俺と課金とPKと沼
今回は、俺が初めてネトゲに課金した日の話です。
ゲームにお金を払う?
しかも2万円?
少し前の俺なら、たぶん理解できなかったと思います。
でも、この頃にはもう……。
強くなりたい。
その気持ちが勝っていました。
初課金。
初ガチャ。
そして、その先で待っていたものとは。
それでは、続きをどうぞ。
今日は仕事が休みだ。
昨日……というか、もう今日か。
あの後もなかなか眠れず、結局寝たのは朝の4時過ぎだったと思う。
目を閉じても頭の中に浮かぶのはコムルのことばかり。
次はどこでレベルを上げよう。
装備はどうしよう。
風月やマクビさんみたいになるには、あとどれくらいかかるんだろう。
そんなことを考えていたら、いつの間にか外が明るくなっていた。
当然のように昼前に起床。
「…………」
布団の上でしばらく天井を眺める。
眠い。
身体も重い。
休日の午前中を完全に無駄にした気がするが、不思議と後悔はない。
朝飯なのか昼飯なのか分からない飯を適当に腹へ放り込みながら、今日の予定を考える。
せっかくの休日だ。
友達と遊びに行くのもいい。
買い物でもいい。
家でダラダラするのも、それはそれで休日らしい。
だが……。
今日は一つだけ。
絶対にやらなければならないことがある。
課金だ。
そう。
コムルで強くなるための投資。
俺の分身への投資。
そして……。
風月やマクビさんに追いつくための、未来への投資である。
「…………」
いや。
ゲームに2万円突っ込むだけなんだけどね。
こうやって『投資』と言えば、なんとなく立派なことをしているような気がする。
気がするだけである。
生まれてこの方、ゲームに課金なんてしたことがない。
ゲームは買ったら終わり。
それが俺の中での常識だった。
なのに今から俺は、形のないデータに2万円を支払おうとしている。
冷静に考えると結構怖い。
だが……。
それ以上に。
強くなりたい。
昨日までなら笑っていたかもしれない。
ゲームだぞ、と。
だが今は違う。
風月やマクビさんが当たり前のように強敵を倒している姿を見ていると、自分もそっち側へ行ってみたくなる。
画面の向こうの自分を、もっと強くしたい。
この感覚。
たぶんもう、結構ハマっている。
問題は……。
「……どうやって課金すんだ?」
そこからだった。
こういう時は……。
風月先生である。
仕事中なのは知っている。
知っているが、電話する。
プルルル……。
『はい』
出た。
「おっす、おっすー。お仕事頑張ってるぅ?」
とりあえず煽ってみる。
『うわぁ……うぜぇわぁ……』
第一声から心がこもっている。
そう。
俺は休み。
ヤツは仕事。
この圧倒的優位。
休日というだけで、人はここまで他人に優しくなれないものなのか。
「まあ、そう言うなって、風月先生」
『リアルで腹立つな……』
若干どころか普通に不機嫌である。
ふむ。
リアルにウザがってる。
た の し い。
「まあ冗談はさておき、コムルの課金について聞きたくてさ。いくら突っ込めばいいかね?」
『勧めといてなんやけど……お前、マジで課金すんの?』
電話の向こうでニヤついている顔が目に浮かぶ。
たぶん風月も、俺がここまでハマるとは思っていなかったんだろう。
「うむ。割と真面目に楽しいから、やるならガチでやるわ」
言い切った。
あまりにも素で言い切った。
数秒後。
ちょっと恥ずかしくなった。
何をそんな熱く語ってるんだ、俺は。
だが、不思議と撤回する気にはならない。
『うーん……とりま2万?』
「…………」
ん?
2万?
んんんん?
「に、2万ひぇん??」
変な声が出た。
想像より高かった。
俺の中では5,000円くらいから始めるものだと思っていた。
初課金。
5,000円。
ちょっと大人の遊び。
そんなイメージだったのに。
いきなり2万。
大人どころか、財布に対して暴力的である。
電話の向こうで風月が爆笑する。
『ぶははははは! なんだよ、2万ひぇんって!』
「う、うるさい! 笑うなし! はよ仕事しろよ!」
『お前が電話してきたんだろ!』
……。
確かに。
ぐうの音も出ない。
『ふむ。では仕事に戻りますので、課金については……』
「待って待って待って! ごめんて!」
完全に立場が逆転した。
「仕事は適当でいいから早く教えてや」
『適当にさせんな』
ごもっともである。
『まあ俺、今から忙しくなるし。課金のことならマクさんの方が詳しいから電話してみ。さっき喫煙所行きよらしたから、まだおるはず』
「ふむ……」
マクビさんか。
飲み会では割と奢ってもらっている。
「今日は俺が出すわ」
なんて言いながら、なんだかんだ俺の分まで払ってくれる良い先輩だ。
たまに「糞雑魚」とか「殺すぞ」とか言われるけど……。
まあ、それはそれ。
奢ってくれる。
つまり……。
可愛がられている。
