03
握り拳ほどの大きさのそれに、いち早く気がついたのは焔さんだった。
対応も素早く、彼女が動きはじめてから対処を終えるまで、ぼくはもちろん水波くんも、全く動くことができずにいた。
彼女は懐からジッポライターを取り出すと、くるくると手元で回し、金属音を響かせて着火する!
そして何やら抑揚のついた呪文のようなものを、口遊む。
「恐み恐みも宣り奉る! 火之迦具土大神、我が信じ奉る 大神、祓え給い、清め給え、火の御力にて焼き祓い給え!」
するとジッポの炎が回転しながら膨れ上がり、真っ赤な錐のような形に変形する。
彼女が指を鳴らすとそれは、目にも止まらぬ速度で布団の上に転がる真っ白な塊に突き刺さり、一瞬でそいつを焼き尽くした。
部屋の空気も燃え上がるように一瞬焼きつき、ぼくの肌もちりちりと焦げるような感触があったが、不思議なことに布団は一切燃えず、焦げ跡も残ることはなかった。
「姉ちゃん、そいつ……!! それと同じモノが、事故現場にバラバラに落ちてたんだよ。警察で消えちまったって死体も、そいつに変わっててよ」
「これは 高天から葦原に堕ちてきた穢れよ。この部屋の清浄な空気に触れることで力を取り戻そうとしたのね」
「つまり、神様のいる世界からオレたちの世界に現れた何か……ってことか?」
水波くんがリュックサックの中を確認する。
「だめだ。いくつか拾ってきたはずだが、全部消えちまった」
「そ、そうだ! カバンの中には妹への誕生日プレゼントが ── !!」
水波くんからリュックサックを奪うようにして受け取ると、中を急いで確認する。
中から出てきたのは、半分潰れてしまった小箱だ。
おそるおそる包装をはがし、潰れて変形した箱を強引に開ける。
「……よかった」
箱の中身は無事だった。
妹からのリクエストで、父母が遺した指輪をサイズ変更し、ぼくたち用のペアリングにしたものだ。
ちょっと気恥ずかしくもあるが、唯一遺された形見だ。
妹と一緒に身につけておくのも悪くない。
カバンの中には他に、スマホと財布が入っていた。
とりあえずはその二つがあればなんとかなるので、ぼくはひとまずほっとした。
ぼくが荷物の確認をしている間に、水波くんは一度部屋を出ていき、しばらくしてから戻ってくると、焔さんに何やら報告をする。
「念の為、神社の周囲の様子を見てきたが、特に異常はなかったぜ」
「結界はきちんと効いているみたいね」
「あぁ。追加でもう一枚、ミヅハノメ様の結界を重ねてきたったぜ」
どうやら家の周りを見回ってきたらしい ── が。
結界? ミヅハノメ様? 一体何のことだ?
さっきのスクナヒコナ様というのもそう。
完全にぼくだけ蚊帳の外だ。
さすがにそろそろ、昨夜からの出来事に答えが欲しい。
「あの……あなたたちは一体……。今の白いやつは……穢れっていうのは何ですか? 昨日起こったことについても何か知ってるんですか!? オモイノカネってやつは……!!」
一度疑問を口にすると、次から次に言葉になって溢れてきた。
「落ち着いて。昨日から色々とあって不安なのはわかるけど、ここなら大丈夫だから」
「姉ちゃん、こいつは一体誰なんだよ?」
「そうね。この子ももう大丈夫みたいだし。一旦お茶でも飲みながら、それぞれの持っている情報を交換しましょうか」
そう言うと秋葉姉弟は立ち上がり、お茶の用意をするためにキッチンに向かった。
◇ ◇ ◇
寝ていた部屋の襖と障子の向こうには、小さめの境内が広がり、ここが古い神社だということがわかった。
なるほど、道理で部屋の中も趣がある作りになっているわけだ。
そういえば水波くんも、踵落としをくらった時に秋葉神社って言っていた気がする。
お茶の用意をしてもらっている間に、戻ってきたスマホをチェックすると、妹から鬼のように通知が届いていた。
「完全にご立腹だな……誕生日をスルーしちゃったわけだしそりゃそうか。後が怖いぞこれは」
少しでも怒りの炎を抑えるために、一旦、無事なことだけでも連絡しておくことにした。
まだ何が起こっているのかわからないというのもあるし、終わったのかもわからない。
