vsサキュバス
聞いたこともない、悍ましい魔物の呻き声が聞こえる道を、ミサクが用意してくれたローブを被って静かに歩く。
このローブは魔族が感じ取れる人間の気配を隠すためのもので、人間であるミヒトとミサク、混血のマリオンが被れば、魔族に発見される確率はグンと下がる。
慎重に、慎重に、一歩ずつ歩を進めてゆくと、ついにそれらしき洞穴が見えて来た。
剣で足元を探りながら近寄るも、特に罠等はないようだ。……正面から叩き潰してやるということだろう。
一番先に暗い洞穴を覗いたミヒトに続いて、洞穴に近づいたミサクの進路が腕で塞がれた。
「……なんのつもり?」
驚いているミサクに対し、ミヒトは目を合わせようとしない。
背を向けたまま、申し訳なさそうに少しだけ俯いた。
「悪い。……ここで待っていてくれ」
当然自分も行く気でここまで案内したというのにそれでは納得出来る筈もない。
なんならイドロナイトの鎧を被るという彼女に、そうではないとかぶりを振った。
「これは、ダンジョンの統率者としての俺への挑戦だ。たくさん力になってくれているけれど、やっぱり勇者であるミサクは連れていけないよ」
「なっ……そんな理由――だったら、私もダンジョンに加われば!」
ミヒトはミサクから視線を外し、据わりが悪そうに頭を掻いた。
ごにょごにょと何か口ごもった後、彼の口から本心が語られる。
「……勝手なことかもしれないけど、俺さ、ミサクには勇者でいて欲しいんだ」
「え……?」
「ミサクは昔から俺の憧れだったから、勇者を目指して訓練するミサクはかっこよくて、今も任務の話をするミサクはすごく輝いていて……その……」
言葉を選ぶミヒトの言葉を最後まで聞く前に、照れたミサクが言葉を遮った。
「わ、わかった。……そこまで言うなら、私はここで待ってるわ」
「……必ず、無事に戻って来なさいよね。全員よ」
「ああ、約束する」
短く交わして、ミヒトはダンジョンに足を踏み入れた。
後から追って、ティナ達も中に入る。
***
洞窟内はライトバグによって照らされていて、深い迷宮ながらも小細工は無し。ただ、あちらこちらから魔物が湧いて出てくる。
小細工ではなく、実力を測るような、そんなダンジョンだ。
「えいやっ!」
ミヒトが振るった剣が、小型の悪魔を切り捨てる。
辺りには、既にサリーによって倒された魔物が散乱していた。
――妙だ。
誰ともなく、場の全員が、ひそかに疑念を抱いた。
そう、魔物が弱すぎる。
こんな奥深くに位置するダンジョン。近くに足を踏み入れるだけでも危険な場所なのに、先ほどから出てくる魔物は一撃で倒せるような、魔物より動物に近い雑魚ばかりだ。
怪訝に思い、警戒心を強める。
「あら、ようやくお気づきかしら?」
背後からの声。
反射的に身をひるがえすと、露出の多いボンテージを着た背の高いサキュバスが、艶めかしい表情で口元に手を当て、くすくすと笑みを漏らしていた。
「そうよ。ボスは加減をしているの。だって、あなた達は少ししか居ないのに、こっち側から強いモンスター大勢で攻め立てるのは卑怯でしょう?」
姑息な手を使わず、正々堂々と決着をつける。それがボスの目的であり、そのために道中の魔物は退避させてあるのだと、彼女は語った。
――しかし、それならば、何故サキュバスである彼女がこの場所に?
「でもね、見てるだけなんてつまらないじゃない?」
彼女が妖絶に舌なめずりをすると、場の緊張が一気に高まる。
「イネオス様にお願いしたらね――一匹だけなら食べても良いって言ってくれたの」
サキュバスの目が、獲物を見る目に変わった。ヒョウのように鋭く、残酷さを孕んだ眼光がミヒト達を舐めるように見回して、ペロリと口許を舐めた。
「ああ……、どの子もすごくカワイイわ。私、可愛ければどんな子でもいけちゃうの」
サキュバスはどれにしようかな、とわざとらしく迷うようなしぐさを見せて、ひとりひとり、じっくりと、バイキングでもしているかのように、笑みを浮かべて品定めをした。
少しして、アナタに決めたと、サキュバスは足を止める。
「ふふ……、人間のリーダーはダメって言われてたけど、他にも人間が居たなんてね」
ほくそ笑んで獲物を見下ろし、予想外の好物に舌なめずりをした。
「やっぱり、人間が一番美味しいの。それも、経験の少ない男の子程、ね」
威圧するように、少し身じろげば当たってしまいそうなまでに、狙い定めた獲物に顔を近づける。マリオンは、怯みそうになった心を奮い立たせ、睨み返した。
「ただの子供だと、油断しない方がいいですよ」
「あら? ふうん……、見かけによらず威勢があるのね。ますます気に入っちゃった」
顔を離し、弾むようにそう言って、サキュバスは上機嫌に転位用の魔方陣を作り出した。
急展開に固まっていたサリーが、ハッとして動き出す。
「マリオン!」
サキュバスと魔方陣に乗ろうとしていたマリオンが、足を止め振り返る。
「そんな奴の好きにさせることないデス! 相手ならワタシがするデス!」
不満そうな顔をしたサキュバスが何か言うよりも先に、マリオンが首を振って、ここは自分に任せてほしい、と制した。