ふむ。
先輩に可愛がられる後輩。
ということは……。
俺は可愛い。
「…………」
うむ。
我ながら完璧な三段論法である。
どこにも間違いはない。
たぶん。
そんな最高にどうでもいい結論に満足しながら、俺はマクビさんへ電話をかけた。
プルルル……。
1回。
2回。
3回……。
『よ~う♪ 糞雑魚~♪』
「うす……」
……。
これも可愛がり。
たぶん。
自信がなくなってきた。
『なんだよ、つれねぇなぁ!』
豪快な笑い声が聞こえる。
『んで? 何が聞きたいん?』
さすが先輩。
話が早い。
「風月に、とりあえず2万課金しろって言われたんすけど。内容は忙しいからマクビさんに聞けって」
『ふむふむ』
いかにも考えております、という声を出したあと……。
『2万か。なら1万は装備ガチャやな』
「ほう」
『残り1万でフリチケ買って、1個3,000万Kalzで露天に出せ』
「3,000万?」
数字の桁がおかしい。
昨日まで数万Kalzの装備を見て高いだの安いだの言っていた俺には、3,000万という数字がもう別世界だった。
『うむ。3,000万で売れる。あと装備ガチャから出たゴミも、物によっちゃ100万くらいで売れるから全部捌け』
「なるほど……。んで、何が出たら当たりなんすか?」
『んー……』
少し間が空く。
『今日ログインしたら教えるわ』
「えぇぇ……」
一番知りたいところなのに。
『とりあえずフリチケ売って、大人しく待ってろ』
とピシャリ。
「……良い子にして待っときますわ」
ふむ。今は素直に言うことを聞いておこう……
『おう。ルディで露天出しとけ』
それだけ言い残し、マクビさんは電話を
ガチャ切りする。
「…………」
ふむ。
フリチケとは何ぞや。
聞きたいことが増えた。
だが、もう一度電話するのも面倒だ。
まあ、マイレージショップを見れば分かるか。
考えるのをやめた俺は、とりあえず
コンビニへ向かった。
……
某「7」が目印のコンビニへ到着。
……したのはいい。
自動ドアをくぐったところで足が止まった。
「どうやって課金すんだ、これ……」
そこでようやく気づく。
買い方聞くの忘れた。
店内をうろうろする。
雑誌コーナーを見る。
ATMを見る。
コピー機を見る。
もう一度ATMを見る。
……何も分からない。
そもそも何を買えばいいのかすら分からない。
プリペイドカード?
なんか番号が書いてある紙?
レジで「課金ください」と言えば出てくる?
「…………」
こういう時、知らないことを店員に聞くのが妙に恥ずかしい。
しかも内容が、
オンラインゲームに2万円課金したい。
である。
いい歳した男が何をしているんだ、と自分の中の常識人が囁いてくる。
だが、その隣でコムルにハマり始めた俺が囁く。
……聞け。
……強くなりたいんだろ。
「…………」
くっ。
……
どうやらコムル側の俺が勝ったようだ……
「すいませーん」
最終奥義……店員さんに聞く。
大学生くらいの女性店員がこちらを見る。
「友達からオンラインゲームに課金したいならコンビニ行けって言われたんですけど……ここで買えます?」
……
「……え?」
…………。
当然の反応である……
……
その顔やめて……。
俺も分かってないんだから。
俺は一瞬で恥ずかしくなり補足を入れる……。
「えっと……なんていうのかな。ネットで使えるお金……みたいな?」
説明がフワッフワである。
我ながらひどい。
すると店員さんは何かを察したのか、
「少々お待ちください……」
と言い残し、奥へ消えた。
「…………」
え。
俺、通報される?
いやいやいや。
ただゲームに課金したいだけだ。
まだ何もしてない。
そもそも課金しに来ただけで警察を呼ばれたら、世の中のゲーマーが全滅する。
そんなことを考えていると、奥から大学生くらいの男性店員が現れた。
仮に店員Bとしよう。
『あー、WebMoneyのことですかね?』
眩しいほどの営業スマイル。
「た、たぶん? それかなぁ?」
知らんけど。
『でしたらコピー機から購入できますよ。ご案内しましょうか?』
「え? いいんですか?」
……。
天使。
男だけど天使。
この瞬間、俺の中で店員Bへの好感度が最大まで上がった。
こうして俺は、店員Bに教えてもらいながらWebMoneyを2万円分購入した。
レシートと紙を手に店を出る。
財布からは2万円が消えた。
代わりに手元には、オンラインゲームの世界で使える数字が残った。
「…………」
本当に買っちまった。
少しだけ罪悪感。
でも。
それ以上に……。
早く帰りたい。
早く課金したい。
早くガチャを引きたい。
その気持ちの方が、もう圧倒的に勝っていた。
早る気持ちを押さえながら帰宅。
……
足早に自分の部屋へ向かい、PCの電源を入れる。
……。
…………。
遅い。
「早よ起きろや……」
