第33章 閃光のあと
魔力を込めた瞬間、明星玉の光が指の間から噴き出した。
ケンは顔を背け、目を固く閉じた。それでも、瞼の裏まで白く染まる。
「っ……!」
思わず、玉を持った腕を伸ばしきった。
すごーく光る。
門の前で聞いたネイルの声が、頭をよぎる。
あの言い方では、分からない。目を閉じればやり過ごせる程度のものだと思っていた。
これでは、使う側まで目が眩む。
指先の光が弱まってから、薄く目を開く。
視界の中央に白い残像が居座っていた。何度か瞬きをすると、その向こうへ木の幹が浮かび、灰色の外套の輪郭が戻ってくる。
相手は顔の前へ腕を上げ、よろめいていた。
もう一方の手には、細身の短剣があった。刃の根元を囲む金属の輪が、指の間で淡く光っている。
「ツバキ!」
「見えてる……!」
左から返事が来た。
ケンは明星玉を腰の袋へ戻し、剣へ風を纏わせた。白く霞む視界の中で、相手の胴を捉える。
振り抜いた刃から、風が走った。
ほとんど同時に、ツバキの手元からクナイが飛ぶ。こちらも薄い風を纏い、ケンの斬撃とは別の角度から外套へ迫った。
相手は、まだ腕で顔を覆っていた。
だが、その数メートル手前で、二つの軌道が変わった。
風の刃は胴から外れ、脇の木へ向かう。クナイも外套を避けるように弧を描き、さらにその外側を抜けた。
幹に浅い切れ目が走り、離れたところでクナイの突き立つ音がした。
ケンが剣を引き戻す。
相手が顔を上げた。その目がケンを捉えるより早く、後ろで地面を蹴る音がした。
「どけ、ケン!」
ガルドだった。
ケンが半歩横へ退く。
雷の消えた大盾は、まだ地面に倒れている。ガルドは背に回していた槍を取り、肩の上まで引いていた。
腕と肩へ魔力を込める。穂先にも柄にも、風は纏わせない。
踏み込みとともに、その槍を投げた。
槍は曲がらなかった。
相手が大きく身体をひねる。外套の裾が跳ね、つい先ほどまで胴のあったところを、穂先が通り抜けた。
背後の幹へ、鈍い音を立てて突き立つ。
避けた勢いで相手の足がもつれた。片手を地面につき、すぐに起き上がろうとする。
「くそっ。今のは当たると思ったんだが」
「風と雷は逸れた。でも、槍は自分で避けた」
ケンは相手を見据えたまま言った。
「魔法を乗せなきゃいいってことか?」
「まだ分からない。ツバキ、次は風を使わずに」
「分かった」
ツバキが新しいクナイを抜く。
その後ろから、セインの声がした。
「ほかのものも試します。二人とも、その位置で」
ケンは踏み出しかけた足を止めた。
セインが杖を足元へ向ける。詠唱はなかった。
地面の一部が小さく盛り上がり、固く締まった土の塊がいくつも浮く。杖が持ち上がると、それらは弾丸のように飛び出した。
相手が短剣を向ける。
土の塊は、そのまま進んだ。
相手の顔が、飛んでくる土の弾を追った。短剣を横へ振ると、その前で枯れ葉が巻き上がる。横から吹きつけた風に、土の弾が押された。
一つが逸れ、もう一つが砕ける。残った塊を、相手は頭を下げて避けた。
背後の幹へ土がぶつかり、細かい粒が散った。
「今のは、同じじゃありませんね」
セインが杖を構え直した。
「風で弾いた」
ケンは短く返した。
ツバキが横へ動いた。
相手の顔もそちらへ向く。その間にケンが間合いを詰めると、今度はこちらへ短剣を向け直した。
足が一歩、後ろへ下がる。
「ケン。こっちはいい」
ガルドが大盾を拾い上げていた。握りの具合を確かめ、一度だけ手を開いてから握り直す。
リリィはその後ろにいる。隣では、魔導衆のカインも杖を構えていた。
「合図をお願いします」
ケンが声をかけると、カインは頷き、杖先を上へ向けた。
赤い火が木々の隙間を抜け、空へ上がった。
◇
その少し前、明星玉の光が広がった時。
離れた森を歩いていたネイルも、顔を上げていた。
木々の隙間が、白く光っている。
枝の向こうに見えていた葉まで、輪郭を失っていた。
「……アステラだ」
