15
囲炉裏に焚べられた炭が爆ぜ、パチリと音を立てた。
吊るされた薬缶にはお湯が沸き、そのお湯で淹れたお茶が、ぼくたちの前に出されていた。
襖一枚隔てた隣の部屋からは、水波のいびきと、それに寄り添うように静かな弥花の寝息が聞こえてくる。
◇ ◇ ◇
「お兄! 水波くんのお腹から血が……どうしようどうしたらいい!?」
「いててててて……そこ触んじゃねぇよ! おいこるぁっててぇぇ!」
弥花は混乱していた。
そしてぼくたちは結局、アメノサグメに出し抜かれてしまった。
まさか、弥花が操られるなんて……。
「貴方様の持つククリヒメの権能で、傷口は縫い付けることができましょう」
「……!」
ハシヒメの言葉に権能は使い方次第──いや使う者次第で応用が効くことに気付かされた。
ぼくはさっきの要領で、今度は水波の傷口を縫い合わせるイメージを膨らませていく。
そして右腕に意識を集中させると、先ほどアメノサグメや長を捕らえた時とは違い、指先からはゆっくりと糸が繰り出される。ぼくは慎重に、その糸で彼の傷口を縫い合わせていった。
「いててて……もっとちゃちゃっとやってくれや!」
「文句を言うな……はじめてやってるんだぞ」
「全く、呆れたものです。貴方様のなされることに、分不相応にも口を挟もうなど……トサカ頭がいい度胸ですこと。大体、女子の力で、それも研がれた刃ですらない物で付けられた傷でしょうに。貴方様、その喧しい口をこれ以上開けぬよう、ついでに縫い合わせて差し上げてくださいませ」
「そうだよ! お兄のやることは正しいのだ! ……でもお兄、できるだけ痛くなくやったげて? ね?」
あーもー。どいつもこいつもうるさいな……こっちは集中してるんだぞ!
とにもかくにも、傷口はきれいに縫えたようだ。多分。
「ほう……私が傷口を焼くより、ずっといい塞ぎ方だ。弟を助けてくれてありがとう、亮」
処置の跡を見て、焔さんから礼を言われた。
「いえ、そもそも弥花を助けてもらったし……お礼を言うのはこっちです」
水波の傷の処置が済んだところで、焔さんは長の方に向き直る。
糸からはすでに解放してある。
わずかだが鬼には治癒能力があるようで、耳を焼かれた鬼たちの火傷はすっかり元に戻り、傷の癒えた彼らは、こちらの治療の様子を遠巻きに眺めていた。
「とりあえず──どこか話ができる場所を用意してもらおうか。長よ」
◇ ◇ ◇
囲炉裏の前でぼくは、傷を縫い合わせた時の指先の感覚を思い出していた。
破壊や拘束ではなく、壊れたものを『結び直す』感覚。それは、アメノサグメが否定した『絆』という名の糸の、ククリヒメの権能が持つ、本来の姿のように思えた。
「……さて、長。そろそろ、あんたたちがあの女に何を吹き込まれたのか、聞かせてもらおうか」
焔さんの低く、しかし熱を孕んだ声が、静寂を破る。
長は手にしていた湯呑みを置き、深く、畳に額がつくほどに頭を下げた。
「まずは謝罪させていただきたい。彼奴に操られていたとはいえ、申し訳ない事をした」
「あの女も神様の一柱……その権能の怖さは私たちだって知ってるさ。お互いに水に流そうじゃないか。幸い、私たちもあんたたちも無事だったしね」
「かたじけない……!!」
長は再び頭を下げる。
「……皆様方は、この町をどのように思われましたか?」
そう聞きながら上げた長の顔は、沈痛な面持ちだった。
「どのようにって言われてもね……私も隠世を見たのは初めてだけど、実際に目の当たりにすると見事なもんだと思ったね」
「それは……ありがとうございます」
焔さんの褒め言葉を素直に受け取れない何かがあるようだ。
ぼくは最初ここに来た時に思ったことを、長に伝えてみた。
「その……正直なところ、こぢんまりとした印象で、映画のセットみたいだなって思いました。人の活気みたいなものも感じませんでしたし……」
「それは──なるほど、確かにそうだね」
ぼくの発言に焔さんも同意してくれた。
隠世は『術』としてはすごいものなのかもしれない、でもぼくにはそれがわからなかった。
凄腕の術師である焔さんが、違和感にすぐに気づけなかったのはそのせいだろう。
「その通りです。……この町はあと200年もすれば消えてなくなるでしょう」
「な……」
「え……!?」
ぼくたちの反応は予想通りだったのか、長はそのまま話を続ける。
