18、おや? ハギルはアホの子だったようだぞ。
「…………つまり、オルレイウスがハギルの命令を無視して《ノクトゥム》に乗り込み、ハギルはその後を追って、ルドニスは我々への報告に戻って来た、と?」
駆けながら問う私の言葉に、同じく私の隣を駆けるルドニスが激しく頷いている。
なんて、最悪な状況。
「レインフォート様? オルレイウスの実力ならばそれほどご心配されることはないのではないかしら?」
私の後ろ、レシルの背中の負われたリシルがいかにものんびりとそう言った。
ばかな! 《天魔》か《妖獣種》の王が相手かもしれないんだぞ!
どんな人間だったら、そんなものと単独で闘えるというのか?
……そんな言葉を私はなんとか飲み下した。
「……オルレイウスのことも心配ではありますが……ハギルのことも心配です。……ルドニス、ハギルはオルレイウスの要請に従うつもりなのか?」
ルドニスは「わからない」という意図を込めて首を横に振る。
だが、これは「ひょっとすると……」という意図も含まれている首の振り方だ。
頭を抱えたくなる。あのハギルが、街の宰相と交渉だと?
どんな悪い冗談だ。
「ハギルについてどうしてそれほど懸念を抱かれているのですか? あれほど、『実力のある《盗賊》だ』と仰せだったではないですか?」
レシルの言葉に私も首を振った。
ハギルの《盗賊》や《工兵》としての実力に疑問を抱く余地はない。間違いなくギルドの中でも指折りだ。
だが。
「……ハギルは弁論家としては三流以下なのです」
「……え? あれほど話術が巧みなのに、ですか?」
レシルの疑問の声に私は再度力なく首を振った。
最後尾、少し離れたところからロスが声を上げる。
「レシル嬢! ……あの、愚か者は! ……《学術系技能》を! ……ほとんど! ……修めておらん!」
「…………はあ?」
「じ、事実なのですか? レインフォート様?」
「ほとんど、ということはありませんが……」
口々に疑問の声を上げる姉妹に、私は苦り切った顔で頷いた。
そう、ハギルは《学術系技能》のうち、創出系技能も、構想系技能も、獲得していないはず。
私が知っているハギルが獲得している目ぼしい《学術系技能》としては、言論系技能《二か国語の中級者》と《修辞技巧の中級者》、《よく回る舌》。思考系技能《暗算の初級者》。綜合系技能《印象合成中級》、そして記憶系技能《事物蒐集家上級》ぐらい。
ふつうに生活していれば、誰もが複数の初歩技能を得ると言われている思考系技能が、唯一《暗算の初級者》だけというのがもの凄い。
あれほど小咄や雑談が巧いのに、弁論系技能とも呼ばれる言論系技能もみっつにとどまっている。
弁舌に深く関わるはずの構想系技能をまったく獲得していないというのは、むしろ感心に値する。
思うに、ハギルはほぼ考えずに喋っているからだろう。思ったことをそのまま口に出して会話が成立する。
天然の弁舌家。ゆえに、作為の入る余地がないし、技術を磨く必要もない。
ハギル得意の皮肉はどうやら、《修辞技巧の中級者》と《印象合成中級》、そして《技能》ではない何かによってまかなわれているらしい。
「……あやつは! ……交渉術を! ……値切ることだと! ……思っておる!」
息を切らしながらのロスの言葉も、あながち間違いとは言い切れない。
確かにハギルにだって、一般的な買い物や交渉ぐらいはできる。実際に物資などを買い揃えているのもおもにヤツだ。根っこからの馬鹿ではない。
だが、すぐ調子に乗るし、嫌いなことは怠ける。最悪、やらない。
もちろん、《技能》が個人のすべての能力を網羅しているとは言い難い。
《技能》とは曖昧な領域も多い。ひとつの指標でしかない。
……だが、それでも、ひとつだけ私には言えることがあった。
「ハギル……あいつは、《盗賊》としては有能ですが、根本的に頭が悪いのです……」
私の告白に、姉妹が絶句していた。
ようやく《ノクトゥム》の城壁が見えてきた。
天へと立ち上る黒々とした煙。そして、遠目ではわからなかった、おびただしい数の魔鳥と思われる影。
私は祈るような気持ちでそれを目指す。
どうか、ハギルが致命的なミスをする前に間に合うように。
もしくはヤツがまだ交渉の席に着いていないように、と祈る。
……より正確さを期するなら。ハギルは、頭が悪いというよりは嫌いな分野に対する極端な楽天家。
どう想像してみても、ハギルに『政治的配慮』や『腹芸』なんてものは期待できそうにない。
そのハギルが、《グリア諸王国連合》の一都市の代表と交渉?
