09
「アメノサグメか……焔さん、何か心当たりがあるようでしたけど……」
ぼくたちは秋葉邸の茶の間に集まり、先ほど尋ねてきた神について話し合っていた。
ぼくと弥花、秋葉姉弟、ハシヒメの、四人と一柱である。
「そうだね、聞いたことのある名前だったのさ。それもあまり良い記憶じゃなくてね……」
焔さんは電子タバコを深く一服すると、立ち昇る水蒸気の先を見つめながら、遠い記憶を掘り起こしているようだった。
その様子を見て、ぼくの頭の上に座る、カエルのぬいぐるみ姿のハシヒメが短く言った。
「あれは、決して信を置いてはならぬ者ぞ」
「……やはりそうか」
ハシヒメの言葉と自分の記憶の一致を確認するように、焔さんは独りごちた。
「今日現れた天探女は、天邪鬼の語源とも言われている神だよ」
「「天邪鬼!?」」
焔さんの言葉に、ぼくと弥花の声が重なった。
「天邪鬼って、人の言うことやすることに逆らったり反抗したりする……あの天邪鬼ですか?」
「うん。神話では主人を唆し、死に導いたと語られている。それゆえ人心を操り、破滅へと導く、悪意の象徴とも言われているのさ」
「恥知らずの極みにございますわ」
ぼくの疑問に焔さんが答え、ハシヒメは辛辣な意見を述べた。
「ということはさっきの話も、疑った方がいいのかな?」
「あの声と視線、すっごく気持ち悪かったー!」
「あいつの言葉を額面通りに受け取るのは、危ないかもしれないね……」
相手の誘いに乗ってもし罠だったら、おそらくぼくたちは無事では済まないだろう。
何せ相手は神、しかも遣いを寄越したということは、行った先では他の神も待っているかもしれない。
「……さすがに今回の誘いは、乗ったらバカを見るだろうね」
焔さんも素直に従う気はないようだ。
ただ、電子タバコの甘い水蒸気をくゆらせながら、まだ遠くを見つめている。
多分今後の対処方法を考えているのだろう。
「オレ……茶を入れてくるよ」
ちょっとした沈黙が場を支配したその時、水波はそう言って立ち上がり、キッチンに向かった。
「あたしも手伝うーーーー!」
弥花もその後を追いかける。
あの二人は、なんだかんだうまくやっているようだ。
……弥花が餌付けされただけかもしれないけど。
茶の間には二人と一柱が残された。
ふと思ったことをハシヒメに質問する。
「ハシヒメはオモイノカネに言われて来たんだっけ?」
頭上でもぞもぞと動く気配。
ハシヒメが座り直したらしい。
「正確には、少々語弊がありますわ。此度の件、神々の間に、誰が上で誰が下などという序列など存在いたしません。皆、それぞれが己が情念、己が思惑に従い、勝手に加わっているに過ぎぬこと」
「共通しているのは、器──亮を利用して人間になるってことだね」
ハシヒメの言葉に焔さんが応じる。
「それもどこまで……。わたくしのように、人間の皮など被りたいとは、露ほども思わぬ神もおりますれば」
ハシヒメの言葉はぼくと彼女の間にある垣根を、改めて、残酷なほど明確に突きつけてきた。
この先どれだけ一緒に過ごしても、ハシヒメの考え方が変わることは無いのだろうか。
「そも、わたくしが最後にまみえた折、オモイノカネは随分と無様に擦り切れておりましたわ。あのような、ただ場を乱すしか能のない小娘を使い、不格好な策を弄するなど、とても……。八意思兼ともあろうお方が、もはや一滴の知恵も絞れぬほどに干らび、今にもすべてを投げ出すような……そんな惨状でしたもの」
焔さんの口から、ため息のように大きく、水蒸気が吐き出された。
「まいったね……当面、何か動きがある都度、対処していくしかないか」
「……ですね」
結局今ある情報では、こちらから動くことはできないことがわかった。
再び茶の間に沈黙が降りる。
「しかし、あのバカ。茶を入れるのにいつまでかかるんだい! すっかり喉が渇いちまったよ」
そう言うと焔さんはドカドカと足音を立てて、キッチンに向かう。
「ぼくも手伝いますよ」
弥花の様子も気になったので、ぼくもその後を追いかけた。
◇ ◇ ◇
お茶を用意しにキッチンに向かったはずの、水波と弥花。
だが、ぼくたちがキッチンに足を踏み入れると、水波は意識を失った状態で床に倒れ、弥花の姿はどこにもなかった。
コンロには薬缶がかけられたまま、しゅんしゅんと音を立てて湯気を出している。
テーブルの上には丁寧に人数分並べられた湯呑みと、小皿に盛られた蓬餅。
ほんの今し方まで、弥花がそこにいた確かな証拠だけが、残酷に放置されていた。
倒れている水波に焔さんが駆け寄る。
胸元を掴み頬を左右に叩くと、水波は意識を取り戻した。
「う……うぅ……」
だが開かれた双眸には光が無く、虚空を彷徨うばかりで焦点が合わない。
そのただ事ではない様子に、焔さんは素早く懐からジッポライターを取り出す。そして鋭い金属音を響かせて着火した炎を、水波の眼前に翳し、祝詞を口遊んだ。
「掛けまくも畏き火之迦具土大神、請い願わくは仰ぎ見奉らん。御前に侍る者の心の緒を、結び繋ぎて固め給え。 外つ国の禍事、荒ぶる干渉を、防ぎ拒みて絶ち給え。炎の揺らぎを以て、灼き沸し、熔かし接ぎ給えと、恐み恐みも白す。」
炎が揺れる。ゆらゆらと規則正しく揺れる。水波の瞳も炎を追って、ゆっくりと振り子のように揺れ始める。
刹那、炎が爆ぜた。
灼熱の火花が散ると同時に、水波の瞳に鮮烈な光が戻る。
何かがカチリと噛み合ったかのように、彼は己の意識を取り戻した。
焔さんの腕を掴んで叫ぶ。
「姉ちゃん!! 弥花が……弥花がアメノサグメに連れて行かれた!!」
水波の叫び声を理解しようとぼくの脳が熱を帯びる。
キッチンには、すっかり沸騰した薬缶から聞こえる、カンカンという甲高い音だけが響いていた。