「この町には我等鬼は26名しかおりません。あ、いや……今朝方皆様に倒された3名を除くと、23名です。これは種として産み増やすための最低人数を割っています。我等はゆるやかに滅びに向かっているのです」
ぼくは絶句した。
ぼくたち人間よりも強靭な肉体、治癒能力、術の行使──それどころか、土地によってはぼくたち人間の信仰の対象にすらなっていたはずだ。
その種が滅びに向かっている、と。
「そんな折、あの女……アメノサグメが現れたのです。彼女は言いました。古き神の権能を宿した『器』が現れた。その権能を正しく導き、鬼の血と結び合わせれば、お主たちの刻は再び動き出すであろう、と……」
長の言葉に、ハシヒメが鼻で笑う。
「ふん……いかにもあの性悪が好みそうな、毒入りの甘菓子ですこと」
「……その通りです。しかしなぜかその時の我等は、そんな簡単な毒にも気づけませんでした。みなその器を破壊し、古き神の権能を奪い、我等の未来を取り戻そうと考えたのです」
それは……。
「アメノサグメの権能に操られてたんだね」
「……はい」
焔さんは懐から電子タバコを取り出し、吸おうと──
「っと、すまない。吸ってもいいかい?」
「どうぞ」
──長の確認を取ってから、ゆっくりと甘い水蒸気を吸い込んだ。
「……鬼族はそこまで弱くない。通りで私たちが広場に来た時、あんたは礼儀正しく交渉をはじめたわけだよ。アメノサグメと離れていたことで、呪縛が弱まっていたんだ」
「あ……」
ぼくはその時の事を思い出した。
突然アメノサグメが暴言を吐いたことを。
『いいから器を寄越せってんだよー! 大体人質を取られてる分際で、儂らと交渉できる立場じゃと思っておるのか!? あたいが妹をぶっ殺したっていいんだよー! お主ももっとはっきりと言ってやらんか、腰抜けめが!!』
「あの時、弱まっていた呪縛をかけ直したんだ……!!」
ぼくは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼女が突然ヒステリックに叫び出したのは、単なる癇癪ではなかったのだ。
「あの女は『本当に器かどうか確認する必要がある。間違っていたところで人間が一人、土に還るだけ』。そう言って、今朝方の襲撃と相なった次第です。結果、全く歯が立たず、人質を取るような卑劣な行為に及ばざるを得なくなりました……」
長が項垂れ、そう話を結ぶと、隣の部屋に続く襖が勢いよく開く。
そこには寝ていたはずの水波が立っていた。
「あの時、鬼を倒しても消えなかった嫌な気配は、あの女だったのか。こっそり覗いてやがったな……くそ女がぁ!」
そう言い放ち、ぼくの隣までズカズカと歩いてくる。
隣にどっかりと座り込むと、ぼくのお茶を一気に飲み干した。
「あったまくるぜ、ほんとによぉ!」
そういえば鬼を倒した後も、水波はなかなか警戒を解かなかった。
隠れていたアメノサグメの存在を察知していたのか……。
「……もう動いてもいいのか?」
「こんなちまっとした傷で、いつまでも倒れていられるかっての! 傷なんて呼べるもんでもねぇしな! こんなん、唾つけとけば治る!」
これなら、本当に大丈夫そうだ。
開いた襖の方に目をやると、襖の影から弥花が覗いていた。
「……ほんとに? 大丈夫?」
「何度も言わせんな! なんともねーっての!」
そう言って傷口をバンバン叩く水波。
弥花がほっとした表情に変わり、囲炉裏を囲む輪に加わった。
本当に優しいやつだ……ありがとな、水波。
「ふっ……愚弟にしてはよくやったな」
「なんだよ姉ちゃん……気持ち悪ぃ」
秋葉姉弟のやりとりに、弥花が小さく吹き出した。
その笑い声を聞いて、ぼくの胸のつかえもようやく取れた気がした。
「……おい長。あの女は消えちまったが、あんたらの『刻』が止まってるってのは、今も変わらねぇんだろ?」
不意を突かれたように顔を上げた長に、水波はニヤリと不敵な笑みを向けた。
「俺の腹どころか、空間まで縫っちまうような、とんでもねぇ『結び』の力を持つ男がここにいるんだ。あのくそ女の嘘なんて、こいつが本物の『希望』に変えちまうかもしれねぇぞ?」
「……そ、それはまことで」
彼はぼくの背中をバンバンと叩きながら、とんでもない事を言い出した。
でも……。
「今すぐは無理ですが……そのうちなんとかできるかもしれません。なんとなくですけど」
そう、自信なさげにぼくが答えると、囲炉裏の炭が、パチリと大きく爆ぜた。
それはまるで、止まっていた町の時間が、再び動き出した音のように聞こえた。




