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「弥花を助けに行きます!!」
熱を帯びた脳が情報の処理を終えると同時に、ぼくは叫んだ。
ぼくの感情に反応してか、右腕が、そこに宿った力が熱くなっていくのを感じる。
「バカ……わざわざ敵の謀略に嵌まりに行くやつがあるかい!」
「でも、妹には何の力もないんですよ!? 今頃どんな目に遭っているか……!!」
制止する焔さんへ、自分でも驚くほど刺々しい声をぶつけていた。
彼女が言っていることは、ぼくだって頭ではわかっている……頭では。
すると、ハシヒメが口を開いた。
「……けれど、些か妙ですわね。此処は、この橋姫から見ても見事と称えて良いほどの結界が敷かれておりますわ。カグツチにミヅハノメ……そしてハニヤス。少なくとも三柱の加護が、濃密に絡み合っておりますでしょう? それだけの守護がありながら、この有様とは……」
「でも実際に妹は攫われて……!」
「それが、このわたくしにさえ一切の気配を悟らせなんだ。……そも、結界というものは力任せに打ち砕けるものではございません。例えそれが、どれほど身の程知らずに強大な神であろうとも、ね」
ハシヒメの話によれば、今回の出来事はよほどイレギュラーらしい。
しかしそんなこと今はどうでもいい。
問題は弥花が無事かどうかだ!
「さすが境界の守護神、その通りよ。確かに結界には何も反応はなかった。今だって正常に機能しているのに……」
ハシヒメと焔さんが結界に侵入されたことに驚き、その理由を話し合っていると、意識を取り戻した水波が、その場に俯き座り込んだまま、苦しそうに声を絞り出した。
「……すまねぇ」
その場にいる全員の視線が水波に集まる。
水波はもう一度、肩を振るわせながら謝った。
「……すまねぇ、オレだ」
「あんたまさか……!?」
焔さんが何かに気がついたように声を上げた。
「オレが……アメノサグメを招き入れたんだ」
両の目から涙を流しながら、彼は言った。
彼の言葉を聞いてぼくの脳は一気に沸騰した。
右腕の力がザワザワと蠢き膨らむ──
「……亮!?」
ぼくが何をやろうとしたのか、ぼくより先に気がついた焔さんが、止めようとする。
だが、ぼくはそんなこと一切構わず、溢れ出る力を水波に向かって叩きつけようとした──
「落ち着きなさいな、貴方様! ……これは小娘の権能──『耳打ち』や『不和』が招いた醜態に過ぎませんわ」
頭の上に乗っていたハシヒメの言葉にはっとする。
水波に向かって振り上げた右腕。そこから溢れ出した、目の前の全てを圧壊そうとしていた力が、ハシヒメの一喝で霧散した。
沸騰していた脳に、冷水を流し込まれたような衝撃だった。
ハシヒメの声には、あらがえない重圧──神としての絶対的な『格』が宿っていた。
それがぼくを止めた。
しかし頭の中にはまだ微かに、脳を掻き回されるような違和感がある。
その違和感を振り払うように、ぼくは頭を何度も振った。
「あの小娘の浅ましい術理に、其処な術師が惑わされた……ただ、それだけのことにございます。この手の小賢しい術理は、単純な者ほど容易く毒されるものですわ」
アメノサグメの権能──
ぼくたち二人が落ち着くまで、一旦話し合いは中断した。
◇ ◇ ◇
いつもの茶の間に集まっている。
目の前のちゃぶ台には、焔さんが淹れてくれたお茶と、弥花が用意してくれた蓬餅が乗せられているが──まだ誰も手をつけてはいない。
ぼくと水波は、ひどく消耗していた。
知らず知らずの内にアメノサグメの権能に侵されていたのだ。
心身ともに怠かった。
「あの時……おそらくあいつの『声』に、私たちの精神の影響を及ぼす権能があったんだね。気がつかなくてすまなかった」
焔さんがぼくたちに向かって謝っていた。
秋葉神社の鳥居を挟んでアメノサグメと対峙していた時。
ぼくたちは既にあの女の術中に陥っていたんだ。
「焔が頭を下げることではございませんわ。未熟ゆえ、ですもの。わたくしも貴方様のことばかりに気を取られ、其処な術師がこうも見事に権能に嵌っていようとは、思いもしませんでしたわ」
「水波は正面からぶつかる力技には強いんだけどねぇ……こう見えて素直に育ってるからね」
はっきり言ってしまえば、素直すぎて、だまされやすいってことか。
本来なら水波の良いところのはずが、今回はそこを敵に利用されてしまったんだ。
焔さんにフォローをされても、当の本人はまだ項垂れたままでいる。
「けれど。朧げながら、敵の正体がその輪郭を現し始めましたわ」
「……そうだね。結界抜けだけならまだしも、わざわざ人質を取るってことは……敵はたいした権能は持ち合わせていない」
「その通りにございますわ」
敵の姿が見え始めたら、そこからは早かった。
百戦錬磨の焔さんがテキパキと指示を出した。
「最優先は弥花の安全確保。おそらく敵は自分たちに有利な場所を戦場に選ぶだろう。私の神降しで一人姿を隠すから、他の面々が敵の注意を引いている間に、隙を見てそいつが弥花の身柄を確保、そのまま護衛につくことにする。その役目だが……」
「そいつはオレにやらせてくれ……!!」
焔さんの作戦に、間、髪を入れず、水波が声を挙げた。
彼はぼくに向き直り、まっすぐな目で訴えてくる。
「今回の件は完全にオレのミスだ。お前の大切な妹を危険に晒しちまった。……だが、だからこそこの手で助けたい!」
彼は両の手で強く握り拳を作ると、それを畳に押し付け、頭を下げた。
「……頼む!!」
畳についた両の拳が震えていた。
本当ならぼくが、ぼく自身の手で弥花を救いたい……けど。
ぼくが焔さんの表情を伺うと、彼女は黙って頷いて見せた。
「力の安定しないぼくじゃ、ぼくだって不安ですからね。……頼りにしてますよ、水波!」
「あぁ! 任せろ!!」
そう言って顔を上げた水波の表情には、さっきまでの落ち込んだ気配は欠片も残ってはいなかった。
「それじゃあ、弥花は水波に任せるとして、ぼくや焔さんはどう行動します?」
「まぁ、あとはなんとでもなるだろ?」
お茶をすすりながらあっけらかんと答える焔さん。
「でも、敵の罠かもしれないんじゃ……」
「今言った通りさ。人質を取るなんて、自ら力が無いって認めてるようなもんだからね。弥花さえ取り返せば、後は──」
「後は……?」
「──踏み潰す!」
そう言って、飲み干した湯呑みをちゃぶ台に叩きつけるように置いた焔さんの表情は、圧倒的強者のそれだった。
焔さんの話が終わるタイミングを見計らったように、頭上からハシヒメの言葉が降ってくる。
「貴方様のお傍には、このわたくしが控えておりますれば」
──この二人は強い。
それは間違いないんだろうけど……。
ちょっとした不安と共に口にした蓬餅は、もう固くなり始めていた。




