第3話 初対面の幼馴染
結局、千夏は何日か入院することになった。まともに車と衝突したのに傷ひとつついていなかったらしいけど、記憶喪失のこともあって精密検査を受けるそうだ。
「ごちそーさま」
事故から数日が経ったある朝。いつも通りに朝食を食べ終えた俺は、ダイニングの椅子に座って一息ついていた。
「航平ー、千夏ちゃんはどうなの?」
「どうって?」
「事故に遭ったんでしょう? なんでも記憶がどうとか……」
「ああ……」
向かいに座っていた母親が、茶の入った湯呑を持ちつつ首をかしげている。千夏のことが聞きたいらしい。
「冬雪のお父さんが言うには、俺たちと一緒に過ごせば記憶が戻るかもしれないんだって」
「そうなのね。でも家族のことは覚えていて安心したって、千夏ちゃんのお母さんが言ってたわ」
「えっ、そうなんだ」
人間関係の記憶が失われたという話だったけど、家族のことは忘れていなかったのか。……本当に、俺たち幼馴染のことだけ覚えていないのかもしれないな。
「でもねえ、やっぱり病み上がりなのに一人で学校に行くのは大変だと思うのよ」
「まあ……そうだろうね」
「だから千夏ちゃんのお母さんに伝えておいたわ。うちの航平にまかせてって」
「えっ? それって――」
などと次の言葉を繰り出そうとした瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。
「ほら、来たわよ」
ニヤッと笑う母親。来たって言われても……誰が来たって言うんだ。いまいち釈然としないまま、腰をあげて廊下の方へと向かう。
「はーい、今開けます」
玄関の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。徐々に見えてきた来客の輪郭を見て、思わずハッと息を呑む。
「えっ……」
いつもとは違う制服姿に長身がよく映えて、気高い空気を生み出す。朝日に照らされて艶めく髪が、美しく風になびいて尾を引く。
「おはよう、航平……」
「ちっ、千夏……!?」
そこに立っていたのは、やや赤い顔をして俯いている千夏だった。
「にゅっ、入院は……?」
「もう検査も終わったから大丈夫だって。きのう退院したんだ」
「でも、朝練があるからっていつもはもっと早い時間に」
「えっと、部活はまだ様子見って言われたんだ。それでっ、航平に学校に連れていってほしくて……」
いつも溌剌としていた千夏が女の子のように照れている姿を見て、思わず面喰ってしまう。いや、女の子ではあるんだけど。なんというか……そういう存在だと思っていなかったから、どう接すればいいのか分からない。
「航平、どうしたの……?」
「いや……」
それにしても、本当に驚いた。普段の千夏はポニーテールにしているから、こうして髪を下ろすとやっぱり印象が違う。しかも滅多に見ない制服姿だから……まるで転校生の美少女でもやってきた気分だな。
「あらー千夏ちゃん、髪下ろしても可愛いじゃない」
「あっ! えっと……」
俺が思わず固まっていると、いつの間にか背後に母親が来ていた。両手で俺のリュックサックを持ち、ニコニコとして千夏の方を見ている。
「航平の母ですー。覚えてないだろうけど、私も昔からの付き合いなのよ」
「えっと……お世話になってます」
「いいのよ。それより航平、一緒に学校行ってあげなさいっ」
「ちょっ、母さん――」
「ほらっ、荷物ここにあるから!」
「ぐおっ!?」
気づいた時にはリュックサックを背負わされ、追い出されるように背中を押されていた。わっと驚いた千夏とは対照的に、母親はなんだか妙に嬉しそうな顔をしている。
「じゃっ、気をつけて行ってきなさいね」
「ちょっ――」
待ってくれよ、と手を伸ばしたときには玄関の扉が閉まっていた。……いくらなんでも急すぎる。だって、俺はまだ――
「外靴くらい履かせてくれよっ!!!?!!?」
靴下のまま、慌ててドンドンと扉を叩いたのだった。
***
「お、面白いお母さんだね」
「いーや、絶対にそんなことない」
ふたり横並びで大通りの歩道を歩きながら、いろいろと会話を交わす。駅までにかかる時間はおよそ二十分ほど。この間に少しでも話をして、記憶を取り戻すきっかけにしてもらえたらいいんだけどな。
「あのね、私のお母さんも『この際だから航平くんと一から仲良くなりなさい』って言ってたんだけど」
「いや、昔から母さんたちが勝手に言ってるだけだよ。気にしないでいいからね」
「そっ、そうなんだ」
「『結婚式場はどこにする?』とかよくからかってくるんだよ。幼馴染同士で結婚なんて有り得ないってのにね」
「結婚式場……」
気が早いというか、なぜそんな思考に至るのかというか。思春期の男女が二人でいるからって、付き合うとか結婚するとかそうそう――
「こっ、航平は白無垢とウエディングドレスのどっちがいいのかな?」
「えっ!!!?!?」
急に何を言ってんだこの幼馴染は!? なぜそんなに頬を赤くしている!?
