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幼馴染の一人が【泥棒猫】にジョブチェンジしてから、俺の青春が修羅場ってる  作者: 古野ジョン
第一章

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第2話 記憶喪失

「千夏、いま何て言った……?」

「『はじめまして』って……私、秋乃だよ? 覚えてないの?」

「う、うん。はじめまして……だよね?」


 ――病室に入った俺たちを待っていたのは、ベッドの上できょとんとした顔をした千夏の姿だった。まるで初対面の人間と会っているかのような表情に、俺たち三人はただただ唖然とするしかない。


「千夏、怪我は……?」

「えっと……特に異常はないって。骨も折れてないって言われた」

「じゃあっ、なんでアタシたちのこと覚えてないの!? 幼馴染だよ!?」

「お……幼馴染? ごめん、本当に覚えてないんだ……」

「嘘っ、なんで……」


 病衣に身を包んで長い髪を下ろした千夏は、まるで別人のように見えていた。秋乃は脱力したようにその場にへたりこみ、真っ青な顔をしている。


「おっ、お父さん? どういうことなの……?」

「見ての通りだ。千夏さんは過去の記憶を失った状態にある」


 冬雪の視線の先には、病室の隅に立つ彼女の父親――この病院に勤務する脳神経外科医である――の姿があった。父親は眼鏡の位置を直しながら、首をかしげている。


「記憶喪失ってこと?」

「ああ。だが不思議なのは、器質的な異常が見つからなかったことだ。今後MRIで詳しく調べるつもりだが、少なくともCT画像に有意な所見はなかった」

「どういう意味?」

「こういう事故に遭った場合、脳にダメージが無くてもショックで一時的に記憶を失うことがある。千夏さんにもそれが当てはまるかもしれない」

「じゃあ、もしかしたら私たちのことを思い出してくれるかもしれないってこと?」

「絶対に記憶が戻る保証は出来ないが、可能性は少なからずある」


 その言葉を聞いて、少しだけ安堵した。秋乃もほっと胸をなでおろし、落ち着きを取り戻したかのように立ち上がる。一方で、千夏は目を丸くして俺たちのことを見回していた。


「ごめんね。本当に覚えてなくて」

「伊達航平だよ、聞いたことはない?」

「うーん……思い出せないや」


 顔をしかめて一所懸命に思い出そうとしてくれていたが、間もなく千夏は右手を横に振った。所作のひとつひとつは昔から見慣れていたものとまったく同じ。それなのに……俺たちのことは覚えていないのか。


「千夏ちゃん、桑折冬雪よ。小さい頃はよく一緒に公園で遊んだの」

「へえ……そうなんだ。何の遊び? キャッチボール?」

「ええ。あなたの剛速球で突き指させられたのは一生忘れないわ」

「えっ、なんかごめんね!? でも……やっぱり覚えてないよ」


 千夏の言葉に、冬雪は眉をひそめた。昔の思い出を共有して、記憶を取り戻すきっかけにしたかったんだろうな。冬雪らしい賢い方法だ。


 ……ちょっと待て。千夏はどうして「キャッチボール」なんて言葉を出したんだ。記憶を失ったのに、自分がソフトボールをしていることは覚えていたのか?


