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神蝕のレギオン - sin shock of legion -  作者: kats(異)


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9/10

08

 ──早朝のJR秋葉原(あきはばら)駅前、電気街口西側広場。


 大きな街路樹が、ぶちぶちと鈍い音を立てて引き抜かれていく。その離れ(わざ)を為した異形(いぎょう)は、巨木の質量など物ともせずに頭上に掲げると、ぼくを圧殺するために勢いよく投げつけてきた。

 飛んでくる巨木の陰に紛れ、投げた異形も同時に肉薄する。見事な隠形(おんぎょう)だ。回避したとしても、その隙を狙って本体が襲いくる二段構え。

 手強いその異形の額には、大小二本の角が突き出ていた。


 このままだとまずい、そう思った瞬間、右腕が爆ぜるように熱を帯びた。溢れ出る力。ぼくの指先から真っ白な糸が複数紡ぎ出されると、イメージのままに、街路樹と異形をまとめて絡めとろうと伸びていく。ククリヒメの権能(けんのう)だ。

 しかし、異形はそれを嘲笑(あざわら)うかのように、ナイフのように鋭い爪で一閃する。その一撃に、ハシヒメさえ捉えた拘束の糸が、驚くほど呆気なく宙に霧散した。


「下がれ! (りょう)!」


 その時、背後から──この十数日ですっかり聞き慣れた声が響いた。


()(いつ)(まつ)る、掛けまくも(かしこ)水波能売神(みづはのめのかみ)。 清き御水(みづ)()をば、(とが)りては(やいば)と成し、広ごりては網と成し。 狙ひ定める禍事(まがごと)を、()つに切り裂き、(はら)退()(たま)え!」


 声の主、秋葉水波(あきはみなみ)が、その良く通る声で祓詞(はらえのことば)を紡ぐと、突き出した両手の先、彼の眼前に、渦巻く水が蜘蛛の巣のように展開していく。展開したそれは、キラキラと光を反射しながら射出され、街路樹ごと潜んでいた異形の影を包み込む。


「やった!!」


 確実に捕らえた──ぼくの目にそう映った水の網は、そのまま何の抵抗もなく街路樹と隠れていた異形を通り抜ける。

その瞬間、異形の口元が動き、何かを呟いたような気がしたが──


「……正面から敵う相手ではない、か」


──ぼくの耳には届かなかった。

直後、異形は街路樹ごと(さい)の目状にバラバラに切り刻まれ、赤い飛沫(しぶき)を秋葉原駅前の石畳にぶちまけた。


「すごい……!!」


 沈黙が戻ってきた駅前に残されたのは、つい先ほどまで敵だった肉片と、鼻を突くほどに生臭い、大量の鮮血だけだった。


「他のやつらは?」

「こいつが最後だ……多分な」


 敵は複数いたはず……ぼくが水波に確認をすると、彼は周囲への警戒を解かぬまま短く応じた。


「自分の意思で権能を扱えるようになってきたのはいいんだけど……やっぱりまだ安定しないな」


 権能発動による疲労は、以前ほどにはなかった。しかし──。

 そう呟きながら送った視線の先には、他にも二体、同様の残骸が転がっていた。

 ぼくがたったの一体に手間取っている間に、水波が一人で処理した異形たちだ。

 結局全て水波が倒すことになった。


 秋葉家に世話になるようになってから、修行に、こういった手合いの対応に、常に水波が一緒に行動してくれている。

 そのせいもあって、今ではすっかり信頼できる相棒(バディ)という感じだ。


「まぁ、亮が力を得てからまだ半月程度だ。仕方ねぇっちゃ、仕方ねぇんだけどな」

「ゔ……もっと修行しないとね」


 今では水波も、すっかり歯に絹を着せぬようになっている。

 ……まぁ彼に関しては元々そういう性格だったのかもしれないが。


 しばらく待って他に何も現れないことを確認すると、ようやく水波も緊張を解き、大きく息を吐き出した。

 ぼくはバラバラになった、かつて異形(てき)だった()()を見下ろし、ここ数日の出来事を思い出していた。



 ◇ ◇ ◇



 ハシヒメとの一件の後、ぼくたちの前には『神』と称する異形が幾度(いくたび)も現れた。

 しかしそれらは、ぼくたち人間がイメージする神様というよりも、どす黒い欲望を煮詰めた『怪異(かいい)』と呼ばれる存在に近かった。

 なによりオモイノカネやハシヒメのように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()圧倒的な『格』が、備わっていなかった。