ネイルが呟くと、先を歩いていたフィンが振り返った。
「さっき、渡していたものですか?」
「うん」
光はすぐに弱まった。
ネイルはその方角から目を離さなかった。
危なくなったら使うといい、とケンに渡したものだ。
アデルも、同じ方へ顔を向けていた。
「彼らの場所か?」
「確かめます」
フィンが地図を開く。
指が迷わず自分たちの位置を押さえ、別の調査区域まで滑った。フィンは顔を上げ、光の見えた方角を確かめる。
「あちらです。割り当てられた場所と重なります」
「行こう」
ネイルは杖を握り直した。
フィンが地図を畳むより先に、アデルが一歩前へ出る。
「フィン。通れる道を」
「こちらです。斜面を下りれば、向こうへ抜けられます」
指された木々の間へ、ネイルは走り出した。
踏み越えた根の向こうから、湿った土が跳ねる。すぐ後ろに二人の足音が続いた。
枝を避けて顔を上げた時、遠くの空へ、赤い火が上がった。
向かっている方角だった。
「戦闘の合図です!」
フィンの声を聞きながら、ネイルは足を速めた。
◇
外套の人物が、空へ上がった赤い火を見た。
ケンはその一拍で、さらに前へ出た。
「短剣を置いて。もう、逃げるのはあきらめたほうがいい」
相手は答えなかった。
後ろを確かめ、左へ目を向ける。そこにはツバキがいた。
右からは、ケンが近づいている。
短剣の根元で、淡い光が揺れた。
ケンは剣先を下げなかった。相手の肩と、握っている手を見比べる。
視界の端で、カインがガルドの脇から出た。杖を低く持ち、幹の陰を選んで、ケンのさらに右へ回っていく。
「セイン。もう一度、同じものを」
「はい」
土が浮き上がる。
相手がそちらへ短剣を向けたところで、ツバキがクナイを投げた。今度は、風を纏っていない。
相手は身を引いた。
その足が下がる先へ、ケンが踏み込む。
剣の届くところまで、あと一歩。
相手が短剣を両手で握った。
外套の裾が膨らむ。足元の枯れ葉が浮き、ケンたちへ向かって走った。
前方の枝が一斉にしなり、ケンの上衣が背へ張りつく。
ケンは踏み込みを止めた。だが、カインはすでに横の幹を抜け、相手のすぐそばまで迫っていた。
相手が振り向く。短剣を向け直すより早く、カインの足が地面を蹴った。
踏み込み、腰をひねる。
横から脇腹へ叩き込まれた蹴りに、相手の身体が折れた。
濡れた咳とともに、口から血がこぼれる。
下がった短剣へ、カインが杖を振り下ろした。
硬い音がした。
刃の根元を囲んでいた輪が割れ、光を引いて飛び散った。
破片が地面へ落ちるより早く、ケンの身体が横へ吹き飛ばされた。
さっきまで正面から来ていた風が、横殴りに変わっていた。
「下がって!」
地面へ足を着こうとしたところへ、今度は反対側から風が叩きつけられる。セインの土弾が押し潰され、細かい粒となって舞い上がった。
カインも足を取られていた。地面へ突いた杖が滑り、ケンの方へよろめいてくる。
ケンは着地と同時に左手を伸ばし、その腕を掴んだ。
「木の陰へ!」
二人で横の幹へ回り込む。そのすぐ脇を、折れた枝が抜けていった。
風向きが、また変わる。
頭上の葉が一斉に裏返った。巻き上がった土が別の方から来た風に叩かれ、木々の間へ広がっていく。
灰色の外套も、背後の幹へ肩をぶつけていた。片手で脇腹を押さえ、もう片方の手で短剣を持ち上げる。
だが、風は収まらなかった。
相手が顔を背けたところへ土が吹き上がり、その姿を隠した。
「こっちだ!」
後ろから、ガルドの声がした。
少し離れた木の裏に、ツバキの姿がある。腕で顔を庇い、こちらへ一度頷いた。
ガルドは大盾を斜めに構え、リリィとセインを太い幹の陰へ寄せていた。
盾に何かがぶつかる音が続く。
ガルドが盾の向きを変える。今度は頭上から枝が落ちてきた。リリィの杖から広がった淡い光に弾かれ、三人の脇へ転がる。
ケンも幹へ身体を寄せた。肩に樹皮が食い込み、頬を細かな土が叩く。すぐ隣で、カインが杖を抱え直している。
