21、おや? オルレイウスは何やら決意を固めたようだぞ。
「《共和国》《最上位冒険者》《テオ・フラーテル》を率いるクァルカス・カイト・レインフォートだ! 開門を願う!」
私とロスは外壁よりも高い、見上げるほどの宮城南門の前に並んで立っていた。
去っていく《スノウ・ハーピー》の大群へと送られる、宮城から湧き上がる動揺の声と喚声に負けぬように私は声を張り上げる。
少しだけ間があって、ゆっくりと宮城門を塞いでいた二重の格子門が門の上、壁の中へと消えていく。
「開くのが早いな」
「……おい、クァル。《スエビ王国》では一般に領主裁判権をみとめておる。《ノクトゥム》でも変わらんじゃろう。……宰相の隣に書記官がおった場合は手遅れの可能性が高い」
「これだけの大戦の最中だ。それはないんじゃないか?」
会話を交わしていると、格子門の向こうから戦士職らしい板金鎧をまとった男が現れた。
使い込まれた鎧と剣。それらに付着している《スノウ・ハーピー》の体液を見るに、前線で戦っていたのだろう。
だが、民兵の多いグリア諸国にあって、板金鎧を装備しているということは指揮官クラスには違いない。
《共和国》でいうところの貴族階級。
「《ノクトゥム》守備隊五百人長、フェリクス・パラエと申します。……失礼ですが、身分証を確認させて頂きたく…………間違いなくっ!」
堪能な《ルエルヴァ語》でパラエと名乗った五百人長はクァルカスの差し出した身分証を一目確認すると、即座に膝を折って頭を下げた。
《ノクトゥム》は人口規模数千から万ほどの中規模の街だ。五百人長といえば、かなり有力な隊長のはず。
「頭を上げてください」
「いえ! その威容、銀光の短剣に、同じ輝きを宿した盾! 噂にはかねがね聴いておりましたが……《優良者》クァルカス・カイト・レインフォートといえば、数年前にグリア南方を荒らしまわった《凶蛇》と呼ばれた盗賊を捕らえられたお方! お目にかかれるとは光栄の至りでございます!」
「…………わ、私の仲間がどうもこちらの宰相閣下を訪ねているようなのです。どうか閣下の元までご案内いただけませんか?」
「なんと?! ……もちろん! ささっ、どうぞ!」
私は足早に進むパラエの後ろに続きながら少しだけイヤな想像をして頭を振った。
さすがのハギルでも《凶蛇》時代のことを持ち出したりはしていないだろう、と。
「…………わからんぞ、クァル。やつは、ほんっとうぅに、頭が悪い」
私の心を読んだように、ロスが不吉な言葉を口にする。
《凶蛇》にかかった懸賞金はさすがにもう生きていないだろうが、当人がそれを口にすれば私とてどうなるかわからない。
石造りの堅固な回廊を抜けて、薄暗い階段をひたすら登ると、紅いカーペットが敷かれ廊下の左右の壁を埋め尽くさんばかりの美術品が並べられた廊下へと出た。
頭上には等間隔でクリスタル材のシャンデリアが吊るされ、明り取りの窓にはガラス。
大理石の台座に載せられて並ぶ胸像の幾つかが落ちて壊れているのは戦闘の余波だろうか?
