1:幼馴染の行方
それは暗雲立ち込める、湿気で肌のべたつく夜だった。
空を切り裂いたような断崖絶壁を背に、少女は彼と対峙する。
勝てる未来などありはしない。少女の水は、彼を押し流すにはあまりに弱く。その治癒は、雷のごとき打撃による傷を癒すことはできない。
負けたら死ぬ。全てが終わる。それは少女にはあまりに恐ろしい現実で。
だからあの日。烈嶺ソールフィネッジの頂で。
何もかもを投げ出した少女は、慣れ親しんだ地表に別れを告げ────
********
「本当に行くのか? また、キミ達だけで」
「もう、そうするしかないよ」
経緯を聞いたエルディード・レオンズは、事態の重さに手をわななかせる。
正午を回らぬ内に、私達は既に出立準備を整えていた。
「エーネが攫われた。犯人は一人しかいない」
ライグリッド・モリアデス。
守護者グレイザーを拉致し、エーネをも拐かした恐るべき大罪人。
「エーネさん、大丈夫かな……」
「気配すら感じなかった」
痕跡を残さずエーネを攫い、補足もされずに街を去るなど人間業ではない。
ただ、腑に落ちないのは────
「何故、エーネを狙った?」
ザンが憎々しげに吐き捨てた。
「奴は『腕に覚えがある者』を狙うと聞いた。あいつは戦闘は不向きだ。情報に齟齬があるな、毒刃少女?」
「……睨んだって無駄よ。とっくに結論が出ているじゃない」
鎖に繋がれたマニー・エーションは、昨日に続き沈痛な面持ちで。
「エディネア・モイスティは、一人になったところを狙われた。あんたやダイナより優先してね」
初めからわかっているだろう、と言わんばかりの口調だった。
「個人的に付け狙われるような理由があった。つまりモイスティは、ソールフィネッジの関係者。違う?」
違う、わけがない。私は後悔で胸がいっぱいになる。
「そう。そのことについて聞くために、昨日エーネを追った。あと少し……ほんの少しだけ早ければ、今頃!」
「ふ、フレイさん落ち着いて。鉢合わせたら殺されてたかもしれないわ」
レトアの気遣いも耳に入らない。感情の抑えが効かなくなっていた。
「ホールでパニックになったエーネを見て、ザンは帰ろうって言った。だけど私はマニー達を倒すことを優先して……その結果がこれだよ!!」
「フレイ、だがお前は……!」
「エーネは不安なまま一緒に戦ってくれて、それなのにっ!!」
結果的に、私はエーネを見捨ててしまった。
また、取りこぼすのか。この期に及んで、自分はまた────
「冷静になるのです、ダイナさん」
涙が溢れる寸前、レイティ・ロベインの毅然とした声がそれを阻んだ。
「あなた方のおかげで、我々は救われました。モイスティさんがいたから、傷を癒し、綺麗な水を飲むことができた。それを否定しては、あなた達の頑張りそのものを損ねてしまいます」
「っ……」
「俺も同じ思いだ。お前は正しかった」
ザンはエルドとレイティを交互に見て、力強く言い放つ。
「二つの街を。この人たちが築く世界を、守れたんだからな」
目元を拭った私は、小さく頷いた。昨晩心の中で問いかけた、大切な事実を忘れていたようだ。
「じゃあ、頑張ろうね」
こんな時でも、マインドはあっけらかんとしている。
「人外同士の戦いなんて、燃えるじゃないか」
「……なあお前、機人の中ではそこそこってとこだろ? ぶっちゃけ人間の十倍ってほどでは」
「あー、それ以上言われると、僕シュレッケンに永住しそう」
私は思わず笑ってしまった。ザンも笑顔だ。
と、無言だったピューレが私に向き直り、
「はい、これ」
同じく鎖に繋がれた手を伸ばして、黒いカバンを差し出してきた。
「これ……光銃!? 三人分も!?」
「通信機も入ってる。少しばかりのお気持ち。お姉ちゃんが、あの話をした責任を感じてて」
「か、感じてないわよ! 余計なこと言わないで!」
「ありがとうね! 助かるよ」
心からの謝辞を伝える。ピューレが目を細め、マニーは少し赤面した。
「けれど正直リスクが高すぎる。キミの魔法をもってしても勝てるかどうか」
「わかってる。だから……今回は『救出作戦』だよ」
目標は敵の撃破ではない。エーネとグレイザーの救出だ。
ライグリッドに勘づかれないよう、全員でソールフィネッジから離脱する。後のことは、二人を救い出してから考えれば良い。
「それでも馬鹿げてるわ。脅威は説明したはずなのに、たった三人で行くなんて」
「だって、軍を向かわせても危ないだけだし、エルドさんもレイティさんも復興で忙しいし。それにマニー」
学園の屋上での出来事を思い出しながら、私は声を潜めた。
「もし妹が同じ目に遭ったら、そっちもそうするでしょ?」
