19、おや? オルレイウスと《エンヘン・ディナ》の戦闘に決着がつくようだぞ。
前方から数十ほどの魔鳥の影を背負った、数百ほどの人々が、我々の正面、《オバル街道》を埋め尽くすように南下してくる。
私は即座にルドニスに頷きかけた。
ルドニスは足を止めると、背中に負った矢筒から三本の矢を取り出し、流れるような動作で肩の高さに置いた弓へとつがえて、引き絞り、放つ。
びゅる、と風切り音を上げた三本の矢が、三体の《スノウ・ハーピー》、それぞれの頭部を射貫いた。硬い《魔獣》の頭蓋骨を貫通する威力がある。
実に簡単にやっているように傍からは見える。しかしあの弓とて、ルドニスはひとりで張っていたが、ふつうならば三人張りの強弓だ。引くのにもかなりの筋力がいる。
しかも、ルドニスは矢を連続して次から次へと、放ちはじめた。
《きしょうな技能》、《射型無上》《正射離矢》《千発千中》などの《技能》を持つルドニスの技術のほんの一端。
ルドニスの放つ矢によって魔鳥たちが落下する中、私は声を上げる。
「デモニアクス殿、ミアドール殿は彼らの保護を。ルドニス、ふたりの補助を頼む」
「心得ました!」
「はい!」
頷いているだろうルドニスを振り返らずに、私はそれなりの大声で人々に呼びかけた。
「私は、冒険者、クァルカス・カイト・レインフォート! あなた方は私の後ろの一騎当千の実力を持つ三人が護る! 安心されたし!」
「レインフォート? 《優良者》の?」
「《最上位冒険者》……?」
このぐらいの数ならば全員に私の声は聞こえたはず。それを受けて微妙なざわめきが聞こえてきた。
やはり《共和国》にほど近いここら辺りならば多少名前が広がっているようだ。手間が省けて助かる。
こういう場合、避難民らは過度に興奮していて手に負えないことが多い。救援者が少数ならば逆に挑みかかってくることさえあるし、そうでなくとも囲まれて身動きが取れなくなることがままある。
「そうだ! 我こそは《優良者》レインフォート! きみたちは我が名にかけて仲間が護る! 私はこのままきみたちの街、《ノクトゥム》へと向かう! さあ、道を譲ってくれ!」
小さなどよめき。そう、我々の実力の一端はルドニスの矢が証明し続けているし、私の人並み外れて大きな身体と声にはそれなりの説得力がある。……そして喚声が上がった。
私は足を止めずに《オバル街道》を塞ぐ人々の中へ真っ直ぐに駆け込んだ。
すぐに人波が割れていく。
「道を開けろ! 《優良者》が通る!」
「《ノクトゥム》を救ってくれるぞ!」
「お願いします! レインフォート様!」
そう口々に声をかけられても、こちらはそれどころではない。
体力のないロスの足に合わせていたせいで、ここに来るまでかかった時間。ハギルとオルレイウスの行動力と、機動力。
それらを考え合わせると、微妙にイヤな予感がする。
私は割れる人波を振り返った。
後方で人々に揉まれに揉まれて、ひいひい言っているロスの姿が目に入る。
「ロス! 早く! ……どうか、私の仲間を通してください!」
ロスと興奮の渦中にある人々に向かって私は声を上げた。
ダメだ。あまり効果がない。……ここから《ノクトゥム》までの短い距離ならロスも我慢してくれるだろう。
私は人波を掻き分けてロスへと駆け寄り、彼を肩へと担ぎ上げる。そして走り出した。
「クァル! 待て! 頼むぅ……」
私はロスの懇願を無視して駆けに駆けた。
なんとか人波からロスを連れ出し、人々の喚声に送られて駆ける私の目が捉えたものは、《ノクトゥム》の城壁。
そして奇妙な壊れ方をした、城門を塞いでいたはずの格子門。どういうふうに壊されたのだろう? 外側に向けて倒れている。
それを跳び越え、街の中へと入った。……そして、立ち竦む。
「――ロス、この状況をどう思う?」
半ば途方に暮れて、私はロスをどさりと地面へ落とした。
しかし、眼前の光景からは視線を逸らさない。
「……おえっ、……とりあえず、《ヴォルカリウスの瞳》を使用するとしようか」
ロスの言葉にもキレが無い。
それは何も私に運ばれて酔ったためだけではないだろう。こんな光景は長い冒険者生活の中でも見たことがなかった。おそらくロスも初めて目にするのではなかろうか。
――勢いを失いつつある黒煙と、炭化した木造家屋、崩れたレンガの建築物。しかしながら、熱は未だ肌を灼くようだ。
これはこれで、戦火に飲まれた街のようで凄惨な光景ではある。だが、異様なのはそれだけじゃない。
地面に張り付いて羽を散らした《スノウ・ハーピー》が何体? 崩れかけた建物の中にもいるようだ。……奇しくもそれが鎮火に一役買っているようにも見える。
数百からいそうなそのどれもこれもが瀕死なのか、ぴくぴくと動いている。
傷を遠目から眺めれば、身体のどこかしらが窪んでいる。鈍器ででも殴打されているのだろうか?
