7:目覚める人外
「ただいま。父さん、母さん? ライ?」
ドアを叩いても返事は無かった。明かりは消されているようだ。
どれほど込み入った話なのだろう。胃が痛くなる思いでノブを回す。
「……鍵が開いてる!」
一歩踏み込み、ふと息を吸ったその時。
本能で嫌悪感を抱くような異臭がした。
(こ、これっ、もしかして……!!)
間違いない。人間の血の臭いだ。
「あ、ああっ、みんな!!」
不審者がまだ潜んでいるかもしれない、などと心配をする余裕は無かった。
そしてソフィは見つけることとなる。ぐったりと力尽き、テーブルにその身を横たわらせた────
父と、母の無残な姿を。
「────っっ!! はっ……!!??」
呼吸ができない。頭が真っ白になり、荷物を取り落とす。
「父さんっ!!?? 母さんっっ!!!」
床を這いながら近づくと、手にべっとりと血が付いた。胃から全てが逆流しそうになりながらも、ソフィは無我夢中で二人に手を当てる。
「な、何がっ、どうなって……!」
未熟な治癒では、満身創痍の彼らを完全に癒すことは叶わない。
それでも涙声で呼びかけていると、やがて父の指先が動く。
「そ……ふぃ……」
「と、父さんっ! な……何があったの!? ライはどこです!?」
彼は指で何かを示そうとしていた。それが不可能だと悟ると、脱力し、浅い呼吸をしながら。
「……ろ……」
「え……?」
「…………に、げ……」
ソフィが反射的に父から体を離した、その瞬間。
「こちょこちょ~」
相も変わらず陽気な声だった。驚きのあまり、吐きそうになる。
「っぎゃああああっ!!??」
「なーんて、今回は触ってないじゃないか。相変わらず怖がりなんだから」
窓際に座り、月明かりに照らされた少年が、視界の端に浮かび上がった。
ソフィは一目で理解する。この事件の犯人が、誰であるかを。
「おかえり、ソフィ」
ライグリッド・モリアデスは、全身血濡れになりながら────見たことのない満面の笑みをたたえていた。
「驚かせちゃった? でも安心して、決着はついたんだ」
物も言えず後ずさる姉に、口元を歪めたライは、徐に右目に手をかざす。
「これからは僕が首領だ。祝福してよ、ソフィ。約束を果たす時が来た」
まるで楽しくて仕方がないというように。
「な、ん……で……」
「二人はね、僕達を裏切ったんだよ。ソフィを縛り付けておきながら、結局ポリシーを破ったんだ。許せないだろ?」
「!? な、何言って」
ソフィは壁にもたれかかった。正常な思考が働いていない。
けれど、助けなくては。
憎くて恐ろしい両親だけれど。命を救わなければ。
「ああ、でも」
朦朧とする意識の中、再び治療に取り掛かろうとしたソフィに、ライは思い出したように言った。
「一つ仕事が残ってたね。さっきの話は父さん達だけの決定事項だし……このままじゃ、僕が首領だって認めてもらえないかも」
ライは舌なめずりをする。
「まだ残ってるよね、本来の首領が」
「…………え」
「みんなの中で、後継者はソフィのままだ。僕は決闘に勝ったけど、信じてもらえないかも。ねえ、ソフィ」
弟は血濡れの手を差し出した。
「改めて僕と戦ってよ。勝利条件は、相手を殺すこと」
また一歩、彼は踏み出す。
ソフィは潰れそうな声で泣くしかない。
「化けっ……物……!!」
「失礼だな、僕は嘘を本当にしてあげようとしてるだけさ」
彼の吐息まで血の臭いがするような気がした。
「君が勝てば、君が首領だ。何にでもなるといい。でも僕が勝ったら……父さんたちの言葉の解釈通り、君を殺さないといけない」
「う、嘘……と、父さん達が、そんなっ……!!」
「ふふっ、怯えた目が一番可愛いよ」
もう何も信じられない。何一つ考えたくない。
「哀れなソフィ。そんな君に、僕が最後のチャンスをあげるよ。三十秒数えるから、戦いやすい場所に移動してごらん?」
三十秒。
……三十秒……?
