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第二話

 その日から俺は受験勉強で得た知識を総動員して小学校の授業で無双した。


「えええっ!? クロ君、もう二桁の足し算暗算でできるの!?」


「クロ君、もう九九覚えたの!? まだ九九の授業始まって三十分も経ってないよ!!??」


「チャレンジテスト満点だわ!! すごい!! こんな成績優秀なの先生をやってきて初めてだわ!!」


 俺はその頭脳明晰ぶりから学校中の噂となっていた。新しい単元に入るたびに周囲のクラスメイトから教えを請いに来る人間が後を絶たなかった。俺はテストのたびにいちいち勉強などしなかった。小学校の算数など勉強するまでもなく、受験勉強で日常言語として利用しているため、体にがっつり染みついていたのだ。

 前世ではこんなふうにもてはやされたことなどなかった。確かに周囲の人間より勉強はできていたものの、結局それは学年全体での話であり、クラスの中で見ればとびぬけて成績が優秀な人間に目が移るため、中途半端に成績が良かった俺に注目が集まることなどなかったのだ。そうして小中高の12年間で辛酸をなめてきたため、初めての経験に俺は愉悦に浸っていた。


 順風満帆な生活を送り続け、俺は小学6年生に進級した。いくら小学校の算数といえど、学年を重ねるたびにその難易度は増していくため、日に日に授業の内容に狼狽する人間が増えていった。多くの小学生は分数の計算に要領を得ないようであった。確かに俺も初めて分数を学んだ時には、その計算方法の異質さからなかなか覚えることができなかった記憶がある。だがそれも結局6年近く前の話であり、受験数学を身に着けた現在の俺にとっては取るに足らない計算ツールの一つでしかないのだ。


 その日の算数の授業もさして苦労することもなく終了した。この日扱った単元は円の面積であった。円の面積といえば、円周率が初めて出てくる単元であり、なんでこんな数を使う必要があるのかすらわからず、とりあえず先生から教えられた意味不明な公式を使って面積を求めるほかがなかったことを覚えている。俺の周りにいる奴らも同じ気持ちを味わっているのであろうが、そんな奴らにはぜひ積分を使って円の面積が同じように計算できる面白さをぜひ伝えてやりたいところだが、到底わかるはずもあるまい。この優越感が俺を極上の快感へといざなってくれるのだ。

 ふと授業内容が書かれた黒板を眺めていたところに、後ろから女子児童が声をかけてきた。


「クロ君って算数得意なの?」


 声をかけてきたのは、河田アリーという女子である。黒髪を後ろで一つ結びにしているごく普通の地味目な子だった。この子は何度かクラスが一緒になることがあったが、俺に算数を教えに請いに来ることは一度もなかった。いつも自分の席から俺のほうを眺めてきているのはわかっていたが、正直何を考えているのか分からずスルーしていた。


「...実は私も算数が好きで...。家でも算数やってるんだ。クロ君は算数、どこまでやってるの?」


 なるほど、そういうことか。こいつはおそらく公文に行っている。俺は前世で塾に通うことはなかったが、小学生にも関わらずそういった類の塾に通っている奴がいることは知っていた。特に小学生で通う塾に多いのが、いわゆる「先取り学習」を取り入れた塾である。この代表例が公文であり、小学生にも関わらず中学で学習する(負の数のような)内容を意味もなく勉強をさせているのである。こうした塾に通っている連中は、塾に通っていない優等生に対して、「なあお前、負の数って知ってるかぁ~?」などと得意げに語ってくるのである。俺はこうした連中がとにかく気持ち悪くて仕方がなかったのである。なぜ結局学ぶことになる内容をわざわざ高い金を払って勉強しに行くのであろうか。それが俺は全く理解ができなかったのである。

 この女も、塾に行かずに優秀な成績を収めている俺に対して優越感を得るために中学校での勉強内容をわざと聞きに来たに違いない。だがそう考えると滑稽なものである。俺はただの勉強ができる小学生ではない。大学受験のために高度な数学の知識を身に着けたハイテク小学生なのである。無謀にも挑戦しに来たこの女に対して、俺は盛大にカマをかけてみることにした。