が、それもまだいい。よくはないが、とりあえす置いておこう。問題はここからだ。
――街路の奥。地面を這いずるようにびくびくしている魔鳥たちの向こう側。まだ健在で耳障りな鳴き声を上げている《スノウ・ハーピー》の群れに集られるように囲まれた、ふたつの影。
ひとつはこれまで見たことのない、低空を羽ばたく美しく巨大な雄性の魔鳥。
もうひとつは、ここ数日一緒に旅をして来たはずの少年。
「……《黒》じゃ……」
「え?」
思わずロスを見た。
――《深潭の黒》――《ヴォルカリウスの瞳》が黒く染まっているというのか?
ロスの宝石を翳した指がわずかに震えている。顔も蒼い。
「つまり、あれはやはり《エンヘン・ディナ》なのか?」
「わからん……じゃが、オルも《黒》い」
「……はあ? ……だって、前は《暗褐色》だと……」
ロスはひとつ大きな大きな溜息を吐いた。
「《ヴォルカリウスの瞳》での鑑定結果が変わるということは、聞く。……成長したり、戦意を向上させるような要因や付与、上昇効果によって……または下降効果によっても……」
私は、再びふたつの影を見る。特にオルレイウスのほうを。
「しかし、……オルレイウスは全裸だぞっ?!」
「……ああ、全裸じゃ、……な」
《黒》と《黒》のふたつの姿。おそらくは、《魔族戦争》以来の闘いにロスと私は目を奪われる。
どうやら、オルレイウスが苦戦しているように見える。
低空から飛来してはオルレイウスの身体を抉る蹴爪。
オルレイウスもそれを迎え討ち、防ごうとし、反撃に鋭い一撃を見舞うが、すべて避けられている。
当然なのかもしれない。なにせあの魔鳥が《エンヘン・ディナ》だったなら、《予見の眼》とやらを持っているのだから。
もしかすると、あの魔鳥があまり高く飛翔しないのも、ほかの《スノウ・ハーピー》が周囲を囲んでいるだけなのも、《予見の眼》のためなのかもしれない。
高く飛翔すれば、風に流れた煙が目に入ることもあるだろうし、ほかの《スノウ・ハーピー》の身体や羽が視界を塞ぐこともあるだろう。
そこで、私はひとつのことを思いついた。
「……ロス、いいか?」
〓〓〓
オルレイウスは剣を構えながら攻めあぐねていることを自覚していた。
理由は単純にこの、《突然変異個体》だと未だにオルが考えている怪物が強いからだ。おそらく、オルがこれまで闘った相手の中では単体でもっとも手強い。
加速したオルの全身全霊の拳に耐えた肉体強度はもちろん、空を翔んでいることが相手の優位に大きく影響していたが、それだけではない。
まず近接距離からの攻撃が避けられる。辛うじて入ったのは最初の拳だけ。
全速力で間合いを詰めても、既に距離を置かれ始めている。動きも速いが、何よりも動き出しが早い。
不自然なくらいだ。そうオルは考える。
さきほどのような密着体勢からの絞め技も、強靭な肉体には効果が薄く、振り回されて地面へと落とされた。
そのあとは、地面に立つオルを空中から思うさま嬲ってくる。
数々のフェイントを織り交ぜて、オルの目を翻弄する。
さきほど敵に受けた傷は流れる血の下で既にふさがり始めている。
肉体の多少のダメージは《天真爛漫》の効果によって回復する。
それでも、このまま戦闘を続けていてはキリがない。血液を喪いすぎれば、どうなるかわからない。
