第96話「四年目まで取っておくはずだったろうそくを、別の誕生日で使いました」
土曜日の午後三時十二分。
PANDEMONIUMのカウンターに、紙袋が三つ並んだ。
「ポテト、一つ多くない?」
短い髪の少女が言った。
隣の女の子が袋を開ける。
「誕生日だから」
「自分で増やしたの?」
「誕生日だから」
「強い」
もう一人の女の子が、小さな白い箱を両手で抱えていた。
バーガーではない。
駅前で買ってきた、掌より少し大きいケーキだった。
「これ、傾けないでよ」
「そっちこそ落とさないで」
「私、今日の主役なんだけど」
「主役は持たないで」
三人で言い合いながら、店を出た。
短い髪の少女の上着のポケットには。
細いろうそくが一本入っていた。
真ん中が、少し曲がったまま。
◇
河原までは歩いて十分ほどだった。
去年。
少女はここへ来なかった。
姉と三年目のバーガーを食べるはずだった日。
一度きりの電車を見に駅へ行った。
翌日、一人でここへ来た。
その時も、曲がったろうそくを持っていた。
火はつけなかった。
今日は。
三人だった。
「ここ?」
誕生日の女の子が聞く。
「うん」
「もっと特別な場所かと思ってた」
「普通の河原だよ」
草。
ベンチ。
少し濁った水。
遠くで犬を散歩させている人。
「でも、前に言ってたところでしょ」
「姉ちゃんと?」
「そう」
「うん」
少女はそれだけ答えた。
三人でベンチへ座った。
紙袋を開く。
ポテトの匂いが風に混ざった。
◇
食べ終わったあと。
白い箱を開けた。
小さな丸いケーキ。
上に苺が三つ。
「ろうそく」
箱を持ってきた子が言った。
「……あ」
「ないの?」
「買った」
「じゃ出して」
「買ったと思う」
「その言い方、ないやつ」
三人で箱の中を見る。
保冷剤。
紙ナプキン。
プラスチックのフォーク。
ろうそくはなかった。
「終わった」
誕生日の子が言う。
「ケーキはある」
「火がない」
「火がなくても誕生日はできる」
「願い事できない」
「息だけ吹けば?」
「虚無に?」
「虚無に」
三人で笑った。
短い髪の少女は笑いながら、ポケットへ手を入れた。
◇
「あるよ」
出した。
白いろうそく。
少し曲がっている。
二人が見る。
「それ」
「うん」
「前に言ってたやつ?」
少女の指が止まった。
「どの話までしたっけ」
「姉ちゃん引っ越したやつ」
「河原行かなかったやつ」
「次の年に使うって持って帰ったやつ」
「全部してるじゃん」
「してた」
誕生日の子は、ろうそくへ手を伸ばさなかった。
「それはだめでしょ」
「なんで」
「だって、それ用じゃん」
「それ用って?」
「お姉ちゃんと四年目やる時の」
少女はろうそくを見る。
白い蝋の真ん中。
前より少し、傷が増えていた。
机の引き出し。
筆箱。
上着のポケット。
何度も移した。
でも。
一度も使わなかった。
「今日、持ってきたの」
「なんで?」
「誕生日だから」
「私の?」
「うん」
「わざと?」
「わざと」
◇
誕生日の子は困った顔をした。
「使って、後悔しない?」
「するかも」
「するんだ」
「前もした」
「じゃやめようよ」
「前は使わなかったから後悔したわけじゃない」
「むず」
「私も分かんない」
少女は笑った。
ろうそくをケーキへ立てる。
曲がっているので、少し斜めになった。
「倒れそう」
「こっち向ければ平気」
苺と苺の間。
クリームへ少し深く差した。
立った。
◇
「火」
「ライターある?」
「ない」
「全員、中学生だよ」
「じゃどうするの」
三人で黙った。
五秒。
十秒。
誕生日の子が吹き出した。
「ろうそくあるのに火ないじゃん!」
「詰めが甘い!」
「お前がろうそく忘れたんだろ!」
「持ってきた!」
「買っただけ!」
また笑った。
結局。
近くでバーベキューをしていた家族に、火を借りた。
父親らしい人がチャッカマンを持ってきてくれた。
「一本?」
「一本です」
「風あるから気をつけて」
三人で手を囲う。
火がついた。
◇
細い炎だった。
風に押されて、何度も横になる。
そのたびに三人の手が近づいた。
「早く!」
「まだ願ってない!」
「長い!」
「大事なの!」
誕生日の子が目を閉じる。
短い髪の少女は炎を見ていた。
芯が初めて黒くなる。
蝋が少しだけ溶ける。
曲がっていた部分へ、一筋だけ白い雫が流れた。
「いい?」
「まだ!」
「溶ける!」
「ろうそくは溶けるもの!」
「知ってる!」
目が開いた。
息を吸う。
吹いた。
火が消えた。
細い煙が上がる。
三人の顔の間を通って、風にほどけた。
◇
「何お願いした?」
「言わない」
「じゃ聞かない」
「聞いてよ」
「どっち」
ケーキを三つに切る。
うまく同じ大きさにならない。
「誕生日だから大きいの」
「さっきポテト多かったじゃん」
「誕生日だから」
「強い」
短い髪の少女は、一番小さい切れ端を取った。
自分でそうした。
別に嫌ではなかった。
◇
食べ終わる頃。
ろうそくは半分ほど短くなっていた。
もう一度使えないことはない。
でも。
前と同じではなかった。
芯は黒い。
片側だけ蝋が垂れている。
曲がり方も少し変わった。
誕生日の子が聞く。
「持って帰る?」
「うん」
「まだ?」
「捨てるほどでもないし」
「四年目に使う?」
少女はすぐには答えなかった。
川を見る。
「分かんない」
「またそれ」
「でも、使うなら今日みたいに使う」
「どういう意味?」
「その時に使いたい方」
「姉ちゃんじゃなくても?」
「うん」
◇
スマートフォンを出す。
姉とのトーク画面。
最後のやり取りは三日前だった。
夕飯の写真。
変な形の雲。
父の寝癖。
少女は今日の写真を一枚送った。
三人の手。
小さなケーキ。
曲がったろうそく。
火がついている瞬間。
すぐ既読にはならなかった。
「報告?」
「うん」
「怒られる?」
「なんで」
「四年目のやつ使ったから」
「姉ちゃんのじゃないし」
「二本セットじゃなかったの?」
少女は少し考えた。
「一緒に買っただけ」
そう言ってから。
「……一緒に持って帰ったけど」
と足した。
◇
帰り道。
スマートフォンが震えた。
姉からだった。
写真が一枚。
机の上。
細い白いろうそく。
姉が持っていった、もう一本。
火はついていない。
短い文。
《そっち先に使ったんだ》
少女は歩きながら返した。
《うん》
少し迷って。
《そっちは使いたくなったら使って》
送る。
しばらくして。
《了解》
それだけ返ってきた。
◇
河原から離れる交差点で。
誕生日の子が聞いた。
「来年、四年目やるの?」
「来年?」
「お姉ちゃんと」
「今年じゃなくて?」
「もう今年じゃん」
「あ」
三人で笑った。
少女はポケットの中のろうそくを指で触った。
曲がっている。
短くなっている。
芯は黒い。
もう、二本とも同じ形ではなかった。
姉の一本は、まだ灯っていない。
自分の一本は。
姉がいない日に。
姉との三年目ではない場所で。
別の誰かが願い事をするために、初めて灯った。




