9:霧のソールフィネッジ
「おはよう、お姉さん」
ぬるい日差しの朝。
不眠を取り戻すべく爆睡していた私を、起こしに来た者が一人。
その人物は探し求める幼馴染によく似ていた。彼女より短いが全く同じ質感の髪に、良く似た鼻、口元。唯一色違いの瞳。
「ん……エー、ネ……っ!?」
飛び起きた私は、拍子にベッドから転げ落ちた。
「あはは、慌てすぎだよ」
エディネア・モイスティにそっくりな顔で、ライグリッドは笑う。
「君達は大切な客人なんだ。丁重に扱うに決まってるだろう?」」
昨日とほぼ変わらぬ装いだ。ゆったりした衣装が好みなのは、姉弟共通か。
ここは旧モリアデス邸。昨夜、ソールフィネッジの地表で、私達はエーネの全てを聞いた。彼が両親と決別した肝心の経緯は、濁されたままだけれど。
痛いほどわかる。エーネがこの男を頼り、愛したこと。そして最終的に、言葉にもできぬ恐れを抱いた理由が。
「さあ、下に降りてきて。剣士君や機人さんはもう準備万端みたい」
「……もう一人の子は?」
「さあ。僕が起きた時には既にいなかった」
レトアの事が心配だが、今は従うより他ない。
「……マニー」
決して聞かれぬよう、私は通信機を口に当てる。ゼノイ・グラウズの「最高の作戦」は、既にこちらにも伝わっていた。
「……色々早まっちゃった。すぐ準備して」
『は!? あたし達着いたばっか────』
「お願いっ、頼みの綱だから!!」
ライグリッドと共に階段を下ると、居間に大きなテーブルが見えた。
「あそこで父さん達に思い知らせたんだ。いわゆる、報いってやつさ」
彼はひそひそ声で言う。脳裏に、エーネが見たおぞましい光景が浮かんで来るようだった。
「フレイ」
「あっ、おはよう」
「おはよう。よく眠れた?」
玄関口には、警戒姿勢で立ちすくむザンと、相変わらずの無表情で手を振るマインドがいた。
「レトアについてだが、心配するな」
私の疑問を先取りして、ザンが耳打ちしてくる。
「最初に目が覚めて、今は里を探索してる。女子の方が警戒されにくいだろうって話だ」
「……ザンが言うなら、良いんだけど」
「ねえねえ、ちょっと」
ライグリッドが割って入った。不服そうな顔だ。
「何でそんな暗い感じなの? 君達もこれから未知を探検するんだよ?」
もしかして、と彼は間を置く。
「昨日の話がショック? 大切な仲間の正体が」
「っ、エーネをどうする気? あの子はどこ!」
「だから、会わせられないよ。どうするかなんて、ねぇ。ふふっ」
「このっ……!」
「フレイ」
ザンが細かく首を振った。私は落ち着くために唾を飲む。
「じゃ、僕は色々仕事があるから。案内はするけどね」
ライグリッドは文字通り、瞬く間に姿を消した。
揺れる空気も風を切る音も、何一つ感じない。
「……今のが、魔道具の力?」
「違う。ライグリッドは、ただ速いだけ。里を出入りする時にしか魔道具は使ってない」
マインドは目を伏せ、肩を揺らす。多分人間なら溜息をついている動きだ。
「どんな機人でも追いつけないよ。彼の人間離れした動きには」
実質的にライグリッドの支配下に置かれた今、私達の任務は二つだ。
まず、エーネとグレイザーの身柄をどうにか回収すること。
そして脱出経路の確保だ。最悪の場合、彼の目を盗んで逃げることになる。
ただ、未だにライグリッドの目的は不明だ。強者を監禁するのは何故か。私達に接触した理由。捕らえた者達を……エーネを、どうするつもりなのか。
「エーネ、ちゃんとご飯食べてるかな……」
「奴の口ぶりからして、無事ではあるはずだ。飲食店で情報収集するぞ」
道すがら、レトアが合流してきた。
「ごめんなさい、エーネさんの居場所はわからなかったわ。怪しい地下通路の入口は見つけたけど」
「十分だよ、ありがとうねレトアっ」
「えへへっ」
入った店は、質素ながらも綺麗にまとまっていた。
余所者に対する奇異の視線を感じながら、店員からメニューを受け取る。
「すまんマインド、電気は無さそうだ」
「日光を吸収するよ。最新型なら、本格的な太陽光発電があったのになぁ」
「マインドさんも大変そうね……」
「それで、どうする? とりあえず店員さんに捕虜の居場所を────」
「そんなの、僕に聞いてくれればいいのに」
私はメニューを取り落とした。いつの間にか正面に座っていたライグリッドに顔を覗き込まれる。
「捕虜達はこの下だよ。かつての連絡通路に牢獄を作ったんだ」
「な、何でここに!?」
(でも、レトアお手柄っ……!)