「刺客が一人だけとは限りません。一番強いサリーさんが、皆を守ってあげてください」
マリオンの言うことはもっともで、こういう時は強い者が残るのが定石だ。言い返せないが、しかし納得なんて出来るわけもなく、精一杯食い下がる。
「ッ……、じゃ、じゃあ、絶対に、無事に帰って来るって約束するデス! 嘘ついたら、ついたら……」
言葉の先が見つからず、不安そうな紅い瞳にいよいよ涙まで浮いてきそうになった時、マリオンが、しかたないなあ、という風に、表情を和らげた。
「わかってますよ。――お姉ちゃん」
瞬間、魔方陣に一歩足を踏み入れたマリオンが、サキュバスと共に消える。
***
転移先は、同じ洞窟内の広場だった。他に魔物の気配はなく、サキュバスと自分の二人きりだ。警戒するマリオンの前で、サキュバスはくすくす笑う。
「必ず帰って来るなんて……、ふふ、残酷な嘘。あの子も可哀想にね」
「いえ、嘘にするつもりなんてありませんよ。僕はあなたに勝ちます」
この状況でも臆することが無い彼を、煌びやかな宝石を前に値踏みするような目がじっとりと襲う。目の前で、真っ赤な唇が囁いて、真紅の瞳が怪しく光った。
「大人を侮りすぎよ、坊や」
――ああ、美味しそう。成熟はしているのかしら? していなくても、今、教えてあげる。未熟な果実には、じっくり熟れさせて、極上のタイミングで頂く楽しみがある。
思わず涎が垂れてしまいそうで、妖絶に口元を舐めて、間近で目を見る。先程の威嚇とは違う。本気の私と目を合わせてしまえば、逸らしたくても逸らせない。
マリオンは、何も言わず、じっとサキュバスの目を見つめ返していた。もう何かを言い返すことも出来ない。完全に虜だと、口角を上げてほくそ笑む。
――威勢の良いことを言っていても、人の子など所詮こんなもの。見つめてやるだけで、なんでも言うことを聞いて、餌になることをねだるようになる。
それにしても、と、自分の事をじっと見つめ返してくる少年を眺める。
――ああ、なんて可愛いの。生意気なガキだと思っていたけど、とても素敵。今すぐにでも食べてしまいたい。今すぐ彼を手に入れたい。どうしても欲しい。
そのためならば、何を捧げても構わな――
「ッ!?」
サキュバスは驚愕に目を見開いて、勢いよく後方に跳んだ。
その表情からは一切の余裕が失われていて、冷や汗が上気した頬を伝って落ちる。
(今、私は何を考えて……!?)
動揺しながら、改めて視界に入れた彼は、涼しい顔をして……いや、口元に僅かな笑みを浮かべて、その場から一歩も動かずにこちらを見ていた。
「――どうか、なさいましたか?」
気遣うような言葉とは裏腹に、その態度はどこまでも挑発的だ。
サキュバスはようやく、自分が何をされたのかを悟った。ギリ、と唇を噛み、悔しさと怒りが混ざった顔で、マリオンを鋭く睨みつける。
「この私を魅了したことは褒めてあげるわ、小さなインキュバス」
「ようやくお気づきですか」
――どうやって、この私を、いつの間に。頭に浮かぶ様々な疑問を、プライドを傷つけられた怒りが真っ赤に塗りつぶしていく。
「私に魅了されないように、どんな小細工を使ったのかは知らないけれど」
眉間に皴を寄せ、牙を剥いて、サキュバスが手元に魔方陣を浮かび上がらせる。
彼女の全身に紋様が浮かびきるよりも早く、紅の魔弾が飛び出した。
「ッ! 防御結界――」
詠唱は最後まで紡がれることなく、作りかけの脆い結界は容易く破られ、彼の体は軽々と吹き飛んで後方の岩壁に背中から叩き付けられる。
戦う覚悟は決めていた。しかし、元より非好戦的な性格で、支援が主であった彼にとって、初めて経験したこの痛みは、衝撃は、覚悟でどうにかなるものではなかった。
「か、はっ……!」
――痛い。苦しい。息が、出来ない。
崩れ落ち、起き上がることすら出来ない姿を、サキュバスは残酷な笑みで見下ろした。
「あら、ごめんなさいね。受け身も取れないとは思わなくて」
口調こそ申し訳なさそうだが、顔は微塵もそう語ってはいない。
妖絶で、残酷で、心底狩りを楽しむ猫のように、目を輝かせていた。
「ねえ、もっと楽しませてよ。食べるのは最後にしてあげる」
再び手元に魔方陣が浮かび上がり、短い詠唱と共に魔弾が放たれる。
当たる直前、どうにか体勢を立て直し、横に跳んで避けたところにもう一発。ギリギリで防御魔法の詠唱が間に合ったものの、衝撃で更に吹き飛ばされ、転がった。
仰向けに転がったまま、全身で息をする彼を、サキュバスは笑みを浮かべただ見ていた。
再び立ち上がるのを待っているのだ。力量差は一目瞭然。終わらせようと思えば一瞬だが、あえてギリギリ受けきれる、しかし無傷では済まない攻撃をしている。
「私を侮辱したこと、泣いて謝るまで――たっぷり、甚振ってあげる♪」
語尾をゆっくりと強調し、高揚する気持ちを抑えきれずに頬を紅潮させて、這いずりながらもこちらを睨み、起き上がろうとする姿を見つめ、次はどうしてやろうかと考える。
「ああ、その宝石みたいな青い瞳――穢れるのが、楽しみだわ」