いつものことなのに、今日に限って
異常に長く感じる。
待っている間に煙草へ火をつけ……
「ふぅ~……」
煙を吐きながらPCを眺める。
何故だろう。
まだ課金すらしていないのに、
すでに一仕事終えた感がある。
コンビニへ行った。
店員さんに聞いた。
WebMoneyを買った。
もう今日の俺は十分頑張った。
ようやくPCが立ち上がり、コムル公式サイトへ。
アカウントとパスワードを入力する指が軽い。
そしてログイン。
すると……マイレージショップ。
俺には、その文字が爛々と輝いて見えた。
実際は銀縁に濃い紫色の、割と地味なタブである。
「…………」
いくか。
マウスに手を置く。
妙に緊張する。
たかがゲーム。
たかが2万円。
……いや。
2万円は普通に大金だ。
クリック一つで消える。
ワクワクする。
でも、ちょっと怖い。
店員Bの言った通りWebMoneyが使えることを
確認して心底ほっとした。
だってこれ……。
返品できませんって言われたんだもの。
もしコムルで使えなかったら、俺はWebMoney2万円分を握りしめて途方に暮れるところだった。
番号を入力。
確認。
クリック。
……課金完了。
「…………」
画面に反映された数字を見る。
本当に入った。
「……よし」
不思議な高揚感が湧いてくる。
さあ。
買い物の時間だ。
まずは言われた通り、フリチケを1万円分。
そして残りは……。
装備ガチャ。
商品名。
『改革ボックス』
10個セット、5,000円。
「ふむ」
面倒なので2セット買う。
購入。
クリック。
「…………買ってしまった」
ボタンを押した指が若干震えていた。
今ので1万円。
クリック一発。
1万円。
恐ろしい。
でも……。
楽しい。
この時点でもう、何か大切な感覚を失い始めていた気がする。
コムルへログインすると、いつもの俺の分身が、
いつもの場所で突っ立っている。
「……こいつ、ずっとぼったちしてんな」
……
だが今日は違う。
こいつの懐には、俺のリアルマネー1万円分の夢が
詰まっている。
さて。
20個。
開けますか。
心なしか姿勢を正す。
まず1個目。
クリック。
「おっ」
見覚えがある。
現在もお世話になっている『マルセンの旅支度』。
その鎧。
「これ知ってるぞ」
知っている物が出ただけなのに、妙に嬉しい。
2個目。
「……なんか強そうな槍」
シルバーパラティン。
名前からして強そう。
価値は知らん。
3個。
4個。
5個……。
次々に開けていく。
クリックするたび、知らない装備が増えていく。
当たりなのか。
ハズレなのか。
俺にはまだ分からない。
なのに……。
楽しい。
めちゃくちゃ楽しい。
次は何が出る?
これは強い?
売れる?
この感覚。
なるほど。
ガチャってこういうことか。
そして……。
のそっ。
「…………」
のそっ。
「……ん?」
キャラクターが歩かない。
いや。
歩いている。
ものすごく遅い。
「あ」
気づいた瞬間、全部理解した。
重量。
またお前か。
ガチャから出た装備を大量に抱えた俺の分身は、
屈強な装備を持ちながら老人の散歩みたいな
速度になっていた。
「……露天出すか」
……
フリチケ。
正式名称、フリーチケットプレミアム。
昨日、風月が何気なく「呼ぶ」と言っていた移動機能にも、本来ならKalzが必要になる。
だが、フリチケがあれば、そのワープが1か月無料。
さらに経験値30%アップ。
「……なるほど」
そりゃ売れるわ。
売れてる原因は多分、後者だ。
とりあえず自分用を1個確保。
残りを露天へ。
値段は……。
「3,000万っと……」
1個3,000万Kalz。
数字を入力しながら少し怖くなる。
俺の感覚では完全にボッタクリ価格だ。
「ほんとにこんな値段で売れんのかよ」
半信半疑で並べていく。
ふんふんふん。
売れるといいなぁ……っと。
鼻歌まで出る。
……。
我ながら本当に気持ち悪い。
…
時計を見ると15時を過ぎていた。
「一旦休むか」
ベッドへダイブ。
漫画を読み始め……。
気づけば1時間。
「……そういや露天」
売れてないだろうな。
まあ、1個くらい売れてたら上出来か。
そんな軽い気持ちでコムルの画面を覗く。
「…………え?」
露天を見る。
「は?」
もう一度見る。
「…………」
ない。
商品が。
全部。
ない。
一瞬、バグかと思った。
売上を見る。
数字が増えている。
「…………」
頭の中で計算する。
1個3,000万。
10個。
3,000万が10個。
「…………3億?」
思わず画面へ顔を近づける。
3億Kalz。
昨日まで金に困っていた俺が。
数時間前までフリチケが何なのかすら知らなかった俺が。
3億。
「…………」
俺の中で何かが壊れた。
金持ちだ。
俺。
コムル界の金持ちだ。
これなら制作装備とか買えるんじゃね?