万が一にも妹を危険に巻き込むわけにはいかない。
ちょうどメッセージを送信したところに、秋葉姉弟がお茶を持って戻ってきた。
「お待たせー。氏子から頂いたハーブティーがあったから、それにしたわ。リラックス効果もあるから、今の八尋くんにはちょうどいいでしょ?」
そう言った焔さんが持つトレーには、およそ和室とちゃぶ台には似つかわしくない、おしゃれなティーセットと洋菓子が乗っていた。
後ろにいる水波くんがエプロンを着けているところを見ると、実際にお茶の準備をしたのは彼なんだろう。
「神社だから緑茶に和菓子かと思いました」
「おいおい、いくらうちが神社だからってイメージが貧困すぎねーか?」
「ゔ……確かに。グウの音も出ません」
「ふふ。お供えのお下がりでよければ、それもあるわよ?」
「あ、いえ、これで大丈夫です」
ちゃぶ台のまわりに座り話をはじめるぼくたち。
スマートにスーツを着こなす焔さん、リーゼントにスカジャン、ニッカポッカにエプロンの水波くん。
そしてなぜか特攻服のぼく。
端から見たら何の集まりなのかさっぱりわからないだろうな。
「思ったより似合ってるじゃねえか、特攻服」
「そんな服しかなくてごめんね、八尋くん」
「ああん!? そんな服ってどう言う意味だよ姉ちゃん? イカすだろうが!?」
「そのまんまの意味でしょ」
そう。ぼくの服はズタボロだったので、水波くんから着替えをお借りしたのだ。
それがこれっぽっちも思いもしなかった、特攻服だったというわけ。
「いえ、服はボロボロになってましたし、着替えを貸してもらえて助かりました。洗濯してからお返ししますね」
「ほれみろ。こいつは喜んでるじゃねーか」
「他に着るものがないからでしょ」
「ああん!?」
喜んでいるわけではなかったが、このままでは一向に話が進まない。
一旦姉弟の言い合いは無視をして、強引に話を進めることにした。
「あの、ぼくを助けてくれたのって焔さんでしたよね?」
「そうよ」
「偶然通りかかるには、ちょっとおかしな場所でしたが……」
ぼくが倒れていたのは、お店もやっていない深夜の商店街。
普通なら誰も通ったりはしない。
「もちろん偶然じゃないわ」
焔さんはハーブティーを一口含み、ゆっくり香りと味を楽しんでから続ける。
「私たちはこの秋葉神社で神職に就いているの。一般にイメージされるのは神主として祭祀を司り、神と人との仲立ち……つまり地域の安寧のために尽くすことね。まぁ、今となっては形式だけで、神様が本当にいるって信じてる人は少ないでしょうけど……八尋くんは神様の存在を信じてるかしら?」
突然問われて、ぼくはすぐには答えられなかった。
とりあえず、今思っていることを正直に話す。
「え……っとその……すみません。信じていませんでした、昨日のことが起きるまでは。あ、でも今は何かしらの存在がいるって考えています……なんとなくですが」
「正直でよろしい」
「ま。そんなもんだよな実際」
正直に話したことで焔さんは褒めてくれ、水波くんは不貞腐れたように受け止める。
「私とこの弟の水波はね。神の御力を身に降ろして、実際に起こる超自然的な『禍事』の対応、処理をしているの。子供の頃からこういった事件に触れ合っていたせいか、周りからはちょっと変な目で見られることもあってね」
不貞腐れた水波くんの方を見ながら、焔さんが補足してくれた。
なるほど。水波さんの態度はそう言う理由か。
「ふん……そんなんじゃねぇってば」
「ここからは推測になるけど、昨夜八尋くんが遭遇したのは単なる事故じゃない。神と呼ばれる存在が干渉した『禍』なのよ。私は神の力を感じて、駆けつけたってわけ……信じられる?」
「信じます」
今度は即答した。信じられるも何もない。昨夜の事件、ついさっき起こったこと、どちらも今までの常識では考えられない、まさに超自然的な出来事だったのだから。
ぼくは無意識に、昨夜喰い千切られた右腕をさすっていた。
後になって思い出すと、秋葉姉弟はその時のぼくの仕草に気がついていたと思う。
「それで……」
「は、はい」
