第三話
河田アリーという超越者が現れたものの、以前と比較して俺の立場が危うくなることはなかった。いやむしろ、アリーは数学と物理だけ異常に得意な変人という立ち位置に収まり、結局すべての教科がバランス良く好成績な俺のほうが優秀であると周囲から認められることとなった。
こうして俺とアリーは小学校を卒業して、そのまま近所の市立中学校へと入学することになった。
中学校になったことで各科目の難易度は多少上がったものの、高校の授業をすべて履修していた俺にとって中学の授業内容はかわいいものであった。
一方のアリーは、前世で国際誌に論文を投稿しまくっていたらしく、数学と物理に加えて英語も得意なようだった。しかし日本における教養が圧倒的に欠けていることに加えて、社会常識や歴史に関して無関心であることが祟って、国語と社会は小学校よりさらに成績が悪化していった。また、アリーは受験という概念そのものに嫌悪感を覚えていたらしい。どうも、試験のために勉強をするという行為が学問への興味を冷めさせていると考えているようだった。俺にはその考えが理解できなかった。数学や物理といった科目があるからこそ、他人より優れた点数を取って優越感に浸れる特権が得られるではないか。正直俺も中学校のテストではほとんど試験対策をしていなかったが、それは所詮『勉強などしなくても分かる』からであり、アリーはテストそのものの存在意義を否定しているために全く勉強をしていなかった。それゆえ、普段のテストでも数学や物理の点数は俺とどっこいどっこいであり、成績は年を重ねるにつれて乖離していった。
そうして全教科のテストで満遍なく点数が取れたことに加え、授業態度が良好だったことで副教科を含めた評定が高かったことで、俺は地元で3番目に頭の良い進学校へ進学することができた。この高校は、俺が前世の時に通っていた高校と同じ学校であるが、それより上の高校に受験しなかった理由は、変に前世と違う進路をたどることで、予期せぬ事態が起きることを恐れたためであり、決して勉強を怠ったためではない。それだけは断っておく。
一方のアリーは、依然として数学と理科と英語の点数がよかったものの、国語と社会の成績が壊滅的であり、授業態度も例のごとく最悪であったため、進学校に行けるだけの評定を獲得することができずに、しぶしぶ総合高校へ進学することになったらしい。
こうして俺とアリーは別々の高校へ通うこととなり、それから少なくとも3年間会うことはなくなった。中学校の三年間では、ひたすらアリーに絡まれて大変な思いをした。アリーはことあるごとに物理の意味わからない数式を持ち出して俺にマウントをとることに執心していた。だが俺はそのたびに、国語や社会の科目のクイズを出してアリーの口を封じてきた。何度か同じ問題をアリーに出題したことがあったが、奴はその内容を全く覚えられないようだった。奴は、自分が興味のある内容しか記憶できないタチなのだろう。それに懲りずに何度も俺に突っかかってくるのだから、鬱陶しいを通り越してもはや可愛く思えたほどであった。
あと部活動に関しては、前世でやっていたバレーボール部を選ぶことはせず、拘束時間の短い美術部に入部することにした。組織内・学校間での競争が全くなく、ひたすら個人の創作活動に没頭できる美術部は俺にとって理想の環境であった。前世で毎日のように、顧問から怒られるのを恐れ、スタメンから煙たがれないように精神を削りながら練習していたのが噓のようであった。あれは俺にとって害悪でしかなく、この毎日の数時間を受験勉強に充てていれば、こんなに苦労することはなかっただろうと後悔が絶たなかったのである。美術部の部員も、あまり悪く言いたくはないが変な奴が多かったため、バレー部のように醜い内面を持った人間はほとんどいなかった。それゆえ中学校三年間は、前世と比べて非常に穏やかに暮らせるだろうと高を括っていたのである。
しかしここに、なぜかアリーが首を突っ込んできたのである。アリーはどうも、俺がテストの点数で優越感に浸っていることを不服に感じていたようで、同じく美術部に入って俺と『絵』で勝負を仕掛けようとしたわけである。だが絵など、人によって評価が変わってしかるべきで、奴の企てた勝負などほとんど意味をなさなかったのである。それどころか、奴は意味不明な絵しか描かなかった。
「おい見ろクロ!! これが水素原子における電子の確率雲だ!!」などとゴッホも驚きの抽象画ばかりを描いていたため、美術部員からも変人扱いを受けていたのである。
奴の物理に対する執念から察するに、美術に関しても本気で取り組めば俺は確実に負けていたであろうが、間抜けなことに奴は努力を怠ってくれたために、比較的平穏な毎日を送ることができたのであった。
高校に入学するとすぐに、国語・数学・英語の実力試験が行われた。どこかで出題されたような記憶があったのだが、思い出すことはできなかった。しかし解き方が体に染みついていたおかげで、三科目で合計280点をたたき出すことに成功した。これは、学年全体でみてもトップ10に入る成績のようだった。このおかげで、俺は高校においても『勉強ができる人間』としての地位を確立することができたのであった。
高校一年生の前期に行われた数学の『二次関数』の分野では、相変わらず俺はテストで90点以上をキープしていた。テストが返却されるたびに、周囲のクラスメイトはあまりの高得点に驚いた様子を見せていた。どこのどいつが最初に言ったのかはわからないが、俺のことを『数学の貴公子』と呼称する人間が増えたのもこの時期であった。必要以上に持ち上げられている気がしていたが、あまり悪い気はしなかったため止めさせることはしなかった。
高校二年生に上がると、数学では三角関数や指数関数を扱う分野が表れてきた。だが、小中学校でなぜか受験用の参考書を読み漁っていたため、特に苦労することなく理解することができた。ただ一つ違和感が生じた点として、高校一年生のときと比べてテストの点数が落ちていたことがあげられる。一年生の時は常時90点以上、悪くても80点前半であったため、気にすることは全くなかったが、ここに来て70点代が目立つようになっていた。クラスメイトに点数を見せびらかすこともこの頃から少なくなっていた。ただ、高校全体で受験させられる外部の進研模試では相変わらず高得点・高偏差値をキープしていたため、単にテストの相性が悪かっただけだろうと問題視することはなかった。
こうして俺は大学受験の年を迎え、かねてから目標としていた東北帝国大学を第一志望として受験勉強を進めていった。
進研模試で出ていた合格判定はいつもB判定であった。そのため、俺は問題なく東北帝国大学に合格できるだろうと揺るぎない自信をもって二次試験に臨んだ。
そして、運命の合格発表の日がやってきたのである。