「なっ、どうしたんだよ急に……!?」
「いやっ、その……聞いておこうと思っただけだから! 気にしないで!」
千夏は耳たぶまで真っ赤になって、両手をぶんぶんと横に振っていた。……びっくりした。何かの間違いかと思ったよ。
「……」
「……」
なんとなく気まずくなって、会話が止まってしまった。千夏はこちらと目を合わせようともせず、あさっての方向を見ている。でも、記憶を戻すためにも何か話さないと。
「そっ、そういえばさ。髪……下ろしてるんだな」
「えっ? ああ……部活に行かないから、別にまとめなくていいかなって」
「なるほどな」
「でも私、どうしてロングなんだろう? 短い方が動きやすいと思うんだけど……」
千夏は自分の前髪を触りながら、不思議そうに首をかしげていた。たしかに運動部ならショートヘアでもいいよな。でも、たしか……
「それはさ、むかし俺が千夏に言ったんだよ」
「言ったって、何を?」
「『髪は長い方が似合ってる』って。実際そう思ってるし」
「へっ、へえ……航平、長い方が好きなんだ」
なんだか千夏の受け答えがぎこちない。長い方が良いって伝えただけの話なんだけどな。やっぱりこれくらいのエピソードじゃ記憶は戻らないか。
「もしかして、いつもポニーテールにしていたのも?」
「ん? うん。結構ポニーテールって可愛いと思ってるからさ」
「かっ、かわっ……」
「でもお前には笑われたんだぞ? 男子って意味分かんなーいとか言われたし」
「私、そんなこと言ったんだ……」
照れたと思えば落ち込んだりして、今日の千夏はやけに感情豊かだな。でもやっぱり髪をまとめてる子は可愛いと思う。特に千夏みたいなスポーツ少女にはよく似合うけどなあ。
「二人とも、おはよう」
「ん?」
その時、背後から冬雪の声が聞こえた。俺と冬雪は登校時間が近いし、普段から道端で会うのは珍しいことじゃない。
「おう冬雪、おはよう――」
挨拶を返しながら、何気なく振り返ったつもりだった。しかし次の瞬間、俺は不意を突かれることになる。
「……えっ?」
「どうしたの航平くん? 私の顔に米粒でもついているかしら?」
澄ました顔で、わざとらしく首をかしげている冬雪。まるで何事もなかったかのような顔つきに、逆に違和感を覚える。
「いやっ、別に何もついてないけど……」
「良かったわ。じゃあ一緒に行きましょう?」
「いやっ、お前っ……!」
いや、どう考えても変だ。コイツこそ長い黒髪を下ろして、サイドに赤いリボンを結んでいるのが普通なのに――
「なっ、なんでお前がポニーテールなんだよおおおっ!!!?!?」
困惑する俺とは対照的に、冬雪はニコッと笑みを浮かべたのだった。




