第30章 三人の調査班
握手を終えたあとも、二人は掲示板の脇に並んでいた。
周囲では、掲示を読み終えた冒険者たちが仲間を呼び、壇の前へ移っている。ネイルはその人の流れから、隣のアデルへ目を戻した。
「ネイルは、誰かと組んでいるのか?」
「僕は一人だよ」
「では、コーネリアで噂になっているネイルというのは、君のことか」
「そうなる……かな?」
ネイルは少し首を傾げた。コーネリアのギルドでは顔を知られているけれど、初めて会ったアデルにまで名前が届いていたとは思わなかった。
「君がコーネリアにいてくれるおかげで、私はこうしてほかの土地で活動できている」
「……僕が?」
アデルは頷いた。自分がコーネリアにいることと、彼女の活動とが、ネイルにはうまく結びつかなかった。
(どういうことだと思う……?)
(主がコーネリアに居続けておるから、縄張りのように見られておるのかもしれんな)
(そういうこと……?)
縄張り、と言われても、いつもの通りやギルドが頭に浮かぶばかりだった。
「エルフではないかという噂も聞いていた。君がこの国にいるのも、そういうことなのか?」
「うん。隠しているつもりはなかったけど、僕はエルフだよ」
「そうか。会えて嬉しいよ、ネイル」
「僕もだよ。アデルみたいな人は、コーネリアではあまり見かけないから」
白い鎧の周りでは、相変わらず魔力の揺れが穏やかだった。すぐそばを人が通っても、ネイルが意識を向けたその範囲は乱れにくい。
「私のような人、というと?」
「落ち着いてるし、隣にいても気にならないなって」
「……それは、褒められていると思っていいのか?」
「褒めてるよ。話していて、楽だし」
アデルの口元が、わずかに緩んだ。
「なら、そう受け取っておこう」
「アデルは、普段は誰かと組んでるの?」
「ああ。いつもはパーティーで活動している」
「仲間は?」
「ここには来ていない。休暇でこの国を訪れていたところに、今回のオーダーが出てね」
「そっか。ちょうど居合わせたんだ」
(パーティーの名を聞けば、分かるかもしれんぞ)
(今活躍しているパーティーなんて、そんなに覚えていないよ)
その時、紙を手にしたハルラスが壇へ上がった。
ネイルはそちらへ向き直る。隣のアデルも会話を切り、壇へ目を向けた。
冒険者たちの話し声が途切れていく。まだ話していた者も、隣の仲間が壇へ向き直ったのに気づいて口を閉じた。魔導衆も手元の書類を下ろし、ハルラスへ顔を向けていた。
「急に集まってもらうことになって、すまない」
静まった広場に、ハルラスの声が通った。
ネイルと話す時とは、声の調子が違う。背筋を伸ばし、壇の前に並ぶ顔を見渡している。ネイルも口を閉じ、その言葉を待った。
「今回の招集は、ルーナ様の命によるものだ」
ハルラスは手にしていた紙を、集まった者たちへ掲げた。王家の紋章が記されている。ルーナが用意したものだろうか。
「精霊の異変については、掲示にある通りだ。だが、原因を突き止めるには、まだ情報が足りない」
紙を下ろし、ハルラスは続けた。
「そのために、皆の協力が必要だ。力を貸してほしい」
ハルラスが壇の脇へ目を向けると、グリンが数人の魔導衆とともに上がってきた。
「ここからは、私たちがご説明いたします」
グリンは表情を引き締め、集まった冒険者たちへ向き直った。説明の内容は、客車で聞いた話とほとんど同じだった。
「姿を消したのではありません。そこにいるのに、意思を通わせることができないのです。皆様には各地を調査し、精霊の状態と、原因につながる情報を確かめていただきたいと考えております」
グリンが言葉を切ると、ハルラスが再び口を開いた。
「詳しい調査内容に入る前に、確認しておきたい。この先の話には、秘匿すべき情報が含まれる」
ハルラスは広場を見渡した。グリンたちは説明を止め、その場で待っている。
「今回の調査にどれほどの危険があるか、我々にもまだ分かっていない。特にBランクの者には、その上で参加するかどうか、ここで決めてもらいたい」
冒険者たちの間に、小さなざわめきが起こった。
「辞退するなら今、申し出てくれ。Aランク以上の者には、勅命として参加してもらう」
数十人のBランク冒険者たちが、互いに顔を見合わせた。仲間同士で身を寄せ、声を落として話し始める。
すぐに頷き合う者たちもいれば、掲示を振り返ってから、もう一度相談を続ける者たちもいた。ハルラスは壇の上で、その判断を待っていた。
やがて、その中から声が上がった。
「すまないが、俺のパーティーはここで抜ける」
声を上げた冒険者は仲間を連れ、集団から離れた。四人は足早に広場を去っていく。
その後もしばらく相談の声は続き、何人かが広場を離れていった。
人の抜けた場所から、壇までの見通しが少しよくなった。ネイルの隣には、アデルが変わらず立っている。
(どれくらい危険かも分からないんだから。ここで引くのも、正しい判断だと思う)
ネイルは去っていく冒険者たちを見送った。
自分もBランクだ。ここで辞退すればいい。こうした要請を避けられるように、その等級に留まってきた。
(主は、どうする?)