さっきまでの眠気が一瞬で消える。
ウキウキしながら他人の露天を見て回る。
欲しかった装備。
欲しかった素材。
今まで「高ぇなぁ」と眺めていた物が、今日は買える
……
かもしれない。
……
そして……。
見つけた。
欲しかった鉱石。
価格。
2億7,000万Kalz。
「フヒッ」
変な声が出た。
3億。
俺の全財産。
ほぼ全部。
鉱石1個。
「…………」
さっきまで金持ちだと思っていたが違った。
全然違った。
俺はまだ貧乏だった。
そして俺は……。
そっと露天を閉じた。
「…………」
うん。
課金した方が早いな。
その瞬間……。
自分でも分かった。
今、ものすごく危険な思考へ足を踏み入れた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
むしろ……。
ちょっとワクワクしている。
俺は、ネトゲにおいて非常に危険な答えへ辿り着きつつあった。
……
20時半。
ようやく風月がログイン。
『おいっす』
風月がこっちに向かってくる。
「おっす、おっす」
俺も風月へ駆け寄る。
……
待ってました。
昼間から一人でガチャを引き、露天を出し、3億を手に入れた。
誰かに話したくて仕方なかった。
『あ、マクさん来てるよ』
「ん?」
周囲を見る。
「どこ?」
『…………』
「どこよ?」
風月が笑い出した。
『おるやん。お前の目の前で露天出してるやん』
「…………」
いた。
本当に目の前にいた。
直後、マクビさんからPT申請。
即『確認』。
「お疲れさまです、アニキ。ご機嫌麗しゅう」
『気付くのおっせぇよ。マジで殺すぞ』
ゲームの中でも相変わらずだ……
「先輩、いつからいたんすか?」
『ん? 演出で風月が声かける直前に露天出した』
だろうな……
「…………」
それで気づけは無理だろ。
「先輩、やっぱパネェっす。理不尽っす。理不尽王っす」
風月が爆笑する。
『んで、フリチケどうだった?』
先輩ことマクビさんがニヤリ。
……
「残りちょっとっす。ほぼ全部売れました」
『はあぁぁん? 全部売れって言ったやろ?』
マクビさんが凄む。
「残りちょっと言うたやん!」
負けじと反撃。
『言い訳すんな』とピシャリ。
「理不尽王!」
さらに反撃。
『殺すぞ』
……。
撃沈……
この人、二言目には殺すぞって言うな。
そんなやり取りをしつつ、
マクビさんのギルメン……JJさんと合流。
そして、俺はついに装備を
譲ってもらうことになった。
『ジェットブラック』フルセット。
『ハンの小手+10』。
価格……11億。
……
「え? 俺9億しかないっすけど……」
数字を見た瞬間、昼間3億を手にして喜んでいた自分が可愛く思えた。
この世界、金の桁がおかしい。
『たこみ、お前8億出せ。残り俺が払うわ』
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
3億。
フリチケ10個分。
リアルマネーに換算するのも何か違う気がするが、
俺にとっては決して小さくない額だ。
「いいんすか?」
思わず聞き返す。
『糞雑魚への投資。早よ強よなれ』
「…………」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
口は悪い。
とにかく悪い。
二言目には殺すぞと言う。
だが……。
なんだかんだ、この人は俺を仲間として
扱ってくれている。
そう思うと、素直に嬉しかった。
でも、それをそのまま言うのは何か恥ずかしい。
だから……。
「先輩……やっぱ俺のこと好きでしょ?」
俺はニヤニヤしながら言ってみる。
『お前マジでしばくぞ』
……珍しく照れてる……。
「おー、こわ」
いつもの調子で誤魔化した。
でも……。
普通に嬉しかった。
装備欄を開く。
黒い片手剣。
黒い鎧。
黒い盾。
兜。
ベルト。
ブーツ。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
装備するたびに、画面の中の俺が黒く染まっていく。
一つ装備するたび、昨日までの自分から少しずつ変わっていく。
そして最後のブーツを装備した。
「…………」
昨日まで素足でチェシュカダンジョンを走り回っていた男が……。
靴を履いている。
「おお……」
意味もなく一回転。
もう一周。
正面から見る。
横から見る。
後ろからも見る。
「……かっけぇ」
自然と頬が緩む。
ステータス?
そんなものは後だ。
見た目が強ければ、それだけで強くなった気がする。
何より……。
画面の中にいるキャラクターが、
昨日までより少しだけ『俺のキャラ』に
なった気がした。
……
『孫にも衣装だな』
マクビさんが言う。
すかさず風月。
『それ言うなら雑魚にも衣装でしょ』
「意味変わってるからね?」
JJさんまで乗ってくる。
……
『おいおい、あんまりイジんなよ。俺の客だぞ』
「JJさん……!」
一瞬だけ味方を見つけた気がした。
『8億払ってくれる大事なお客様だからな』
「金かよ!」
3人が笑う。
「…………」
こいつら。
でも……。
悪くない。
こういうくだらないやり取りをしながらゲームをする時間が思っていた以上に楽しかった。
……
装備も整い、本日のレベル上げへ。
目的地は……タルノト1。
ダンジョンへ入った瞬間、空気が変わった。
薄暗い石造りの通路。
床にはところどころ亀裂が走り、奥へ進むほど視界が暗くなる。
その闇の中を、包帯に覆われたマミー……
1体。
2体。
いや。
奥にもいる。
壁際にもいる。
部屋を覗けば、何体ものマミーが徘徊している。
「うわ……結構いるな」
新しい装備を手に入れた直後だ。
試したい。
殴ってみたい。
昨日までとの違いを体感したい。
そんな気持ちで一歩踏み出そうとした瞬間。
『たこみ』
「はい」
『俺の横でぼったちしてろ』
「…………はい?」
聞き間違いかと思った。
『死なれると面倒だから』
「新装備の意味!」
せっかく強そうになったのに。
俺の活躍は?
黒い剣は?
盾は?
靴まで履いたんだぞ?
