8:この時を待ってた
「ライグリッド、お前……なんてことをっ!!」
オーヴェンが叫んだ。無様に喚く弱者を、少年は感情の無い目で見やる。
「うるさいよ。君の言葉は聞くに堪えない」
「っ……!」
「何にせよ、勝負は僕の勝ち。想定外の形だけど、改めて祝おう」
血生臭い里に吹く新たな風に、あどけなき人外の声が乗った。
「ライグリッド・モリアデスによる、偉大なるソールフィネッジの誕生を」
********
冷えた空気を切り裂きながら、少女は宙を舞う。
「あっ……」
霧の海を突き抜けると、初めて外界と出会った。
一面に広がる高原。地平線の向こうに見える村や都市。
そしてはるか遠くに位置しながらも、徐々に大きくなっていく地面。
(怖、い)
既に捨てたはずの命が、訴えかけてきた。
(怖いっ、怖い怖い怖いっっ!! 何で、こんなに高いのっ!?)
お約束の走馬灯は無い。ただ、思い出すばかり。
苦しい事ばかりだった。それでもライとの思い出は、綺麗なものもあった。
訓練終わりに水をくれた。共に学校に通った。悩む自分を励ましてくれた。
(ああ、わたし……)
風圧で体の水分が乾いていく。溢れた涙が一瞬で顔と分離する。
生が躍動するのを感じながら、ソフィは強く自覚した。
(やっぱり、死にたくないんだ)
その時、ふと体が軽くなった。
魔力が回復している。使い果たした力が、永い落下の中舞い戻ったのだ。
「お願い……」
逆さまの状態で、地面に手を伸ばす。
一度くらい、思い通りになってほしい。
例え強くなくとも。人から認められなくとも。死に瀕したこの体を────
「お願い、押し流してっ……!!」
溢れ出る、言いようのない悲しみと共に。
生み出したなけなしの水流は、音を立てて地上へ落下していく。
着水する瞬間。水はちょうど、人間を受け止めうる分厚さとなった。
「あぶっっ!!」
凄まじい衝撃に、意識が途切れかける。
それでもソフィはめげなかった。少しでも里から遠ざかるべく、文字通り自身を押し流す。
「かはっ、はあ、はあっ……!!」
力尽き、仰向けになったソフィが見たのは────濃霧で覆われた、幻想的ともいえる巨大な峰だった。
もう二度と、戻ることのできない故郷。
「あ、うぅ、ひぐっ」
ソフィは泣いた。久しぶりに、人目をはばからずに大声で。
「あうっ、ぐすっ、うああああっっ……」
「────お嬢さん?」
それは軽やかなのに、とても重々しく聞こえる声だった。
頭上に自分より大きな影が映る。見た所、少年だ。
「泣かないで。こんな所にいると危ないよ」
暗くて顔は見えない。少年は軽装だったが、武装していることがわかる。
「はい、これ」
「こ、これは……?」
「オニギリっていうんだ。村では不評でね……でも味は保証する」
助け起こされたソフィは、見たことのない白い塊を差し出される。
導かれるままに、端っこを口に運んだ。
「……お、美味しい」
「良かった」
微笑む少年をよそに、ソフィは小さな塊を夢中で食べる。
不思議と力が湧いてきた。
「どこからか逃げ出した、そんな所かな?」
頷くソフィの頭に手を乗せ、少年はまた微笑む。
「ごめんね、僕には使命がある。君と一緒に行くことはできない」
「使命……?」
「捕らわれた人々を助け出さなければ。でも君が、生きることを諦めないのなら。あっちを目指すと良い」
少年の指先を辿ると、はるか遠くに明かりが見えた。
「シュレッケン。ちょっと過激だけど、綺麗で開放的な街────」
「あ」
その時、里の方から並々ならぬ気配を感じた。
「君の追手だね」
「わ、わたしを探しに……!」
「行くと良い。誤魔化すのは難しいけど、せめて誤った方向を伝えておこう」
少年は里の方へ歩き出した。その背が、自分を守ってくれた大人と重なる。
「あ、あのっ!!」
ほとんど潰れた喉で、ソフィは声を張った。
「ありがとうございますっ!! お、お名前は……!?」
振り返った少年は、どこか寂しそうで。
それでも、どこまでも弟とは対照的な笑みで、言った。
「無垢な君に、どうか見ていてほしい」
里の方から聞こえてきた喧騒は、ソフィがその場に留まるのを許さなかった。
ただ、この日受けた恩を。障害忘れはしないだろう。
「この先きっと訪れる……王になった僕が創る、偉大なる世を」
********
「わたしは進み続けました」
ソフィネア・モリアデスは、ただ淡々と語る。
「シュレッケンに着いても、安心できなかった。死体が無いんですから、ライは血眼になってわたしを探すはずでした」
細い足腰に鞭打って、とにかく遠くへ移動した。物乞いのようなこともしながら、何とか命を繋ぎ止める日々。
ビートグラウズに辿り着く頃には、ソフィは心身共に弱り果てていた。
「そこまで行ったら、目指す場所は一つでした」
辺境を渡り、国境を越える。弟から逃げ続ける道。
「でも、また不安になったんです。ライはわたしの夢を知ってて……あいつなら、国も超えて私を捕まえにくるんじゃないかって」
崩れかけの精神は、限界だったソフィの肉体にも致命的な打撃を与えた。
それは、群都市を出てしばらく経った頃。
「わたしは力尽きました。辺境の村に着くなり倒れ込んだんです。そこで────」
運命の出会いを果たした。
「フレイったら、初対面なのに詰めてきたんです。わたし、テンパって泣いちゃって、しかも違う名前に勘違いされて……」
「…………」
「優しくて、あったかい村でした」
