第36章 帰り道の話
ラザンの身体が、地面からゆっくりと浮き上がった。
背中の下を風が通り、外套の裾が揺れる。縛られた足が土を離れたところで、フィンは杖を少し下げた。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「……このままかよ」
「歩けるように解くわけにもいきませんし。運んでもらえるだけ、楽でしょう?」
ラザンはフィンを睨んだが、返事はしなかった。
ネイルは二人の横を通り、先の木々へ目を向けた。アデルも剣を携え、少し後ろへ回る。
先ほど消えた男の姿は、どこにも見えない。
フィンが歩き出すと、ラザンも宙に浮いたままついてきた。枝に引っ掛からないよう、身体の向きが少しずつ変わる。
ネイルはその前を歩いた。
「それで、どうしてこんなことを?」
背後から、フィンの声がした。
「教えねえ」
「力を溜めた石は、誰に渡す予定だったんです?」
「それも教えねえ」
フィンは低い枝の下で杖を傾けた。ラザンの身体が横を向き、葉先を避けて通る。
「じゃあ、さっきの人のことは? ほかにも仲間がいるんですか」
「……しつけえな」
「帰るまで、時間がありますから。何人くらいで来たんです?」
「教えねえって言ってんだろ」
ネイルは少し振り返った。
フィンは特に困った様子もなく、前を見て歩いている。ラザンの方は、縛られた腕を動かしかけて、また元に戻していた。
「一つくらい、教えてくれてもいいと思うんですけど」
「……俺には、俺なりの大義があった。それだけだ」
ネイルは歩調を緩め、ラザンの顔が見えるところへ並んだ。
「その大義って?」
ラザンがこちらを見る。
「それは言えねえ」
「……そこも?」
「ああ」
ネイルは後ろのアデルと顔を見合わせた。アデルもわずかに首を傾げ、それから森へ視線を戻した。
ラザンは口を閉ざしたまま、空を見ていた。
しばらく進むと、木々の間に踏み固められた道が現れた。
フィンは周りを確かめ、ラザンを少し先へ送った。距離を保ったまま、アデルへ声をかける。
「消えた方が戻ってくるとしたら、帰り道でしょうか」
「分からない。分身なら、本体がどこにいたのかもな」
アデルの返事を聞きながら、フィンが空いた手を動かした。
三人の周りを、薄く風が巡る。
葉擦れの音が少し遠くなった。ネイルには覚えがある。樹洞の灯で、マスターも使っていたものだ。内側の会話を、外へ聞かせないための風。
前を運ばれていくラザンが、こちらへ顔を向けた。
「急に静かになりやがって」
フィンは何も答えず、ラザンと道の先へ交互に目を配った。
「こちらで話す分には、もう聞こえませんよ」
「助かる」
アデルが頷いた。
ネイルは隣へ並び、白い鎧を見上げた。
「ねえ、アデル。さっきの、魔法がゆっくりになったのは?」
「気になっていたのか」
「うん。そっちを見ていたかったくらい」
アデルは一度、ネイルの持つ杖へ目を落とした。
「君も、変わった返し方をしていたが」
「あれは、来たものを返しただけだよ」
「それが簡単にできれば、苦労はしない」
ネイルが首を傾げると、アデルは小さく息を吐いた。
「詳しくは話せないが、スキルだ。あの領域に入った魔法は、ああなる」
「そばにいる人も?」
「味方と判断した者には、逆に働きを助けることもあるらしい」
「……らしい?」
「私も、すべて分かって使っているわけではない」
アデルは道へ張り出した枝を手で押さえた。ネイルが通るのを待ってから、静かに戻す。
「以前、危険な目に遭ったことがあってな。その時から、使えるようになったんだ」