オルは考える。こちらの行動が読まれている可能性を。
たとえば、オルの思考を読んでいるというパターンがひとつ。だが、身体に染み込んだ《技能》は時に思考速度を超える。このパターンの可能性は低い。
次に、オルの挙動から次の行動を推測しているというパターン。五感のどれかか第六感でオルの挙動を正確に推測している。だが、やはりそれもおかしい。相手は初めからオルのフェイントに引っかかる気配すらない。
もちろん、ほんとうの攻撃とウソの攻撃の予備動作には多少の違いがあるだろう。
だが、強弱、捻り、左右、上下、様々なフェイントを予備動作から繰り出してみても、相手は常に本命の一撃を選んで避けている。
いくらなんでもこれはおかしい。いくら第六感が鋭い相手でも常時それを働かせているなんてことは、見たことも聞いたこともない。
もうひとつ、それらの複合というパターンが一番適切に思える。
相手がそれをオルの想像できる以上の高次元で実現させていると仮定した場合、オルにできることは無いに等しい。
……だが、とオルは考えた。
最初の攻撃は確かに入った、と。
つまり、行動を読んでいるとしても、その性能には限界があるはずだ。
できれば、最初のように群れた《スノウ・ハーピー》の身体を発射台代わりにして、空中戦に持ち込みたいところ。
しかしながら、《スノウ・ハーピー》はなぜか、戦闘に参加しない。敵の統率能力が高いのか?
加えて《天真爛漫》が発動しているときのオルには、強力な《魔法》は使えない。《呪文》詠唱には慣れていないから、現実的とは言い難い。
つまり、オルには遠距離攻撃を可能にする技が無い。
手詰まり。だが……。
オルは中段に構えていた剣を、左脇へと流した。
脱力し、口を閉じて息を止める。呼吸を《真内氣呼吸》へ。体内にある活力を吸い上げ、吐き出し、体内で循環させる。
横隔膜と身体の芯にある多裂筋を動かして血液を循環させるイメージに近い。
母、イルマの十八番。イルマ命名『速い斬り』……ほんとうは、呼吸法技能《真内氣呼吸》と剣術系技能《閃斬》などの複合《技能》というべきもののはず。
オルが知る限り、最速の後の先の攻撃。
余計なことは考えない……オルは頭を空っぽにしていく。
ただ、その薄く開かれた目だけが《エンヘン・ディナ》を静かに、敵意もなく、見るともなく見据えていた。
『……オルレイウスと言ったか? ……きみは、何者なのか?』
「…………」
オルは敵からの問いに答えない。なぜなら、《真内氣呼吸》中は喋れないからだ。
『なるほど。問答は無用ということかな。……しかし、朕にはひとつ気にかかっていることがある』
敵は構わずに続ける。『朕』という一人称を聴いて、オルの頭に雑念が混じる。
だが、もう慣れた。慣れというものもひとつの最適化の形なのだろう。そう、オルは考え、そしてそんな想念を頭から追い払った。
『朕は永劫とも思われるときを経て、この場に在る。その間にこの古き身に挑む人族は幾らかあった。……英雄とも呼ぶべきものども。数々の英傑を眺めてきたこの老いた頭が考えるに、オルレイウス。きみは卑劣な虐殺者ではない。娘たちを下劣極まりない手を用いて万と葬った殺戮者ではない』
万? ……《双生神アルキス》か?!
違う! 彼らは卑劣な殺戮者ではない! ……ただ、人を捜していただけだ!