「ふむ。グリア貴族にしてはまあまあか」
ロスが訳知り顔にそんな言葉を呟いているところを見れば、瀟洒と言ってもいいのだろう。
だが、我々の目的は美術品鑑賞にはない。
「こちらです。……閣下、《優良者》クァルカス・カイト・レインフォート殿がお見えです」
パラエが黒ずんだ樫材のドアの向こう側へと声をかける。
「丁重にお通しせよ」
扉が開かれる。
私たちを出迎えたのは、完全武装しているのに滑らかな光沢を放つデスクに座っているなんともちぐはぐな印象を与える男だった。
グリア人らしい赤みがかったブロンドに暗茶の瞳。辛うじて見える頬から首筋は細く老人のよう。目まで垂れ目で老いを彷彿とさせるのに、短い鬚や長い髪に白いものは一本たりとも混じっていない。
おそらくは、私とそう変わらない年齢。三十代。
そして、彼の隣のサブデスクには書記官らしき片眼鏡の老人。彼らと見つめ合っている仏頂面のハギル。
悪い。とても悪い状況に見える。
「ミスターハギルの口が途中から重くなりましてな。……貴方のご到来を心待ちにしていたのです」
和やかにそう声をかけてくる男の言葉に、私はハギルを褒めてやりたくなった。
ハギルはなにかそれなりの失態は犯したのだろうが、傷を広げないように耐えたのだ。
「申し遅れました、私は《ノクトゥム》宰相にして《ハグワティ伯爵》長子、ヘンドリクス・ハグワティ・カタリアーナ・デヴォンと申します」
「私はクァルカス・カイト・レインフォート、こちらはロス・レギウス・サルドーラム。お目にかかれて光栄に存じます閣下」
「なんと。かの《奇才》サルドーラム殿までお越しとは……こちらこそ光栄ですな。……さて、」
身構える。ハギル、お前は何を言ったんだ? 目で合図を送るが、ハギルは私と目を合わせようとはしない。
なぜだか、窓の外を眺めて遠い目をしている。
「では、あなた方の連れてきた《グリア諸王国連合》帰属のグリア人が、自分の意志で《ノクトゥム》防衛戦に参加したはいいが、なぜか全裸といういかにも涜神的な姿で我が《ノクトゥム》の街を徘徊したという件について、一応、レインフォート殿の見解、もとい弁解を聴いておきましょうか? ちなみに、ミスターハギルはその言葉の真を神名に誓っています。ですのでミスターハギルが涜神者でも、不敬者でもない……ということも同時に保証していただければ助かります」
流れるようなその言葉。
一転、私は無性にハギルを殴りたくなった。睨んでも相変わらず視線を返さないハギル。
さっきまでこちらを見ていた気配があったはずなのに、今度はじっと部屋の隅を見ている。
落ち着け。
ハギルにはあとで鉄拳を食らわせるとして、まずはここをどうにかして切り抜けねば……。
ロスがにやけながらこちらを窺っているのもとりあえず置いておこう。ロスに参加する気はなさそうだ。
私がなんとかするしかない。
渇いて粘る口内。私はゆっくりと口を開いた――
〓〓〓
「リシルはどうかしたのですか?!」
「……ああんっ?!」
駆け寄ったオルレイウスに向けられるレシルの敵意の眼差し。
これでもかというほど、寄せられて盛り上がった眉間。下がった眉尻。
顎のラインを越えてマイナスへと向かう両口角。
上目遣いのせいで目蓋の中に半分突っ込んでいる双眸。まなじりは裂かれたよう。
……まるで、ヤンキーじゃないか! オルはそう思った。
そのオルとレシルの間に無言のままルドニスが割り込み、リシルを指さし、手を重ねて頬に持って行って目を閉じる。
「……寝ているだけ? ひょっとして《魔力》を回復させているのですか?」
頷くルドニスにオルはほっとした。
だが、なぜかルドニスは止まらない。レシルを指さし、背後の人間たちを指さし、もの凄い勢いで両腕を振り回し始めた。
「え? それはどういう」
「ルドニス・アーナ? 何をはしゃいでいるのだろうか?」
レシルの言葉にルドニスが固まった。
「……うわ、まただ」
「最悪だな、野蛮なルエルヴァ人らしい」
「あの鬼畜女め……」
遠巻きにグリア語でそんな声が聞こえた。
声を発した人間たちは、《スノウ・ハーピー》の襲撃に遭ったせいかみなボロボロだ。
……いや、待てよ? なにかおかしくはないだろうか。そうオルは思う。