「俺、本屋によく行くんだけどさぁ~...、結構数学とか物理の本を読んだりしてんだよねぇ~」

「えっ!? 本当に!? 私も本屋で物理の本とか買ったりしてるんだぁ!! クロ君が好きな物理の現象ってなぁに??」


 アリーの反応は意外であった。てっきりこいつは公文のような先取り学習塾に通っており、勉強していたとしても所詮負の数や一次方程式程度だと思っていたが、さらに先の内容を勉強しているようであった。だがそれでも焦ることはなかった。むしろ、こいつがどれくらい物理の内容を理解しているのか推し量ってやりたいと思ったため、あえて意地悪な返答をしてみることにした。

「ん~、そうだなぁ~...。ちょっと難しいかもしれないけど、波動分野でホイヘンスの原理っていうのがあるんだけど、これが俺は面白いと思ったかなぁ」

 ホイヘンスの原理は高校2年生で学ぶ物理の内容である。波動の伝搬を考えるときに、その先端上の各点が中心となって次の球面波を作るというものだ。本当は射法投射辺りを答えたかったが、なんとなくダサい気がしたためちょっとマニアックそうなところを選んだ。


「ええっ!? マジ!? クロ君センスあんじゃん!! やっぱキルヒホッフの積分表示の鮮やかさには心を奪われるよねぇ~!!」


 ............................ん? 俺は前世の受験勉強の記憶を総動員していた。だがどれだけ記憶を探ろうと、キルヒホッフの積分表示などという単語は出てこなかった。キルヒホッフの法則の間違いなんじゃないのか?でも電気回路でもないのになんでキルヒホッフなんていう単語が出てくるんだ?俺は背中から冷や汗が浮き出ていた。だが、ここで「よく分からない」などと言うわけにもいかなかったため、とりあえず話を合わせるつもりで適当に相槌を打った。


「あ、ああ、そ、そうだねぇ...。あれはやっぱ面白いよなぁ...」


 俺は一刻も早くこの場を去りたくて仕方がなかった。何か、言葉では形容しがたい恐ろしい罠が張り巡らされているようで、言動を誤ればこれまで小学校で築き上げてきた地位があっけなく崩れてしまうんじゃないかと気が気でなかったのだ。だが、アリーは無慈悲にも追い打ちをかけてきたのである。


「ところでさぁ、キルヒホッフの積分表示を導くときに出てくる不変デルタ関数が満たす方程式を導出する方法でちょっと詰まっててさぁ~。ちょっとクロ君のアイディアを聞きたいんだよねぇ」


 そういってアリーは、一枚のA4用紙を机の上に出してきたのであった。それがこれである。


挿絵(By みてみん)


 意味不明な数字の羅列が書かれていた。こいつの言っている不変デルタ関数が何なのかすらわからなかった。高校ですら勉強していないことを分かるはずもない。俺はこいつの立場から見ると、どうやら物理のアイディアを出してくれる先生かなにかだと勘違いしているようだった。いずれにせよ俺はこいつに対して何かしらのアイディアを絞り出さなければいけなかった。だが、訳も分からない数式を相手に具体的なアイディアなど出るはずもなかった。俺は背中から汗が噴き出していた。完全に俺は舐めていたのだ。こいつはそこら辺の公文に通って一喜一憂している有象無象とは一線を画す奴だったのだ。


「どうかな? クロ君なら数学もきっと得意だろうし、何か面白いアイディアを聞かせてくれると思ったんだけど...」


 俺はひたすら頭をフル回転させていた。といっても、この問題を解くためにではない。いかに当たり障りなくこの問題がわからないことを暗に伝え、自分の地位に傷をつけることなくこの場を去ることができるのかを考えていたのである。だがいくら考えても丁度良い言い訳は思いつかず、間に合わせの言い訳でその場をしのぐことに決めたのであった。

「いや...まぁ...なんというか...、これは俺の専門外っていうか...、いや、前はやったことあるんだけどさぁ...ずいぶん昔だから、今は覚えていないっていうかぁ...」

「そっかぁ。それじゃあ仕方ないね」

 あまりにぎこちない言い訳であったが、どうにかうまくごまかせたようであった。ただ、あまりこの場に長居していると、いずれ大火傷を負う可能性がぬぐい切れなかったため、そそくさとエスケープしようとしていた。だが、力が抜けてホッとした瞬間に、アリーが考えもしていなかった質問をしてきたのであった。


