第5章 フードの内側
「そういえば、ネイルちゃんって……ずっとフードを被ってるよね」
隣の椅子に座るリリィが、ネイルのフードに目を留めた。
「うん」
「外でも、ギルドの中でも?」
「うん。大体は被ってるよ」
リリィは、今度は手を伸ばさず、少しだけ身体を屈めた。
「少しくらい、顔を見てもいい?」
問いかけた勢いのまま、顔だけがフードの下へ寄る。
ネイルの指が反射的に縁へ上がった時には、もう視線が合っていた。
深く落ちていた布の影に、横から光が差し込む。
小さな顔が、あらわになった。リリィを見返す瞳は、怒るでも怯えるでもなく、どう断ればいいのかを探していた。
すぐ目の前で、リリィの動きが止まった。
ネイルも動けなかった。
フードの奥まで見られることは、ほとんどない。顔を見せれば目立つ。視線が集まれば、隠しているものまで探られやすくなる。
だから、最初から見せない。
面倒を避けるため、長く続けてきた簡単な方法だった。
「か……」
先に震えたのはリリィの唇だった。
「……か?」
「可愛すぎる……!」
叫ぶと同時に、リリィが身を乗り出した。
「なんで隠してたの!? こんなに可愛いのに!」
「顔を出すと、そうやって目立っちゃうから」
「でも、ずっと隠しておくなんてもったいないよ!」
「でも、僕は隠してるほうが落ち着くんだ」
「ずっと?」
「少なくとも、今は」
「そっか……」
リリィはフードの縁へ目を向けた。ネイルの指は、そこに触れたままだった。
すぐ目の前にリリィがいる。布を引けばよいだけなのに、それでは追い払うように見える気がした。
リリィは何か言いかけて、ネイルの顔を見た。
ネイルが驚いたまま固まっていることに、ようやく気づいたらしい。
「あ……ごめん。返事、まだだったよね」
「うん」
「嫌だった?」
ネイルはすぐに答えられなかった。
勝手に覗かれたことには驚いた。悪意がないと分かることと、平気でいられることは同じではない。
それでも、リリィの目にあるのは好奇心と、隠しきれない喜びだけだった。種族を確かめようとしている様子もない。
「また顔を見る時は、僕の返事を待ってくれる?」
「うん。分かった」
リリィはすぐに身を引いた。
椅子を引けば、いくらでも距離を取れる。それでもネイルは、自分の椅子を動かさなかった。
「可愛いって言われるのも、嫌?」
「それは……どう返せばいいか、分からないだけ」
「ありがとう、でいいんだよ」
「うん。じゃあ、ありがとう」
口にしてから、少し遅れて照れくさくなった。ますます明るくなるリリィの顔を見て、また返す言葉を探さなければならなかった。
「……もう一つ、聞いてもいい?」
今度は、リリィは動かずに返事を待った。
ネイルはフードの縁を直してから、小さく頷いた。
「ネイルちゃんって、ずっと一人で依頼を受けてるんでしょ? 危ないよ」
「何かあっても、大抵は平気だよ」
「そういう問題じゃないの!」
今度は怒ったように言われた。
先ほどまで可愛いと言われていたのに、今は一人で依頼を受けることを心配されている。
竜の話をしていたケンとは、まるで違った。
「そんなにすげぇ顔なのか?」
顔の話を聞いていたガルドが、興味を隠さず身を乗り出した。
「俺にも見せろよ」
「駄目!」
リリィは即座にネイルの前へ回り込み、フードの隙間を両手で塞いだ。
「なんでだよ。お前だけ見たんだろ?」
「今見せたら、皆で騒ぐでしょ!」
「お前が一番騒いでいるように見えますが」
セインが冷静に指摘する。
「今はいいの!」
「何がいいのか、まったく分かりません」
ケンも気になっているのか、何度かこちらへ視線を向ける。けれど、無理に覗こうとはしない。
ツバキは無表情のまま、先ほどより椅子一つ分だけ近くへ移っていた。
それでも、ほかの誰にもフードの内側までは見えない。
「あの、リリィ」
「大丈夫。見えてないよ!」
「うん。僕からも、あんまり見えないんだけど」
「あ」
リリィがようやく両手を下ろす。
フードの影が戻ったところで、ネイルはそっと息を吐いた。