風月は別の部屋。
マクビさんは俺のいる部屋。
PTを組んでいるので、俺は立っているだけで経験値が入ってくる。
「…………」
マミーが死ぬ。
経験値が入る。
また死ぬ。
経験値が入る。
俺は立っている。
「……俺、いる?」
『経験値吸う係』
「役職みたいに言うな」
何もしなくても経験値は増える。
楽だ。
めちゃくちゃ楽だ。
だが……。
少しだけ複雑である。
昨日までは命懸けでモンスターを殴っていた。
今は何もしていない。
なのに昨日より遥かに速く経験値が増えていく。
これでいいのか、俺。
……。
まあ。
レベル上がるからいいか。
そんな葛藤は3秒で終わった。
さすが効率厨。
マクビさんが立ち止まった。
『ちと待ってな。エレ召喚すっから』
詠唱。
空間が揺らぐ。
1体。
2体。
3体……。
そして。
4体目。
「……え?」
俺は思わず画面へ顔を近づける。
「4体?」
公式では3体だったはず。
一瞬、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「チートっすか?」
『ちげぇよ』
即答。
『最近実装された黒エレ』
サマナーの召喚獣……エレメンタル。
まずはレッドエレメンタル。
通称……赤エレ。
名前からして炎の塊みたいなヤツを想像していたのだが……違った。
赤い。
とにかく赤い。
全身を深紅の装甲で覆った、人型の騎士。
銀色の胸当てに、鋭く尖った兜。
頭頂からは赤い角のような突起が伸び、その背後ではマントとも翼ともつかない真紅の布がゆらゆらと揺れている。
そして何より目を引くのが、右手に握られた剣。
長い柄から伸びる赤黒い刃で敵へ斬りかかる、近接攻撃型。
……らしい。
次にブルーエレメンタル。
通称……青エレ。
氷系ソーサレスの魔法を使う、魔法攻撃型。
見た目だけなら……。
魔法少女。
3体目。
グリーンエレメンタル。
通称……特になし。
見た目は小動物を思わせるフォルムに、緑の帽子。
こいつは移動速度低下や毒を振り撒く、いわゆるデバッファーらしい。
そして最後。
ブラックエレメンタル。
通称……黒エレ。
名前の通り、全身が黒い。
人型なのだが、腰から下がない。
そして筋肉。
とにかく筋肉。
「…………」
なんだこいつ。
強そうというより……怖い。
過去のエレメンタルたちより基本ステータスが高く、戦闘能力も高いらしい。
なんといっても、この黒エレ……。
「でっか……」
マクビさん3人分くらいある。
画面の中なのに、妙な圧迫感がある。
もしこれが本当に目の前にいたら、
俺はたぶん近づかない。
絶対に目も合わせない。
俺が黒エレを見上げるような気分で眺めていると、マクビさんが再び動きを止めた。
今度は詠唱というより……何かを溜めている。
空気が張り詰める。
少し間を置いて……。
解放。
4体のエレメンタルを、竜巻のようなオーラが包み込んだ。
「おぉぉ……!」
赤エレの鎧を風が駆け抜ける。
青エレの翼が揺れる。
緑エレが跳ねる。
そして黒エレの巨体を、荒々しいオーラが覆う。
画面の中で起きているだけなのに、空気まで変わったように感じる。
さっきまでただ突っ立っていた召喚獣たちが、一瞬で戦闘兵器に変わったようだった。
「す、すげぇ……。かっこよ……」
思わず声が出た。
こういうのだ。
俺がやりたいのは。
ただレベルを上げるだけじゃない。
強い装備を着て。
派手なスキルを使って。
誰かに「つえぇ」と思われる。
そんな自分になりたい。
『ん?』
マクビさんが反応する。
『風月。お前まだ、たこみにOD教えてないの?』
『うむ』
風月先生、即答。
『そもそもスキル振りすら教えてねーっす』
「…………」
俺を何だと思っている。
『下手に教えたら、こいつ絶対変な振り方するんで』
「し、しねーし!」
声が震えた。
……ちょっとだけ心当たりがある。
『今、声震えたぞ』
「武者震いだし」
『何と戦ってんだよ』
『まあまあ』
マクビさんが割って入る。
『糞雑魚から雑魚くらいには進化したし、俺が教えてやろう』
「一言多いんよ!」
……
コムルオンラインには、大きく分けて3つの
スキル体系がある。
攻撃系の『アクティブスキル』。
自己強化系の『パッシブスキル』。
そして、職ごとの特性を引き出す特殊スキル。
『オーバードライブ』……通称OD。
今マクビさんが使ったのは、サマナーのOD。
『サモンアクセラレーター』。
エレメンタルたちを一気に強化するスキルらしい。
「……ODか」
覚えておこう。
たぶん今後、嫌というほど聞く言葉になる。
そんな予感がした。
『んじゃ、いくか』
マクビさんが動いた。
狩り開始。
そして……。
速かった。
黒エレがマミーへ突っ込む。
その巨体からは想像できない速度で距離を詰め、殴りつける。
赤エレが続く。
剣を振り抜く。
青エレの魔法が飛ぶ。
緑エレの毒が広がる。
マミーが1体倒れる。
次。
また次。
マクビさんがクリックするたび、4体のエレメンタルが獲物へ殺到する。
マミーが湧く。
こちらへ歩いてくる。
囲まれる。
……はずだった。
囲む前に死ぬ。
画面には経験値が次々と表示される。
「…………」
俺はその横で立っている。
ツバイスも立っている。
経験値だけが増えていく。
最初は楽しかった。
数字がどんどん増える。
レベルも上がる。
でも……。
5分。
10分。
何もしない。
「…………」
暇だ。
「マクビさーん」
『ん?』
「暇です」
『歌でも歌ってれば?』
「俺の美声聞きます?」
おどけて言ってみる。
『歌ったらしばく』
やっぱり、この人理不尽だ……
「自分で歌え言うたやん!」
別室から風月。
『マクさん、いいから手動かしてくださいよ』
『ばっか。ちゃんとポチポチしてるわ』
そして突然、マクビさんの声色が変わる。
『あー、たこみちゃんはいいでちゅねぇ……ぼったちで経験値いっぱいもらえてぇ……』
「…………」
なんだろう……。
何もしないで経験値をもらっているのは事実だが、
この人に言われると無性に腹が立つ。
「そうなんでちゅ。自分、雑魚いから怖いでちゅぅ」
乗ってやる。
『…………』
マクビさんが黙った。
「…………」
あれ?
