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忘却の変幻獣(バルトアンデルス)

 なんでもあって、なんでもなかった。

 なんでも出来て、なんにも出来なかった。

 誰よりも優秀なのに、誰よりも劣っていた。

 ただそこに居るだけで、何者でもなかった。

――名前を貰って、初めて自分になれたんだ。



 今から十数年前、当時幼い少年だったイネオスは、森でもう一人の自分に遭遇した。


「お前は誰だ!」「お前は誰だ!」


 ほぼ同時に、されどとても楽しそうに、まるっきり同じ言葉を返してくるもう一人の自分。出来の悪い鏡を見ているようで、なんだか気に入らない、が、悪い気分では無かった。


 跳んでも、伏せても、もう一人の自分は少し遅れて全く同じ仕草をして見せた。こうなれば意地だと、イネオスは走ったり、隠れたり、どこまでついてこれるか試してやった。


 自分でも気が付かない内に、なんだか楽しくなってきて、イネオスは追って来るもう一人の自分を見ながら木々の間を全速力で走り抜ける。追って来る自分の表情は楽し気な笑みから切羽詰まったような物に変わっていて、勝ったな、と鼻を鳴らす。


「危ない!」


 しかし、それは勘違いだったようで、後ろから自分に呼び掛けられると同時に、体が宙に投げ出された。地面だと思っていた場所は、枯れ葉が重なっていただけだったのだ。


 視線を下にやると、かなり遠くに地面が見えて、くらくらした。


 ショックで失いかけた意識と共に、体がぐん、と上に引き戻される。顔を上げれば、薄緑の髪をした、見慣れない羽衣姿の少女が、背中から未知の触手を伸ばしていた。


「ふう、危なかったね! 大丈夫だった?」


 唖然としているイネオスに、少女は何も考えていなさそうな笑みを向ける。それが先程まで追いかけっこをしていたもう一人の自分だと気づくのには、しばしの時間を要した。


「あ、ああ……、ありがとう。驚いたけど、助かった」


 混乱しながらも礼を言うと、彼女はにこりと笑って、どういたしまして、と言った。


「そうだ、お前、名前は? 名前はなんて言うんだ?」


 自分と同じ姿をしていたかと思えば少女の姿になり、されど間違いなく人間ではない彼女のことが気になって尋ねると「バルトアンデルス!」と、あっさりと答えてくれた。


 イネオスは、少なからず驚いた。バルトアンデルスは、ドラゴンやユニコーン等と同じ――言わば目撃情報が極端に少ない、伝説上の存在だ。それが今、目の前に居る。


「バルトアンデルス……、それで、名前は?」


 しかし、その驚きを顔には出さず、改めて彼女自身の名を尋ねる。


 「なまえ?」少女は首を傾げた。


「そうだ。お前をなんて呼んだら良いのか、教えて欲しい」


 困った顔で、少女が手元を口に当てる。


「名前……。バルトアンデルスの、名前……? バルトアンデルスだよ?」

「もしかして、名前が無いのか? 俺がつけてやろうか」


 後ろ半分は冗談で口にしたが、目の前の少女が期待に目を輝かせていることに気が付くと、額に指先を当てて少しの間考えた。


「……スー。スーなんてどうだ? 種族名から一文字取って、スー」


 覚えやすいし呼びやすい、良い名前だろうと言うと、少女は目を輝かせ頷いた。


「うん! 気に入った! スー! これからスーはバルトアンデルスのスーだね!」


 嬉しそうに何度も付けてもらった名前を連呼するスーを、イネオスは微笑ましく見守る。

 家はあるのかと聞けば、普段は色々な動物に化けてひっそり暮らしているのだという。

 それならばと、スーを自分たちの住む村に招待することにした。



――結論から言うならば、それは間違いだった。



「やめろ、やめてくれ! 違う! スーは化け物なんかじゃ」


 腕を広げ、必死に庇うイネオスに石が投げられる。

 その後ろで、スーは体中に打撲を受け、倒れ込んでいた。


「悪魔を庇う気か!? 恐ろしい、もうここには置いておけん!!」


 村長は唾を飛ばし、杖を振って森を示した。


「命までは奪わん。連れてきた悪魔と共に森へ帰れ!!」


 村長の後ろには、火の付いた松明や、鋭い石を先端に付けた槍を持った人々が、イネオスとスーを睨みつけている。二人は、たまらず逃げ出した。



「スー……。すまなかった」


 普段寝床にしているという洞穴まで傷ついたスーを運び、草のベッドに寝かせる。

 スーは大丈夫だと、弱弱しく笑って答えた。


「ごめんね、スーのせいでケガさせちゃった……石、痛かったでしょ?」


 震えながら伸ばされた手が、頬の傷をなでた。

 こんなにボロボロになっても、自分の心配をしてくれるスーに、イネオスは自分の弱さを悔いた。同時に、彼女をこんなにした人間たちへの憎悪が湧き上がる。


「それにほら……、スー、ケガなんてすぐ治っちゃうし……」


 大方傷が塞がり、身体を起こしたスーに、イネオスはある提案をした。


「なあ、……俺達で、ダンジョンを作らないか?」


 ダンジョン? と不思議そうにするスーに、魔物達がやっているように、宝物を餌に、欲深い人間を釣って、痛い目を見せてやるんだ、と拳を握って答える。


「魔族だから、ってだけで、スーにこんな思いをさせる人間を、俺は許せない。協力してくれる魔物だって集められる筈だ。俺達が力を合わせれば、きっとなんだって出来る!」


 それは、今まで行き詰ったことのない少年であるが故の万能感だったのだろう。だが、スーは笑ったりなんてしなかった。きらきらとした瞳を真っ直ぐに向けて、頷く。


「よくわからないけど、そうだね! スーとイネオスならきっと大丈夫だよ!」

「ああ、協力していこう。強くなって、スーが笑って街を歩ける世界にするんだ!」


 こうして、約束を交わした二人。

 傷が完治するまでしばらく洞穴周辺でひっそりと生活し、傷が癒えると廃墟と化していた洞窟内を整備して、住む者が居なかったことで全滅寸前だったライトバグ達をスーの魔力で立て直し、広間など敵を迎え撃つ場所に集結させ、生活用の通路も明るく照らす。