結局、素顔を見たのはリリィ一人だけだった。
見られたのは顔だけで、耳も、種族も、魔力の本当の状態も知られてはいない。
顔を見せないつもりだった相手に、今度は顔を隠してもらった。
「ねえ、ケン。ネイルちゃんの顔ってさ──」
「リリィ」
思ったより早く、自分の声が出た。
リリィが振り返る。ネイルはフードの縁を持ったまま、少し声を落とした。
「その話も、あんまり広めないでくれる?」
「あ……うん」
向かいでガルドが口を開きかけたが、ケンが先に頷いた。
「本人が困るなら、ここで終わりにしよう」
「俺、まだ何も言ってねぇぞ」
「聞こうとはしただろう」
「顔くらい、とは思ったけどよ」
ガルドはネイルを見てから、椅子の背へ身体を戻した。
「まあ、無理にとは言わねぇ」
「ありがとう」
リリィも、今度はケンへ話を戻さなかった。
「わたし、褒めたかっただけなんだけど」
「うん。それは分かるよ」
「でも、言われたくないこともあるよね」
先ほどより小さくなった声に、ネイルは顔を上げた。
「リリィと話すのが嫌なんじゃないよ。顔の話だと、また皆が見たくなるでしょ?」
ガルドが、聞こえなかったふりをした。
それを見て、リリィが口元を緩める。
「……じゃあ、ほかの話にする」
「うん。そのほうが、僕も話しやすい」
「じゃあ、ネイルちゃんからも何か聞いてよ」
「僕から?」
「わたしばっかり聞いてるから」
急に順番を渡されて、ネイルは少し考えた。
「リリィは、いつもそんなに元気なの?」
「そんなにって、どれくらい?」
「僕が返事する前に、次の話が始まるくらい」
セインが横を向いた。ガルドは遠慮なく笑った。
「……ちょっと、気をつける」
「ううん。少し待ってくれたら、僕も返す。」
「では、最後に明日の予定を確認します」
ケンは街道図を畳んだ。
「集合は早朝、冒険者ギルドの前。そこでエルモンド商会の商隊と合流し、荷と人数を確認してから出発します」
ガルドが背もたれから身体を起こす。
「遅れた奴は置いてくのか?」
「置いてはいかない。でも、遅れないでくれ」
「俺は遅れねぇよ」
リリィがガルドへ顔を向ける。
「じゃあ、寝坊したら起こしてね」
「自分で起きろ」
「二人とも、寝坊を前提に話さないでください」
「セインは、朝強いよね」
「起きる時刻が分かっていれば、合わせます」
「ほら、頼りになる」
「起こしに行くとは言っていません」
ガルドが笑い、リリィが少し唇を尖らせた。三人のやり取りに、ケンが苦笑する。
ネイルは二人の顔を見比べた。
「本当に起こしてほしいわけじゃないんだね」
「そうだよ。起きるよ、ちゃんと」
「うん。分かった」
「ネイルちゃんは? 朝、平気?」
「約束があれば、起きるよ」
「じゃあ、大丈夫だね」
昨日までは、朝の予定を起きてから決めてもよかった。今はリリィが、明日の朝も会うつもりで話している。
ネイルはもう一度、集合する時刻を頭の中で確かめた。
隣のリリィは笑っていた。けれど、今度はネイルの方へ身体を寄せてこなかった。
「ネイルさんも、それで大丈夫ですか?」
ケンに問われ、ネイルは小さく頷いた。
「うん。早朝に、ギルド前」
「はい。よろしくお願いします」
これで話し合いは終わった。
ケンが畳んだ街道図の端を揃え、セインへ渡す。五人の指が並んでいた場所も、紙の内側へ隠れた。
ネイルも椅子を引こうとしたところで、隣のリリィが先に立ち上がった。今度は腕を広げることも、フードへ手を伸ばすこともしない。
「明日も、そのフード?」
「うん。そのつもり」
「分かった。すぐ見つけるね」
「……まだ、何も変えてないからね」
「変えてなくても、ちゃんと見つけるよ」
リリィは笑った。
顔を隠していても、見つけると言われる。少し前なら困るだけだった言葉に、ネイルは返事をしかけて、やめた。
明日の朝になれば、リリィは本当にそうするのだろうか。
椅子が引かれ、荷物を持つ音が重なる。
「また明日ね、ネイルちゃん!」
リリィが大きく手を振った。
「うん。また明日」
明日の朝も、同じフードで行こう。




