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奈落に落とされた俺だけが、世界のログを読める ~ハズレ魔術〈残響〉で断章を喰らい、神の仕掛けごと最強へ至る~  作者: 小竹X


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第002話 黒い断章

目を開けた時、まず痛みより先に、静かすぎることが異様だった。


第五層までなら、どれだけ深夜でも迷宮は鳴っている。水の滴る音、虫の羽音、遠くを歩く魔物の足音、どこかで崩れる石。だがここには、それがない。世界が息を止めて、レンだけを見ているような無音だった。


泥を吐き、体を起こす。左肋が痛む。たぶん折れてはいない。右脚は打撲。頬の裂傷は血が止まりかけていた。生きているだけ、上出来だ。


レンは腰の小袋を探った。食料は乾いた固パン半分と水筒。ザックにもらった錆びた短刀。灯火石は二つのうち一つが割れていたが、もう一つは使える。班の荷車は当然ない。終わっている、と普通なら思う状況だった。


だが、さっきの声が頭から離れない。


《断章を検知》

《第零権限への経路を開放します》


何だ、それは。


レンが前を見る。そこは地下湖のほとりだった。黒い水面が果てなく広がり、天井は見えない。岸辺には白い柱が何本も倒れている。自然の洞窟じゃない。人の手で造られ、滅びた都市の残骸だ。


「……こんなの、地図にないぞ」


カルミナ砦の配布する階層図に、こんな場所は一つも載っていない。


レンが短刀を抜いて立ち上がると、視界の奥で赤い線が灯った。一本、二本ではない。湖面の上、倒れた柱の隙間、足元の石畳、空中にさえ、細い光の筋が漂っている。


前よりも、はっきり見える。


レンは試しに一歩踏み出した。すると、左前方の線が濃くなった。踏み込めば石畳が割れる。そう分かる。逆に右斜め後ろ、淡い青の線は安全だと感覚で理解できた。


「読める……?」


残響は、本来なら過去の痕跡しか拾えない。なのに今は、過去の積み重ねから導かれる『次』まで見えている気がした。


レンはゆっくり歩いた。罠石を避け、崩れた柱を回り込み、地下湖沿いの回廊へ出る。何度か魔物の気配も感じたが、光の線に従うだけで、驚くほど滑らかに死角へ身を滑り込ませられた。自分の体が、頭で考える前に最短を選ぶ。


回廊の先で、白骨を見つけた。


鎧の意匠は現代の王国式ではない。胸甲に刻まれた紋章は、円環の中に七つの鍵。骨の傍らには砕けた槍と、黒い板片が落ちていた。板片に触れた瞬間、また文字列が走る。


《残響記録:第七保守都市ネムロス》

《防衛線、陥落》

《天蓋維持率、二七%》


「ネムロス……?」


知らない地名だ。だが板片を握った途端、脳裏に断片映像が流れ込んできた。白い都市。頭上の巨大な光輪。空を飛ぶ槍のような機械群。逃げ惑う人々。最後に、空そのものへ走る巨大な亀裂。


レンは思わず板片を落とした。息が荒い。あまりに鮮烈すぎる。自分の記憶じゃない。都市そのものが、死ぬ瞬間を焼き付けていたみたいだった。


その時、湖面が揺れた。


ひたり、と水音。続いて、ずるりと粘る足音。


振り向くと、そこにいたのは灰色の巨狼だった。体高は大人の胸ほど。毛皮はなく、外皮の隙間から赤い筋が光っている。普通の魔狼ではない。頭部から三本の角が後ろへ反り、眼窩には闇しかない。


階層主級。


レンの喉が鳴る。第五層の班でも遭遇したら総撤退する相手だ。それが一匹じゃない。湖の縁に三匹、回廊の上に二匹。合計五匹。最悪だった。


逃げ道を探した瞬間、視界の線が爆発するように増えた。赤。青。白。狼たちの筋肉の収縮、爪の軌道、飛びかかる順番、床が軋む位置。全部が、一本の地図みたいに重なる。


最初の一匹が跳んだ。


レンの体が勝手に動く。右足を半歩引き、身を沈め、短刀を逆手に持ち替える。狼の爪が鼻先を掠めた瞬間、その肘――いや前脚の関節へ、吸い込まれるように刃を差し込んだ。


骨を断つ感触。


「っ、うおお!」


雄叫びは、恐怖を潰すために出た。レンは狼の腹の下を滑り抜け、体勢を崩した個体を蹴って二匹目との間合いをずらす。青い線が右壁へ伸びる。従う。壁を蹴る。三匹目の噛みつきが空を切り、一匹目と衝突した。