「後から開花したんだね」
「ああ。今でも、自分では気づかず、仲間に言われて分かることがある」
ネイルはアデルの足元へ目を向けた。
先ほど魔法を受け止めた時のような、光の境は見えない。それでも、彼女の近くを巡る魔力は穏やかだった。
「ネイルは、持っているのか?」
「うーん……持っているよ。ただ、これのおかげで苦労もしたけど」
ネイルは空いている手を上げ、自分の眼を指した。
(主のスキルは、それではなかろう)
(そういうことにしておこう)
「なるほど。だから、色々と視えるのか」
「まあね」
ネイルが手を下ろすと、フィンが横から顔を向けた。
「僕は、何もないですよ」
「ある方が珍しいんだよ」
「今、僕だけないので。少し気になりまして」
フィンはそう言いながら杖先を上げた。ラザンの身体が、道を横切る太い根の上を滑っていく。
ネイルはその動きを目で追った。
「フィンは、こういうのが上手だよね。話しながらでも、引っ掛けないし」
「落としたら、担がないといけませんからね」
「僕も手伝うよ?」
「いえ。このまま運べますので」
前方でラザンが顔をしかめた。
こちらの会話は聞こえないらしく、ネイルたちをひと睨みして、また空へ顔を戻した。
◇
アルフヘインの門が見える頃には、三人を囲んでいた風は解かれていた。
途中で襲われることも、あの男が姿を現すこともなかった。
フィンは門衛に声をかけた。宙に浮かぶラザンを見た衛兵が表情を変え、話を聞くと、すぐに奥へ人を走らせる。
門を通り、城へ戻る道には、調査を終えた冒険者たちの姿もあった。
何人かが足を止める。ラザンは見られるのを嫌がるように顔を背けたが、外套で隠そうにも、腕は縛られたままだった。
「おっ、ネイル!」
聞き覚えのある大声がした。
広場の手前で、ガルドが手を上げている。ケンたちもそばにいた。
「さすがネイル! アデルさんも、お疲れさん!」
「ああ。そちらも無事に戻れたようだな」
アデルが応じる横で、ケンはラザンの顔を確かめていた。
「……もう、捕まえたんですか」
「うん。フィンが見つけてくれたよ」
「捕まえるのも、手伝っていただきましたけどね」
フィンは苦笑し、近くにいた魔導衆を呼び止めた。
「グリンさんへ。カインが報告した相手を連れて戻ったと伝えてください」
魔導衆は頷くと、広場の奥へ向かった。
待つ間に、リリィがネイルのそばへ来る。
「怪我はしてない?」
「うん。僕たちは平気」
言ってから、ネイルはアデルを見た。
アデルはネイルの顔を見返し、白い鎧にも目を落とす。
「今回は、言葉通りだ」
「……今回は?」
リリィが首を傾げたので、ネイルは少しだけ笑ってごまかした。
広場の奥から、グリンが歩いてきた。カインも後ろについている。
グリンはラザンの顔を確かめ、それからフィンへ目を向けた。
「報告を」
フィンはラザンを地面近くまで下ろした。駆けつけた魔導衆が両側につく。
逃げた先で仲間と合流し、精霊の力を採れたか尋ねられていたこと。その仲間が、物を持ち、ラザンの身体も支えていたのに、こちらが出ると姿を消したこと。
フィンは分身ではないかと伝え、本体の居場所までは分からないと付け加えた。
グリンがアデルを見る。アデルも頷いた。
「私も同じものを見た。まだ森に残っている可能性はある」
グリンは近くの魔導衆へ向き直り、帰還していない班にも知らせるよう伝えた。
その間に、フィンが荷物から二つの包みを取り出す。
「短剣は二本あって、片方は壊れてますけど、もう一本は無事です」
グリンは二つの包みを開いた。
