15:決戦 ライグリッド・モリアデス
「俺の人生には、後悔と恐ればかりだ」
グレイザーの表情は見えない。しかし、人違いかと思うほどの弱々しい声は、ソフィが目を丸くするには十分だった。
「お前は確かに、リアンに似ている」
「……えっ?」
「主に髪色だが」
本当に容姿だったのか、と考える間も無く彼は続ける。
「そして、オレに飾らない物言いをするところもな。異なる性格のはずなのに、お前にあいつの影を求めてしまった。それは否定できない」
「…………」
「だが、オレがお前を無意識に気遣ったのは、きっと別の理由だ」
ソフィの頭に乗せられた手に、少しばかり力が入る。既に若干痛い。
この痛みこそが、彼の不器用さの表れだった。
「ずっとあいつに、こうしてやりたかった。リアンはお前と違い気丈で、病の中でも笑っていたが。きっと心では涙に濡れていたはずだ」
そんな話、ゼノイ・グラウズの言葉からは読み取れなかった。
グレイザーだけが、気付いていた事実。
「あいつに言ってやりたかった。大声で泣いても良い。オレに全てを委ねてくれて構わねェんだと。だができなかった。ひとえに、恐れたからだ」
グレイザーは息をつく。その場の誰もが微動だにしない。
「そうすれば、リアンは折れてしまうんじゃねェか。誰もが受け入れたくなかった……死が迫っているという事実。それを、オレ自身が認めてしまうんじゃねェかと。そして現実が迫った時は、もう遅かった」
「現実……」
「言葉を尽くさなかったオレは、最期にあいつに会うために、一つの村を犠牲にした。そのくせ────大切なことを伝えられなかった」
瞳に映る男が、初めて強大な守護者ではなく、等身大の若者に見えた。
もし違う状況だったなら、思わず口にしていたかもしれない。
(グレイザー……)
それは何だか、とても自然なことに思えた。
(やっぱり、リアンさんのことが)
「今のお前は、かつてのオレと同じだ」
回顧するグレイザーは語気を強める。
「後悔を抱え、恐れ、逃げ惑い。大切なものを手放そうとしている」
「……大切な、もの」
「フレイング・ダイナは強い。あの年では考えられねェ気迫を放ち、他を圧倒する力を手にしている。まごうことなき最強の戦士だ」
その先の答えは、ソフィにもわかっていた。
「だが、生まれながらの化け物じゃねェ。奴は人外には勝てない」
言葉が胸の奥に突き刺さる。同時に、言わずにはいられなかった。
「そんなのっ、グレイザーだって……!」
「はっ、そうだな。オレとて今度こそ命を落とすかもしれねェ。それは、オレの中にも確かにある恐れだ」
それでも。折れない守護者は、更に指先の力を強める。
そろそろ結構痛い。
「オレには守るべきものがある。民を、そして友を。ここでオレ達が倒れれば……モリアデスは、オレにとっての全てを滅ぼす。お前とてそうだろう?」
当然だ。自分はいつだって、フレイ達に守られていたけれど。
「今度はお前が友を守る番じゃねェのか。ここに留まり後悔するのか。全てを賭けて、未来のために戦うのか。今が決断の時だ」
心臓が流れるような鼓動を打つ。
血濡れの弟の奥、掴めるかもわからない淡い光の中で────
────『フレイの傷は、これからもわたしが治します! 何があっても必ずっ!』
他でもない自分自身が、笑っている。
誓ったのだ、恩返しをすると。心から愛する彼女達に。
呪われた里の長子ではなく。彼女達と育った「エーネ」として。
「立て、エディネア・モイスティ」
「…………!!」
「後悔と恐怖を超えろ。その類まれなる魔法で、何もかもを救え!!」
エーネは微笑んだ。口を覆い、手の甲に涙を伝わせ、嗚咽を漏らしながら。
「グレイザー……手、痛いです……」
「む」
グレイザーはおずおずと手を放す。エーネははにかみながら顔を上げた。
「まだ、その名前で呼んでくれるんですね」
「オレはこれしかお前の名を知らん。ダイナ達もそのはずだが?」
「ふふっ……」
立ち上がって背筋を伸ばすと、不思議と天井が近く思える。
地上を覆う炎の圧が伝わってきた。あれらが軒並み消えた時、今度こそ自分の全てが失われてしまうだろう。
「そんな風に言われたら……何か、本当にやる気になっちゃいました」
「そうか」
「だから、グレイザー。改めてお願いします」
エーネは今一度守護者に向き直り、拳を握った。
