第35章 返事のない力
ラザンは、アデルが抜いた剣を見た。
真正面から魔法を撃ち合うつもりはなかった。三人の動きを鈍らせ、追ってくるまでの間に距離を取る。とりわけ、あの白い鎧の女を足止めしなければならない。
杖を向けたまま、空いている手を腰へ下ろす。
輪の砕けた短剣。その柄を握り、引き抜いた。
風は、もう当てにできない。
だが、雷は残っている。
刃の根元に蒼白い光が走った。アデルの視線が、杖から短剣へ移る。
「まだ残っているのか?」
「まあな」
ラザンは短剣を低く構えた。
「お前らに、どこまで通用するか知らんけどな」
杖の先に水が集まった。
膨らんだ水の塊が、アデルへ向かって放たれる。そのすぐ脇を、短剣から伸びた雷が駆けた。
水と雷。二つの魔法が、間を置かず白い鎧へ迫る。
◇
ネイルは杖を握ったまま、アデルの横顔を見た。
アデルは下がらなかった。
その周囲に、薄い光の境が浮かび上がっている。
(……スキルかな)
(どういうものだろうな)
水の塊が、その境を越えた。
前へ噴き出していた水の先端が丸まり、表面の激しい波立ちが収まっていく。隣を走っていた雷も、枝分かれする光を細くしながら、進み方を変えた。
消えたわけではない。
どちらもアデルへ向かっているのに、その動きだけが、急に穏やかになっていた。
「……それはねえだろ」
ラザンの口元が引きつった。
アデルが剣を振る。
刃は水と雷を正面から捉え、その流れを叩き割った。
二方向へ分かれた魔法が、白い鎧の左右を抜けていく。ネイルは飛び散る水を避けながら、その先へ目を向けた。
薄い光の境から出た途端、水が再び細長く伸びた。
雷も枝を広げ、木々の間へ走る。
背後で幹の折れる音がした。水に押し倒された木が隣の枝を巻き込み、雷の通った先では、裂けた樹皮が宙へ散っていた。
ネイルは倒れる木から、アデルへ視線を戻した。
剣を振り抜いた彼女の足は、ほとんど元の位置にある。
その向こうで、ラザンが身を引いた。
深緑の上衣が、少し離れた幹の陰へ隠れる。ネイルはそちらを一度だけ見て、空いている手に短い金属の杭を握った。
腕を振る。
ラザンがこちらを向いた時には、杭はもう、胸の高さまで迫っていた。
「っ……!」
ラザンは上体を捻ってかわした。外套の脇を抜けた杭が、その後ろの幹へ突き立つ。
乾いた音がするより先に、短剣の切っ先がネイルへ向いた。
雷が放たれる。
ネイルは杖を斜めに差し出した。
蒼白い光が触れる瞬間、手首を返す。杖に沿って滑った雷は、ネイルの身体へ届く前に向きを変えた。
「お返し」
杖の先を、ラザンへ向ける。
戻ってきた雷を見て、ラザンはすぐに横へ跳んだ。
ネイルは、その足の向きを見ていた。
杖先は追わせない。
ラザンが逃れようとした先。その背後には、先ほどの杭が刺さっていた。
雷の先端が、金属へ引かれて曲がる。
蒼白い筋と杭の間に、ラザンの身体が重なった。
今度は、そのまま脇腹を捉えるはずだった。
ラザンが短剣を突き出した。
刃の根元が光る。
身体へ届きかけていた雷が、そこで折れた。短剣の脇を滑り、ラザンの外套を避けて背後へ抜けていく。
杭の刺さった幹が弾けた。
ラザンは顔を背け、飛んでくる木片を肩で受けた。踏み直した足が土を削る。それでも短剣は手放さず、切っ先をネイルへ戻してきた。
ネイルは、その刃を見つめた。
今、確かに、雷の進む先が変わった。
「いいね」
◇
聞いていない。
ラザンは、短剣を握る指に力を込めた。