――無茶だ!!
〓〓〓
その頃、難なく警戒堅固な《ノクトゥム》宮城の奥、宰相の執務室に侵入したハギルは部屋の主を眺めていた。
板金鎧に隠されてはいるが顔と首筋を見ればわかる、痩せ細った身体。それも引き締まっているのではなくて、明らかに鍛えられていない身体だ。
ルドニスの痩身とは質が大きく違う。
格好は一応フル装備の鎧姿だが、さっき手下に言っていたように本人に戦闘意欲などというものは一切ない腰抜け。
ハギルはナメた。目の前の男をナメにナメた。
……貧民区育ちのハギルは戦闘系技能や生産系技能など実用的な《技能》で人を判断する傾向がある。すぐさま目に見えて効果の現れる《技能》によって。
そのハギルから見れば、目の前の男は彼が一番キラいな人種だった。なんにもしないのに美味いメシを食ってるやから。にも関わらず正念場に立たされてもちっとも熱を持たない、社会の燃えないゴミ。
正真正銘の貴族。
少なくともハギルにとっては本物の貴族とは、そういうものだった。決してクァルカスやロスはもちろんのこと、言動はともかく実力のあるレシルやリシルとも違う。
一方で、《ノクトゥム》宰相のヘンドリクス・ハグワティ・カタリアーナ・デヴォンは警戒心を強めていた。
なぜ、このタイミングで喉から手が出るほど欲しい増援が? と。
……《ルエルヴァ共和国》にもっとも近い反ルエルヴァ国家である《スエビ王国》の立場はただでさえ微妙だ。
《共和国》に近いため文化的にはどうしても影響を受けざるをえない。だが、共和制などという政体に民衆が感化されても大層困るし、へたを打てばすぐにも《共和国》の属領に組み込まれかねない。
ゆえに反ルエルヴァという選択。別に《共和国》と戦争を始めようなどという気はない。できるだけ、険悪に、しかし、最後の一線を絶対に越えない絶妙な外交技術が必要とされる。
そして、ヘンドリクスは産まれたときから、目には見えないその微妙な空気を吸いながら生きている。
そんな両者の勝敗はこのとき既に決していたと言っても過言ではない。
……とりあえず、まず口火を切ったのはハギルだった。
「お困りのようではございませんか、閣下?」
「…………《共和国》の《最上位冒険者》が、どうして……?」
ハギルは宰相の質問には答えずに質問を重ねる。
「なんで、《スノウ・ハーピー》が退いたとお思いですかね?」
「……当然、この私の策が」
「ちげえよ。今、うちの客人が《突然変異個体》と闘ってるからだよ」
ハギルの無礼な口ぶりに怒りを覚えたヘンドリクスだったが、すぐにそれを鎮めた。
この男はおそらく確かに《最上位冒険者》のひとり。タグもそれを証明しているし、この部屋に難なく侵入した《技能》も高いだろう。
しかし、どうもおかしい、とヘンドリクスは考えた。
「……客人、と言われましたかな? ミスター、ええと、」
「ハギルだ」
「失礼、ミスター、ハギル。……《テオ・フラーテル》の名はこの《ノクトゥム》にも確かに届いておりますが、しかし、なぜ、その客人とやらは私が救援を要請する前に戦闘を開始されたのですかな? それに、かの高名な《優良者》レインフォート殿はどちらに?」
「大将は今こっちに向かってる真っ最中だよ。……それに、うちの客人は、誰かさんと違って燃えるべきところをわかってる。……そんなこたあ、どうでもいい。商談に入ろうじゃあねえか」
ヘンドリクスは内心ほくそ笑んでいた。この男は与しやすい。
交渉術の基礎がまるでわかっていない。
こちらが必要としていて、相手側が隠したいはずの手札をどんどん晒して来る。
「いえいえ、お待ちください。ミスター。……レインフォート殿がおられない場で、商談とはいかがなものでしょうか? それに、まず、あなたが《テオ・フラーテル》の一員であると私には確証が持てないのですが?」
