第7話:仮面たちの葬列
ローゼンブルク王国王都、大聖堂。
天井深くへと立ち昇る白檀の香りと、祭壇を埋め尽くす無数の白い花々。厳かに響く聖歌隊の歌声は美しく、国母マリアの最期を見送るにふさわしい荘厳な葬儀であった。
しかし、最前列に立つ五歳のエレノアの目には、この儀式がひどく異様で、冷たいものに映っていた。
(……嫌な音がする)
美しい聖歌の裏側で、幾重にも重なるドレスや軍服の擦れる音。ヒソヒソと交わされる、欲に塗れた湿っぽい囁き。
(誰も、お母様を見ていない……)
エレノアは、黒い喪服の裾を強く握りしめながら周囲を見渡した。
参列している貴族や大臣たちの視線は、花に埋もれたマリアの棺には向けられていない。彼らの目は、まるで値踏みをするように、最前列に立つ二人の王子の背中を交互に探っていた。
右側に立つのは、第一王子ガウル。
軍服に身を包んだ彼は、岩のように微動だにせず前を見据えていた。彼の背後には屈強な将軍たちが立ち並び、ガウルが放つ『次期王たる圧倒的な武』の威圧感を前に、傅いている。
左側に立つのは、第二王子レオン。
漆黒の細身の礼服を纏った彼は、哀悼の意を示すように目を伏せながらも、その背後では重臣たちと目配せを交わしていた。彼の周囲には、知略と財力を重んじる貴族たちが集まり、すでに『新たな権力構図』の構築へと動き出している。
この葬儀は、母の死を悼む場ではない。
どちらが覇王グレンの後の玉座を継ぐにふさわしいか――それを国内に誇示するための、最初の『戦場』だったのだ。
「お兄、様……」
エレノアは、縋るような思いで二人の兄の横顔を見た。
母が亡くなったのだ。あの優しかった母が、二度と目を開けないのだ。
なのに、どうしてそんなに冷たい顔をしていられるのだろうか。
だが、エレノアの位置からだけ、ほんのわずかに見えるものがあった。
腕を組み、泰然自若としているガウルの、手袋に包まれた拳。
それは、自らの掌から血が滲むほどに固く、震えるほど強く握り込まれていた。ガウルは知っているのだ。ここで一滴でも涙を見せれば、それは『王としての軟弱』と見なされ、軍部を束ねることはできないと。
優雅に会釈を返すレオンの、わずかに充血した瞳。
彼は決して瞬きをせず、不自然なほど口角を引き上げていた。レオンもまた、理解しているのだ。ここで立ち止まり悲しみに暮れれば、ガウルの武力に瞬く間に国を呑み込まれてしまうと。
兄たちは、泣きたくても泣けないのだ。
いつしか二人の肩には、『玉座』という重すぎる枷が食い込んでいた。。
そして、彼らの中央の椅子に腰掛けている男――覇王グレンは、もはや生ける屍だった。
焦点の合わない虚ろな目で宙を見つめ、聖歌の音も、背後で渦巻く政治闘争の熱も、何一つ感じ取っていない。ただ、抜け殻のようにそこに存在しているだけだった。
(……あの、黒いモヤのせいだ)
エレノアの脳裏に、母の最期を覆い尽くした『得体の知れない黒い何か』がフラッシュバックする。
あれが何だったのかは分からない。だが、あの悍ましいものが母の命を奪い、父の心を壊し、兄たちを遠くへ引き裂いてしまったことだけは、幼いながらに理解できた。
「お母様……っ」
恐怖と、誰にも理解されない孤独感。
エレノアの小さな瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。声を出して泣くエレノアを、周囲の貴族たちは「可哀想に」と口では言いながら、ひどく冷淡な目で見下ろしていた。玉座の争いに介入できない、ただの幼いお飾りの姫。それが彼らの評価だった。
息が詰まる。誰も助けてくれない。
エレノアがその場にしゃがみ込みそうになった、その時だった。
トン、と。
背後から、温かく力強い手が、エレノアの小さな両肩をしっかりと掴んだ。
振り返ると、そこには漆黒のメイド服に身を包んだクローネが立っていた。
喪に服す場であるため、彼女もまた口を引き結び、静粛を保っている。しかし、エレノアと視線が交差したほんの一瞬だけ、クローネは片目をパチンと瞑り、力強く頷いてみせた。
『私がついていますからね』
言葉はなくとも、その微かな仕草と肩から伝わる熱が、そう雄弁に語っていた。
周囲の冷たい視線など意に介さない、鋼のような忠誠心。
底なしの暗闇に突き落とされたエレノアにとって、その手だけが、唯一この世界に繋ぎ止めてくれる命綱だった。
葬列は続く。
国母を失い、覇王がその魂を失い、王子たちが玉座へと牙を剥く。
ローゼンブルク王国を照らしていた太陽は、今、完全に沈んだ。
そして――長きにわたる『夜』が、幕を開けた。