ライグリッドとて、まさか自分が辺境に留まっているとは思うまい。
ソフィは生まれ変わり────エーネことエディネア・モイスティとして、フレイ達と共に生きる道を選んだ。
「生い立ちは言えなかったけど、魔法のことも話しました。せいいっぱいの信頼の証です。フレイ達のためなら何だってできる。居場所をくれた、大好きな仲間達だから……」
それから八年後、ソフィは再び村を出た。
夢を追うために。愛するフレイの望みを叶え、恩を返すために。
そして。
「わたしはまた、全部失ったんです」
鎖が重い。自由でない体に、あの時以上の重みを感じる。
「今でも時々夢に見ます……嫌いな父さんと母さんの、血だらけの姿」
あれは明日の自分だ。シュレッケンは遠く、助けが来ても死に目に間に合いすらしない。ライは謎の力で、一瞬でソフィを運んできた。
「一度は捨てた命です。でも、わたしっ……やっぱり、こんなの嫌ですっ……!!」
もう泣き声も抑えられない。
「ごめんなさいっ……! わたしの弟が……あの日、倒せなかった悪意が。グレイザーの道も阻んじゃった……!」
何度も嗚咽を上げ、肩を震わせる。この場にいない幼馴染の代わりを、敵だった男に無意識に求めてしまう。
彼とて泣きたいはずだ。ライグリッドは、全てを奪うのだから────
「くだらん」
それはいつか聞いた、低く冷め切った声だった。
「……え」
「求めていた情報がまるで無かった。お前の泣き言に、有益な話はゼロだ」
「なっ……!?」
脳が理解を拒んで、溢れ出ていた涙が止まる。
「オレが聞きたいのは、この場所の情報だ。それを、怖いだの失っただの、どうにもならねェ泣き言ばかり」
「だって、さ、さっき……後悔してるんじゃって、言ってくれたから……!」
「傷心中の小娘に合理的になれとは言わん。だが話を聞いてやるからには、役立つ情報の一つでも話すのが筋だろうが」
「────っっ!!」
思わず顔が熱くなる。こんな感情になることはめったになかった。
「誰の、ためだと……!」
「あァ?」
「わたし達がシュレッケンで戦ってたのは、元はと言えば、ぐ、グレイザーのためでもあるからっ!!」
捕虜達が声に反応する。それでも言わずにいられなかった。
「本当はずっと怖かった! でもフレイ達も頑張ってたし、わたしもビートグラウズを助けるために、騒ぎを起こしてまで戦ったんです!」
「忘れたのか? お前らの村も標的の一つだった。群都市が陥落すれば、すぐに奴らの支配下だ! 情報を伝えたのは誰だと思ってやがる!」
「うっ……で、でも、協力するはずなのに真っ先に捕まってるグレイザーの方が、ずっと、ずっとっ……だ、だ、ダサいんだからっ!!」
「そこの二人、うるせぇぞ!」
「ご、ごめんなさいっっ!!」
案の定隣から怒鳴られる。黒いものを吐き出したら、突然我に返った。
相手は豪傑グレイザーだ。フレイの奥義をもってようやく倒せた男である。
(こ、殺されるっ!?)
「……お前は、やはり不思議な女だ」
怯えて気配を消していると、彼は独り言のようにこぼした。
「気弱な癖に、スイッチが入ればあれこれ言いやがる。思えば、オレに最初に啖呵を切ったのもお前だったな」
「い……言い過ぎました、かも……」
「そんな話はしていない。落ち込まれている暇なんざねェからな」
奥のシルエットが、想像していなかった形に変化した。
座っていた彼が、まるでゆっくり立ち上がるような……
「改めて問おう。お前、この場所を知っているな?」
金属が弾かれ、何かがちぎれるような音がした。
(ま、まさか……!)
「エディネア・モイスティ。質問に答えろ」
グレイザーは格子の前まで来ていた。ソフィには到底不可能な動きだ。
彼のように、手足の鎖を引きちぎりでもしない限りは。
「聞いているのか」
「え、あ……し、知ってます。多分、連絡通路を改造したもので……下に行ったら峰のふもとに出て、上まで行けば里に」
「なるほど、な」
グレイザーは格子を掴んだ。鉄が軋み、鉄棒があらぬ形に歪む。
「ここは恐らく中層だが、下方から外気を感じねェ。奴が塞いだのだとすれば、出口は上にしかない」
グレイザーは音も無く前進する。
あっけにとられるソフィの前に、ついに姿を現した。
少し乱れた蒼色の長髪に、所々汚れた衣服。しかしその長身と射殺すような鋭い眼は、紛れもなく自分の知る守護者のものだ。
(いつでも、脱出できたの?)
「お前は……ビートグラウズを救ってくれたんだな」
グレイザーはソフィの格子にも手をかける。
力む様子も見せず、それを左右に引っ張り────
「この時を待ってた」
原型をとどめないほど、乱暴に引き裂いた。
「立て、モイスティ。お前の力が必要だ」
「えっ……?」
差し出された手は、ソフィよりずっと大きく、力強くて。
「あの男を────ライグリッド・モリアデスを。オレ達の手で打ち倒すぞ」
意味がわからない。
ライグリッドは化け物で。
自分を殺そうとしていて。
誰よりも強くて。
しかしここにいれば、自分に未来は無くて。
「…………」
グレイザーはソフィを見ていた。ソフィもじっと、彼を見返す。
守護者であり侵略者でもある、カリスマ溢れるこの益荒男が。
何故か、フレイの影と重なった気がした。
きっとそれがきっかけだったのだろう。
全てを諦めかけていたソフィが、恐る恐る彼の手を取ったのは。
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