アデルと魔導衆。気をつけるべきなのは、その二人だと思っていた。小柄な女は、せいぜい荷物持ちか何かだろうと。
それが、こちらの逃げる先へ攻撃を通してくる。
あの杭も、ただ外れたわけではなかった。
女は杖を構え直している。次に何が来るのか、手元から目を離せない。
あの杖は何だ。
雷を防がれることは考えていた。だが、そのまま返されるとは思っていなかった。
正面から動かないアデルより、今はこいつの方がやりづらい。
ラザンは短剣を女へ向けたまま、杖の先をわずかに振った。白い鎧も視界の端に入れておく。
それと、魔導衆を──。
いない。
先ほど立っていた場所に、深緑の上衣がなかった。
ラザンが顔を動かしかけた時、背後のすぐ近くで衣擦れがした。
振り向くより早く、衝撃が来た。
杖を持ち上げることもできず、視界が落ちた。
◇
ラザンの膝が折れた。
その背後から踏み込んでいたフィンが、振り下ろした杖を引く。崩れる身体の肩を支え、地面へ横たえた。
短剣が指から抜け落ちる。フィンはそれをすぐに拾い、もう片方の手からも杖を外した。
ネイルは構えを解いた。
杭をかわし、返された雷から逃れたラザンは、フィンの潜んだ幹の前まで移動していた。最後までネイルへ向けられていた顔が、今は横を向いている。
「さすが、お二人とも」
フィンがラザンのそばへ膝をついたまま、顔を上げた。
「私は魔法を払っただけだ。最後に捕まえたのは、君だろう」
アデルは剣を下ろした。ただ、鞘へは戻さず、消えた男のいた辺りにも目を向けている。
「そうだよ。僕も、何もしてないし」
「いや、二人とも、もう少し誇ってください」
フィンはネイルの背後にある、折れた木を見た。それから、ラザンの向こうで裂けている幹にも目をやる。
「これで何もしていないことにされたら、僕は縛るだけですよ」
「それ、僕がやろうか?」
「そこは僕がやります」
返事は早かった。
フィンは荷物から紐を取り出すと、ラザンの手首をまとめた。腕、胴、足へと回し、結び目を作るたび、緩みがないか指を差し入れて確かめていく。
ネイルがそばへ寄る頃には、ラザンは身じろぎも難しそうな姿になっていた。
続いてフィンは外套を開き、懐や腰の袋を調べ始めた。
小さな刃物や袋が、広げた布の上へ移される。薬の空瓶に続いて、口の広い、ひと回り大きな瓶が出てきた。
蓋には輪がはめ込まれ、その裏側に小さな石が留められている。厚い底にも、細長い別の石が埋め込まれていた。こちらは白く、片端だけが薄く青い。
ネイルは瓶の中へ目を向けた。
何もいない。蓋の石からは、かすかな魔力が漂っていた。
フィンは瓶を布へ置き、外套の内側から、もう一本の短剣を引き抜いた。
「色々と持っていますね……。こっちの短剣は、壊れていないようですが」
刃は黒かった。
フィンが先ほど拾ったものに似ている。ただし、根元を囲む輪には割れ目がない。
「見せて」
ネイルは杖を脇に抱え、手を差し出した。
フィンが柄をこちらへ向ける。受け取ったネイルは、さっそく刃を傾けた。
黒い表面に刻まれた溝が、光の加減で浮かぶ。輪のある根元まで、途切れることなく続いていた。
ネイルは顔を近づけ、眼へ魔力を送った。
金属の内側を巡る流れが視える。
先ほどの破片では、割れ口から外へ漏れていた。こちらでは細い道筋を通り、輪の内側へ戻っていく。刃を動かしても、その流れは乱れなかった。
(精巧に作られているね)
ネイルは柄を握り直し、根元へ視線を移した。
(精霊の力みたいなものを、丁寧に押さえている。でも……精霊そのものが入っているわけじゃない)
