3:退く道は無い
数多の被害者を尾行し、私達は街の中枢に辿り着いた。
ビートグラウズと違い、白いレンガ造りの建物が連なっている。オフィス街というやつだろうか。
「大丈夫だエーネ。すぐ戦いにはならない」
「う、うん……」
先ほどからエーネの精神状態が少し心配だ。
緊張というより、何か根源的な恐怖に怯えているような……
(エーネ、もう少しだけ耐えて。きっとグレイザーが……)
やがて市民達は奥行きのある建物に入っていった。そのまま巨大な地下ホールに出る。
講演場より頼りない、仄暗い照明の中でも……最奥に佇む『奴』は良く見えた。
(あぁ……)
私は心で嘆息する。
(あそこに立つのが、グレイザーだったらって……心から思うよ)
「ボーイズ・エン・ガァールズ!!」
それは、この世の全てを足蹴にするような声だった。
「みんな、調子はどう? 毒刃少女の長官、マニー・エーションよ!!」
薄紫色の巻髪を肩まで垂らし、紅い瞳を煌々と輝かせる女。端正な顔立ちと、白衣越しでも妖艶なスタイルは、人々の視線を釘付けにする。
その魅力を帳消しにする恐怖の科学者は、満面の笑みで奴隷に語り掛けた。
「反応無しは悲しいわねぇ……ほら、ちゃんとあたしを讃えて?」
市民達が規則的に手を叩き始めた。意思もなく、ただ命じられるままに。
これだけ会場が揺れているのに────講演場と違い、一切の熱気を感じない。
「うっ、き、気持ち悪いです……!」
「フレイ、わかってるよな」
「……うん」
私もわきまえている。市民が大勢いる中、不意打ちはリスクが甚大だ。
「集まってもらったのは、他でもない。ついに準備が整ったからよ」
「どうせ聞こえないけど」とうそぶいて、彼女は口元を歪めた。
「ハンガーズ。あの軍の人口を、ついにこちらの主力が上回ったわ」
「!!」
「ようやく屈服させられる。群都市と、あの忌々しい守護者とやらをね!!」
マニーの口ぶりで、重大な事実が判明した。
まず、本当にもう猶予はないということ。そしてグレイザーは恐らく、未だ敵に接触できていない。
「恐怖は平等なもの……愛と同じように! 奴の真似事の演説も、じきにあたしだけのものよ! ね? シュレッケンと、有象無象の村のみんな!!」
奴隷に私語は許されない。思考があるかも不明だ
確かなのは、誰も心から彼女に従ってはいないということだけ。
「安心したよ……ちゃんと、極悪人じゃん」
マニー・エーションは楽しんでいる。無意味な集会を開き、物言わぬ駒を支配する感覚を。
愚かの極みだ。心身共に屈服させてこそ『偉大な存在』なのに。
「二人共、奴の後をつけるぞ。研究所的なのがあるはずだ」
私達はすぐに動き出せる態勢を取る。しかし演説は、思わぬ形で続きが始まった。
『……お姉ちゃん。お姉ちゃん』
どこからか気怠げな声が届く。通信の音声だ。
「……なぁにピューレ。気持ちよくなってた所なのに」
『新たに情報、入った。あの男……守護者グレイザーについて』
エーネがはっと息を呑んだ。私も心臓が高鳴る。
グレイザー、ついにアクションを────!
『行方不明。グレイザーはどこにもいない。群都市にも、この街にも』
「…………は?」
最奥のマニーと私達の声が重なった。
『まず少し前、襲撃されたっぽい。敵は魔法使い。橙色の髪の、炎の少女』
「へぇ……!」
マニーの声色に陰が混じる。髪に隠れて瞳は見えなかった。
「生まれながらの強者ってわけね……ふふっ、縁を感じるわ」
『ノーブルタワーが破壊されてる。でも彼の死亡は、確認できない』
何だろう、この胸のざわめきは。大変な何かが起こっている気がしてならなかった。
大丈夫、きっと彼は隠れているだけで……
『恐らく彼は街を出て、ここに向かった。でも昨日、実験体にさせた生態調査では反応無し。だから多分、また襲撃された』
「またって何よ。その魔法使いに?」
『違う────『奴』に。お姉ちゃん、私達、関わらない方が良い……』
聞き終えたマニーが舌なめずりした。含み笑いはやがて、高笑いへ。
「くくく……あはっははは!! そう、あの男も焼きが回ったってわけ!」
『うん』
「最高よピューレ! 良い情報を持ってきてくれたわね! でも、そういう事はもっと早く言いなさいよ!」
『ごめん、めんどくて』
私はせり上がる激情を必死に堪えていた。ザンも驚愕に額を押さえており、エーネは────
「えっ、エーネ!?」
「はあ、っ、はあっ……ち、違っ、あいつは、あいつ、は……!!」
エディネア・モイスティは、汗だくで顔面蒼白になりながら。
未だかつてないほど、怯えていた。
「違う……違う違う違うっっ……! ぐ、グレイザーは、負けたりしない、あいつは、ここにはいない────ッ!!」
「エーネ、落ち着け!!」
「ほ、ほら、深呼吸してっ……」
全身に脂汗を浮かべ、口の端から涎を垂らしてえずくエーネ。
目の焦点が合っていない。一体何が視えている?