「わたしに力を貸してください」
かつては弟に拒まれた言葉に、男は歯を見せて不敵な表情で応える。
「言われるまでもねェ」
珍しく、芯から嬉しそうな声だ。
「俺達も協力するよ」
オーヴェンが張り切った様子で言い放つ。
「やばい戦いになりそうだ。参戦はできなくとも、捕虜を解放して、あいつに反旗を翻してやる!」
「……はい、ありがとうございます」
「しっかりやれよ、エディネア」
二人の言葉に勇気づけられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
「……エディネア、か。それも良い名ね」
「我らが娘よ。もう多くは言わん」
両親は頷き、右目に手をかざす。恐らく、元々の作法とは違う意味だろう。
既に道は分かたれた。彼らはモリアデスとして。自分は、フレイ達の仲間のモイスティとして。
「頼んだぞ」
「……はいっ!」
エーネはしゃがみ込み、地面に手をかざした。浅く呼吸しながら、宙を舞う自らに思いを馳せる。
と、背中に体重がのしかかった。
「うえっ……!?」
「おい、しっかりしろ。オレとてお前の体になんざ掴まりたくはねェ」
「ど、どういう意味ですかっ!? もうっ……!」
(き、聞こえてないよね……心臓がすごく鳴ってるの)
きっとこれから戦いに挑むからだ。そうに決まっている。
「あたしも、自分のやるべきことをやるわ。エーネさん、また三人で温泉入ろうねっ!」
「うんっ! 絶対、みんなでぬくぬくしたいです!」
「時は満ちた。征くぞ、モイスティ!!」
エディネア・モイスティは目を閉じ、体の芯まで願いを伝わせた。
今なら飛べる。不可能を可能に変える、魔法の力を持って生まれたのだから。
────『この魔法で助けたい。大事な時に、隣にいたいから。それがきっと『恩返し』になるからっ!!』
今ならきっと、奇跡すら起こせる。
********
「フレイッ!!」
私の体を貫かんと、悪魔の拳が迫り来る。もはや動くこともままならない義兄は、ただ手を伸ばすことしかできない。
(エーネ……)
心の奥で、大切な人の名を呼ぶ。
(後悔は無いよ。私は、エーネに会えて────)
「…………ん?」
ライグリッド・モリアデスは、誰よりも早く異変に気が付いた。
地表を覆う炎の残滓に紛れ、本来ありえないはずの……相反する物質が生み出される奇妙な音がしている。
「────水?」
その呟きと共に、広場の床が貫かれた。
首領が驚愕に目を見開く中、私は飛び出してきた人物を認識する。
「……あっ……」
それはまるで、夢のような光景で。
「久しいな、モリアデス」
眼前に着地したのは、かつてしのぎを削り合った相手だった。
あの時よりも薄着で、どこかやつれていて……しかし闘志だけは一切の衰えを見せていない。
彼の猛禽類のような瞳が、今は何より頼もしかった。
「来たんだねぇ、守護者グレイザー」
「あァ。報いを受ける時だ……!!」
グレイザーが言い終えても、水はまだ溢れ続けていた。
何かを浮かせるために、その勢いはとどまることを知らない。
「……八年。長いようで、案外短かったです」
「あ、はは……ふふふふっ、うふふふふふっっ……!!」
優しくも強い少女の言葉に、ライグリッドは含むように笑う。
地表の誰もが、烈嶺のはるか上空を見上げていた。そこには、水色のドレスの上に漆黒の外套を纏い、毅然とした表情で身を翻す少女。
高所を恐れ、泣いてばかりいた彼女は……
「その悪行も────ここまですっ、ライ!!」
今は悠然と、空を駆けている。
「エーネっ、っ、エーネ……!!」
涙で霞むエーネの姿は、まるでおとぎ話の女神様のようで。
「ああ、ソフィっ!! 僕は。僕はずっと! この時を待ってたんだ!!」
か弱く優しく、誰からも愛される姉と────あらゆる未来を摘み取る、世界の王たる孤独な弟。
長きに渡る因縁が、ついに決着を見せようとしていた。
「立派になったねぇ! 愛しのソフィ……今度こそ、この僕が! ライグリッド・モリアデスが! その身を骨まで食らい尽くしてあげるよっ!!」
「今も昔も、わたしはエーネ……エディネア・モイスティですっ!! 今日こそ返してもらいますっ。その手で奪った何もかも────全てッッ!!!」
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