16:私の全て
結局、何一つ成し遂げられなかった。全てのチャンスをふいにした今、悔恨と共に最期を迎えるしかない。
そんな無念と共に宙を舞うレトアを、急速に迫る大きな影が鷲掴みにする。ぎょっとする頃には、少女は地面に叩き付けられていた。
痛みは無い。自分に覆い被さる何かが、あらゆる衝撃を吸収してくれたからだ。
「……ママ?」
学園からやや離れた薄暗い森林にて。
娘を守るべく飛び降りたレイティ・ロベインは、事も無げに起き上がった。
「怪我は無いですか、レトア」
「……最悪なことにね。ほんと、ママって最悪……ッ」
潤んだ瞳の母親に、ありったけの憎しみを向ける。
「あのまま死なせてくれれば良かったのに……何で余計なことしたのっ!?」
眩暈を抑えながら立ち上がったレトアは、唾を飛ばしながら捲し立てた。
「あたしは大罪人なの! 生きてく方が辛いの! みんなに頭を下げるくらいなら、今ここで死んでやるっ!!」
「レトア、落ち着いてください」
「うるさいっ! どいつもこいつもッ!!」
「何故助けたか……そんなの決まっています」
レイティは涙を拭って、不器用に微笑んだ。
「あなたが私の娘だからです」
包み込むような声色に、先ほどの幻視が蘇る。
かつてこの固い手で、頭を撫でてくれた母の姿……
いや、違う。心が弱っているからこんな妄想を抱くのだ。
「あはっ、わかった! あたしを見捨てたら、市長としてのの体裁が悪くなるものね? ママったらすごい! あの一瞬でその判断、あたしには到底真似できないわ!」
「レトア」
「それで、全責任をあたしに押し付ける? 実際ママは悪くないものね。どうやったらあたしに批判が集中するか、何なら一緒に考えてあげ────」
言葉はそこで途切れた。
口をつぐまま毒を吐く娘を、レイティが強く抱きとめたからだ。
「レトア、ごめんなさい……ごめんなさいね。これは私の責任です」
固まった少女の耳元で、市長は囁くように懺悔する。
「あなたの気持ちに気付けなかった。外ばかり向き、母親として大切なものを見失っていた」
「……は、離してよ。人が来るかもしれないでしょ」
「いいえ、離しません。今度こそ、あなたに寄り添うと決めたのです」
見慣れたお団子の不在に違和感を覚えつつ、市長は娘の後頭部に触れる。
「指導者となった時。私は幼いあなたを、その娘たる人物にしなければと思いました。それは石のように硬い決意でした。何を隠そう……私は昔、同年代に酷くいじめられていたのです」
「えっ、ま、ママが!?」
衝撃的な告白だ。レトアは思わず素に戻って聞き返した。
「私に味方はいなかった。一人で戦うしかなかった。格闘や政治を学び、誰にも負けない自分を作り上げることでしか、身を守れませんでした」
「そんな……」
「だから私は、あなたにもそれを強いた。けれど、それが大きな間違いだったのですね」
熱い涙が滴り落ちる。レトアはこの日まで、完璧超人の母が泣いているのを見たことが無かった。
「あなたは私とは違う。一人で戦う必要も、そう強いられる謂れも無い。あなたは私よりもずっと、ずっと……戦いを好まない、心優しい子だから」
「な、何が……何がわかるっていうのよ……」
レイティは目を伏せる。彼女は終始、自罰的な物言いだ。
「わかりませんでした。わかろうとしませんでした。あの日、自我を失うまでの間、私は後悔でいっぱいでした。街に牙を剥くあなたを見て……もう一度話がしたい、ただそう願っていました」
そして、再びチャンスは巡ってきた。
レイティは一度手を離し、覚悟のこもった声で告げる。
「レトア、私は市長を辞めます」
「…………は!?」
先ほどの事実を凌駕する驚きに、少女は大声を上げた。
「な、何で!? ママ、今までずっと頑張ってっ!」
「言った通り、全ての責は私にあります。その咎を背負うに過ぎない────それに」
レイティは娘の目尻をそっと拭う。
「そうすることで、今度こそ……私はあなたを守ることができる。市長としてだけでなく、母として。だからレトア、あなたはこの先の人生を歩むのです」
最強の指導者は、涙濡れの顔で────今一度娘を抱きしめた。
「完璧とは程遠い、愚かな母を許してください。そして共に、生まれ変わりましょう。私は真に娘のために生きる。あなたも自愛して生きてください」
まるで世界が色付いていくようだった。ぐちゃぐちゃな絵の具が均一になったように、視界がくっきりしている。そのせいか、今度は母の手を拒むことができない。
穏やかな沈黙が流れた後、レトアは微かに口を開いた。
「あたし……本当は、歌い手になりたいの」
どうしてそう口にしたのか、少女自身にもわからない。ただ、言葉にするのは初めてだった。
「歌が好きで……こっそり、曲作ったりとかもしてて」
「はい」
「オシャレだってしてみたい。いつか好きな人ができたら……で、デートだって」
「……はい」
「いっぱい、やりたいことあって。でも、ママがやらせることもちゃんとやってて。ママみたいに上手くできないけど……あ、あたし、ママに褒めてほしくて」
自分は一体何を言っているのだろう。十四にもなって、こんな恥ずかしいこと。
そう思えど、言葉が湯水のように流れてくる。
「毎日頑張ってたのよ!? ママの見てないところでも、ずっと……!!」
「私は本当に、言葉が足りませんでした。知っていたのに、伝えられていなかった」
レイティは抱きしめる腕に力を入れ、一言ずつ重みを込めた。
「頑張りましたね。偉いわ、レトア」
「……っっ!! ぐすっ……何よ、何よぉっ……!」
力無く、母の大きな背を拳で叩く。
「毒親のくせにっ。仕事ばっかで遊んでもくれなかったくせに……!!」
「至らぬ母でごめんなさい……でも、どうか忘れないで。愛しています、レトア。あなたは私の全てです」
「うう、ママっ……ママぁ……!!」
押し込めていた想いが、堰を切って溢れる。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいぃ……!! あ、後先考えずに、あたしぃ……!!」
「良いのです。良いのですよ……」
屋上から事態を静観していた私達は、顔を見合わせて微笑み、静かにその場から立ち去る。
死都を覆う最古にして最後の毒が、ようやく消え失せた瞬間だった。
********
意識を取り戻した民衆は、市長の言葉で全てを知るところとなる。
エーション姉妹は捕縛され、軍が到着するまで留置所に入れられることになった。
レトアは母の横に立ち、自らの口から全てを告白した。同時にレイティの引責辞任の発表が行われ、街はパニック状態に陥る。
無論、主犯の姉妹には火の矢が降りかかった。一度解除すれば毒の効力は失われるとのことだが、容易に信用されるはずもない。
ついで、レトアを責める声も強かった。彼女の心境やいじめの事実も明るみになり、同情も集まったが、分別のつく年齢でありながら、事実上街を崩壊させた罪は大きいとのことだ。
「皆さんの不満はもっともです」
しかし、矢面に立つレイティは決して怯む姿勢を見せなかった。
「ですが今回の事件は、全て私の不徳の致すところです。その責を受け、新たな指導者が立つ時まで、復興に尽力する所存です」
指導者レイティは言葉通り、僅か数日でインフラや食料体制を立て直した。
その圧倒的手腕と有言実行ぶりに市民は目を見張り、レトアに必要以上の批判が向くことを許さなかった。
彼女は約束通り、市長として、母として────娘を守り抜いたのだった。
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