(僕は残るよ。僕の知らないことがあるかもしれないしね)
ネイルは壇へ目を戻した。
(それに、昨日の子も気になる。乗りかかった船だし、最後まで付き合うよ)
(……少し変わったな)
(かもしれないね)
「残るのだな」
隣から、アデルが声を落として尋ねた。
「うん。気になることがあるから」
「差し支えなければ、あとで聞かせてくれ」
「いいけど、まだ何も分かってないよ」
「私も同じだ。何が起きているのか、確かめに行こう」
ネイルが頷くと、アデルも壇へ目を戻した。
最後に広場を離れた一団を見送ってから、ハルラスが口を開いた。
「辞退した者たちを責めるな。危険の程度が分からない以上、退くのも一つの判断だ」
相談の声が収まり、残った者たちが壇へ向き直る。
「ここに残った者は、参加するものとして話を進める。グリン、続きを頼む」
「はい。これより、精霊が確認された位置を記した地図をお配りします」
グリンが目配せすると、壇の脇で待っていた魔導衆が、地図の束を手に広場へ散った。
ネイルも一枚を受け取り、隣のアデルと覗き込む。
北東の精霊保護林に集まる印と、西方に描かれた青い囲み。客車でグリンに伝えた場所が、配られた地図にも書き込まれていた。
「皆様、お手元に届きましたか。印があるのは、これまでに確認された四十七体の位置です。西方の青い囲みは、昨日、新たに目撃された範囲になります」
「……ずいぶん広いな」
少し離れたところから、声が聞こえた。別の冒険者が仲間の地図へ手を伸ばし、保護林から西方までを指で辿っている。
「西方の精霊が、確認済みの個体と同じものかは分かっておりません。目撃位置にも幅がありますので、囲みの周辺まで調べてください。ほかの班には、既に印のある場所と、その周囲で精霊がいると見込まれる場所を分担していただきます」
アデルが紙の端を持ち直した。ネイルも手を少しずらし、二人の間に地図を広げる。
「編成については、既にパーティーを組んでいる方々には、魔導衆の隊員を同行させます。個人で参加された方は、冒険者二名に隊員一名を加えた、三名の班を組んでください。よろしいでしょうか」
何人かが周囲を見渡したが、異議を唱える者はいなかった。
「では、壇に向かって、パーティーの方は右側へ。個人の方は左側へお移りください」
グリンが左手を上げると、広場の石畳に白い線が浮かび上がった。壇の前から、人々の足元を通って後方へ、まっすぐに伸びていく。
ネイルは地図を畳み、左側へ移った。
「ネイル。私と組まないか」
すぐ隣から、アデルが声をかけてきた。
「いいよ」
答えてから、ネイルはアデルと並んだ。
「いつも一人だから、こういうのって少し変な感じだね」
「一人の方が、性に合っているのか?」
「うん。受ける依頼も、行き先も、自分で選べるからね」
「その気楽さは分かる。私は、自分では選ばない場所に行くのも、悪くないと思っているが」
アデルは、まだ組む相手を探している冒険者たちへ目を向けた。
「今日は、どっちにしても行き先は選べないね」
「そうだな。だが、誰と行くかは選べる」
その目が、ネイルへ戻ってきた。
「……そっか。じゃあ、よろしくね」
「ああ。よろしく頼む」
魔導衆の中から、一人の若いエルフが近づいてきた。ほかの隊員たちが各組の人数を確かめている間に、迷わずこちらへやって来る。
身軽な装いで人の間を抜けてくる姿を見て、ネイルは顔を思い出した。昨日、見張りをしていた青年だ。
「ネイル様。僕は、こちらの班に入るよう命じられています」
青年は二人の前で足を揃え、頭を下げた。
アデルが彼を見て、それからネイルへ目を向ける。
「……君は、お姫様なのか?」
「いや……Bランクの冒険者だよ」
「それは聞いた。ずいぶん丁寧に扱われているようだが」