 隠れ住んでいて、突然始まった整備に怯えていた先住の魔物達も、どんな魔物の言葉もわかるスーによって心を開いてくれるようになり、ダンジョン作りはとても順調だった。


 そんなある日、二人は不思議な出会いを遂げた。

 食料と資材集めに森を散策していると、下半身が魚の少女が倒れているではないか。


「なんだ? 大丈夫か……?」


 未知への恐怖より、目の前で倒れている少女に対する心配が先行し、イネオスが声を掛けると、少女は突っ伏したまま顔を上げ、怯えた眼を向けた。


「ひっ……! な、なんですか、ごめんなさい、ごめんなさい、食べないで!!」


 少女はボロボロの体を縮め、目に涙を溜めて命乞いする。

 イネオスとスーは顔を見合わせ、一歩だけ人魚の少女に接近した。


 少女は怯え後ずさりしようとするが、顔を歪め動きを止めた。

 よく見れば、尾鰭の先端がくの字に折れ曲がってしまっている。


「……骨折してるじゃないか、手当してやる」

「ひぃっ!!」


 手を伸ばされただけで大げさに身構え怯える人魚に、少年は困り顔を向けた。


「さっきからビクビクと……俺が怪物か何かに見えるのか?」


 呆れ気味に、冗談半分に告げた言葉に、人魚は頷いた。


「人間は私達を食べます……悪いことしてないのに、こっそり生きていただけなのに、お母さんも妹も、突然住処に入ってきた人間に捕まって……!!」


 人魚は傷ついた体で、震えながら上半身を起こした。


「どうして……どうしてそんな酷いことするんですか……言葉は一緒なのに、見た目だって、ほとんど一緒なのに、どうして……!! ッ! ゲホッゲホッ!!」


 勢いよくむせ返り、苦しげな呼吸をすると、衰弱した人魚は力なく崩れ落ちた。


「……どうするの?」


 スーの問いかけに頷きで返し、少年は人魚の少女を担いだ。


「ダンジョンまで運ぼう。このまま放ってはおけない」

「優しいんだね」

「……人間全体が誤解されたままだというのが癪なだけだ」


 口では冷たく返しながらも、身体の一部に負担が掛かり過ぎてしまわぬよう、前かがみになって人魚を運ぶ少年に、スーは柔らかく笑った。


 人魚をダンジョン内の水辺に連れ帰り、二人掛かりで手当てをする。


 まずは乾ききりひび割れてしまう寸前だった魚部分に優しく水をかけ、潤いを与えると同時に細かな傷に付いた土汚れを洗い流し、全体に回復魔法を掛け癒してゆく。


 折れてしまっている尾鰭には添え木をし、薬草と長い葉を合わせてきつく縛った。骨折まで治せる程の高度な詠唱技術は持っておらず、本人の治癒力に頼るしかない。


 やがて目を覚ました人魚の少女は先ず見知らぬ場所に怯え、次に尾鰭に施された手当に気が付き、どうして、と二人の顔を見上げた。


「どうしてもこうしてもない。後味が悪い思いをしたくなかっただけだ」

「だって、私は……」

「種族なんてどうでもいい。それに、俺にはお前が悪いヤツには見えない」


 人魚はバツが悪そうに俯き、イネオスに対して、酷いことを言ったと謝罪した。

 イネオスは首を振って、そう思わせてしまう程、お前に酷いことをした人間が悪いのだと許し、行く宛はあるのかと問いかけた。人魚は眉を下げて俯く。


「いえ……、ですが、これ以上ご迷惑はおかけしません。明日の朝には泳げるようになると思うので、海に繋がる水辺に連れて行っていただければ……」


 その怪我を一晩で治すのは無理だろう、と言ったが、人魚は自身の治癒力が高い上に回復魔法が得意らしく、魔力さえ戻れば大丈夫だと頑なな様子だ。


「……、そんなにこの環境が不満か?」


 元々ぶっきらぼうだが、あからさまに面白く無いという顔をされ、慌てて首を振った。


「い、いえ! …水も澄んでいますし、海水より心地良いです」

「なら、何の問題もない。回復魔法が使えると言ったな。俺達の仲間になれ」

「は、はい! ……え?」


 思わず二つ返事してしまったものの、少し考えて言葉の意味を理解し、困惑気味に唖然とする人魚にスーが近寄り、にこにこと手を取って話しかけた。


「初めまして、よろしくね! スーだよ! 名前は?」


 それは、マシンガンのように飛ばされた文脈も滅茶苦茶な問いかけ。

 人魚は混乱しながらも、どうにか聞かれたことに対して答えた。


「え、と……。ティナマリーヌ。私、ティナマリーヌと申します」

「へー! じゃあティナ! ティナって呼んでいい?」


 畳みかけられ、頷くと、スーは満面の笑みを浮かべた。


「えへへ。よろしくね、ティナ!」


 つられて、ティナもふわりと優しい笑みを口元に浮かべる。


「……はい。よろしくお願いします、スーさん」

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