「フレイ、む、村に帰ろうっ、今すぐ発つんです! 孤児院のご飯が食べたいっ。あそこなら、あ、安全で……!」
「シュレッケンを見捨てるの!? あ、安心してエーネ、私、絶対エーネを守るから! 敵は必ず殺すから────」
「うううううっ……!!」
エーネは今にも叫び出しそうだった。強く抱き留めても意味をなさず、私も平静を失いかけたその時。
「あっ……」
ザンが彼女の首を手刀で叩いた。糸が切れたように、幼馴染は私の腕の中で脱力する。
「!! ご、ごめんザン……嫌なことさせて」
「参ったな……何が、どうなってるんだ」
事態が落ち着くと、再び敵の会話が耳に入ってきた。
『あ、もう一個報告。今朝、逃げられた。実験体────『CODE:704』に』
「はぁ!? またぁ!?」
マニーがわかりやすく激昂した。
『探させて。何か、情報は無い?』
「……そういえば今朝、何かが宿の窓に貼り付いてって目撃情報があったわ」
『お姉ちゃんの、あんぽんたん。放置しないで』
「あんぽんはあんただ! 脳波の管理は楽じゃないの!」
鼻を鳴らしたマニーが踵を返すと、市民達が一斉に動き出した。
所詮は操り人形、演説の終わりには趣も何もない。
「や、やばい、こっち来るよ!」
エーネを連れて、いち早く物陰に移動する。
やがてホールは無人になった。もう一人の仲間も通信を終えたようだ。
「『実験体』って……さっきのあの子で間違いないよね」
「ああ。『CODE:704』────管理のための番号か?」
「考えたくないけど、その、元人間だったりとかは……」
ありえない、とは言いきれない。あの女達ならやりかねないだろう。
「エーネ、顔色は良くなってるね」
私は膝枕をした幼馴染に視線を落とした。昔は私が頼んで、してもらったこともあったっけ。
安らかな寝顔を眺めつつ、首筋を撫でる。べったりした感触は、彼女の不安を物語っていた。
「痣になったりしないよな……?」
「きっと大丈夫だよ」
協力者グレイザーの失踪。それを知ると、彼女は信じ難い動揺を見せた。あれは「怖がり」で説明できない。もっと根源的な恐怖だ。
エディネア・モイスティは秘密を抱えている。私達の知らない、何かを。
「……フレイ。確かに俺達の行動で、多くの人間が救われる」
ザンの言葉は、岩のような重みを帯びていた。
「だが、もうこいつのあんな姿は見たくない。仲間を危険に晒してまで、俺は……!」
焦燥、不安、罪悪感。
(……残念だけど、もう)
私はその段階を、とっくに通り過ぎてしまった。
「ザン、私に退く道は無いよ。敵はこの手で倒す。たとえエーネが────」
「それで、いいんです……っ」
下方から弱々しい声が届く。エーネが薄目を開けて微笑んでいた。
「エーネ、大丈夫なの!?」
「うん……み、見苦しい所見せてごめんなさい」
緩慢な動作で起き上がり、恥ずかしそうに目と口元を拭うエーネ。
「ちゃんと頑張ります。二人に恩返しするって……誓ったから」
「エーネ、無理をするな。酷い顔色だ」
「え、えへへ……恥ずかしいから、あんま見ないでください」
「お前、何を抱えてるんだ」
エーネは照れ笑いを浮かべたまま、答えない。見ないでほしいと言われた手前、ザンもそれ以上追及できず、ただ目を伏せた。
「……方針は決まったね」
付き纏う「躊躇」の風を払うように、私は立ち上がった。
「マニーを追うよ。まだ遠くへは行ってないはず」
何故グレイザーにとどめを刺せなかったのか、少しわかった気がした。
結局、私は怖かったのだ。二人に軽蔑される可能性を捨てきれなかった。
だが今回は違う。毒刃少女はまごうことなき悪で、私達は正義。
だから何だってできる。どんな手段を取っても許される。
収めてみせよう。二つの街を、この手に。
マインド……どうか。どんな犠牲も厭わない強さを、私にください。
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