「ふふ、美味しいメニューを伝えようと思ってさ」
臨戦態勢に入る私達。しかし当の本人はどこ吹く風だ。
「やっぱこれだよね。ソフィも好きだったんだ」
彼が頬張るのは、トマトソースを使った色艶の良いパスタ。村の三人は誰も料理が得意ではなかったが、思えばエーネは酸味のある物を好んでいた。
あとはオニギリという、マインドくらいしか食べなかった米料理だ。
少し口に入れすぎな状態で咀嚼する姿は、姉とあまり変わらない。
「あ、下には行かないでね。通れはするけど、綺麗な場所じゃないし」
食べ終えた彼は姿を消した。食欲を失った私は、自分の料理に目を落とす。
彼が食べていたものと同じだ。薦められたからではなく、エーネが好きだったという理由で頼んだ。
「フレイ、ゆっくり食べて。今の君は空腹だ」
マインドが諭すように言う。
「きっと大丈夫。どうにかなるよ」
「……うん」
その後、私達は一際大きな建物を目指した。大体どこでも、外観のイメージは共通のようだ。
「あっ、学校に来たの?」
当然のように現れたライグリッド。邪魔をしているようにさえ思えてきた。
「ここはねぇ、未来の戦士達を育てる場だったんだ」
「今は違うのか?」
「ううん、今も僕の部下を育ててる。ただ────」
ライグリッドは校舎の端にある畑に目を向けた。
「現状は、食料生産を担う側面が強いかな? どうしても必要だから」
やがて、校舎から子供達が出てきた。確かに皆、頑丈な体付きだけれど、その顔はどこか浮かない。
というか先ほどから、大人がほとんど見当たらなかった。
「ねえ、ライグリッド」
私は慎重に話しかける。
「ご飯って全部ここで作るの? 外の物を買ったりとかは……」
「外の物?」
意味がわからないといった顔をされた。
「そんなの必要無いよ。第一、不可能だ」
「え?」
「この里に、出入り口なんて無い」
さも当然のように、ライグリッドは言ってのける。
「無意味だろう? 外部の影響を受けたら、里の在り方が揺らいでしまう」
「じゃ、じゃあ……この里の人は……!」
「もう八年になるかな。ソフィの捜索以外では、久しく外に出てないよ。まあ今は故あって────大人達が遠征中だけど」
彼は懐から魔道具を取り出す。球体の中に、白いもやが蠢いていた。
「安心してよ、出る時はこれで送ってあげるから。何人でも転送できるんだ」
笑い声は少女のようだ。高めの声と、エーネと同じ容姿が、余計にそう思わせるのだろうか。
無性にそこから逃れたくて、私は思わず走り出した。
「ふ、フレイさんっ!?」
突然のことに狼狽しながら、三人も後に続く。
里の端はそれほど遠くなかった。烈嶺を覆う濃霧は、光を全て吸収するかのようだ。頼りない柵を少し超えた先は、本能で恐れを抱かせる断崖絶壁。
「嬉しいよ、【決裂の崖】に興味を持ってくれて」
ザン達より早く隣に来た少年は、崖を見下ろし感傷に浸る。
「僕が名付けたんだ。ここは僕ら双子の、互いの運命が定まった場所さ」
場の記憶、と言うのだろうか。
モリアデス邸での光景よりも鮮明に、弟と向き合うエーネの姿が浮かんだ。
「どうかな、僕の世界は。住み良いだろう?」
「……そうかな。大人達がいないのはやりにくそうだけど」
「ふふっ、知りたいの? 今彼らが何をしているか」
全てを見透かす少年は、甘ったるい声で。
「あと僅かだね。烈嶺が誇る私軍────僕の操り人形が。『王都』グレンに侵攻を開始するのは」
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