56.男たちの会話
シィアがグエンダルの手を引き去って行ったあと、振り向いたトーリに砂漠色の狼獣人は金色の目を探るように細めた。
「私に、話が?」
その声には明らかな警戒と不信感があり、先ほどシィアに話しかけていた声とは大違いで。でもまあそれも当然かとトーリは口を開く。
「さっきあなたはシィアの家族だと言ったけど、それは?」
「…シィアの父親、ユージーンは弟だ」
あっさりと答えられたことにトーリは軽く目を見開く。が、それはどうせあとでシィアから伝わるだろうと思ってのワイズの応え。
「…なるほど」
零したトーリは「それで――」と続けた。
「シィアの両親は?」
「不明だ」
「…不明?」
「このログニアで消息を絶った」
「消息を? 二人ともが?」
「ああ、そうだ」
そうなると、今現在シィアにとって一番近しい存在はこの狼獣人となる。仮の保護者でしかないトーリと違ってそれは紛れもなく本物の。
それならば、…もし、シィアが望むのであれば。
「……」
俯いたトーリは小さく首を振って一旦その思考は中止する。
先にまだ聞かなければならないことがある。
ワイズはシィアの父親が弟だと言った。ならば父親は獣人である。そしてシィアの容姿からしたら母親は人間でなければならないのだが…。
再び視線をあげトーリは言う。
「シィアの母親のことだけど、」
その言葉に、空気がピリッと張り詰めた気がした。でも目の前の狼獣人は無表情のまま耳さえも動いていない。
トーリはひと呼吸置き、少しの表情の変化も見逃さないようにワイズを見つめたまま先を続けた。
「…シィアの母親はただの人間なのか?」
「は…、面白いことを聞く。人間にただのもそうじゃないのもいるとでも言うのか?」
やはり表情を変えぬままに、いや、少し皮肉げにワイズはそう返す。
確かに魔術師と呼ばれる者はいても人間は人間でしかない。ならばはぐらかすことも出来ない言葉に変えよう。
幸い周りは狼獣人の圧が怖いのか誰もいない。でも一応目の前の獣人には聞こえるだろうと声を落として言う。
「シィアの母親は『落し子』か?」
ワイズの耳が少しだけ揺れた。
何故、そう思うのか。
それはあの森林神殿での一件だ。
シィアが転移したあの魔法陣。その条件こそがソレ。『落し子』にしか発動しないものだったのだ。
「…前回天の幕が現れたのは百二十年前だぞ?」
核心からは微妙に外された言葉をトーリはあっさりと否定する。
「百二十年前のは関係ない。けど、十二年前にログニアの端の小さな町で、日中に天の幕が現れたって報告があった。でも日中だしすぐに消えてしまったので大した騒ぎはならなかった、――という話を聞いた」
「…そんな騒ぎにもならなかったと言うのに何故お前が?」
「それはさっきあなたも聞いてただろ、僕の名前を」
「ああ…、そうか宰相の」
初めて表情を崩したワイズは苦々しい顔でトーリを見る。でもまだ答えはもらってはいない。
「それともう一つ、バインガレエズとログニアが揉めた一件、それも十二年前だったはずだ。それにログニアで消息を絶ったという両親、何か関係あるのでは?」
そこまで話してトーリはワイズに視線を止めたまま黙る。砂漠色の狼獣人は眉間にぐっとシワを寄せ、金色の目が細まり尖る。
何も知らない人が見たら一触即発かと思うだろう。けれどトーリは動じない。――ただ、
「お前は、シィアのことをどうするつもりだ?」
「……は…?」
唐突なその言葉には流石にぎゅっと眉を寄せた。
いきなり何だ?