「八尋くんこそ、なぜあの時間にあの場所にいたの? 一体何があったのかしら?」
「ところどころ記憶が抜け落ちてるんですが……昨日は学校の帰りに妹と待ち合わせていたんです。ただ踏切事故で電車が止まっていたので、遅れるって連絡しようと、ホームでスマホを取り出そうとした時……後ろから誰かに押された、ような」
「その時何かおかしなことを感じたりした? 例えば周りの人たちが妙に怒りっぽくなっていたとか」
懸命に記憶の糸を手繰ってみる──
「多分……問題なかったと思います。もちろん電車の遅延でイライラしている人もいましたが、ぼくが押されたのもおそらくホームが人でいっぱいだったからで……」
どんな小さなことでも見逃すまい、聞き逃すまいと、ぼくの話を二人は真剣に聞いていた。
「その後は、電車に轢かれた自分の体がバラバラになって飛んでいくところを、この目で見ていました。多分……頭も千切れて飛んでたんでしょうね」
痛いというよりも、一瞬で巨大な質量に潰されたという感じ。その時のことを思い出すと、あまりにも生々しい感触が蘇ってきて、全身が身震いした。
一旦心を落ち着けるために、入れてもらったハーブティーをいただく。カップを持ち上げる際、震えが伝わり、ソーサーとぶつかる音がカチカチと小さく響いた。
「そうね……私たちが観た動画でもそう見えたわ。ちょっと遠い固定カメラでぼやけてはいたけど」
「お前、自分の体がバラバラになるところを見てたのかよ……きついな、おい。茶……おかわりいるか?」
水波くんはぼくの身に起こったことを想像して、心配してくれたようだ。
たった今飲み干したカップに、すぐおかわりを入れてくれた。
「つまりオレは、その時に飛ばされたお前のリュックを回収してきたってわけだな」
ぼくがバラバラになった時の映像は、事故から5分後にはYoutubeにアップされていたらしい。
もしかしたら、妹も観ているかもしれない。
「あ、そうだ! その時です!」
「んぅ?」
水波くんはハーブティーを口に含んだところだったため、変な声を出した。
「意識が消えていく……死ぬと思ったその時、ぼくの存在そのものが押しつぶされるような、圧倒的な何か……『声』のようなものが頭の中に響きました。『見つけたぞ!』、と」
しかし話した内容に、二人は目を合わせ頷いた。
「姉ちゃん」
「間違いないわね。何らかの神の干渉よ」
二人の言葉に改めて、自分に身に尋常ではない何かが起こったのだと思った。
「いくつもの声が重なっているように聞こえたかも……です。すみません、断言はできないんですが」
「ふむ……」
「次に気がついた時は高架下の商店街に倒れていて、そこでオモイノカネと名乗る、さっきの白い塊に質感が似た、人の形をした何かに襲われました」
「「オモイノカネ!?」」
ぼくが途切れ途切れの記憶の糸を手繰りつつ、襲ってきた何かの名前を告げると、二人の顔色が変わった。
「あれが何か、知っているんですか?」
二人があまりにも緊迫した表情に変わったので聞いてみる。
「オモイノカネは八意思兼とも言われてるわ」
「数字の八には古代、『たくさん』とか『数えきれないほど多い』って意味があってな。おら、八百万の神とか八百屋とか聞いたことくらいあるだろ?」
「つまり、さまざまな思慮を兼ね備えた、日本神話屈指の知恵の神って意味ね」
二人は交互に、お互いの話を補完するように教えてくれた。
「お前、天照大御神が隠った、天の岩戸の話を知ってるか?」
「子供の頃に絵本で読んだことがあります」
「あの時、天照大御神を誘い出す計略を立てたのがオモイノカネだ。つまり神々の相談役みたいなもんだな」
「え…えっ!? な、なんでぼくが、そんな存在に襲われたんでしょうか? それに知恵の神と言われるには、あまりにも野蛮だったというか……」
あの時、右腕を喰い千切られ、目の前で喰われたこと。
接触することでオモイノカネの記憶を垣間見たこと。
その時何かの権能が発動し、オモイノカネを撃退したこと。
今思い出せる限りの全てを二人に伝えた。
「どうやら、普通ではあり得ないことが起こっているようだぜ?」