「おいおいおい、そりゃねえだろ。ギルド証見せたろうが? っていうか返せよ」
ヘンドリクスはタグをデスクの上に置いた。そして、頷きながらハギルを見る。
「ええ、左様ですな。……しかしながら、私は《共和国》の冒険者ギルドのギルド証などほぼ見たこともございません。ましてや《最上位冒険者》のものともなれば。ですので、これが巧妙な模造品である可能性を捨てきれないのです」
「おいおい、《義侠神ヴォルカリウス》に誓って、俺は《テオ・フラーテル》の一員だぜ?」
デスクの上のタグをひったくりながら呆れたような顔をするハギル。
一方、ヘンドリクスは想定した通りの展開に笑みをこぼさずにはいられない。
やはり、神々の名を出して誓った。
ふつう、交渉においては双方ともに易々と神に誓ったりはしない。自分も相手も承知しているからだ。それが自分の言葉を縛ることになると。
ここぞという場面や最後の契約のときに初めて神名を出すのが一般的。それが暗黙のルール。
「よろしいですか? ミスター。神々の御名に誓われた言葉に絶対の信用がおけるとは限りません。……天をも恐れぬ不信神者や自滅覚悟の涜神者がこの《ノクトゥム》を狙って、偽りを口にすることもあるのです。……《ノクトゥム》宰相たる私には、この街を守る責務が」
「は、さっきまで震えてたのにかい?」
「……………………」
ヘンドリクスは考えた。目にものを見せてやる、と。
「げふんっ。……よろしいかな、ミスター。……そもそも、その《突然変異個体》と戦闘を行っているという客人とやらは存在するのですか?」
「ああん?」
「私はあなたの口からしかその客人の存在を聴いておりませんので、ね」
「実際に、《スノウ・ハーピー》が退いたじゃねえか? さっきのヤツも言ってたろ? もう、忘れちまったのか? ……ははあ。お前さん、さては頭が悪いな?」
「このどちくしょっ……いえ、少々くしゃみが。……よろしいでしょうか? ミスター。つまり、私が言いたいのは私があなた方に何らかの報酬を払う必要を感じないということです」
「おいおいおいおい。ドタマ沸いてんじゃねえか?」
「…………お聴きなさい。……まず、第一に魔鳥が退いたということは事実でしょう。しかしながら、その原因があなた方の客人の手によるものであるという保証などない。神々の恩寵かもしれませんし、私の采配の賜物かも」
「最後のはぜってえねえけどなあ」
「………………お聞きなさい。結論を言えば、今のところ私が、あなたが口にしているだけの存在、その架空の存在かもしれない客人の行為に対して、報酬を支払うべき明確な理由は存在しません。まずは、私の目にその客人とやら見せてください。さもなければ、あなたの暴言の数々を《共和国》の《元老院》に訴えた上で、私が被った精神的苦痛に対して賠償金を請求しますよ?」
「なんてこった……」
ようやく状況を理解し始めたのか、愚か者め! ……などとヘンドリクスは考えていた。
しかし、実際にはハギルが思っていたことはまったく違うことだった。
ハギルはヘンドリクスをまじまじと見て思っていたのだ。
こいつ、イカレてる、と。
明らかに事実を事実として認めることができていない。
単なる腰抜けだったのではなかったのか? ……いや、もしかしたら臆病すぎて事実を認めることができなくなってしまったのかもしれない……。
ハギルは珍しく貴族というものに同情を覚えた。
眼前の臆病な貴族にも、それなりの圧力がかかっていたと考えるべきなのだろう、と。
ハギルはゆっくりと手を伸ばしてヘンドリクスの肩を優しく叩いた。
「は? なんですか? ミスター? この手はどのような」
