3:運命のモリアデス
「ん……」
不快感の中、エディネア・モイスティは目を覚ます。
辺りがかび臭い。手入れのされていない寝室のようだ。
次いで感じた、お尻の冷たさと凝り固まった体の感覚。朦朧とした頭で、とりあえず伸びをしようと万歳の姿勢を取る。
そして、両手が引っかかって動かないことに気が付いた。
(えっ)
手だけでなく、足も。体の自由が制限されている。
「は、えっ!? 嘘……!!」
胸の奥が冷たくなる。
手足を鎖に繋がれ、石畳に座る自分。目の前には鉄格子。
そして、最後の記憶。
(あぁ、そうだ……)
全てを思い出すと、不思議と気分が落ち着いた。
来るところまで来てしまった。そんな絶望が胸中を満たす。
「わたしは、あの部屋であいつに」
そこは牢獄だった。暗闇の中耳を澄ますと、同じく捕らわれた人間達の、怨嗟の息遣いが聞こえてくる。
「っ……ううっ、ひぐっ」
迷惑にならないよう、何とか声を押し殺す。
きっと自分は酷い顔だ。唯一服装だけがあの時のままで。
(何回見ても、恥ずかしい格好……)
皮膚に張り付く生地は薄く、少しの外気も通す。ぬるい空気を纏う空間が、極寒の地に思えた。
寒い。身も心も凍えるようだ。
「フレイ、ザン……マインド……」
鎖を引っ張り、大切な仲間達と共に育ってきた体を抱く。
二人は退屈だと言っていたけれど、エーネはあの村が好きだった。
「どうか、お願いですから」
消え入りそうな祈り。
「最期にもう一回……フレイ達に────」
「おい」
それは腹に響く低音だった。
自分の世界に入り込んでいたエーネは、息を詰まらせてしまう。
「お前、今誰の名を呼んだ」
「え、え?」
「質問に答えろ」
威圧するような口調は、選択の余地を奪った。
「わ……わたしの幼馴染です。フレイは、あ、あだ名なんですけど」
「そうか。そういうことか」
鎖が持ち上がる音がした。暗闇に慣れた瞳が、奥で揺れる何かを捉える。
「その髪、見覚えがあると思っていた」
「!!」
「久しぶりだな、エディネア・モイスティ」
知っている。この男を。
それどころか、看病をしたことさえも。
「互いに、年貢の納め時というわけか」
「…………そう、みたいです」
エーネは小さく笑った。見知った人間に巡り合えた安心感と、彼さえもここに捕らわれているという、逃れようの無い事実に打ちのめされながら。
「久しぶりですね……グレイザー」
********
「…………は?」
その呟きは、後方にいるザンのものだった。そばにはレトア、斜め後ろにはマインドが座り込んでいる。
「何、ここ?」
突然出現した明かり、群衆、レンガ造りの建造物。
先ほどまでの平原は見る影も無い。
「あそこが変わったわけじゃないよ。君達が移動してきたんだ」
私の心中を察してか、少年の声がした。
「【空間移動魔法】。体験するのは初めてでしょ?」
空気が薄い。霧の匂いが立ち込めている。
先に感覚で理解した。ここがいかに、地上から離れた場所であるかを。
「魔道具を使ったんだ。すごいでしょ? 使用者が行ったことのある場所に、一瞬で移動できる代物さ」
「……どこに、いるの」
震えを押し殺し、声を絞り出す。
私が態勢を取ると、マインドは腕を、ザンとレトアも各々得物を構えた。
「エーネはどこにいるの!!」
「ん、ふふ……っ」
お面の少年は体を揺する。そして、一段階低い声で。
「エーネかぁ。慣れない呼び名だね」
「っ、お願い、顔が見たいの……!」
ギャラリーは真剣にこちらを見ている者、目を合わせようとしない者など様々だった。
やけに年配者と子供が多い。そして誰一人、身動きを取らない。
「ふふ、うふふふっ……そのエーネって子は、もしかして」
少年は自分のお面に手をかけた。
汗一つかいていない、その涼しい顔面を見た時────
私は思わず、目尻に涙を滲ませた。