「……私があんたを見つけた時には、右腕はなんともなかったわ」
オモイノカネの名前を聞いてから、焔さんの言葉遣いが、若干ぶっきらぼうになっていた。
さっきまでの水波くんへの態度から察するに、こっちが素なのかもしれない。
「オモイノカネの脳内をのぞいた時、頭が破裂しそうになったんだろ? 今は大丈夫なのか? そいつの記憶は全部覚えてるのか?」
「いえ……視たこともない神々が、ぼくを使って人間になろうとしていること。そのためにぼくの中に神の権能が捨てられ、ぼくが狙われる……それくらいです。頭に入りきらなかった情報は、咄嗟にこの右腕に圧縮した……んだと思います。多分」
「ふむ……。姉ちゃん助けて?」
重々しく頷いた後、水波くんは焔さんに助けを求めた。
彼にもよくわからなかったらしい。
「とりあえず、今わかっていることを整理しましょう。まず神々について。理由はわからないけど、神々の……おそらく一部が、その責任・義務を放棄して、人間になろうとしている」
「一部なのか?」
「私や水波が神の権能を降ろせることを考えると、カグツチ様やミヅハノメ様は関与していないと考えられるわ。あまりに多くの神がその立場を放棄するなら、この葦原もただでは済まないでしょう」
「ただで済まないって……」
「少なくとも人間は生きてはいられないでしょうね」
「えぇぇ!? ほんとにぃ?」
あまりに規模の大きな話で、水波くんも半信半疑なようだ。
構わず焔さんは話を続ける。
「次に。神が権能を捨てるための『器』、それがおそらく八尋く……亮、あんたね」
ついでにもう言葉遣いは気にしないことにしたらしい。
その方がこちらも気が楽か。
「オモイノカネの記憶を読む権能、右腕を再生した権能、情報を圧縮した権能、オモイノカネを撃退した権能……それらの権能を併せ持つ神を、少なくとも私は知らない。あんたの中にはすでに、四柱の権能が入っているのかもしれないわ」
四柱、柱は確か神様を数える時の単位だ。
つまりぼくの中に四人の神様の権能が入っている、ということか。
「そういえばオモイノカネは撃退際に、ククリ……なんとかって言ってたような」
「ククリヒメか!」
「あ! そうです、そんな名前でした」
さすが神職。
水波くんは、ぼくのうろ覚えの神様の名前を、すぐに言い当ててくれた。
「ククリヒメは、イザナギとイザナミが仲違いした時に仲裁したと言われている神様よ。そのため絆を司る神様とも、生者と死者の仲裁を司る神様とも言われているわ」
「あまり有名な神様じゃないんだよな……他に何をしたとか知らねぇし」
「何でその名前を呼んだのかしら……?」
二人が特に今回の件への関わりを思いつかないってことは、ぼくが聞き間違えたのかもしれない。
意識を失う直前だったから。
ぼくは思ったことを二人に話す。
「……もしかしたら聞き間違いだったのかもしれません」
「じゃあ……そうね、この件は一旦置いておきましょう。話を戻すわね。オモイノカネは人間になろうとしていた」
「そのためには神の権能を捨てないといけないんだったな、姉ちゃん」
水波くんが丁寧に確認する。
「そう。でも権能を捨てた神は神に非ず。オモイノカネが野蛮な行動に走った理由は、そこにあるのかもしれない」
「オモイノカネの『あとは器さえ破壊してしまえば、我は人間になれる』って言葉も気になるぜ。お前が器という仮定が合っているとしたら……権能を捨てた神々は、最終的にお前の命を狙ってくるってことだよな?」
「そんな……」
神々に襲われる。そんなのどうしようもないじゃないか。
そう思った瞬間、脳裏にフラッシュバックが起きた。
──『ただその方法には問題点がある』
「あ。あ、あ……思い出しました! オモイノカネは『問題点がある』と言ってました! 『神の権能を器に注いでしまうため、破壊するためには直接手を下さねばならない』、と!」
ぼくの言葉に二人は黙る。
しかし黙っていた理由は真逆だった。
「つまり……どういうことだ?」
「権能を器に注ぐ……。つまり、器に注いだ権能は、もう使えない!」
焔さんの言葉に、ぼくは少し光が見えた気がした。