(え……?)
三十秒経てばどうなるのか。
視界に物言わぬ両親が映る。カウントを始めようと、指を立てる弟が映る。
────『ライ。わたしはいつか……この里を出たい』
自分は何を言っていたのだろう。
もう全部、終わりじゃないか。
「どうしたの? 動かないの?」
けれど、本能が叫んでいる。
死にたくない。
そうだ、まだ死にたくない。死にたくない……!
「────ッッ────!!!」
だから、逃げなければ。
それは基本鈍重なソフィの、人生最高の走りだった。数秒で玄関に辿り着き、勢いそのまま魔法でドアを吹き飛ばす。
「あぐっ!!」
足を取られて頭から転ぶも、水の流れに乗って敷地の外へ。
いつもと変わらぬ夜の里。大人はまだそこそこの数が往来していた。
刃物のような殺気を背後に感じながら。ソフィは喉が枯れるほど叫んだ。
「だ、誰かっ……誰かあああああっっ!!」
「!? あれは、モリアデスさんの!」
「ソフィネア!? ち、血がっ……! 一体何が!」
「ら、ライがっ! と、父さん達を……わたしを!!」
その時、全住民が見た。
木っ端微塵になるモリアデス邸。中から稲妻の如く飛び出してくる少年を。
「ら、ライグリッド!?」
「ふふ、うふふふっ」
広場に降り立った死神は、遠くに位置する少女を捉えていた。
「ここでいいんだ?」
「ひっ!?」
「まだ不利かなぁ……じゃあ、里から相手を突き落とすのも勝利条件だ。生きては戻れないし、これなら水で何とかなるかもね?」
手についた血を舐め取ったライは、まるで友人を遊びに誘うような口調で。
「じゃあ始めよう。今度こそ……勝者が、世界を統べる王になる」
「────皆、ライグリッドを止めろ! ソフィネアを守るんだ!!」
大人達が、一斉に彼に掴みかかる。
「ソフィネア、急いでモリアデスさんの所に!」
「ち、違うっ、父さん達は、もう……!!」
「ぐああああっっ!?」
悲鳴が上がった。一人が塵のように吹き飛び、近くの塀に激突する。
「う、嘘だ……」
「邪魔するの? この僕の」
「うぐうっ!?」
「見えないよ。ソフィ、そこにいるよね……?」
一人、また一人と倒れていく。
「ソフィネア、逃げなさいっ! 遠くに……この里の外にっ!!」
「っっ!!」
ソフィは再び脱兎のごとく駆け出した。
目指すは里の端にある、たった一つの連絡通路だ。
「に、人間じゃない……!」
誰かが言った。今にも消え入りそうな声で。
「こいつっ、視界から消え────ぐっ!?」
「飛び道具だ! 遠くから攻めろ!」
「邪魔だよ、ねぇ……これは僕とソフィの戦いなんだ!!」
ライが腕を振るうだけで、矢や槍も弾かれる。
群がる誰もが、彼に傷一つ付けられない。
「ぎゃああああっ!!」
「ソフィ、どこに行くの? 逃げられると思ってないよねぇ?」
ついに包囲網を突破したライグリッドは、姉に向けて侵攻を始める。
一方。助けの甲斐あり、ソフィは連絡通路まで辿り着いていた。
(こ、これで……っ)
自分のために傷ついた住人が気がかりだ。誰もこちらに来てはいない。
けれど、逃げなければ死ぬ。皆の犠牲が無駄になる。
覚悟を決めたソフィは、床に設置された鉄扉に手をかけ────
「外になんか頼らないでよ」
玉を転がすような声がした。ひゅっとか細い息が漏れる。
彼が隣にいた。ソフィが振り返り、再び前に向き直ったこの一瞬の間に。
「僕達は、最強でなければいけないんだよ?」
ライは五指を扉に突き刺した。凹んだ入口は、もはや使い物にならない。