 その辺りの事情をハシヒメに尋ねたところ──


『『客神(まろうどがみ)』だの何だと、聞こえの良い名を騙ってはいても、所詮は土足で境界を侵す、()()()()()()()()()に過ぎませんわ。正しき(あるじ)たるわたくしたちのこの地を、無遠慮にも食い荒らそうだなんて、その浅ましさ、身の程を弁えぬ醜悪(しゅうあく)さに吐き気がいたします』


 と、どうやら彼女的にも思うところがあるようだった。


 (ほむら)さんの話によれば、ハシヒメは『橋姫』、今となっては嫉妬の化身と思われがちだけど、元々は橋などの境界を守る神様だったそうだ。他の神々が、時代の潮流と共に流れ去ることを受け入れる中で、彼女だけは境界に爪を立て、その場所を愛し、呪い、留まり続けている存在なのだという。

 その執念が外から来た神々に対して、苛烈な拒絶となって表れているのだろう。そして彼らは、今の混乱に乗じて、正統な『神の座』を掠め取ろうとしているらしい。

 ぼくに権能を押し付けてきたオモイノカネたちとは、また別種の脅威、ということか。

 最後にハシヒメは言った。


「貴方様にはお強くなっていただきますわよ」



 ◇ ◇ ◇



 強くなるため──その修行の一環としてはじめた早朝ランニングの最中に、またもや襲われたという訳だ。


 自称『神』の少女が秋葉(あきは)神社に現れたのは、そのすぐ後のことだった。

 結界を破る術こそ持たないようだったが、彼女は臆することなく職員に声をかけ、堂々とぼくたちを呼び出した。


 そして今、神社の鳥居を境界線として、ぼくと弥花(みか)、秋葉姉弟、そしてカエルのぬいぐるみに身をやつしたハシヒメは、その少女と対峙している。


 見た目通りならば歳の頃は妹と同じ中学生くらい、頭に乗せたキャスケットからは金色の髪が覗き、後ろで二つにまとめられている。服装は迷彩柄のTシャツの上に透かし編みのカーディガンを羽織り、ショートパンツに厚底のスニーカーを履いていた。

 その様子はすっかり人間社会に馴染んでいるように見える。

 だが、焔さんが問いを投げかけた瞬間、その()()()()()()()は脆くも崩れ去った。


「尋ねてきた神様っていうのはあんたかい?」

「フフフ……あたいはオモイノカネ様の(つか)いだよ」


 その口から()れたのは、幼子の、老人の、あるいは男の、女の──何十人もの声が泥のように混ざり合った、(おぞ)ましい不協和音だった。

 脳を直接掻き回すような不快感に、弥花と水波も表情を歪めていた。


「ねぇねぇあんたたち。ハシヒメなんて仲間にしちゃって、本当に信じてもいいの? その娘はすぐに感情に流され、正常な判断もできない(ほう)けモノじゃぞ? オモイノカネ様の元に()()せ参じれば──この世の栄華(えいが)も思いのままだよ?」


 まるで、老人と少女が交互に喋っているようだった。

 その姿もピントが狂ったようにぼやけて見える。声が入れ替わるたびにその輪郭が変貌していく。

 ただその視線だけは一貫してぼくを捉え、品定めを続けているように見えた。


 いつもの電子タバコを片手に、焔さんが更に問いかける。


「いきなり心理戦かい? その前に名前くらい名乗ったらどうだい」

(わし)はただの使いっ走りじゃよ……名乗るような名前は持ってないよ!」


 しかし質問には答えず、はぐらかす少女。

 質問の答えは別のところ、ぼくの肩の上に乗っているハシヒメの口から告げられた。


「その吐き気を催すほどに濁った言霊(ことだま)、アメノサグメではありませんこと?」

「ハシヒメ、こいつが誰か知ってるのか?」

「その(いびつ)()り方……相も変わらず、人の心に泥を投じて回るのがお仕事なのね。わたくしと同じく深淵に連なる者とは申せ、八百万(やおよろず)の神格を汚す不浄、精々端くれとしてなら数えて差し上げても構いませんわ」


 どうやらハシヒメ的には、目の前の少女──アメノサグメ──と同列に扱われるのは我慢がならないらしい。彼女の言葉の端々からは、隠しようのない拒絶が伝わってきた。それでも、アメノサグメが神の一柱であることは間違いないようだ。


 ──それとは別に、アメノサグメの名前を聞いた時、焔さんが訝しげな表情を浮かべていたのが気になった。


「なんじゃあ、お(ぬし)ハシヒメか。おかしな格好になりよって……全くよく言うわぃ、尻軽女が。……裏切ったのはそっちでしょー! でも戻ってきたければいつでも戻ってきていいんだからね!」