「あなた、転生者なんでしょ?」


 ......................え......?? 俺は言葉を失っていた。転生という現象は、てっきり俺だけが体験したものだと思っていた。だが、俺の隣にいる女はその概念を理解し、まさに俺がその転生を果たした張本人であると突き止めたのである。俺は別に犯罪を犯したわけでもないし、いじめといった類の悪行を働いていたわけでもない。だが、絶対に明かされたくなかった秘密を今まさに暴かんとする人間が目の前に現れてしまい、俺は頭が真っ白になっていた。


「あなたのことは小学校一年生のころから有名だったから遠くから様子を見ていたんだけどね、あなたが大学受験で使うテキスト以外を読んでいるのを見たことがなかったのよね。それに、単に数学とか物理が好きな小学生だったら、初めて目にする現象とか数式を見たらもっと目を輝かせて食いついてくるはずなのよねぇ。でもあなたはそれをしないで、あくまでも自分は知っている体を崩さなかった。まるでゼミで教授に詰められている大学生みたいなのよ。かといって量子力学とか場の量子論とかの専門書を読んでいるわけでもなく、チャート?とかいう受験数学のテキストばっかりを周囲の小学生にひけらかすだけだし。あなた、かなり受験問題に固執しているわよね。もしかして、大学受験失敗した直後に小学生に転生しちゃった感じかしら...?」


 アリーの推論は凄まじかった。奴は俺の知られたくなかったこと全てを暴いてしまったのだった。俺は結局この世界においても、中途半端に成績が優秀な凡夫であり、目の前に立つ化け物に注目を奪われて廃れていく運命にあるんだと悟った。だが、一つ腑に落ちない部分があった。いくら俺が受験問題に執着しており、高尚な物理現象に興味を持たない人間だったとしても、それが転生という突飛な結論に至るというのはいささか不自然なのである。つまり、ここで馬鹿正直に「はい私は転生者です」などと答えるのではなく、漫画の世界にしかないような概念を持ち出してきたこいつを陥れる方向で返答すれば、まだ俺は受験数学を漁る秀才としての地位を確立することが可能なのである。


「な、なにを言ってるんだか...? て、転生...? そ、そこまで言うなら、お前はなんだって言うんだよ!?」


 しかし俺の希望的観測はあっけなく潰えてしまった。


「私も実は転生者なんだよね。前世はドイツで理論物理学の研究をしててね。理論計算で行列の対角化を手計算でやってたんだけど、気づいたら一週間くらい飲まず食わずでやっていたみたいで、餓死しちゃってたみたいなんだよね」


 アリーは、前世で理論物理学という研究をしていたようだった。アリーがただの天才で、物理が得意な小学生であればどれだけ良かったことか。あろうことか、前世では俺よりはるかに優秀な研究者だったのである。しかも、俺のように義務感でやっているのではなく、餓死することに気づかないほど物理に魅了されている化け物なのである。まるで、前世の中学校でバレー部の県大会に出た際に、今まで見たこともなかった化け物たちを相手に試合をしなければいけないあの圧迫感に近かった。俺はようやく思い出したのである。俺は所詮井の中の蛙の凡夫であり、奴らのような化け物とは住んでいる世界が違ったのである。


「は~い!!それじゃあ算数のテストを返却しま~す」


 アリーと話していたら、前の授業でやったテストが返却されることになった。アリーは出席番号が1に近かったため、俺より先にテストが返却された。

「さてと。どうだったかしら?」

挿絵(By みてみん)

「はあぁぁぁぁぁああ!!???」

 アリーは発狂した。

「おいクソ教師ぃ!!!どういうことだこの採点はぁ!!!いつ円周率が有理数になったんだぁ!?フィールズ賞でも受賞したほうがいいじゃねぇのか!??」

「ひぃぃ!! ごめんなさいぃぃぃ!!!」

「うるせぇ!!! 全身を原子の集合体と解釈して観測されるまでてめぇの存在を曖昧にしてやるぞ!!」


 アリーの恫喝を見ていた周囲のクラスメイトは泣き喚いていた。絶対的な存在だと確信していた先生が、20歳近く年の離れた小学生にバカ詰めされているのである。その異常な光景に、恐怖を抱かない小学生などいるはずもないだろう。

 ふと床に目をやると、アリーの返却された残りの科目のテストの結果が落ちていた。よく見てみると、国語と社会の点数が平均以下だったのである。


 こいつ、意外とポンコツなのでは...?? 俺にはまだ巻き返すチャンスが残っていたようであった。

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