「千夏、小さい頃にキャッチボールが好きだったってどうして分かるんだ?」

「えっ? それは覚えてた、っていうか……」

「覚えてた?」

「うん。自分のこととか学校のこととかは結構覚えてるよ」


 思わず、俺たちは顔を見合わせ……一斉に冬雪の父親へと視線を向ける。


「お父さん、これは?」

「専門用語だと系統的健忘と言うんだが。どうやら人間関係の記憶だけがすっぽり抜け落ちているらしい」

「それって……」

「さっきも言った通り、記憶が戻る可能性もある。冬雪たちが今まで通りに千夏さんと接して、少しずつ思い出してもらうのがいいかもしれないな」


 よりにもよって、というのが最初に出てきた感想だった。あれだけ長い時間を共に過ごしてきたのに、どうして俺たちの思い出だけ零れ落ちてしまったんだ。


「すまない、これから手術なんだ。冬雪、何かあったら看護師を呼ぶように」

「あっ、うん」


 足早に冬雪の父親が去っていき、病室には俺たち四人だけが残される。冬雪は相変わらず険しい顔をしているし、秋乃はなんだか寂しそうな目をして俯いていた。


「ちょっと聞いていいかな?」


 その時、千夏が片手を挙げて問いかけてきた。冬雪と秋乃もハッと顔を上げて千夏の方に視線を送る。


「この三人の中で、私と一番親しかったのは誰?」


 一瞬だけ間が空いたあと――冬雪と秋乃が、何も言わずにじっと俺の方を見てきた。……そう思われてたのか、少し意外だな。


「だ、伊達航平さん? だよね?」

「呼び捨てでいいって。それで、どうしたの?」

「まずは一番近い人から話を聞くのがいいかと思ったんだ。私とこ……航平ってどんな関係だったの?」

「ああ、えっと……」


 千夏は首をかしげ、長い髪を揺らした。俺はベッドの方に少しだけ歩み寄り、腰を落として視線を合わせる。


「小学校に上がる前に知り合って、ずっと一緒の学校に通ってきたんだ。そうそう、俺たち同じマンションに住んでるんだよ」

「えっ、同棲してるってこと!?」

「いやいやっ、そうじゃなくて! 同じマンションの別々の部屋に住んでるってこと!」

「ああなんだ、びっくりしたあ……」


 ちょっと天然なところが千夏らしくて、思わず安心してしまう。記憶を失ったとはいっても、性格までは変わってないみたいだな。


「でもそっか、家が近いんだ」

「うん。今でもたまに互いの家に遊びに行ったりするよ」

「えっ、そうなの?」

「「えっ、そうなの!?」」


 冬雪と秋乃の驚く声が聞こえ、思わず二人の顔を交互に見てしまった。……あれ、知ってたと思ったけどな。


「……私と航平、そんなに仲良しさんだったんだ」

「うん。今年は違うクラスだけど、千夏はよくうちの教室まで遊びに来るし」

「へ、へえ……」

「あっ、そうそう。さっきなんかお前に食いかけのバナナを突っ込まれてさ」

「えっ、ええ?」

「要するに、俺と千夏は気の置けない関係なんだ」

「……」


 冬雪の真似をして、具体例を交えて話をしてみたのだが。千夏はもじもじとするばかりで、記憶を取り戻したようには見えない。……あれ、なんだか顔が赤いな。


「どうした、千夏? 具合が悪くなってきたのか?」

「あっ、大丈夫だから! そのっ、そんなに近くに来られると……」


 いつもの癖で額に手を当てようとしたら、千夏が両手をぶんぶんと振って体をのけぞらせた。記憶喪失とはいえ、いつもの天真爛漫さがないな。こんなに動揺した千夏はあまり見ることがない。


「本当にどうしたんだよ? ナースコールした方がいいか?」

「ちっ、違うの! ちょっと、いきなりいろいろ言われてビックリしちゃって……」

「あっ、そうだよな! ごめんな、矢継ぎ早に喋っちゃって」

「ううん、その……いいんだけど……」


 やっぱり様子がおかしいな。もしかして……何か思い出しそうになって混乱しているのか? それとも、急に俺みたいな見知らぬ男と会話して嫌になったのか?


「悪いな、いろいろ検査とかして疲れたよな。今日はもう帰った方がいいかな?」

「まっ、待って!」

「えっ?」

「いやっ、そのっ……不安だから帰らないでほしいって言うか……」


 少し慌てた様子で、千夏がシャツの裾を掴んできた。こんなに寂しがり屋さんだったかなあ? やっぱり事故の衝撃が大きいのかな。


「こ、航平?」

「なに?」


 さらに、千夏は俯きながら消え入りそうな声で名前を呼んできた。何か言いたげに口をぱくぱくと動かし、空いた左手の指先を動かしている。


「も……もしかしてなんだけど」

「うん」


 千夏は必死に唇を震わせ、なんとか言葉を紡ごうとしている。よく聴こうと思い、そっと顔を近づけると――予想だにしない質問が聞こえてきた。


「私と航平って、こ……恋人なの?」

「ぶふぉっ!?!?」


 俺と千夏が恋人!? 何がどうなったらそんな考えに行きつくんだ!? なんだよもう、顔を赤くしてたのはこれを聞きたかったからかよ……。


「いっ、いやあ……俺と千夏は恋人なんかじゃないよ。仲の良い幼馴染だって」

「えっ……そっか、そうなんだ」

「なあまったく、俺と千夏が恋人なんて――」


 笑っちゃうよなあ、なんて冗談を言うつもりで俺は背後に振り返った。きっと秋乃と冬雪も大爆笑しているに違いな――


「そ……そうよね……あああ、あんたが千夏と付き合うなんてああああり得ないわよね……」

「そそそそ、そうね……ちちち千夏ちゃん、じじじ事故に遭ったばかりでそんな冗談言っちゃいけないわよ……」


 ……あれ? コイツらなんでこんな引きつった顔をしているんだ? どうしてこんな気まずそうな顔をしているんだ?


「えっ……なに? 秋乃も冬雪もどうしたんだよ?」

「べべべ別に何でもないわよ。ちっ、千夏の記憶が早く戻るといいわね……」

「そっ、そうね……。航平くん、やっぱり今日はもう帰りましょうか……」

「えっ? ああ、うん。お前が言うならそうするけど……」


 怪訝な顔をした男子高校生と、やたら強張った顔をした女子高校生二名。周りから異様な目で見られながら、俺たちは病室をあとにしたのだった――

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