「もう、いいさ、閣下。……俺も、あんたに、この世の中には信じられるもんがあるってことを証明してやりてえところだが……」
「……お待ちを。ミスター……それはどういうことなのでしょうか?」
そのときだ。たまたま、窓の外、宮城壁の外側へとゆるく弧を描いて落下していくひとつに重なり合ったふたつの影。
ハギルは自分の目を疑った。
そのうちひとつは美しい羽色の、ほかの《スノウ・ハーピー》の倍はありそうな巨大な体躯の雄性の魔鳥、《ディナ》。
もうひとつは空中で羽を羽ばたかせてもがく《ディナ》の背中から首に腕をかけ、頸動脈絞めを敢行している裸の少年。
大きな魔鳥ともみ合っているオルレイウスの姿だった。
「――閣下! うしろ! うしろ!」
ヘンドリクスは考えた。この無礼者は、何を言っているのだろうか? と。
そもそもヘンドリクスの言葉を何一つ理解していない可能性すらある。
しかしながら、こんなにも傲岸不遜な愚か者に、ヘンドリクスは今まで出遭ったことがなかった。
無知な平民、荒くれものと名高い他国の冒険者でも、伯爵の継嗣たるヘンドリクスには一歩どころか二歩も三歩も勝手に譲る。
それを踏まえて、この男はなんなのだろうか?
「よろしいですか? ミスター、ハギル。私はこれでも伯爵の後継ぎなのですよ? そもそもあなたは、それすらご存知ないようだ」
「いいからさあ! 後ろ見ろよ!」
「……ミスター、私の忍耐にも限度というものが」
「だからあ! ほら、外にいる真っ裸のグリア人! あれが俺らの客人のオルなんだっ」
「グリア人? ……それも裸ですと?」
ヘンドリクスの目が輝きを放つ。
うん? ……あ、やべえ。
さすがのハギルもそう思った。
……確かオルレイウスが故郷を追放になった理由は、全裸になったからだった、と。
こいつはやっちまったってヤツなのではないか、と。
「つまり、あなたの言う客人とは《グリア諸王国連合》加盟国の国民にして、しかも現在、法を侵害している、と?」
「…………ん?」
「おや? ミスター、ハギル。そんなことは言っていないと? では、それを神々に誓えますかな?」
「まあ、待ちねえ、閣下。……あんたの聞き間違いじゃねえのかい?」
「それはありえません。ミスター、ハギル。……そう言えば、あなたはこうも言っておられましたな……『うちの客人は、誰かさんと違って燃えるべきところをわかってる』と」
「ああ、俺の皮肉のことなら気にすんなよ。癖なんだ」
ヘンドリクスは思った。皮肉だったのか、と。
未だにどういう意味の皮肉なのかはわからないが、まあそれはいい。
「……よろしいでしょう。あなたの言う客人とやらの存在を認めましょう」
「まじか。……良かったな、閣下!」
「……? ええ、良かったですよ、ミスター。……つまり、その客人とやらは、《グリア諸王国連合》に帰属するグリア人であり、かつ彼の自由意志に従って、この《ノクトゥム》防衛戦に参加しているということでよろしいですね?」
「ああ、もちろんさ、閣下! ……いや、待て」
「待ちません。つまり、やはり私にはあなた方に報酬を支払う義務は存在しない。なぜなら、その客人とやらがこの《ノクトゥム》の防衛戦に参加していることと、あなた方が彼の自由意志によって行われている行為に対して報酬を受け取ることは、まったく関連性の無いことだからです」
「おいおいおい……」
「加えて。よろしいですかな、ミスター、ハギル。そのあなた方の客人である彼が、《グリア諸国法》を侵害しているとすれば、むしろ彼と彼を連れてきたあなた方に、私は罰金を課すべき立場にあります」
「…………」
ハギルは思っていた。
同情して、損した、と。
既に《ディナ》ともみ合っていたオルレイウスの姿は、宮城壁の向こう側へと消えていた。




