか。そんな状況下、私は膝立ちで、地に手のひらを被せていた。
今こそ、エーネの想いに応える時!
「大切な人のために戦って……後悔なんて、あるはずがないよっっ!!」
エーネとグレイザーが教えてくれた。この下が空洞なら、やれるはずだ。
全てを出し切るつもりで、私────フレイング・ダイナは叫ぶ。
忘れかけていた夢を、思い出しながら。
「それと……王になるのは、この私だ!! 【煌炎────龍煉獄】!!」
熱される地面。異様な振動を始めた空間。
身を焦がすほどではないにせよ、その違和感をライグリッドは確かに感じ取ったのだろう。
瞬間、地表全域から、うねる火柱が飛び出してきた。意思を持ったかのごとく移動し、極太の体で家屋の残骸をも飲み込むそれらは────
もはや火龍とも形容できる、正真正銘の怪物だった。
「なっ……!」
負傷した身で里を飛び回りながら、ライグリッドが息を呑む。
私も無視できない倦怠感を覚えた。炎を限界まで使用するのは初めてだ。
しかし、もうひと踏ん張りで全てが片付く。
「────溜まった」
仲間の懸命な攻撃の最中。少女エーネは、ついに魔力の全快を実感した。
「これで、終わりです。わたし達の勝ちですッ!!」
「……もう、炎のお姉さんは動けない」
空中にいたライグリッドは、私の生み出した龍に追われながら。
遠方の姉を標的に定め────
「後は君だけだっ!」
「っ……!」
「終わりだよ、ソフィ!!」
飛び掛かるライグリッド。エーネの胴の中心を寸分違わずに捉えている。こちらの攻撃は、間一髪間に合わない。
彼女が覚悟を決め、目の前に水壁を張ったその時。
「エレク、トリッ……ク、マグナ……ム」
どこからともなく放たれた光線が、ライグリッドの瞳へ直進した。
「…………!!」
「いだあああっっ!?」
悲鳴を上げたのはエーネだった。回避のため体を逸らした彼の拳は、身を守る水壁をものともせず、彼女の肩に直撃したのだ。
骨が歪な音を立て、じんとした痛みが腕の先まで走っている。
しかし────
「ちっ!」
最後の敵を仕留め損ねたライグリッドは、勢いそのままに落下していく。
視線の先には、真っ直ぐに発射口を構え、煙を上げて微笑む機人マインド。
「エーネ、よか、った」
「マインド、だ、大丈夫なんですか!?」
「ふ、ふっ。仮に、この身を、裂かれても…………」
私の炎で一時的にエネルギーを得ていたらしい。
今度こそ全ての力を使い果たしたマインドは、温かな濁声で告げた。
「僕は、決して……友を見捨てない……!」
ソールフィネッジを火炎が覆う。ライグリッドは足を庇いながら、私の決死の攻撃から逃げ回っていた。
(みんな、ありがとうございます)
エディネア・モイスティは涙をぬぐい、片腕を空に掲げる。
(もしあの時、みんながいてくれたなら……もしかしたら、違う未来があったのかも)
それでも今、皆でこうしてここにいる。
大切な仲間達が────エーネのために、命をかけてくれている。
(だから、わたし。やってみせます)
しがらみだらけのモリアデス家に生まれ、もうすぐ十八年。
これまでの全てを払拭するべく、エディネア・モイスティは世界に叫んだ。
「今ここで、みんなに報いますっ!!」
「……まさかっ!?」
「押し流してっ……! わたしを阻む過去を、全部ッッ!!」
次々と浮き出る淡い文様。それは、エーネ史上最大クラスの水流だった。
幼馴染に倣って名付けるなら、そう────
「【わたしの最強必殺技】ッッッ!!!」
もはや逃げ場は無かった。
家屋の残骸を交えた濁流が、弟を含む全てを食らい尽くす。
「フレイっ、お願い!!」
「行くよ、エーネ!! 【炎の防壁────EX】!!」
蠢く龍は消え失せ、再び巨大な炎の壁が生まれた。
エーネ以外の四人を取り囲み、世界を押し流す水流を懸命にはじき返す。
「はあああああああああっ!!」
誰もいない天空へ吸い込まれていく、私とエーネの気合の咆哮。
それが届いた相手がいるとすれば、ただ一人。
「……ぐう、うっ……」
呼吸もままならない水世界で。少年はくぐもった呻き声を上げた。
(やってくれたね……)
もはやこの水が、どうにもならないことを察しながら。
(ソフィっ!!)
人外、ライグリッド・モリアデスは────
誰にも看取られることのないまま、【決裂の崖】を飛び出した。
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