黒い刃が並ぶ。カインが隣から見下ろし、輪の砕けた方へ指を近づけかけて止めた。
「先に届けた破片は、この部分です」
カインが欠けた辺りを示すと、フィンが続けた。
「それと、精霊の力を採るための瓶です」
フィンは別の包みを出して口の広い瓶を見せ、ラザンから聞いた仕組みを伝えた。
グリンは蓋の輪と、底に埋め込まれた石を順に見た。
「中には、もういないのですね」
「うん。瓶の中にはいなかったよ」
ネイルが答えると、フィンも頷いた。
「力を溜めた石は仲間へ渡すそうです。誰がこの瓶や武器を作ったのか、どこへ運ぶのかは話しません」
グリンはラザンへ顔を向けた。
ラザンは黙っていた。カインと目が合うと、わずかに顎を引く。
「分かりました。こちらで詳しく伺います」
グリンは布を閉じた。
捕虜を引き取る者たちとは別に、短剣と瓶を運ぶ魔導衆が呼ばれる。フィンが書き留めた紙も、包みと一緒に渡された。
ラザンの両肩を魔導衆が支えた。フィンは浮かせていた身体を下ろし、二人へ引き渡す。
「足元、気をつけてください。まだ脇腹を痛めていますので」
「……余計なことまで喋るな」
ラザンが吐き捨てる。
フィンは結び目の位置を引き継ぎ、連れていく者たちを見送った。
グリンも包みを持つ魔導衆へ指示を出しながら、広場の奥へ戻っていく。途中で別の報告に呼び止められ、足を止めていた。
「ネイル様、ありがとうございました。アデルさんも」
フィンが二人へ向き直った。グリンたちの前で背筋を伸ばしたまま、頭を下げる。
「何か分かったら、お知らせした方がいいですか?」
「僕は、どっちでも。分かったことがあったら、その時に聞くよ」
「私は、今後どうなるかは気になる。だが、無理に時間を取らなくてもいい。知らせられる時に聞かせてくれ」
「承知しました。では、僕も報告がありますので、今日はこれで」
フィンはもう一度頭を下げ、グリンの方へ歩いていった。
ネイルもそちらを見る。
少し話せるだろうかと思ったが、グリンの前には、すでに地図を広げている者がいた。その後ろにも、報告を待つ魔導衆が立っている。
ネイルは踏み出しかけた足を戻した。
「ネイルは、これからどうするんだ?」
アデルに尋ねられ、顔を上げる。
「うーん。とりあえず、広場でオーダーの報酬をもらって。それから、時間があったら依頼を見に行こうかな」
「さっきまで、依頼で森にいただろう」
「うん。でも、もう帰ってきたし」
アデルはネイルを見たあと、腰の剣へ手を添えた。
「……君は、どこに泊まっている?」
「ギルドの近くの宿だよ」
ネイルが通りの方を指し、場所を伝えると、アデルは頷いた。
「ああ、あそこか。君なら、王城に部屋があるのかと思っていた」
「あはは……」
(少し前まで、そこにおったがな)
(うるさいな)
ネイルは杖を持ち直した。
「今は、そっちの宿だよ」
「そうか」
アデルはそれ以上尋ねず、報酬を受け取るために並んでいる冒険者たちへ目を向けた。
ネイルも隣へ並び、列の最後尾へ歩いていった。
列は少しずつ進んでいた。
前にいた冒険者が報酬の袋を受け取り、仲間の方へ戻っていく。ネイルも一歩進もうとした。
「おねーたーん!」
頭の上から、声が降ってきた。
ネイルが顔を上げると、小さな影が両手を広げて飛び込んでくる。
「わっ」
思わずしゃがんだ。
頭へ抱きつこうとしていたその子は、勢いを止められずに通り過ぎた。
ぺち、と音がした。
「いたーい……!」
足元の石畳で、小さな精霊が転がっていた。頭を両手で押さえ、足をばたつかせている。
(な、何……?)