次の瞬間。
マクビさんの名前が青から白へ変わった。
「……ん?」
エレメンタルが止まる。
「……んん?」
嫌な予感がする。
マミーがこちらを向いた。
1体。
2体。
3体。
……8体。
「…………」
あ。
これ。
俺、知ってる。
絶対ろくなことにならない。
『一回死ね!!!』
「なんでだよ!!」
一斉に襲いかかってきた。
ドスッ。
バシッ。
ドスッ。
「痛っ! ちょっ!」
HPが減る。
心臓が跳ねる。
反射的に逃げようとする。
だが……思ったより減りが遅い。
新装備のおかげだ。
「お? これ耐え……」
いける。
意外といける。
そう思った瞬間。
あることに気づいた。
ポーション。
ない。
「…………あ」
血の気が引く。
『早よ死ねや』
「悪魔ぁぁぁぁ!!」
HP、0。
画面の中の俺が倒れる。
久しぶりの死亡。
そしてチャット欄に赤文字。
『経験値が180,000ロストしました。』
「…………」
一瞬。
本当に思考が止まった。
18万。
今まで積み上げてきた経験値。
数字でしかない。
数字でしかないはずなのに……。
胸がギュッとなる。
「……ぁ」
『はっはっはっは!』
「ぁぁぁぁあああああ!!」
俺の悲痛な叫びが、深夜の部屋に響いた。
『ざまぁぁぁぁぁ!』
風月が苦笑する。
『何気に鬼なんよな……この人』
「鬼じゃねぇよ……悪魔だよ……」
画面の中で倒れている自分を見ながら、
俺は静かに誓った。
いつか。
いつか絶対。
この人に仕返しする。
……
深夜1時前。
レベルは110。
……
あと出来事の後、マクビさんが経験値200%アップのスクロールをくれた。おかげで、失った18万などとっくに取り返した。
さっきまで本気で落ち込んでいた自分が馬鹿らしくなるほど、経験値は増えていく。
アイテムくれるなら最初からやらなきゃいいのに……とブツブツいいながらマクビさんに愚痴る。
……
だが、マクビーさん曰く洗礼とのこと。
……
そんな洗礼あるかい!
とツッコミを入れたが軽くスルーされる。
……
狩りは順調。
あまりにも順調だった。
だからこそ……。
最初は気づかなかった。
白チャの雰囲気が変わっていることに。
『てめー、何してんだ……』
『糞が!!!』
『雑魚は死んどけ』
『うわぁぁぁん』
「……?」
何だ?
さっきまで雑談で賑わっていた白チャが、
明らかにおかしい。
マミーを殴る音。
魔法の炸裂音。
その合間を縫うように、荒れた言葉が流れてくる。
そして……。
『こいつPKだ!!!』
その一文が流れた瞬間。
空気が変わった。
風月が黙る。
マクビさんも、さっきまでの軽口を止めた。
その変化だけで分かった。
これは、さっきまでとは違う。
『……PKかぁ』
風月の声が低くなる。
『とりあえず、こっち来るまで遊ばせとこーぜ』
マクビさんは妙に落ち着いている。
「…………」
なんだろう。
この人が落ち着いていると、逆に怖い。
絶対なんかする。
そんな嫌な予感だけは、妙に確信があった。
『今日は大人しいっすね。たこみ効果っすか?』
と風月。
『俺もちょっとは大人になろうかと思ってな』
マクビさんは軽口を叩く。
「…………」
信用できない。
絶対嘘だ。
白チャは止まらない。
悲鳴。
罵声。
煽り。
その向こうで、誰かが次々と殺されている。
見えていない。
なのに。
チャットの文字だけで、少しずつ何かが近づいてきているような気がした。
俺は恐る恐る聞いた。
「……PKって何すか?」
『え?』
『は?』
二人同時。
「だからPKって何なのさ」
俺は負けじと食い下がる。
沈黙。
そして風月先生の講義が始まった。
PK。
プレイヤーキラー。
プレイヤーがプレイヤーを殺す。
BDがダンジョンを巡る『戦争』なら、PKはそこら辺を歩いている人を襲う『殺人』。
「……え?」
その説明を聞いた瞬間、俺は隣を見る。
「俺、さっき隣にいる人に殺されたんだけど?」
『それMPK』
「もっと悪質じゃねーか!」
マクビさんが笑う。
風月が即座に釘を刺す。
『マクさんは論外だから参考にすんなよ』
『風月ちゃん、それ酷くない?』
「いや、俺も今回は風月に一票」
『お前また死にたい?』
「棄権します」
民主主義は死んだ。
その時だった……。
『お? 来た来た』
風月の声が変わった。
さっきまで笑っていた声から、何かを見つけた声へ。
『こっち来たわ』
そして……無言。
「…………」
何も聞こえない。
俺には別室の様子が見えない。
数秒。
たった数秒なのに、妙に長い。
何が起きている?
