第011話 剣侯家の天才
王都グランセルは、遠目には白く美しかった。
高い城壁。幾重にも重なる尖塔。川を跨ぐ石橋と、朝日を弾く銀屋根。辺境の赤壁しか知らなかったレンには、絵本の中の都みたいに見えた。だが門をくぐった途端、その印象は消えた。
人が多すぎる。
兵、商人、貴族の馬車、教会の巡礼、物乞い、荷車、屋台、学徒。全員が違う速度で動き、違う目的で喋っている。しかも王家の護衛付きの馬車が通っているのに、好奇の視線と敵意の視線が遠慮なく刺さる。噂はもう先回りしているらしい。
「断章持ちが来たって顔だな」
車窓から外を見ていたレンが言うと、向かいのリゼが短く頷いた。
「実際、その通りだ。王都は情報が腐る前に発酵する」
「嫌な都市」
「便利でもあるよ」とセフィリアが横から口を挟む。「おいしいパン屋さんが多いし」
「緊張感の出し方を考えろ」
セフィリアはまったく堪えず、紙袋から小さな焼き菓子を差し出してきた。王都へ入る前の検問で買ったらしい。どういう神経だ。だが一口かじると確かにうまかったので文句が言いにくい。
馬車は王城ではなく、王立兵学庁の中庭へ入った。王都の中央から少し外れた、実戦訓練と審問を兼ねる施設だという。表向き『危険物件の鑑別』、実際は王家と教会が互いの手の内を探り合う中立地帯らしい。
中庭で待っていたのは、黒と金の制服を着た若い騎士たちだった。その中央に、一際目立つ男が立っている。
長身。蜂蜜色の髪を後ろで束ね、無駄のない青鋼の鎧を着込んでいる。年はレンより三、四つ上だろうか。顔立ちは整っているが、目つきがひどく傲慢だった。
「お帰りなさい、リゼ殿」
男はまずリゼへ礼を取り、その後でレンを見る。測るというより、値踏みする目だ。
「で、これが噂の断章持ちですか。辺境の孤児にしては血色がいい」
リゼの声が冷える。「紹介する。剣侯家嫡子、ディオン・レーヴェンハルト。兵学庁特務教官補佐。つまり口が悪いだけの役人だ」
「ひどい言い方だな」
ディオンは笑ったが、目は笑っていない。剣侯家。王国最強と呼ばれる騎士家系だと、道中リゼから聞いていた。要するに王都のエリート中のエリート。
「王命により、レン・アーヴェルの危険度評価は我々が担当します」ディオンは形式通りの口調で言った。「教会も王家も主張が食い違っている以上、まずは本人の戦闘力と汚染度を測る必要がある」
「また打つのかよ」
「何だ、怖いか?」
いちいち癪に障る男だった。
レンが鼻で笑うと、ディオンの眉がわずかに上がった。辺境の雑草が反発してくると思っていなかったのだろう。
「怖いなら、あんたの剣がどれだけ速いかじゃない。王都の連中が、真実より体面を優先するかどうかだ」
「なるほど。口は達者だ」
「昨日から散々言われてる」
ディオンは顎をしゃくった。「なら、演習場へ」
兵学庁の演習場は、闘技場をそのまま縮めたような円形だった。観覧席には少数の記録官と衛兵、王家の文官、そして教会側の観察員が数名。表向き中立地帯でも、見張りは双方いる。
審判役の老教官がルールを告げる。
「危険度評価演習。対象はレン・アーヴェル。試験官はディオン・レーヴェンハルト。勝敗ではなく制御能力を見るためのものとする。ただし、どちらかが戦闘不能となった時点で停止」
「止める気あるのか、その条件」レンがぼやく。
セフィリアが観覧席から小声で返した。「あるよ、たぶん」
開始の鐘が鳴る。
ディオンは最初から本気だった。地面を蹴った瞬間、風切り音が一拍遅れて届く。速い。リゼとは種類の違う剣。リゼが圧で斬るなら、ディオンは線で斬る。最小動作で最大速度を出す王都式だ。
横薙ぎ一閃。