できる。見えているなら、殺されない。


二匹目が低く唸って突進する。レンは倒れた柱の残骸へ誘導し、足首で柱片を跳ね上げる。狼の視界が塞がれた一瞬、喉元へ刃を突き込んだ。熱い血ではなく、黒い粒子が噴き出す。粒子は宙で弾け、レンの手首へ吸い込まれた。


《小断章を取得》

《偏移歩法を解放》


頭の中で何かが繋がる。足運びの型。体重移動。力を逃がし、最短で横へずれる術理。知らないはずの動きが、なぜか最初から訓練していたように馴染んだ。


「……そういうことかよ」


レンは笑った。乾いた、嗤いに近い音だった。


三匹目、四匹目、五匹目。狼たちが一斉に来る。だが今度は、見えるだけじゃない。線へ、体を先回りさせることができる。足を置くたびに視界が澄み、敵だけが遅くなっていく。


左へ半歩。爪を外す。肘打ちで鼻面を逸らし、首筋へ一閃。


後ろへ沈む。噛みつきを紙一重で躱し、喉下の柔らかい部分を裂く。


最後の二匹は連携してきた。だが赤線が交差する一点が見えた。レンはその点へわざと踏み込み、二匹の軌道を重ねる。狼同士が衝突した瞬間、倒れた方の角を掴み、もう一匹の眼窩へ叩き込んだ。


静寂が戻る。


荒い呼吸の中、五体の死骸から黒い粒子が立ち上り、レンへ流れ込んだ。皮膚の下で熱が走る。傷口が微かに塞がり、筋肉の奥に、これまでなかった弾みが宿る。


「断章……食ってるのか、俺は」


それがどういう理屈かは分からない。だが迷っている暇はない。血の匂いで、もっと大きいものが来る。


実際、来た。


地下湖の中央が盛り上がる。黒い水を割って現れたのは、狼たちの王だった。全長六メートルを超える灰角狼王。三本角どころではない。頭部から樹木みたいに枝分かれした角が伸び、背中には黒い結晶が埋まっている。ひと睨みされただけで、肺が凍る。


レンは短刀を握り直した。手汗で滑りそうになる。


勝てるわけがない、という声が頭に浮かぶ。だが同時に、王の周囲へ、一本だけ濃い白線が見えていた。他の赤線と違う。これはたぶん、死の線じゃない。生き残るための線だ。


狼王が咆哮し、水柱が十本、槍みたいに飛んだ。


レンは走った。白線に沿って。槍の隙間、倒柱、崩れた橋の欄干、沈みかけた石舟。普通なら渡れない軌道を、偏移歩法が繋いでいく。狼王の爪が橋を薙いだ瞬間、レンは空中で身を捻り、その背へ飛び移った。


「もらう!」


短刀を黒い結晶へ突き立てる。


だが浅い。結晶はびくともしない。逆に狼王が狂ったように暴れ、レンを振り落とそうと身をねじった。骨が軋む。手が離れそうになる。その時、ザックの形見の短刀の刃に、黒い粒子がまとわりついた。


《断章共鳴》

《破断点を表示》


結晶の中に、一本の亀裂が光る。


レンは残った全身の力を、そこへ叩き込んだ。


甲高い破裂音。


結晶が砕ける。狼王の巨体がのけぞり、水面へ倒れた。黒い粒子の奔流がレンごと飲み込む。頭の中に膨大な記録が流れ込んだ。都市。戦争。空の蓋。人が空に祈り、その祈りが巨大な炉へ吸い込まれていく光景。


そして最後に、砕けた核の中心から、小さな黒い欠片が一つ、レンの掌へ落ちた。


《第二断章、取得》

《残響視、起動》


地下湖の向こう、闇の彼方で、閉ざされていた巨大な門がひとりでに開いた。


その先に、沈んだ都市ネムロスの白い尖塔が、まるで月光の底から浮かぶように並んでいた。

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