戦ってる?
風月、大丈夫なのか?
「風月?」
『…………あー、おもんな』
「え?」
『終わった』
「…………は?」
『イキってるだけの糞雑魚だったわ』
「早くない!?」
さっきまで他のプレイヤーを殺して回っていたヤツだぞ?
それを……数秒?
『瞬殺した。たぶんもう俺んとこ来ない』
「…………」
改めて思う。
こいつら。
俺が思っている以上に強い。
マクビさんが笑う。
『じゃ、こっち来るんじゃね?』
「え」
背中が少し冷たくなる。
笑えない。
さっきまで他のPTを殺して回っていたヤツだ。
風月には瞬殺された。
だから次は……。
こっち。
俺は画面の奥を凝視する。
マミー。
マミー。
マミー……。
そして。
その向こう。
何かが動いた。
「…………来た」
赤い。
名前が……真っ赤だ。
今まで見てきたプレイヤーとは明らかに違う。
暗い通路の奥から、赤い名前を頭上に浮かべたレンジャーが歩いてくる。
両手にはダガー。
全身はピンク色の光に包まれていた。
一歩。
また一歩。
近づいてくる。
「…………」
マウスを握る手に力が入る。
さっきまでただの狩り場だったタルノトが、
急に狭く感じる。
逃げた方がいい?
動かない方がいい?
こいつ、俺も殺すのか?
ゲームなのに。
画面の向こうなのに。
心臓が速くなる。
怖い。
でも……。
少しだけ。
ワクワクもしていた。
初めて見る、本物の対人戦。
『たこみ』
マクビさんが静かに言った。
『端よっとけ』
「……うす」
言われた通り、そっと端へ寄る。
さっきまで散々ふざけていたのに。
声が違う。
『ちょっと遊んでやるわ』
「…………」
『ファイターとサマナーじゃ対人の参考にはならんけど……見とけ』
「…………」
何この人。
急にかっこいいじゃん。
……
レンジャーが動いた。
速い。
一気にマクビさんへ距離を詰める。
「速っ……!」
目で追うより先に、キャラクター同士の距離が消えた。
だが……。
その前に黒エレが立ちはだかった。
ドン。
巨大な身体が完全に道を塞ぐ。
壁。
文字通り、壁だった。
レンジャーが黒エレを殴る。
速い。
右。
左。
右。
左。
ダガーが異常な速度で振られる。
画面がカクついて見えるほどだ。
「な、なんだこれ……」
俺が戦ったらどうなる?
考えるまでもない。
たぶん何もできない。
気づいた時には死んでいる。
だが。
マクビさんは動かない。
焦っている様子もない。
そして白チャ。
『おい』
『1壁ごときで何イキってんの?』
「…………」
始まった。
この人。
戦いながら煽る気だ。
『その黒いの倒したら俺に届くと思った?』
風月がボソッと言う。
『マクさん、煽らんでいいから』
俺も心の中で激しく同意する。
だが、マクビさんは止まらない。
『頑張れ頑張れ。黒エレ君もうちょっとだぞ』
「応援すんな!」
『あ、ごめん。俺のペットだったわ』
「性格悪っ!」
ついにエレメンタルたちが動く。
赤。
青。
緑。
黒。
四方向からレンジャーを囲む。
一斉攻撃。
画面上をダメージ表示が凄まじい勢いで流れていく。
「うわ……!」
レンジャーはPOT連打。
HPが減る。
戻る。
減る。
戻る。
攻撃されながらも、まだ立っている。
「うわ……」
これ、まだ耐えるのか。
さっきまで笑って見ていたが、少しずつ見方が変わる。
強い。
このPKも普通に強い。
少なくとも俺とは比べ物にならない。
するとPKが白チャを飛ばした。
『糞サマナー、お前のエレマジでうぜーわ』
マクビさん。
即答。
『え?』
一拍。
『サマナーにエレうぜぇって、それ褒め言葉?』
「煽るな煽るな!」
さらに続ける。
『じゃあ消してほしい?』
『お願いできる?』
『無理です^^』
「聞く意味!」
風月が笑いを堪えている。
『マクさん……遊びすぎっす』
『じゃ、そろそろ服脱がすか』
「何を言ってるんですか?」
一瞬、本気で意味が分からなかった。
『ODだよ』
スキル発動。
『ターンオーバー』
その瞬間。
レンジャーを包んでいた光が一つ消えた。
「……ん?」
もう一度。
また消える。
強化効果。
OD。
それが剥がされている。
『はい、1枚~』
さらに1枚。
『はい、もう1枚~』
レンジャーを包んでいた光が薄くなっていく。
『お客様、バフのお忘れ物ですよ~』
「店員Bを見習え!」
昼間の天使を思い出す。
接客とは、ああいうものだ。
これは接客ではない。
公開処刑だ。
レンジャーが逃げようとする。
その動きを見た瞬間、俺にも分かった。
流れが変わった。
さっきまでマクビさんへ向かっていたPKが……逃げようとしている。
だが黒エレ。
赤エレ。
完全に囲まれている。
『あれ?』
マクビさんが白チャを打つ。
『さっきまで元気だったのに』
『どうした?』
『POT飲む手止まってんぞ』
「やめたげて!」
なんだろう。
敵なのに。
ちょっと可哀想になってきた。
『大丈夫。俺、優しいから』
「どこが!?」
『ちゃんとリスポーン地点まで送ってやる』
「ただ殺すだけじゃねぇか!」