レンは偏移歩法で半歩外し、短刀を合わせる。火花。重い。速いだけではなく、刃の芯が一切ぶれない。さすが剣侯家の天才と呼ばれるだけはある。
「避けるだけか!」
「初手で斬られる趣味はない!」
二撃、三撃、四撃。ディオンは息をするように連撃を繋げる。肩、首、膝、脇腹。急所しか狙ってこない。危険度評価という建前が泣くくらい殺意が混ざっていた。
だがレンの目には、その殺意が全部線で見える。
ここ数日、奈落と保守都市と教会の浄火に揉まれてきたせいか、王都の天才相手でも奇妙に心が静かだ。むしろ読みやすい。ディオンの剣は美しく、鍛えられている分だけ癖が少ない。癖が少ないということは、最適解がはっきりしているということでもある。
五撃目を躱したところで、白線が見えた。
ディオンの左脇。踏み込みの戻しで、ほんの一瞬だけ外套の裾が視界を塞ぐ。その隙に懐へ入れる。
レンはそこへ踏み込んだ。
「なっ」
初めてディオンの目が揺れる。短刀が鎧の継ぎ目へ滑り込む。浅い。だが届いた。そのまま柄頭で鳩尾を打つ。ディオンが一歩下がる。
観覧席がざわつく。王都の人間からすれば、辺境の得体の知れない少年が剣侯家の天才へ触れた、それだけで事件なのだろう。
ディオンは息を整え、口元を歪めた。
「いい。雑だが、面白い」
今度は魔力が乗る。彼の剣身に青い光が走った。魔剣術。純粋な技量だけでは押し切れないと判断したらしい。
「危険度評価じゃなかったのかよ」
「お前の危険度を、これから測る」
青光が走る。ディオンの姿がぶれ、三つに分かれた。分身ではない。高速移動と残像を組み合わせた斬術だ。残響視がなければ、初見で対処は無理だった。
右は偽。
左も偽。
本命は真上。
レンは後ろへ下がる代わりに、前へ出た。真上から落ちる本命の剣筋に対し、《界断》を纏わせた短刀を振るう。
金属音は鳴らなかった。
代わりに、青い魔力の線が途中で裂けた。ディオンの加速が一瞬だけ死ぬ。その隙にレンは体を潜り込ませ、肩口へ肘を叩き込んだ。剣が逸れる。さらに足払い。ディオンが膝をつく。
「まだだ!」
ディオンはすぐ起き上がろうとした。根性は本物だ。だがレンはそれを待たなかった。局所再演で彼の直前の踏み込みを一瞬だけなぞり、同じ速度で背後へ回る。首筋に短刀を当てる。
演習場が静まり返る。
ディオンの喉が僅かに動いた。「……俺の歩法を、見ただけで写したのか」
「完全には無理だ。でも一歩だけなら何とかなる」
審判の老教官が慌てて手を上げた。「そこまで!」
歓声ではなく、ざわめきが広がった。予想を裏切る結果に、人々の理解が追いついていないのだ。
ディオンはゆっくり立ち上がり、首筋の冷たさを確かめるように手をやった。怒るかと思ったが、彼は意外にも苦笑した。
「なるほど。化け物扱いされる理由は分かった」
「褒め言葉として受け取っていいのか?」
「半分だけだ」
その時、演習場の奥から拍手が一つ鳴った。
全員が振り向く。いつの間にか観覧席の最上段に、濃紺のドレスを纏った女が立っていた。年は二十代半ば。黒髪を高く結い、宝石よりも視線の方が鋭い。護衛も付けずにそこへ立っているのに、場の空気が自然と彼女へ道を開けていた。
リゼがわずかに姿勢を正す。
「第一王女クラウディア殿下」
王女は優雅に微笑んだ。
「危険度評価としては十分でしょう。少なくとも、教会へそのまま渡すには惜しい」
その言い方に、教会側の観察員たちが顔を曇らせる。
クラウディアはレンを真っ直ぐ見た。
「レン・アーヴェル。あなたには今夜、七鍵会議に出てもらいます。あなたが見たものが本物なら、王国はもう『知らないふり』を続けられない」
王族直々の招き。
それは保護であると同時に、もっと大きな渦の入口でもあった。