「…………そうね」
「三人だけじゃないわ」
自嘲気味に笑うマニーに被せるように、幼い声が上がる。
「あたしも行く。あたしもフレイさん達と一緒に、エーネさんを救うわっ!!」
「れ、レトア!?」
私とレイティが素っ頓狂な声を上げた。
その反応を予期していたらしいレトアは、ぶんぶんと首を振る。
「無駄よ、もう決めたの。ママと群都市でやり直すことが、償いの道だと思ってた。でもエーネさんも、あたしを助けてくれた一人なの!!」
少女は母に抱き着いた。レイティの瞳が困惑と諦観に揺れる。
「お願いママ、行かせて! あたし、誰かの力になりたい!!」
「…………」
「ママっ!!」
「……約束、できますか?」
レイティは涙を落としながら、愛する娘と額を合わせた。
「また、私の前で笑ってくれると。ずっと、幸せでいてくれると!!」
「うん、ママ……! 絶対無事に帰るからねっ!!」
尊いやり取りを見て、私の中にある記憶が蘇った。
そう、つい最近のことだ。私もエーネと約束をした。
────『ただ……誓ってください。誰も、傷つかないで済むんだって。みんな幸せでいられるって……!』
いや、約束ではなく『誓い』だったか。
いずれにせよ、私も果たさねばならない。今度こそ、守るために。
「すまない。ボクは、共に行けそうにない」
「良いんだエルド。また心配をかけるな」
「二連続は辛いね。でもボクにも、彼の帰還に備えて街を守る仕事がある」
ザンはエルドに手を差し出した。彼女もそれを固く握り返す。
かつての敵との、紛れもない友愛の証だった。
「信じているよ、ザン。必ず二人を、あの魔境から救い出してくれ」
「ああ。今度また手合わせでもしよう。あの投擲、練習しておくよ」
「ボクのアイデンティティだから、それはやめてほしいな」
出立直前、皆で最後の一時を過ごす。
「ねえ、レオンズさん。この鎖痛い」
「……もっと厳重にしても良いのですよ?」
「!? 厳しすぎる……!」
「ピューレさん、当たり前よ。あたし達が何をしたか考えれば……」
「でも、レトアには甘い。きっとロリコンなんだ。私の中で、レトアはギリギリロリだし」
「ろ、ロリじゃないわよっ!!」
「ピューレ・エーション、反省の色は無しですか」
「うっ、ゴメンナサイ」
しょうもないやり取りが繰り広げられているかと思えば────
「娘が心配かしら? ロベイン」
「……あなたに話すことはありません」
「手厳しいわね。でも喜んであげるべきよ。あんたの教えが、真に人を救うかもしれないんだから」
「そう、かもしれませんね」
この場にエーネがいないことが、どうしようもなく口惜しい。
私が俯いていると、マインドがそばにやってきた。
「こういう時、あまり会話に加われないのが寂しい」
「そう? マインドって何か面白いから、きっとみんなウケてくれるよ。私も昔は輪に入れるタイプじゃなかったし……」
「芸人じゃないんだけどね。でも、そっか。フレイも」
マインドは普段ほとんど動かない口角を上げ、上目遣いになる。
「何か、親近感湧くなぁ」
「……!!」
私の中に刻まれている台詞だった。自然と顔が熱くなり、そして思い直す。
(……ありがとうマインド。いつも、心の支えになってくれて)
「フレイ、そろそろ」
「うん」
その時を感じ取ったのか、全員が会話をやめた。
「取り返してくる。大事な人を」
「何かあったらすぐに逃げてください。無益な戦いは厳禁です」
「ママ、心配しすぎだって……」
「はい、気を付けます」
門の先、一面に広がる草原を見据える。奥にはやや枯れた荒地も見えた。
ソールフィネッジは遠い。エーネはまだ、この近くにいるはずだ。
「待っててね、エーネ」
例え何があろうと、あの笑顔をこの手で取り戻してみせる。
フレイング・ダイナの名に懸けて。
********
『ふむ、少し遅かったか』
「ゼノイさん!」
フレイ達が発ってしばらくした頃。
エルドの通信機に、群都市で待つゼノイ・グラウズから連絡が入った。
「お久しぶりですね、グラウズ市長」
『その名で呼ばれるのは久しぶりだね。貴女もご壮健で何より』
挨拶を済ませた彼は、ふと声を潜ませて。
『事情は全て伺っている。此度の戦は、単なる救出戦で終わりそうにない』
「どういうことかしら?」
『備えが必要だ。私が改めて、『最高の作戦』を提供しよう』
遥か彼方から、老指導者は烈嶺の頂を視ていた。
『我々の手で人命を守る。総力戦の始まりだ』
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