「今までの話とどう関係がある?」
「関係ないと? 同じくシィアに関係することだろう」
「それは…」
そうではあるが、どう考えてもいきなり話が飛び過ぎだ。だけどワイズの目からはそれを聞かない限りは何も話さないだろうという強い意志を感じる。
トーリは小さく息を吐く。そして、シィアと出会って旅に出た経緯を簡単にワイズに話すことにした。血縁であるこの獣人にはそれこそ聞く必要がある。
「……というわけで、僕はシィアが望む場所を見つけられるまでは一緒にいるつもりだ」
そう話を纏めたあとにワイズを見ると視線の鋭さはなりをひそめたが眉間のシワは消えていない。
「…それで、あの子の望む場所を探していると?」
「ああ、だから家族と、…あなたと居たいと言うならそれでもいいと思う」
少し寂しくは思うが仕方ないことだ。
さあ、これで聞かれたことには答えた。トーリは今度こそワイズの答えを待つ。
「……そういうことを聞きたかったわけじゃないんだが…」
「え?」
小さく呟かれた声が聞こえづらく問い返すと、「いや、何でもない」と緩く首を振られ、ひとつ息を吐いたあとに続いた。
「私は直接あの子の母親を見たことはない」
「え?」
「だから落し子かどうかなど知るはずない」
「……っ」
短く息を飲み失望の表情を過ぎらせたトーリにワイズは言う。
「だが気をつけろ、お前の発言は命取りだ」
「……それは誰にとって?」
「お前にも、もちろんシィアにも」
「そっちもだろう。あなたからは落し子に対する忌避が見えない」
「まあそれは当然だ」
「…当然?」
ワイズはふっと頬を歪める。それはもしかして笑ったのかもしれない。
「弟から託された大切な命を忌避することなど出来るはずない」
「それは――」
トーリが問い返す前にワイズは話が終わったとばかりに背を向けた。その背に「待ってくれ!」と声をかければ、肩越しに振り返るワイズ。
「だからお前も同じだ。そういう意味でお前を排除することはない」
「…は…」
「言うようにすべてはシィア次第だ」
それだけ言いワイズは再び背を向けた。
今度こそ引き止める声はない。
**
『兄さんごめん、僕は行くよ。たぶん、迷惑をかけてしまうと思うけど、それでも彼女とあの子を取り戻したい』
『帝国と争うつもりか?』
『そうじゃないよ。でも僕一人で行く。バインガレエズは関係ない』
『…死ぬつもりじゃないだろうな』
『死ぬ気はないけど、でももし駄目だった場合は…。……いや、絶対にあの子だけは助ける。あの子は僕たち二人の希望だから』
『……』
『だから兄さん、もし僕らに何かあったらあの子のことをよろしく頼むよ』
『……ユージーン、事を起こす前から駄目だった場合のことを語るな。言葉は言霊だ、呼び込むぞ』
『…うん、そうだね。でも約束してくれ』
『約束も何も…、お前の娘なら当然私とも家族だ』
『…ありがとう、兄さん』
シィアと同じ金色に緑が混じる瞳を細め、ユージーンは笑顔を見せた。
それが弟を見た最後。
今も尚探してはいるが、生きているのか死んでいるのかは不明のままだ。
その弟の娘シィア。母親がたとえ許されない存在だったとしても、シィアが家族であることは変わらない。
狼獣人は家族を大切にする。
だけど――、
それが性とでも言うのだろうか。
一つを、一人を、心に決めてしまうと、それが全てとなり、譲れない絶対のものを作る。
家族という繋がりをも上回る唯一を。
あの子は、それをもう決めてしまった。
しかも他人との繋がりを広げる前にそれを決めてしまったのだろう。だからこそとても強固で揺るぎない。
あの男はそれをどこまで理解しているか。
シィアが望むなら、などと言っていたが、そのシィアが望む場所など決まりきっている。
しかし親子二人して困難な相手を…、という思いに深いため息が零れる。
だがしかし、こちらの確信でしかないが、あの男がそうだとすればディディエの名を持つのは何故か。
ログニアは異邦人について一番厳しい国だ。その皇帝の腹心とも言える宰相の名を、名乗れる立場にあの男はいる。
暫し思考を巡らせたあと緩く首を振った。
シィアのことがあるとはいえ、ここから先の詮索はログニアの内情を探ることになってしまう。それはせっかく和解へと持ち込めた現状ではあまり宜しくない。
そう、要らぬ詮索は破滅を招く。バインガレエズの頭首としてそれは避けねばならない。
色々と考えることはあるが、それでも今は心が軽い。なんせ可愛い姪が戻って来たのだ。
だからか知らずに笑顔になっていたのだろう。通り過ぎる人がビクッと酷く驚いていた。
どうやら狼獣人の笑顔は人間には怖く見えるらしい。
まあでもそんなことはどうでもいいと、ワイズは牙が見えるほどに口角をあげた。




