第31章 白壁のアデル
広場を離れ、アルフヘインの門が見えてきた頃だった。
「おい、ネイル! お前もオーダーか?」
後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。
ネイルが足を止めて振り返ると、ガルドが片手を上げていた。その後ろにはケンたちの姿もある。深緑の上衣を着た魔導衆が一人、彼らとともに歩いてきていた。
「知り合いか?」
隣で立ち止まったアデルに、ネイルは頷いた。
「うん。コーネリアで会ったパーティーだよ」
フィンも少し先から引き返してきた。同行の魔導衆へ目を向け、片手を上げる。
「カイン。そっちはブレイズ・フォーカスと?」
「ええ」
青年は頷き、ネイルたちへ向き直った。
「魔導衆のカインです。今回は、彼らの班に同行します」
「僕はネイル。よろしくね」
ネイルも軽く頭を下げた。ケンの隣で、ツバキが小さく会釈する。そちらにも頷き返し、杖を持ち直した。
「ブレイズ・フォーカスも参加するんだね」
「ええ。そろそろAランクを目指そうと思っていた矢先に、これです」
ケンは苦笑し、手にしていた地図を軽く持ち上げた。
「じゃあ、昇格の判断をしてもらうには、いい任務かもしれないね」
「だといいんですけど。何が出てくるかも分かりませんし」
「それは僕たちも同じだよ」
「まあ、やると決めたんだ。何かは見つけて帰らねえとな」
ガルドが言うと、ケンも頷いた。その視線が、ネイルの隣へ移る。
「あ、申し遅れました。ブレイズ・フォーカスのリーダーをしています、ケンといいます」
「よろしく。私はルミナス・オースのアデルだ」
「……えっ」
ケンの手が止まった。
「ルミナス・オースの……アデルさん、ですか?」
「ああ」
「今はヴァルグラントにいらっしゃると聞いていたんですが……」
ヴァルグラントはレグナリア北東部、魔王領との境界にある。砦や小さな町が何度も奪い合われる、戦の絶えない土地だ。
ケンは白い鎧へ目を落とし、もう一度アデルの顔を見た。手にしていた地図を下ろし、背筋を伸ばす。
「今は戦線を離れている。旅の途中で、この国に寄っていた」
アデルは、いま来た道を振り返った。建物の間には、まだ広場を出てくる冒険者たちが見える。
「そこへ今回のオーダーだ」
「そうだったんですね……。まさか、ここでお会いするとは」
ネイルはケンとアデルの顔を交互に見た。
「知っているの?」
「ネイルさんは、逆に知らなかったんですか……?」
ケンが困ったように眉を下げる。
「僕、コーネリアからあんまり出ないから……」
そこまで言って、ネイルは少し俯いた。アデルの名を聞いた時にも、思い当たるものはなかった。
ケンが何か言おうと口を開くより先に、リリィが二人の間へ顔を出した。
「ネイルちゃんはそれでいいの。みんなの名前を知っていなきゃいけないわけじゃないんだから」
「そう、かな……?」
「今、知ったんでしょう?」
「……うん」
ネイルが顔を上げると、リリィは笑ってアデルへ目を向けた。
「よろしくお願いします、アデルさん」
「こちらこそ」
「皆さん、少し端へ寄りませんか。後ろからも来てますので」
フィンに促され、一行は道の脇へ移った。空いたところを、別の調査班が足早に通っていく。
その足音が遠ざかるのを待っていたように、セインが一歩前に出た。
「私も、詳しく知っているわけではないのですが……」
そう前置きしながらも、口元にはどこか得意げな笑みが浮かんでいた。
「アデルさんは、ヴァルグラントでは『白壁のアデル』と呼ばれているんですよ」
「白壁?」
ネイルの目が、アデルの鎧へ向く。
「崩れかけた戦線を、何度も支えた方だと聞いています。魔族や魔物の軍勢を相手に、ですよ」
セインはそこで一度言葉を切った。ネイルが顔を戻すのを待って、少し声を弾ませる。
「ルミナス・オースの名は、王都よりも、あちらの戦線でよく知られているそうです」
話しながら、セインはアデルへ向き直った。
「こうしてお会いできるとは思いませんでした。セインといいます」
差し出された手を、アデルはためらわず握った。
「よろしく、セイン」
「その呼び名は、ご存じでしたか?」
「ああ。ヴァルグラントでは、そう呼ばれることもあったな」
アデルは握手を終えると、自分の肩を覆う白い鎧に目を落とした。
「名前を呼ばれるより、そちらの方が多い日もあった」
「本人のいるところでも、白壁って?」
「ああ。振り向くと、たいてい私を見ている」
ネイルは、もう一度アデルを見上げた。
広場で話していた時も、ここまで歩いてくる間も、アデルは落ち着いていた。ケンが姿勢を正し、セインが握手を求めた今も、その話し方は変わらない。
「そうだったんだ……。有名な人なんだね、アデル」
「場所によるだろう。君は知らなかった」
「……うん」
ネイルが頷くと、アデルの口元が少し緩んだ。
「これから覚えてくれればいい」
「名前は、もう覚えたよ」
「ああ。それなら十分だ」
それからしばらく話したあと、ケンが畳もうとしていた地図をもう一度開いた。
「ネイルさんたちは、どの辺りを調べるんですか?」
「昨日、猪を倒したところの近くだよ」
「というと……この青い印のところですかね?」
差し出された地図を、ネイルは横から覗き込んだ。ケンの指が、西方に付けられた印を示している。
「うん。そこ」
「僕たちは、精霊が次に現れると予測されている場所を調べるようです」
ケンは地図の別の場所へ指を移した。
「うーん……。それは、結構危ないかもしれないね」
「そうじゃないといいんですけど……」
ケンは地図へ目を落としたまま、困ったように笑った。
ネイルは少し考え、何もない空間へ手を伸ばした。引き戻した手には、小さな玉が一つ載っている。
「ケン。これ、渡しておくね」
地図から顔を上げたケンが、慌てて片手を空けた。ネイルはその掌へ玉を転がす。
「これは……?」
「明星玉。ケンが生まれる前の冒険者たちが使っていた道具だよ」
ケンは指先で玉をつまみ、目の高さまで持ち上げた。
「簡単に言うと、魔力を込めると、すごーく光る」
「……目つぶしに使うんですか?」
「うん。危なくなったら使うといいよ。魔法を使うより早いから」
ケンは玉を見つめ、それからネイルへ目を戻した。
「いいんですか、いただいても」
「そのつもりで出したんだよ」
「ありがとうございます」
ケンが頭を下げ、明星玉をしまう。その様子を見ていると、パレードの声がした。
(世話焼きになったな)
(知り合いに目の前で死なれるのは、慣れないよ)
ケンは地図も畳むと、待っていた仲間たちを振り返った。ガルドが一つ頷く。
「では、僕たちはあちらの調査に向かいます。ネイルさんたちも気をつけてくださいね」
「うん。ケンたちもね」
リリィが小さく手を振った。ネイルも手を振り返す。
ブレイズ・フォーカスは、カインとともに駆けていった。門の向こうへ遠ざかる一行を見届けてから、ネイルは別の方角へ顔を向けた。
「じゃあ、僕たちも行こうか」
アデルとフィンが頷くのを確かめ、ネイルも走り出した。