 爺さんが話しているかと思うと少女に。

 あまりの変貌ぶりに、ぼくも少し頭が痛くなってきた。

 アメノサグメの視線が、ぼくからハシヒメに移る。


「勘違いなさらないで。 わたくしが見つめていたのは、最初(はじめ)からこの方という『(うつわ)』……ただそれだけですわ。 そして今、それは何物にも代えがたい、わたくしだけの至宝なのだと確信しておりますの」

 

 そう言うとハシヒメはぼくの頭にしがみついてきた。

 嫉妬という執着心の強い神様……しかも今はカエルのぬいぐるみ姿。

 これが人間の可愛い女の子だったら嬉しいんだけどね。


「……痛っ!?」

「今、余計なこと考えたでしょ!」


 全くもってその通り。勘の鋭い妹に思い切り太ももをつねられていた。

 そんな妹の姿を、アメノサグメの視線がなぞっていく。

 自分という存在のすべてを覗き、暴こうとする、粘つくような視線だった。

 その視線が今、妹に注がれている。

 弥花の顔からはみるみる血の気が引いていった。


「大丈夫か?」

「うん……でも、自分の中を踏み荒らされているみたいで、すごく……気持ち悪い」


 妹も受けた視線から何かを感じ取ったようだ。

 ぼくは一歩前に出て、妹への視線を遮った。


「神の身を捨ててまで、濁った土塊(つちくれ)に成り下がりたいだなんて……。 そのような卑しき願いに、わたくしがただの一度でも、心を寄せたとお思いかしら?」


 ハシヒメが続けて話しかけると、アメノサグメの視線は彼女(カエル)に戻る。


貴女(あなた)こそ、一体どのような目論見(もくろみ)があって、そのような走狗(そうく)の真似事をなさっていますの? 貴女のその浅ましくも歪な本性が、大人しく神々の使いに収まるはずがありませんでしょう」


 ハシヒメは最初から、アメノサグメの言葉を信じていないのだろうか?

 元々の気位の高さもあってか、(あお)りに煽っていく。


「およしなさいな。濁りきった水底に住まう者が、今更清流の使いを気取ったところで、滑稽(こっけい)なだけですわよ?」

「ならお主はその人間と一緒にいて、何をしようというんじゃ? 人間を土塊呼ばわりして見下しておるくせに……あんたこそおかしいじゃーーーーん!?」

「そこまでにしな!」


 白熱しそうになった神々のマウント合戦を、焔さんが一喝した。

 一喝とともに吐き出された、電子タバコの真っ白な水蒸気が、二柱の神の間に壁のように広がっていく。


「ハシヒメも一旦引きな。そっちのあんた、遣いだっていうなら要件を済ませてもらおうか」


 焔さんの放つ凄みに、神であるアメノサグメが一瞬気圧されたように口を(つぐ)んだ。


「ふん……オモイノカネ様は、其処(そこ)な器……いや、人間との会話を望んでおるのじゃ。死が嫌なのであれば、寿命が尽きるまで首輪をして飼ってもいいよーーーーって言ってるよ!」

「何言ってやがんだこいつぁ……話になんねぇぞ! ごるぁ!!」

「そーだそーだ! お(にい)をなんだと思ってるのよ!!」

「えー? 何を怒ってるの? 生かしてあげるって言ってるんだからーぁ……平伏して感謝するところじゃろうが!?」


 あまりに傲慢な提案。

 しかし神の視座からすれば、それは慈悲にも近い最大限の譲歩なのかもしれない。

 ぼくは呆気に取られるしかなかったが、隣で必死に憤ってくれる二人の存在に、胸の奥が温かくなるのを感じていた。

 自分のために怒ってくれる人がいる。幸せなことだ。


「もー面倒くさーーーーぃ! とにかく! オモイノカネ様に会う気になったら、あたいの名前を呼ぶといいよ! 呼べばすぐに儂が飛んでくるからのぅ! 会えば必ずお主のためになろうて! だから会ったほうがいいんだからね!」


 アメノサグメはそう叫ぶと、忽然と姿を消した。

 そのあまりの唐突さと呆気なさに、かえってぼくは不安を覚えてしまう。


「あれ……いなくなっちゃった?」


 弥花もいきなり相手がいなくなって戸惑っているようだ。


 嵐が去った後の境内には、ただ、神社本来の静けさだけが横たわっていた。

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