6:約束を果たせ
「里を出る前の二年間は、正直あんまり覚えてないです」
静かに耳を傾けるグレイザーに、ソフィは自嘲する。
「でも一つ確かなのは……あの瞬間から、わたしの立ち位置が決定づけられたってことです」
********
一家のライを見る目が変わった。双子の姉は、この上なくそれを実感していた。
暴力事件は、結局お咎め無しだった。喧嘩を吹っ掛けたのが向こうだったこと、ソフィやライに非は無いことを、何と彼ら自身が証言したのだ。
「ソフィ、もう少し速くね」
「は、はい」
魔法の訓練と並行し、週に数回は武術の稽古も行われる。
しかしそこに以前ほどの真剣さは感じられない。
実力主義のソールフィネッジだが、唯一首領のみ長子が後を継ぐ決まりだ。
だがその制度が撤廃されたなら……両親が何と言うか、考えるまでもない。
ついに頭角を現した、のちに「人外」と称される少年ライグリッド。
彼を前に、ソフィはとうとう一切の期待をかけられなくなった。
「……付いてこなくて良いって、言ったじゃないですか」
あくる日の下校時。二人は里の外れに買い出しに来ていた。
「二人で行った方が早く終わるじゃないか」
「頼まれたのはわたしです。ライは……帰ってゆっくりしてて」
「またまた……あ、そっかぁ」
ライは何かに合点したように手を叩く。
「ソフィ、照れてるんでしょ。もう弟と一緒に歩くのは恥ずかしいんだ?」
「…………そう、です」
思わぬ返答に驚く彼に、ソフィは恥辱にまみれた顔を向けた。
「何故です……今日、何で棄権したんですか」
「え?」
「体育の試合の話ですっ! みんなの前であんなことっ……!」
本日、全クラス総当たりの模擬戦大会が行われた。
事件は終盤に起きた。目にも留まらぬ早業で同級生を下してきたライは、ソフィとの一戦が始まるや否や、突如棄権したのだ。
「だって、未来の首領に膝を付かせるわけにはいかないでしょ」
「そ、そんなことしなくて良いッ!」
皆の冷ややかな目。思い出すだけで震えが止まらない。
「見学しなくなってから長いこと経ってるし、みんなわかってるんです。ライがわたしより……この里の誰よりも、信じられないくらい強いって! なのに今日みたいなことされたらっ、わたし、恥ずかしくて……!」
「…………」
「わかってます、こんなのただの言い訳だって。弱い自分が悪いんだって……! でも、わたしだって今まで頑張ったんです!!」
拍子に飛んだ唾が、ライの頬にかかった。しかし彼は拭いもせず、ぼうっと立っている。
まるで、何かに魅入られたかのように。
「……お願いがあります」
ソフィは少し頭を下げながら、切実な声で言った。
「父さんと母さんを説得してください。次の首領はライが良いって。しきたりは、ここで変えれば良いんだって。この里は実力主義なんだから……きっと、ライがやった方が丸く収まるんです!」
自分には耐えられない。
もはや何の期待も希望も無い訓練を続け。後ろ指を差されながら、相応しくもない首領の職に就くことなんて。
そんな悪夢よりも、ソフィにはやりたいことがあった。
「ライ……前に夢を話したの、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「治癒師になる……怪我をしてる人のところに行って、お医者さんとは違うやり方で傷を治す……そんな、人の役に立つお仕事をしたいんです。だから」
口にしたことで、ソフィの決意はより強固なものになった。
「ライ。わたしはいつか……この里を出たい」
「え?」
彼は意外そうに目を丸くした。
「留学っていうのを、してみたいです。も、もちろん、そんな怖いこと向いてないのはわかってます。でも、いつかもっと勇気を出せたら……頑張って、知識と魔法を磨きたいんです」
それは漠然としていたソフィの夢が、現実的な形になった結果だった。
「だからライ、お願いします。私に力を貸してください」
ライグリッドは微笑んだ。ソフィは食い入るように弟を見つめる。
「しっかり考えたんだね、ソフィ。夢が具体的になってて良いじゃないか」
「! じゃ、じゃあっ!」
「でも、ダメだ」
ライはソフィの頭に手を置いた。赤子をあやすように、撫でる。
思わず身震いした。断られたショックよりも、何よりも────
下手な動きをしたら、頭を握りつぶされてしまいそうだったから。
「ソフィ、君は首領になるべく生まれた存在。覆すことは、許されない」
「だ、だからっ、ライが説得してくれれば!」
「僕は長子じゃない。許可無く父さん達に意見することは許されない」
「っ……!」
たまらず手を振り払う。後ずさったが、ライは一瞬で距離を詰めてきた。
息を呑むと同時に、背中に固いものが当たる。
「見えるかい、この世界が。霧に覆われた、|我らがソールフィネッジ《君の王国》が」
導かれるように振り向く。ソフィがもたれかかっているのは柵だった。
落ちれば二度と戻ってはこられない絶壁。夕日に照らされながらも、外界の一切を遮断する濃霧。
(高い……っ)
そこにある全てが、少女の未来を阻む。
「君は最強になるんだ。そう定められているんだよ」
ライはソフィの顎に手を当て、たしなめるように言った。
「な、何ですか……最強、最強って。そればっかり……」
「ただ僕は、約束が果たされることを望んでいるだけさ」
変わらぬ微笑がそこにある。もう、肉親の笑みには見えなかった。
「父さん達は、幼い僕らに言った。ソフィこそが里を導く者。強くなくちゃいけなくて、弱い人間に価値なんて無いんだと」
「…………」
「この世が信頼で動いているのなら……言葉通り最強の首領を造り上げ、弱い人間を排除するのが筋だ。有言実行こそ、長にに求められるものなんだ」
だから、それを遵守するために動いているというのか。
ソフィは知っていた。彼は機会があるなら、自分が長になっても良いと考えていたはずだ。でなければ、ライウ王子にあんな質問はしないだろう。
けれど何よりも、ライグリッドは約束が果たされることを望んでいる。その執念がどこから来るのか、当事者たるソフィにも推し量ることができない。
「心配しないで、ソフィ」
ライは体を離し、こともなげに言う。
「僕が君を全力でサポートする。治癒師になるのも後で良いじゃないか。父さん達の理想を果たそう。そうじゃなきゃ……意味が無いじゃない」
ソフィはその場に崩れ落ちる。
ライは満足げな表情をすると、踵を返して歩き出した。
(わたし……どこで、間違えちゃったの?)
考えても、答えは出なかった。
********
それは二人が十歳を迎える晩の事。
「二人に大事な話がある」
ここ二年で、父は少し顔つきが変わった気がする。
荘厳な戦士の面持ちは消え、悩ましい表情をすることが増えた。
「ソフィ。悪いが、食材を買いに行ってくれるか。ライに先に話しておきたくてな」
「わ、わかりました」
ただならぬ雰囲気だが、説教の類ではなさそうだ。
何かが変わる予感を覚えつつ、ソフィは外に出る。屋内には両親と、不思議そうな顔をしたライが残された。
「どうしたの、二人とも? 真剣な顔だねぇ」
「本題から言おう」
両親は息子を見据え、秘めたる思いを解き放った。
「ソフィを、首領の後継者から────」
もしソフィがこの場にいたら、何か変わったのだろうか。
弟の真意はわからない。けれど多分、少しは問答を行ったのだろう。
全てを聞き終えたライグリッドは、居間で二人に向かい合った。
武器も持たず、構えも取らず。
姉とは似ても似つかない、深く暗い嗤いで。
「嘘つき」
物悲しく言った。
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