61.兄と弟
バティストに連れて来られたのはこの町の領主の館。とは言ってもこの町を含む一帯は国の直轄地であり領主は居らず、中央から派遣された行政官が業務等を取り仕切っている。
その建物の奥まったところにある一室へとトーリは案内された。
「宰相様はこちらでお待ちです」
パリッとした燕尾服を来た年配の男が扉を軽く叩くと中から入れと響く声。
バティストは領館までトーリを連れて来るとそのままさっさと立ち去った。トーリに顔を見せなかったからと言ったが、その本人だって同じ穴の狢なのだ。だからとっとと逃げだした。
トーリは小さく息を吐くと扉を開けた。
部屋の奥、机から立ち上がりこちらへと来た、国の宰相でありデディエ家の当主クロビィス。便宜上自分の兄にあたる男。濃いブラウンの髪にバティストと同じ黒い目、だだしその表情は息子とは違いとても柔和なものである。
「久しぶりだね、トーリ」
「中々顔を見せずに申し訳ありませんでした」
「いや、君の元気な姿を見れたのだから構わない。――さ、こちらへ」
促されソファーに座るとクロビィスは対面の席に腰を下ろす。
トーリは目の前の男を眺める。前に見た時よりも白髪もシワも増えたようだ。宰相という立場だ当然苦労も多いのだろう。
同じようにトーリを見返したクロビィスはフッと頬をあげた。
「君は本当に変わらないな」
「…バティストにも言われましたよ」
「あの子とは仲直り出来たかい?」
「いいえ、まだ嫌われたままです」
「ふーん…、あれだけ君に懐いていたのにねぇ。あの頑固さは誰に似たんだか」
穏やかに笑いながらクロビィスはベルを鳴らし、入って来た使用人にお茶をいれるよう頼んだ。
誰に似たなど一人しかいない。表情と雰囲気で誤魔化されているがバティストはクロビィスに似ている。ただバティストが持ち得ないものを沢山持っているだけ。じゃないと国を仕切る宰相になどなれるはずがない。
お茶が入るのを待ってトーリは口を開く。
「で、僕を呼んだのは何のためです?」
使用人はもう出て行き今は二人だ。会話の内容を気にする必要はなくった。なので切り出したトーリだけども、クロビィスはゆったりと仕草でカップを持ち上げる。
「うん、いい香りだ。これは北部の高地から取り寄せた茶葉だ。君もまずはお茶を楽しんだらどうだい?」
「…僕にお茶の良し悪しはわかりませんよ」
「美味しいものは誰でも美味しいと思えるさ」
それは確かにそうだ。口で勝てるとも思えないのでここは素直に従う。
自分でも美味しいとわかるお茶。シィアが喜びそうだと考えながら嗜んでいると、唐突に問われる。
「それで探し物は見つかったかい?」
「え、あっ」
トーリはお茶を零しそうになり慌てる。当のクロビィスは既にカップを戻していて、申し訳なさそうな顔をトーリに見せるが、きっと表情ほどには思ってはいないだろう。
「…いえ、まだ見つかってはないですよ」
「ふむ。百年以上かけても見つからないのであれば、もう無くなったとは考えないのかい?」
穏やかで感情を見せないクロビィス。その言葉の裏にあるものを探ろうとするが男の方が完全に一枚上手である。
生きてる長さで言えばトーリの方が上なのに。
流石権力の中枢で今もトップに立ち続ける男だと素直に感心する。
「貴方には言いませんでしたっけ? 無くなったのあれば僕が今なおこのままであるはずがないので」
「……なるほど」
どこまで理解したのかわからないけどクロビィスは顎に手を当て頷く。そして急に話を変えた。
「ところで君、子供が出来たんだって?」
「は?」
「おや、違うのかい」
「…違います。ある子供の保護者になっただけですよ」
「変わらないだろう、言い方の違いだけで」
「……」
その言い方が問題なのだが、絶対にちゃんと報告を受けているはずだ。
「でもその子はバナシア殿の身内で間違いないのだろ? なら保護者は終わるのかい?」
その通りにクロビィスはそう続け、トーリは言葉に詰まった。表情が苦いものを飲んだようになる。
「それはシィアが、…保護したあの子が決めることなので」
それが一番大切なことだ。
だけど法的な話であれば本当の身内に引き渡すのが当然で。この目の前の人物は、そういったことの全てを取り仕切るトップな男であるのだ。
どう出るつもりだと見つめていればクロビィスは少し目を見開いたあとに、きゅっと口角をあげた。
「は…、はは、君のそんな顔が見れるとは」
どんな顔だと言うのか。でもそれは珍しく、本当に思わず零したというような笑いだった。
まあ本来そんな些細なことに国の宰相が口を出すことはないだろう。けれど、シィアの母親がそうであると言うなら。
トーリはちょうど良いとばかりにこちらから探りをいれてみることにした。
