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「お兄!」
ぼくの胸に弥花が飛び込んできた。
その頭を優しく撫で、怪我をしていないか確認をする。
「大丈夫だってば! 水波くんが助けてくれたんだから!」
「本当に大丈夫なのか?」
心配が過ぎるかもしれないが、あまりにも常識からかけ離れた状況なのだ。
決してシスコンではない。
「本当だって。羊羹食べて寝てただけだもん」
「羊羹?」
ぼくは戻ってきた水波と硬い握手を交わす。
「水波……ありがとう」
「ふっ。任せろって言ったろ!」
そこに背後を守ってくれていた焔さんが駆け寄ってきた。
「アメノサグメを捕らえたんだね……やはり元凶はそいつだ。鬼どもはすっかり戦意を失って座り込んでるよ」
そう話す焔さんの目は、空間に括られ、宙に固定されているアメノサグメを見ていた。
長の方を確認すると、彼の表情も元の温和なものを取り戻し、がっくりと項垂れている。
「それじゃあ、あとは……オモイノカネの行方だけですね」
ぼくの言葉を聞いた焔さんは、固定されて身動きが取れないアメノサグメに手をのばし、少し乱暴に顎を押し上げた。
「焔よ、其奴の言葉には注意せよ」
いつの間にかショルダーバッグから出て、ぼくの肩まで登ってきたハシヒメが、ひんやりとした双眸で宙吊りの彼女を射抜く。
「……分かっているさ。こいつは人の心の隙間を見つけ、そこを抉るのが専門だろう?」
ぼくや水波と違い、焔さんは始めから油断はしていなかった。
ここまで一度も、アメノサグメの言霊は彼女には通用していない。
ぼくが水波に視線を送ると、意図を汲んだ水波が弥花を背後に庇った。
今度は……今度こそは! ぼくたちだって油断はしない!
括り止められ、焔さんの手で顎を無理やり押し上げられたアメノサグメは、キャスケットのひさしに隠すようにして、いやらしく細めた目でこちらを見ると、くすり、と不気味に鼻を鳴らした。
「あーーーーあぁ。捕まっちゃった。器がどんなかちょっと見たかっただけなのに……失敗ったわぃ、儂も耄碌したもんじゃ」
……なんだこの違和感は?
まだ何か隠しているのか?
ククリヒメの空間固定からは逃げられないはずだ。
なのに、彼女には余裕が戻ってきているような気がした。
「オモイノカネはどこだい? 一体何が知りたかったんだ?」
そんなアメノサグメの言霊には一切反応せず、焔さんは端的な質問だけを口にした。
「敢闘賞じゃ。その質問には答えてやろう。オモイノカネが何を考えているかなぞ儂ゃ知らんわ。お主らを呼び出すために利用しただけ……つまり嘘じゃ」
「何だと!?」
アメノサグメの言葉にぼくたちはざわめいた。
「儂ゃ本当に其処な小僧の状態を見たかっただけじゃよ」
だがハシヒメは彼女の行動に疑問を持ったようだ。
「おどけなさいますな。この大掛かりな舞台……お主一人の浅知恵ではあるまい? 事もあろうに鬼までを唆し、汚らわしい手駒として利用してまで、貴方様の尊き権能を値踏みしようなど……。その背後で糸を引く、卑しき『誰か』の影が透けて見えますことよ」
ハシヒメの言葉を聞くと、アメノサグメはより一層いやらしく嗤った。
「……く、くく。流石は古き神の一柱、宇治の橋姫。鼻が利くわぃ」
老人の濁った笑い声。
すると、彼女を縛り付けていた白銀の糸が、内側から染み出してきた不浄な神気によって黒ずみはじめ、嫌な音を立てて軋み始める。
ぼくの指先に不快感が逆流してくるようだった。
「まずい……糸が解れる!?」
これがアメノサグメの本当の力なのか、それともぼくのククリヒメの力が未熟なのか。
ぼくがそんな事を考えている間に、焔さんと水波は祓詞を唱え始める──
「……禍津日神」
──しかし、アメノサグメの発した言葉に二人の詠唱は止まり、あの焔さんの顔から、血の気が引くのが分かった。
ハシヒメでさえも、その神気が一瞬、揺らいだように感じた。
「ここまでじゃ! 妹御よ……羊羹は美味かったか!?」
アメノサグメを括り付けていた銀糸が、漆黒に染まり、灰のごとく崩れて溶ける。
「あ、あ……」
それと同時に彼女が発した言葉に、水波の後ろにいた弥花の瞳から、ロウソクの炎が消えるように光が失われた。
虚ろな瞳のまま、弥花はポケットからフォークを取り出す。
まさか……その後起こるであろうことが信じられず、ぼくは身体が動かなかった。
「弥花? ……どうし」
呼びかける水波の言葉が終わるより早く、弥花の腕がぎこちなく、しかし迷いなく振るわれた。
銀色の切っ先が、無防備な水波の脇腹へと深く突き刺さる。
「がぁっ!?」
呻き声を上げ、脇腹に刺さったものを、信じられないという表情で見ている水波。
彼の純白の特攻服が、じわじわと紅く染まっていく。
ぼくたちはみんな……何が起こったのか理解をするのに、ほんの少し時間を要した。
その一瞬の隙をつかれる。
「くっはははは! 良い顔じゃあ、実に見事な顔じゃあ! 信頼? 友情? 家族? ……そんな脆い糸で括った絆なんて、不浄の一滴でこの通りなんだから!」
老人の濁った声が、次の瞬間には残酷な少女の響きに変わる。
自由を取り戻し、空中で高笑いするアメノサグメ。
彼女は指を鳴らすと、自らの背後にゲートを出現させる。
「次はその糸でうまく結べるといいね……絆? あっはははははははははははぁ!!」
ぼくと目を合わせそう言い捨てると、彼女はゲートを潜り、何処かへと消え去った。
弥花の瞳には、水波の純白の特攻服が、炎のように、紅く染まる姿が映し出されていた。
フォークを握る手が震え出し、その瞳に再び光が戻ってくる。
小さな手からこぼれ落ちたフォークが、固く踏みしめられた地面にあたり、小さく鈍い音を立てた。
わずかな静寂。
「え……あれ? 何で? ……いやぁぁあぁぁぁっっ!!」
静けさを取り戻した広場に、弥花の叫びがこだました。




