第5話:濁った刃と不協和音
王宮の奥深く、日差しを拒絶したような薄暗い一室で、下品な笑い声が壁に反響していた。
豪奢なテーブルを囲むのは、軍務大臣ガザや宗教大臣ボニファティウスをはじめとする、王国の中枢を担う五人の大臣たちだった。彼らの手には、最高級の赤ワインが注がれたグラスが握られている。
「いやはや、見事な決裂ぶりでしたな。ガウル殿下は自らの剣に酔いしれ、レオン殿下は氷のように心を閉ざした。もはや、あの兄弟が手を取り合うことは未来永劫ありますまい」
「左様。武力で民を平伏させようとする兄と、姑息な策で国を支配しようとする弟。互いが互いのやり方を『悪』だと信じて疑わぬ様は、見ていて実に滑稽ですな」
ガザの言葉に、他の大臣たちがゲラゲラと醜悪な笑いを漏らす。
王国の危機を憂う忠臣の仮面の下には、果てしない権力欲が渦巻いていた。兄弟が争い、国の屋台骨が揺らげば揺らぐほど、彼ら悪徳貴族が裏から実権を握る隙が生まれる。
「両殿下には、このまま存分に国を掻き回していただきましょう。我々はその陰で、甘い蜜をたっぷりと吸い上げればよいのですから」
グラスが打ち鳴らされる乾いた音が、密室に響き渡った。
それは、ローゼンブルク王国が内側から腐り落ちていく、明確な破滅の合図だった。
***
――同じ頃。
五歳のエレノアが、専属侍女のクローネと共に、庭園の木の上から遠く練兵場を眺めていた、まさにその時。
王城の裏手にある修練場には、重苦しい沈黙が降りていた。
「……何度言えば理解できるのだ、レオン。お前の言う『知性』とやらでは、もはや暴徒は止められん。圧倒的な恐怖と力で首輪をつけるしか、この国を繋ぎ止める術はないのだ」
「だからこそ、兄上は短絡的だと言っているのです。力で押さえつければ、必ずどこかで反発が生まれる。感情で動くから盤面が見えなくなるのですよ」
ガウルとレオン。
偶然か、あるいは誰かの意図か。二人は誰もいない中庭で顔を合わせ、そして必然のように互いの統治方針を巡って激しく衝突していた。
「盤面だと? 人の命を駒のように扱う貴様のその冷たさが、どれほど民を絶望させているか分からんのか!」
「力任せに国を焼き払うあなたよりは、よほど理性的だと思っていますが」
レオンの言葉は、氷のように冷たく、そして鋭かった。
どれだけ言葉を尽くしても、決して交わらない。弟の瞳に宿る、自分を見下すような虚無の光。それがガウルの内にある苛立ちを、限界まで膨れ上がらせた。
「……言葉では、永遠に平行線というわけか」
ギリッ、とガウルが奥歯を噛み締める。
次の瞬間、彼は苛立たしげに舌打ちをすると、修練場の壁に立てかけられていた一本の重厚な木剣を乱暴に掴み取った。
「ならば、俺の正しさを貴様のその理屈っぽい体に直接刻み込んでやる」
「……野蛮な。結局はそうやって、暴力に逃げるのですね」
レオンは小さくため息をつくと、歩み寄り、細身の木剣を静かに引き抜いた。
決して相手を殺すための武器ではない。
それでも、その刃には明確な敵意が宿っていた。
互いの思想を、根こそぎ否定しようとする敵意が。
――ガアンッ!!
激しい衝撃音が、静まり返った中庭に弾けた。
ガウルの振り下ろした渾身の力の一撃を、レオンが木剣の腹で冷徹に受け流す。
かつて、二人がこの場所で汗を流していた時の音とは、まるで違っていた。
昔の二人の打ち合いには、互いを高め合うような、澄んだ弦や鈴のような心地よい響きがあった。
しかし、今の二人が交える刃からは、そんな美しい音は欠片も響かない。
ガアン! ゴッ! ガアン!!
ただただ冷たくて、重い。
相手を屈服させ、精神を叩き潰して主導権を奪おうとする、粘着質で暴力的なエゴの衝突。それはまるで、国を憂う純粋な思いが歪み、互いを否定するためだけに振るわれるその刃の衝突だった――そのひどく濁った嫌な音は遠く離れた木の上にいる妹の耳にまで届いていた。
「どうしたレオン! お前の知性とやらはその程度か!」
「……頭の悪い獣を相手にするのは、骨が折れますね」
誰もいない中庭に、果てのない不協和音が響き続ける。
それは、かつてローゼンブルクの双璧と呼ばれた兄弟の絆が、完全に砕け散ったことを告げる、絶望の音だった。