(よかったな。主は、やはり好かれるようだぞ)
(ぶつかりそうだったんだけど)
ネイルがそっと覗き込むと、精霊は恨めしそうに顔を上げた。
「よけた」
「急に来るから……。大丈夫?」
「いたい」
精霊はもう一度頭を押さえた。
「ネイル。どうかしたか?」
アデルも腰を屈め、こちらを見ていた。その目はネイルの顔へ向いていて、足元の子には気づいていない。
「精霊が突っ込んできて……」
「精霊?」
アデルが周囲を見回した。
「私も見たい。どこにいる?」
「そこ。転がってる」
ネイルは石畳を指した。
アデルが同じ場所を見つめる。その間に、精霊はふわりと浮き上がり、ネイルの目の高さまで来た。
「ねいるおねーたん、みつけた」
「……なんで、僕の名前を知ってるの?」
「もんで、よばれてた。おねーたん、きれいだったから、おぼえた」
「門……?」
ネイルは首を傾げた。
(いつ見られてたんだろう。初めてアルフヘインに入った時かな……)
(主は、周りのことをあまり覚えておらんな)
(まさか、覚えられているとは思わないよ)
精霊は、もう頭を押さえていなかった。ネイルの顔を確かめるように、右へ左へ飛んでいる。
「それだけ!」
「えっと……君の名前は?」
「フラウ!」
答えるなり、フラウはネイルの肩へ飛んだ。
首の横を抜け、外套のフードへすぽりと収まる。
「ちょっと」
ネイルが振り向こうとすると、髪が引かれた。
今度は反対側。指を差し入れる前に、一房がふわりと持ち上がり、耳の後ろへ引き込まれる。
「そこ、引っ張らないで」
アデルが目を丸くしていた。
ネイルの肩越しに、持ち上がった髪を見ている。髪が離され、別の一房が引かれると、その動きに合わせて視線も移った。
「……本当に、そうなるんだな」
「森で、話したでしょう……?」
「ああ。こうして見ると、不思議なものだ」
「見てないで、助けてよ」
「髪は見えるが、相手が見えない。どこへ手を出せばいい?」
アデルが手を伸ばしかけたところで、フードの中から声がした。
「ここ、わたしすむ」
「駄目だよ」
ネイルはすぐに答え、フードへ手を入れた。
髪を握っていた小さな手を外す。逃げ込もうとするフラウの服をそっとつまみ、もう片方の手で身体を受け止めながら引き出した。
「もう……。ほら、アデル」
「ん?」
「手を出して。乗せてあげる」
「本当か?」
アデルはすぐに掌を上へ向けた。
ネイルはその上へ、フラウを下ろす。フラウは指先を掴み、掌の中央へ座り直した。
アデルの手が、わずかに沈む。
「……温かいな。重みもある」
「うん。今、座ってるよ」
アデルは空いている手を添えかけ、途中で止めた。
「この辺りか?」
「もう少し、こっち」
ネイルが指で示すと、アデルはそこを空けるように手を丸めた。
フラウは掌に両手をつき、アデルを見上げていた。
「このおねーたん、あったかい」
「何か言っているのか?」
「アデル、温かいって」
「そうか」
アデルの口元が緩んだ。
フラウはその手の上へ頬を寄せた。小さく身体を丸め、目を閉じる。
ネイルが顔を近づけても、髪へ手を伸ばしてこなかった。
「……寝ちゃった」
「今ので?」
「うん」
フラウの背中が、小さく上下している。
ネイルはアデルの手と、その周りを巡る穏やかな魔力を見た。これも、彼女のスキルと関係があるのかもしれない。
「アデル。そのまま、お願い」
「このまま持っていればいいのか?」
「うん。気持ちよさそうだし」
アデルは自分の掌へ目を落とした。
見えない寝顔を探すように少し顔を寄せ、それから、そっと腕を胸元へ引き寄せる。
「……仕方がないな」
前の冒険者が列を離れ、係の者が二人へ声をかけた。
ネイルが先に進む。その隣で、アデルは片手を水平に保ったまま、慎重に一歩を踏み出した。
差し出された報酬の袋を、空いている方の手で受け取る。
その間も、フラウを乗せた掌は揺れなかった。