そして……。
レンジャーのHPが消えた。
その瞬間。
俺は息を止めていたことに気づいた。
「…………」
沈黙。
PKの姿も消える。
終わった。
あれほど緊張していたのが嘘のように、タルノトへ静けさが戻る。
さっきまで目の前でプレイヤー同士が殺し合っていたのに。
もうそこには、いつものマミーしかいない。
俺はマウスを握ったまま、ゆっくり息を吐いた。
「……つっよ」
純粋にそう思った。
装備。
レベル。
スキル。
知識。
そして対人経験。
俺にはまだ何もない。
今の俺があそこへ入ったら、たぶん数秒で死ぬ。
でも……。
いつか。
俺もあんな風に戦えるようになるんだろうか。
ほんの少し。
そう思った。
その直後。
白チャ。
『うけるww』
「余裕!!」
全部ぶち壊された。
マクビさんは止まらない。
全体チャットまで開く。
嫌な予感しかしない。
『さっきのPK君へ』
「やめろやめろやめろ!」
『次はODちゃんとかけてから来てね^^』
「公開処刑すんな!」
風月まで慌てる。
『マクさん、もういいって!』
『え? 俺、アドバイスしてるだけよ?』
「どこがだよ!」
『初心者には優しくしないとな』
「初心者、俺だからね!?」
『お前は糞雑魚』
「俺への扱いだけ一貫してんな!」
全体チャットが荒れ始める。
便乗する者。
笑う者。
マクビさんへ噛みつく者。
それにまたマクビさんが返す。
地獄である。
さっきまでの緊張感はどこへ行った。
その中心で本人だけがケタケタ笑っている。
風月がため息をついた。
『マクさん……やりすぎ』
『大丈夫、大丈夫』
何が大丈夫なのか、誰にも分からない。
そんな二人のやり取りを横目に……。
いつの間にかJJさんが隣で地面に座っていた。
俺はそっとJJさんの隣に座る。
……
目の前ではマミーがウロウロしている。
……
隣にはJJさん……。
向こうでは風月が呆れ。
マクビさんは全体チャットでPKを煽り続けている。
「…………」
ふと。
今日一日を振り返る。
朝起きた時。
俺はただ、ちょっと課金して強くなるつもりだった。
それだけだった。
なのに……。
2万円課金した。
最終的に8億稼いだ。
11億の装備を買った。
靴を履いた。
レベル110になった。
マクビさんに殺された。
本物のPKが来た。
そして、そのPKをマクビさんが煽りながら殺した。
「…………」
情報量が多い。
たった一日で起きたこととは思えない。
でも。
楽しかった。
悔しかった。
怖かった。
笑った。
強くなりたいと思った。
もっとこのゲームを知りたいと思った。
昨日までなら、オンラインゲームなんて
ただの暇潰しだった。
画面の向こうでキャラクターを動かして、
モンスターを倒すだけ。
それでも楽しかったのに……
でも……。
今は少し違う。
画面の向こうにも、人がいる。
馬鹿みたいに笑うヤツがいて。
理不尽に殺してくる先輩がいて。
初心者の俺に装備を譲ってくれる人がいて。
知らない誰かが突然襲ってくることもある。
そして。
その全部が、妙に楽しい。
「…………」
俺は隣に座るJJさんへ呟いた。
「このゲーム……こんなんでしたっけ?」
『ん?』
JJさんが答える。
『今日は平和な方じゃね?』
「…………」
思考が止まった。
これで?
今日が?
平和?
マミーが俺たちの目の前を横切っていく。
俺は何も言わず、その背中を見送った。
「…………」
どうやら俺は……。
とんでもないゲームを始めてしまったらしい。
そして、この時の俺はまだ知らなかった。
この世界で待っているのが、レベル上げや装備集めだけではないことを。
仲間。
敵。
ギルド。
BD。
そして……。
俺の人生そのものを変えることになる出会い。
それら全部が、まだこの画面の向こうで俺を待っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
朝起きた時の目的は、
「2万円課金して、ちょっと強くなろう」
本当にそれだけでした。
それが終わってみれば……。
初めてWebMoneyを買い。
初めてガチャを引き。
フリチケを売って大金を手にし。
11億の装備を買い。
ようやく靴を履き。
先輩に殺され。
18万経験値を失い。
最後は本物のPKまでやって来る。
……濃すぎる一日でした。
でも振り返ってみると、この日あたりから俺の中でコムルが「ただのゲーム」ではなくなっていった気がします。
強くなりたい。
もっと知りたい。
仲間と遊びたい。
そしていつか、自分もあんな対人戦をしてみたい。
そんな気持ちが、どんどん大きくなっていきました。
ちなみにマクビさんの「洗礼」。
今考えても、ただのMPKです。
洗礼ではありません。
ここまで一緒に楽しんでいただけていたら、いいねやブックマークをそっと押してもらえると、続きを書く励みになります。
そして物語は、少しずつレベル上げや装備集めだけではない世界へ。
ギルド。
BD。
仲間と敵。
それでは、また次回!
……これで平和な方って、マジ?