(呼びかけに応じる相手はおらん、ということか)
(うん)
(精霊の魔力には、記憶や経験も蓄えられておる。力の使い方まで、ここに移したのかもしれんな)
(普通に魔法を使ったり、力を分けたりするだけなら、そういうものは本人に残るよね)
(ああ。だが、さっき雷を流した様子は、精霊が魔法を使う時に似ておった)
(どうやって移したのかまでは、分からないけど)
「何か分かりました?」
フィンの声に、ネイルは眼へ送る魔力を抑えた。
「精霊そのものでは、なさそう。でも、精霊の何かではある……くらいかな」
「そこまで分かれば、持って帰って調べる時にも助かります」
フィンが紙を取り出した。
ネイルの言葉を短く書き留め、その横へ二本の短剣を見比べながら書き足していく。
アデルがこちらへ寄った。
「私には、ただの黒い武器に見えるが」
「そっか。アデルには視えないんだね。えっと……この辺りが、少し光ってるんだよ」
ネイルは刃の根元へ指を近づけ、流れの通っていたところをなぞった。
アデルが顔を寄せる。
「触っても平気か?」
「た、たぶん」
アデルの手が一度止まった。ネイルと短剣を見比べ、それから剣を鞘へ戻す。
差し出された短剣を受け取り、指の腹で黒い表面に触れた。
光も音も起こらなかった。
アデルは刃を返し、裏側も確かめる。
「私が持っても、変わらないようだな」
「使い方は分かります?」
筆を止めたフィンが尋ねた。
「分からない。魔力を込めれば動くのかもしれないが。試すか?」
「……壊れたら調べられなくなるので、やめておきましょう」
「それが賢明だ」
アデルはあっさり頷き、柄をフィンへ向けた。
フィンは受け取った短剣を布へ置いた。輪の砕けた方と触れ合わないよう、それぞれを包んでいく。
その布が重なる音に、低い呻き声が混じった。
ラザンの指が動いていた。
目を開け、顔をしかめる。腕を引こうとして紐が張ると、自分の身体を見下ろした。
「もう動けませんよ」
フィンが包みを脇へ置き、ラザンを見下ろした。
「……分かってるよ」
ラザンは足も一度動かしかけ、やめた。肩を地面へ戻し、長く息を吐く。
「武器も預かりました。後で、全部話してもらいますからね」
「くそが」
フィンは言い返さず、ラザンが動かした手首の結び目を確かめた。
ネイルはその横へ歩み寄った。
ラザンの目が、こちらへ動く。
先ほどは、杖を見ていた。今はネイルの顔を見上げている。
ネイルは膝を折り、ラザンと目を合わせた。
「精霊に、何をしたの?」
「殺しちゃいない。力を少し借りただけだ」
「この瓶で?」
ネイルが布の上へ目を向けると、ラザンもそちらを見た。
「ああ。餌の石につられて中へ入ると、蓋が閉じる。それなら、俺にも分かる」
「そこから、どうするの?」
「蓋の輪を回すんだよ。底の石が青くなっていって、端まで色がつけば勝手に止まる。あとは蓋を開けてやるだけだ」
ネイルは、白い部分の残る石を見た。
「いっぱいになるまで、力を抜くんだね」
「生きたまま放してる。それでいいだろ」
フィンが、瓶と短剣の包みを見比べた。
「その石に溜めたものを、武器へ入れるんですか?」
「俺は石を渡すだけだ。あんなもの、自分で作れるかよ」
フィンは紙へ目を落とし、書き足した。
ネイルはラザンへ向き直った。
「……放したあと、その子はどうなったの?」
「さあな。蓋を開けたら、俺の仕事は終わりだ」
「……そっか」
ネイルはラザンから目を離し、フィンの傍らに置かれた包みへ視線を落とした。




