第27話「会えるままでは、いられません」
渾沌ちゃんは、作業報告にシールを貼ろうとしていた。
《標準修繕手順 暫定版》
その右下へ。
《たぶんヨシ》
「やめてください」
「まだ貼ってない」
「貼る位置を合わせています」
「曲がると嫌だから」
「そういう問題ではありません」
秩序ちゃんが台紙ごと取り上げる。
その瞬間、端末が鳴った。
《継ぎ目修繕 2》
《種別:過接合》
渾沌ちゃんが覗く。
「つながりすぎ?」
「名称だけでは判断できません」
《現地状態:安定》
《被害:進行中》
「安定してるのに?」
秩序ちゃんはシールを引き出しへ入れた。
「行きます」
「返して」
「帰ってからです」
◇
扉の向こうは、住宅街だった。
午後四時。
風がない。
犬が吠えた。
二軒隣からも、同じ声で犬が吠えた。
秩序ちゃんが止まる。
左の家。
白い犬。
右の家。
白い犬。
首輪まで同じ赤。
「双子?」
「犬にそういう言い方をするかは別として、確認します」
二匹が同時に座った。
同時に首を掻く。
同時にこちらを見る。
道路の中央。
白い線が走っている。
昨日の裂け目に似ていた。
ただし、開いていない。
ぴったり閉じている。
「これ、直ってるように見えるね」
秩序ちゃんがしゃがむ。
線の左右で、アスファルトの小石の位置まで同じだった。
「似すぎています」
端末。
《接合率 100.00%》
《差分残量 12.4%》
その数字が。
12.3。
12.2。
下がっている。
「差が消えてる」
◇
通学帽の女の子が、線の左から走ってきた。
右からも。
二人。
同じ顔。
同じ黄色い帽子。
違うのは、靴だけ。
左は赤。
右は青。
「あ」
赤い靴の子が笑った。
「また来た」
青い靴の子も笑った。
「今日は遅いね」
二人は白線の上で手をつないだ。
端末が震える。
《差分残量 11.8%》
秩序ちゃんの視線が手元へ落ちる。
「離してください」
二人がきょとんとする。
「なんで?」
「手を離してください」
渾沌ちゃんも数字を見る。
「いったんね」
青い靴の子が先に手を離した。
差分。
11.8。
止まる。
「これだ」
「接触だけとは限りません」
赤い靴の子が頬を膨らませる。
「前は毎日会ってたよ」
「いつからですか」
「ずっと」
青い靴の子が首を振る。
「三週間」
赤い靴の子を見る。
「ずっとじゃないよ」
「三週間も毎日なら、ずっとでいいじゃん」
「よくない」
「いいの」
言い合いまで、途中から同じ言葉になった。
「よくない」
「よくない」
二人が止まる。
渾沌ちゃんの顔から笑みが消えた。
◇
線の左右に、それぞれ家があった。
同じ表札。
同じ母親。
でも。
左の玄関には古い青い傘。
右にはない。
右の壁には、家族三人の写真。
左の写真は二人だった。
父親がいない。
「こっちは去年、亡くなりました」
赤い靴の子の母親が言う。
右側の父親は、台所で麦茶を注いでいる。
同じ顔。
生きている。
青い靴の子が小声で言った。
「最初、びっくりした」
「会ったんですか」
「うん」
「お父さんに?」
「向こうのお父さんに」
赤い靴の子は黙っていた。
その手には。
青いハンカチ。
「それは?」
「お父さんにもらった」
左の母親が目を伏せた。
「うちには、そんなハンカチはありません」
右の父親が言う。
「昨日、娘に渡しました」
青い靴の子が自分のポケットを探る。
ない。
二人の間で。
物まで移っていた。
端末。
《差分残量 8.1%》
◇
「閉じる?」
渾沌ちゃんが聞く。
赤い靴の子が振り向く。
「やだ」
青い靴の子も。
「やだ」
「まだ決めていません」
秩序ちゃんは端末を送る。
《推奨処置》
《完全接合》
《差分統合後、単一世界として運用》
その下。
《代替処置》
《切断》
「二つだけ?」
「表示上は」
渾沌ちゃんが線を見る。
「昨日は、つないだままにした」
「はい」
「今日はだめ?」
秩序ちゃんは答えなかった。
赤い靴の子が、青い靴の子の髪を見ている。
「そのピン、私も持ってたっけ」
青い靴の子が触る。
「これ、あんたの?」
二人とも分からない。
端末。
《差分残量 6.3%》
渾沌ちゃんが、二人の間へ立った。
「今日は、会わない」
「やだ!」
「また会えるようにするから」
「ほんと?」
渾沌ちゃんは一瞬だけ秩序ちゃんを見た。
「たぶん」
「そこで私を見るのをやめてください」
「だって、ほんとにするの秩序ちゃんでしょ」
「あなたもです」
「じゃ、ほんと」
◇
切断処理を開く。
《切断後、相互往来不可》
赤い靴の子が泣き出した。
青い靴の子は泣かなかった。
代わりに。
自分の青い靴を片方、脱いだ。
「これ、あげる」
線を越えて置く。
赤い靴の子も片方脱ぐ。
「じゃ、これ」
交換。
二人とも。
右足と左足で色が違う。
「忘れない?」
「忘れない」
「私も?」
「忘れない」
渾沌ちゃんが鼻をすすった。
「泣いてますか」
「風」
「無風です」
「じゃ埃」
「住宅街です」
「細かい」
秩序ちゃんは二本の鍵を持った。
《入口》
《出口》
昨日は、離れた二つを残すために使った。
今日は。
二本とも抜いた。
白線から。
「回しません」
端末へ。
《切断》
押す。
◇
音はしなかった。
白線だけが消えた。
向こう側の家も。
女の子も。
最初から道路の反対側には何もなかったように。
赤い靴の子が立っている。
右足、赤。
左足、青。
それを見て。
泣いた。
「覚えてる」
誰に言うでもなく。
◇
戻った店で。
渾沌ちゃんは、例のシールを机へ置いた。
《たぶんヨシ》
「貼らないんですか」
「今日はやめる」
秩序ちゃんが作業報告を開く。
《継ぎ目修繕 2》
《接合:解除》
《切断:実施》
《差分保全:100%》
《相互往来:不可》
その下。
暫定版の手順書に、一行だけ追加されていた。
《往来可能状態を、常に保存対象としない》
渾沌ちゃんは読んだ。
「難しい」
「そうですか」
「もっと短くして」
秩序ちゃんは少し考えた。
入力欄を開く。
削除。
打ち直す。
《会えることと、残れることは別》
渾沌ちゃんが頷いた。
「それなら分かる」
端末が保存音を鳴らす。
その時。
厨房の床に。
青い靴跡が、一歩だけついた。