だが、ぴくりと口元を動かしたオルに敵のこれまでとは異なった低い声がかかる。
『切らすな……オルレイウス』
途端に姦しく鳴き声を上げていた《スノウ・ハーピー》が一斉に沈黙した――
静寂。
すべての命が、《魔力》さえも、その声を忘れたようだ。
『きみは理解していない。確かにこの身は情に流されて大陸まで翔んできた。……しかし、ようやくわかった。これもひとつの流れだったのだ。……さあ、オルレイウス』
敵は声を張り上げる。
朗々と歌うように。まるで詩人がそうするように。
『この身に挑みし、もっとも新しき英傑よ。……既に、この場には復讐者はおらぬ。ただ《妖鳥王》と謳われし、《エンヘン・ディナ》が在るのみだ!』
そう高らかに宣言すると、敵――《エンヘン・ディナ》はさらに高く、高く舞い上がる。
黒い煙に翳む太陽。それを背に負って、《妖鳥王》は落下する。
オルに向かって一直線に。
動ける。わかる。外から見れば静かに佇んでいるだけのよう。だが、今のオルの体内は導火線に火を灯した爆弾みたいなものだ。
流動する血液。膨らむ筋肉。それらによって生み出され、漲る活力。すべてが、身体の内側を巡って加速している。
あとは、ひとつの方向に放つだけ。
瞳は《エンヘン・ディナ》の身体を捉え、それ以上のなにかでオルは敵を感覚する。
羽ばたき、加速する《エンヘン・ディナ》が、これまで以上の速度でオルの間合いに侵入する――
オルの身体が弾ける。
閃く長剣。そのすべてが消えるほどの速度。
だが、《エンヘン・ディナ》も承知している。《予見の眼》は既に見ている。自分がどこまで行けば斬られるかということを。
片翼を広げ風を受け、身体を傾ける。そして、緑玉色の蹴爪を、オルレイウスの胸へと伸ばす。
《エンヘン・ディナ》の《眼》に移る未来が変わる――
多少の傷を与えても、この若い英傑の《技能》か何かが無にしてしまう。
必殺を狙う英傑の間合いに侵入して無傷で離脱することは、《エンヘン・ディナ》にも困難。
ならば――一撃で心臓を抉り取ってくれる。
《エンヘン・ディナ》が考えたことは、片翼を犠牲に、命を奪うということ。
どれほどの速度だろうとも、どれほど巧みな《技能》を持っていようとも構わない。
心臓を蹴爪に抉られるオルレイウスの姿が《予見の眼》に映る……はずだった。
不可解にも黒い煙の小さな壁が突然現れ、《エンヘン・ディナ》の視界を塞いでいた。
オルにも《エンヘン・ディナ》にも予想外の事態。
予見が変わった。《眼》を奪われた《妖鳥王》を襲う一瞬の身体の硬直。片翼を完全に広げられない。
それでも、既に発火していたオルレイウスの身体は、長剣を振り抜いていた――
斬り上げられた剣の刃が《エンヘン・ディナ》の身体を斜めに斬り裂く。
末期、《妖鳥王》がその瞳に映したものとは、傾く視界。
そして、オルレイウスの背後にあったふたりの影。それまで、《予見の眼》を目の前の若者に奪われていたために、見ることもなかった姿。
――《エンヘン・ディナ》はひとつ自らに肯いた。……これも、人の力だ、と。
オルの手はその神速の振り抜きに遅れてイヤな手応えを感じる。
……地面を転がる別れた身体。《妖鳥王》の左腋から入り、右肩へと抜けた剣を眺め、背後へと転がっていく敵を振り返りながらオルは考える。
抉られていたはずだ、と。
おそらくは、片翼を斬り上げて、蹴爪に心臓を奪われていたはずだ、と。
そのオルの視線の先に、クァルカスとロスがいた。
オルは悟った。あの黒い煙の固まりは、ロスの《魔法》だ。
救われた…………だが、オルの心を満たしていたのは等半分の憤懣。
これは、彼と僕の、一騎打ちだったはず……少なくとも、《妖鳥王》はそう考えていたはず。
オルは並んで佇むクァルカスとロスを複雑な思いで睨みつけた。
――《スノウ・ハーピー》が嘆きの歌のように、一斉に悲鳴を上げて《ノクトゥム》を離れていく。