相手のいた方へ目を向けるたびに、違う向きから土が押し寄せた。
風音に混じり、木の裂ける音がする。
ケンは剣を握ったまま、頭を下げた。
やがて、盾を叩く音の間隔が開き始めた。
木々の軋む音が弱まり、巻き上げられていた葉が足元へ落ちてくる。
ケンは幹の陰から、少しだけ顔を出した。
相手のいた場所には、剥き出しの土が広がっていた。
灰色の外套は見えない。
ツバキが先に動いた。倒れた枝を跨ぎ、相手が立っていた辺りまで進む。
ケンも剣を構えたまま続いた。
「見える?」
「……いない。奥は、まだ土が舞ってる」
ツバキは木々の向こうを見た。少し横へ位置を変え、それでも顔をしかめる。
「もう少し先まで行けば、追えるかもしれない」
ケンはそちらへ目を向けた。
折れた枝の先から、葉が一枚落ちた。その奥では、まだ細かな土が漂っている。
脇腹を押さえていた手が、頭に浮かぶ。
今なら、追いつけるかもしれない。
ケンは一歩進み、足を止めた。
「……今は追わない」
ツバキが振り返る。
「あれをもう一度使われたら、仲間を守れない」
ツバキは森の奥を見てから、短く頷いた。
ガルドたちが幹の陰から出てきた。カインも二人のそばへ戻ってくる。
「怪我は?」
「俺は平気だ」
ガルドは盾の縁についた土を払い、表と裏を確かめた。
「私も。セインは?」
「大丈夫です。口の中に土が入りましたが……」
セインが口元を拭う。その袖から、小さな葉が落ちた。
リリィは苦笑して、カインにも目を向けた。
カインは頷き、ケンへ頭を下げた。
「私も大丈夫です。引いていただいて、助かりました」
ツバキもクナイを持った手を上げてみせた。
六人いる。
ケンはそこで、ようやく息を吐いた。
「逃がしましたね」
「うん」
セインの言葉に、ケンは相手の消えた方を見た。
「でも、見たことは持ち帰れる。雷も風も、当たる直前に曲がった。槍には自分で避けて、土には風を使った」
「あの短剣だろうな」
ガルドが言った。
「雷を避けた時も、こっちへ撃ってきた時も、動かしてやがった」
「それと、輪が割れてから、風の向きが変わった」
ケンが地面へ目を落とすと、カインも頷いた。
「破片が残っているかもしれません。探してみます」
「お願い。ツバキは周りを見ていて」
「分かった」
ツバキが木々へ顔を向ける。ガルドも、すぐ近くの幹に刺さった槍を引き抜いた。
ケンはカインと、土を払われた地面を調べた。
ガルドが最初に弾いた短い刃は、根のそばに落ちていた。布で拾い上げたカインが、その奥で膝をつく。
「ありました」
枝の下から、曲がった金属片が出てきた。
輪の一部だった。表には細い溝が走り、割れ口には土が入り込んでいる。短剣を握る手の中で見えていた光は、もうなかった。
カインは、別の布でそれを包んだ。
ケンは左手で、腰の袋に触れた。
玉は、まだそこにあった。
「……助かりました、ネイルさん」
声は小さく、すぐそばの仲間に届くほどだった。
「ただ、もう少し……どれくらい光るか、教えてほしかったです……」
袋から手を離し、ケンはもう一度、森の奥へ剣先を向けた。
◇
折れた枝を踏み越え、ネイルは木々の間から駆け込んだ。
下草が削れ、広い範囲で土が剥き出しになっている。その向こうで、ケンがこちらを向いた。
「ネイルさん」
後ろからアデルとフィンも出てきた。ネイルはケンのそばまで進み、足を止める。
「光が見えたから……何があったの?」
「戦闘があって…みんなは無事です。」
アデルが森へ向き直った。
ケンが剣を鞘へ戻す。ネイルも、杖を握っていた指を少し緩めた。
「これを、見てもらえますか」
ケンはカインから、小さな布包みを受け取った。開いた中に、欠けた金属の輪がある。
「相手の武器から落ちたものです。これが割れたあと、風が急に変わって」
ネイルは杖を脇へ抱え直し、差し出された布を両手で受け取った。
割れ口に指を添えても、返ってきたのは冷たい金属の感触だけだった。