「そう言えば、天の幕が見られたって聞いたんですけど」
「ん? ああ、そうみたいだな」
「みたいだなって…」
「だってそうだろう、まだ何も起こっていないのだから。それに私が焦ると周りが動揺する。泰然と構えてる方がいい」
クロビィスは背もたれに身を預け、言葉通りな余裕のある様子を見せる。
しかし、もう誰も知らない百二十年振りに起こるかもしれない有事なのに、そう言い切れるのには当然理由があるはずだ。
「クロビィス、貴方のその余裕は、十二年前にも経験があったからなのでは?」
十二年前ならクロビィスはまだ宰相ではなかったが、次官としてそのすぐ近くで働いていたはずだ。当然知らないはずはない。
背もたれに身を任せ腕を組んだクロビィスは常に浮かべていた笑みを深くする。
「十二年前ね…。…うん、確かに天の幕が目撃されたとかそんな話はあったな。けどそれはその後何もなかったという報告で終わったはずだが」
「ええ報告ではそうでしたね」
「…何か含みのある言い方だねぇ。報告が虚偽であると?」
「そこまでは言いませんよ」
負けじとこちらも口角をあげた。
「それで、天の幕が見られたルトロと言う村はヴァルベスト領だったと思うんですが、合っていますか?」
「ふむ、そうだな。ルトロという町がヴァルベストにあったのは確かだ」
「……、…あった?」
「だから定期的に顔を見せろと言うんだよ。ヴァルベスト領は七年ほど前に返上されて今は国の管轄下になっている」
「返上?…何故?」
「良くある単純な話だ、領主が没落して領の維持が出来なくなったからだよ」
穏やかな顔でそう語るクロビィスをジッと見つめる。何か綻びはありはしないかと。
今回和解になる前の、決裂となった原因はログニアのある都市でバインガレエズが領主館を襲撃したことが発端で。幸い死者は出なかったが、領館で働いていた人間には重傷を負った者もいて、その上に領館は半壊と成り果てた。
一夜の襲撃、目撃者の報告では狼獣人であったと。それが何人居たのかはわからないし、目的が何だったのかもわからない。けれどこんなことが出来るのはただの獣人であるはずがないと帝国側は結論づけた。バインガレエズでしかない――と。
それにログニアにからの抗議にもバインガレエズ側からの反論はなく、ただ沈黙だけが返ったことも決定打になった。
そしてその襲撃された都市こそがヴァルベスト領の領都であり、領主が住まう館であったのだ。
読めない笑顔のクロビィスを見つめたままトーリは眉間を寄せる。
その天の幕からの落し子がシィアの母親で、襲撃の犯人がシィアの父親だと繋げるのは些か早計だろうか?
「その領主は――」
トーリが続けようとしたところに扉のノックが鳴った。
「入れ」の声のあとに入って来たのはトーリを案内してくれた燕尾服の男。クロビィスの側に来ると小さく耳打ちをする。
「…は、約束などしてなかったはずだが」
クロビィスは怪訝の中に僅かに不快を混ぜた声を零す。珍しいことだ。そして視線をチラリとトーリに向けた。
誰かが訪ねて来たのだろうことはわかった。そりゃあ首都にいるはずの宰相がこんなとろこまで出て来ているのだ。顔を繋ぎたいと思う者も大勢いるだろう。
トーリは小さく息を吐く。この人から聞き出すのは元から無理だ。それならば今もらった情報から自分で調べた方が早い。
「お客でしたら僕はもう失礼しますよ」
「ん? …まあ、そうだな…」
その声はどこか思案しているようなものであったが了承でもあった。
トーリがソファーから立ち上がるとクロビィスはいつもの柔和な笑みで言う。
「今度はもっと時間を取るよ」
「忙しいでしょう、無理は為さらずに」
「いいや、どうせまた話すことになる」
「…?」
怪訝な顔を向けるが、クロビィスは笑顔を返すのみで応えはない。待っても無駄だと判断して小さく頭を下げると部屋を出た。
扉を背にさっきのものより大きく息を吐くとトーリは廊下へと足を踏み出す――と、その向こうから使用人に案内されて来る男が見えた。金髪の髪を後ろに撫でつけた暗い目をした男、あれが突然の訪問客だろうか。
向こうもトーリに気づき視線をあげる。そして不躾な目でトーリを上から下まで眺めたあと小さく頬を歪め、すぐに興味を失ったように視線を逸らせた。
( まあ、なんというか… )
思わず苦笑が浮かぶ。だが興味がないのはこちらも同じだ。互いに無言のままにすれ違う。
( そう言えば、呼び出された用件を聞くのを忘れたな )
と思い出したのは、領館を出てだいぶん経ったあとで。また話すことになると言っていたのでまあいいかと、そのままシィアが待つバインガレエズの宿舎へと向かった。