(エーネ……っ)
一体今まで、どんな思いで。
********
グレイザー・ザ・フェンダー。
群都市ビートグラウズの守護者。共に毒刃少女を打ち倒すはずだった者。
暗闇越しに薄っすらとシルエットが見えた。同じく鎖に繋がれ、胡坐をかいたグレイザーは、相変わらずの印象的な長髪を垂らしている。
「……あの、グレイザー」
「何だ」
「み、見えてますか? こっちのこと」
このような状況でも羞恥心は働くらしい。
目下エーネの疑念は、彼がザンの如き暗視能力で、この際どい服装を認識していないかだった。
「何故そんなことを聞く」
「そ、その……わたし今、ちょっと服が……」
「それは、今言うべきことか」
こんな話でもしないと、泣き出すのを堪えられないのだ。
「お前から話があると思ったんだがな。判断力も失ったか」
「……判断って、何の話です? できることなんて何も無いのに」
水を操ったとて、せいぜい汚れた床を掃除できるくらいだ。手は無い。
エーネはそれを誰よりも知っている。
「気付いて、ますよね?」
「…………」
「どうしてわたしだけここにいるか。戦う力もほとんど無いわたしが、わざわざ捕まえられたのか」
「はっ」
グレイザーは鼻で笑って、壁にもたれかかった。
「貧弱なお前のことだ。大方奴に襲われ、一人逃げ遅れたんだろう」
「……ぐすっ……」
「おい、冗談だ」
いっそう低い声を出すグレイザー。わたしの煮え切らない態度に苛立っているようだ。
「お前、後悔しているな」
「え?」
「言うべきことを言わなかった。そして取り返しのつかねェことになった。だから、泣くことしかできないんだろう」
「グレイザー、わたし……」
両手を合わせ、太ももの上で握る。言葉は思いの外スムーズに出てきた。
「怖いんです」
守護者は何も言わない。
「色んな事が怖いんです。痛いのも、高いとこに上るのも……過去を、知られるのも」
「…………」
「フレイとザンは、きっと受け入れてくれる。でもずっと話せなかった。思い出すだけでも、嫌だった」
震えながら息を吐いて、エーネは力を抜く。
「なんていうのも、建前なのかもしれないです。話せば、向き合わなきゃいけなかったから。今でも夢に見る……わたしの恐怖そのものと」
「数奇なものだな」
グレイザーの感想は短かかった。
「誰もが羨む魔法。それをもってしても、何一つ及ばなかったわけか」
「……はい」
「して? もう終わりなのか」
涙濡れの顔で奥を見やる。猛禽類の眼が、鋭くこちらを捉えていた。
「……グレイザー、励ましてくれてるんですか……?」
「変なところで前向きな女だ」
「縋りたいだけです。でも……」
まさか、最初に話すのが彼になるなんて。
「せめて最期に、聞いてくれませんか? 今までずっと、隠してきたこと」
エーネは右目に手をかざし、顎を引く。
かつて教え込まれた作法。精一杯不敵に笑いながら、忠実に再現した。
「まずは改めて、自己紹介しないとですね。八年間、偽名で通してきたから」
「お前、その顔は……っ!!」
「……これが人間関係か」
ザンが青筋を立て、マインドが小さく俯く。レトアは既に涙を流していた。
同じく涙する私に、右目に手をかざした少年は不敵な笑みを寄こした。
「大げさだなぁ。君達は選ばれし客人なんだ。穏やかに自己紹介と行こう」
流れるような銀の短髪に、色違いの金の瞳。
もしも髪型が同じだったなら、誰もが見紛うことだろう。
「初めまして、炎のお姉さん。僕の名は、ライグリッド・モリアデス」
「こんばんは、グレイザー。私はソフィ……ソフィネア・モリアデス」
それは奇しくも。同じ夜、同じ時の出来事だった。
「ようこそ────首領モリアデスの、ソールフィネッジへ」
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