「さあ、雌雄を決しよう」
「う、うっ……うああああっっ!!」
やぶれかぶれだった。力の限り水の魔法を放ち続ける。
「ふふ」
渾身の攻撃を、ライは歩きながら平行移動して避け続けた。
そこには予備動作も無い。残像だけを残し、着実に進み続ける。
「あぁっ……!」
「弾切れかな? 次は?」
「ッ!!」
残りの魔力を総動員し、大きな水流をぶつける。
しかし彼は微動だにしない。何もかもが足りていないというように、水は存在しないかの如く扱われる。
「そ、んなっ……!!」
策を失い来た道を戻ると、案の定絶望的な光景が広がっていた。
倒れ伏す数多の大人と、呆然とする子供達。
皆息はあるようだが、立ち上がることもできない様子だ。
「安心してよ。この人達は殺さない。僕の大切な部下になるんだ」
ライは正面に移動していた。ソフィの背後には、里を囲む断崖絶壁。
そこは奇しくも、かつて弟に願いを伝えた場所だった。
「た、たす、けて……」
じりじりと後退する。背中が柵と隣り合ったタイミングで、へたり込むオーヴェン達と目が合った。
「……っ、ソフィネア……」
「あ、ああああっ……」
ソフィは一人だ。名家に生まれ、多くの人間が自分を知っていても。今や一人なのだ。
「違うよ、ソフィ」
心を読んだかのように、ライグリッドが口角を上げる。
「生まれた時から、君はずっと一人だ。理解者なんていなかった。僕が一番、君のことを思いやっていたよ」
「…………」
「魔法が使えると知った時、みんなが期待した。でも誰よりも君を見ていたから……僕は一番最初に気が付いたよ」
姉の頬を伝う涙を見て、ライは嗤った。
それは今まで見た中で、最も醜い笑顔だった。
「ああ、愚かなソフィ……君には無理だってわかっていたよ」
ここまでだ。もう、何もかもおしまいだ。
「ライ」
弟を呼ぶ。髪の隙間から見る顔は、自分と良く似て、まだまだ幼い。
「ライのこと……愛してました。大切な家族だって、思ってた」
「僕は今もそう思ってるよ」
「……きっとこの里は生まれ変わる。前よりずっと強くなって、誰にも負けない場所になる……」
ソフィは無防備に立った。喉元に迫る攻撃を、受け入れるかのように。
「でも……わたしはそんな里を見ることはない」
「当然だ。君は今から死ぬ……父さん達がそうさせた。嘘付きは要らない」
「ふ、ふふふ」
固まった唇で無理に笑い────ソフィは右目に手をかざした。
「ライの作る里なんて、こっちから願い下げだから」
「!!」
「里のみんな……今まで、ありがとうございました」
それは、ライグリッド・モリアデスによる唯一の油断だった。
臆病な姉にできるはずがないと、たかをくくっていたのだろう。
彼に殺されるくらいなら。
最期くらい、勇気を出して見せよう。
「永遠に、さよならです」
力を振り絞り、水で体を浮かす。ソフィはそのまま後ろに倒れ込んだ。
「しまった!!」
人知を超えた動きでも間に合わない。自らとどめを刺さんと伸ばされた手は、姉の体に届くことは無かった。
浮遊感。視界に映る夜空。今宵は星が綺麗だ。
「ソフィーーーーっっ!!」
霧の漂う戦闘民族の里、ソールフィネッジ。
その地を冠した名を付けられながら、最後まで力の及ばなかった少女────ソフィネア・モリアデスは。
歯ぎしりする弟の顔を見届けて、無限の闇へ落下していった。
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