「レシル? リシルはどうして《魔力》をそれほど消費したのですか?」
「治癒の《祈り》のために決まっているだろうが! 変質者がっ! 我ら姉妹の名を呼び捨てにするとは」
「では、なぜ、あちらの方々はあんなに傷ついているのですか?」
「…………私が、少々、訓練をつけたためだ」
なにを言ってるんだ、こいつ。オルは心の底からそう思った。
「え? まさか、魔鳥に襲われて逃げて来た人々を、さらに重ねて襲ったのですか?」
「人聞きの悪いことを言うなっ! ……いいか、魔鳥の襲撃に屈して故郷を放棄していては、いくら街があったとしても足りん! 逃げねばならなかった理由は彼奴らが弱いからだ! 他国のものとはいえ、平民を正しく導くのは騎士の務めだろうがっ! 私が練兵する機会など、もうないかもしれないんだぞ!!」
「……《ノクトゥム》の人々には、なんと説明を?」
「言葉がわからん。だから、身振りで!」
……なるほど。クァルカスの真摯に生きることについての話とは、つまりこういうことなのかもしれない。と、オルは思った。
そして……いや、やっぱりだいぶ違うな、と思い直した。
「彼らはちっともそれを望んでいないようですが?」
「……う、薄々は勘づいていた。……しかし……しかし、だな、一度始めた以上は取り返しはつかんだろうがっ!?」
――ああ。そんな感慨。
オルは何か凄い言葉を聞いた気がしていた。
レシルに対しては言うべき言葉が見当たらない。
オルの頭というよりも、口と舌がそう感じていた。
これは間違いなく、ひとつの発見だった。
レシルは頭が悪いというよりも、話が通じない。
どこかで、殴り合えばわかると思っているあたりがちょっとイルマに似ていて余計にイヤだ。
実際に、イルマはそれでわかるし、ある程度手加減してくれるし、弱者をいたぶるようなことは絶対にしない。
だが、レシルは勘づいてもやめないし、手加減ができないだろうし、標的を選ばない。
そこまで考えて、オルは考えることを放棄した。
どうせ彼女とはもう会わないだろう、と。
「それで、彼らを率いて《ノクトゥム》へと戻るのですか?」
「ああ。身振りから察するにルドニス・アーナが魔鳥が離れていくところを確認したらしい。……さすがはレインフォート殿だっ!」
きらきらといい笑顔を見せる鬼畜女。
その言葉に、オルは掌をふたたび握りしめた。
《エンヘン・ディナ》の命の感触を。
「……僕はこのままここで待ちます」
「ふんっ、下衆野郎がいないと思えばせいせいするな!」
そのまま、リシルを背に負ったまま歩き出すレシル。
ふと、そうか、と考えた。
リシルの灰銀の瞳を見ることも、もうないかもしれない。
同じ色のレシルの瞳には睨まれまくっているのに、それがなんだか寂しいと思うのは、どうしたわけだろうか。
このあと、ロスかクァルカスがオルに会いに来る。
きっと報酬を支払ってくれるだろう。そして、みんなとは夜明けを待たずにさよならになる。なぜなら、目的地の《ノクトゥム》にはもう到着したのだから。行動を共にする必要はない。
そうしたら、どこへ行こう。
《ノクトゥム》に滞在して、やはり少しの間考えようか? 虚弱体質のままでも、少しは《ノクトゥム》復興のために働けるはず。
そうしたら、そのあとは?
――……オルはひとつの決意を固める。
このままでは終われない。
クァルカス・カイト・レインフォート。彼に言われっぱなしじゃ、終われないだろう、と。
気づけば、ルドニスがオルの顔を見ていた。ひとつ頷くと、頭を撫でて歩み去っていく。
疲れたように、そしてどこか安堵したようにどこまでも続く人間たちの長い列。
オルは思う。彼らの正念場はここからなのだ、と。
ふと、気づくと見覚えのある老人がオルの前に立っていた。
城内で目があったゴツいおじいさん?
そう思うオルの目の前で踵を返す老人。
「……ありがとうよ、少年」
去り際にそんな言葉が聞こえた気がした。
オルは彼らの背中を外壁の中に消えるまで見送ったあとで、呟いた。
「どういたしまして……」
そう言えば、誰かを救って感謝の言葉をもらったのは、いつ以来だったろうか。
オルは、そんなことを考えていた。