「僕も、普通でいいんだけどね……」
青年が顔を上げ、二人を見比べた。その口が開きかけたところで、壇からグリンの声が響いた。
「班が決まりましたら、同行する隊員から担当区域を確認してください。調べていただきたいのは、精霊のことだけではありません。小さなことでも、異変があれば報告をお願いします」
グリンは広場を見渡し、続けた。
「また、戦闘が起きた場合は、上空へ炎の魔法などで合図を。同行の隊員にも、合図の方法は伝えてあります」
各班で隊員たちが紙を取り出し、冒険者たちへ広げ始めた。
「僕たちの分も、持ってるの?」
「はい。ここに」
青年は胸元へ手をやり、そこで、何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、名乗っていませんでしたね。魔導衆、散策班のフィンです。よろしくっ……じゃなくて、よろしくお願いします」
「グリンの部下だったんだ」
「はい。……今の、言わないでくださいね」
「言わないよ」
フィンは少し笑って、アデルへ向き直った。
「私はアデル・セレスティア。Aランクの冒険者だ」
「僕はネイル。Bランクの冒険者だよ。『さん』でいいから、よろしくね」
「では、ネイルさん。よろしくお願いします、お二人とも」
フィンは懐から紙を一枚取り出した。ネイルがもう一度地図を広げると、その横に並べる。
「僕たちは西方です。ネイルさんが昨日、精霊を見つけた場所を調べるように、とのことです」
青い囲みのある辺りを示す指は、迷わなかった。
「そっか」
「昨日の報告は、君だったのか?」
アデルがネイルを見る。
「うん。猪の討伐依頼を受けててね。倒したあとに、風の精霊が近づいてきたんだ」
「さっき、気になると言っていたのは、その精霊のことか」
「うん。昨日は、そのまま見送っちゃったから。もう一度会えたら、今度は僕から呼んでみようと思って」
アデルは地図へ視線を落とした。青い囲みを確かめてから、ネイルを見る。
「では、まずは見つけよう」
フィンが持つ紙にも、同じ範囲が記されていた。ネイルは二枚を見比べる。
「正確な場所までは、覚えてないよ?」
「ええ。まずは薬草の群生地まで行って、そこから南へ。近くまで行けば、何か見覚えがあるかもしれませんし」
フィンは地図の道筋を辿り、顔を上げた。
「そういうわけで、案内、頼みます!」
「うん。分かるところなら──」
フィンの笑顔が、ふと止まった。
ネイルもその視線を追った。壇の脇にいるグリンと目が合い、彼の目がフィンへ移る。
「……いや、道中は僕が先導します。もちろん」
フィンは地図を持ち直した。
「そんなに畏まらなくても、僕は平気だよ。さっきみたいなのも好きだし」
「私も構わない」
「……お二人がそう言ってくださると、助かります」
フィンは少し肩を下げた。
「でも、グリンさん、怒るとめちゃくちゃ……」
声が小さくなり、最後は聞き取れなかった。
各班の相談が落ち着いてきた頃、ハルラスが壇の前へ出た。
「担当は確認できたな。これより、それぞれの区域へ向かい、調査を始めてくれ」
地図を見ていた者たちが顔を上げる。
「生きて帰ってこい。以上だ」
返事が重なった。冒険者たちは地図をしまい、仲間とともに動き出す。
門へ向かった一団は、ネイルがそちらを見た時には、もう広場の端にいた。外套が翻り、次には建物の陰へ消えている。
「……早いね」
ネイルは隣の二人を見た。
「僕たちも、そうする?」
「私は構わない」
「そうしたいんですけど……グリンさんから、出発前に待っているように言われてまして」
「フィン。こちらへ」
いつの間にか、グリンがすぐ近くまで来ていた。
「はい。今、伺おうと──」
グリンはフィンの襟元をつかむと、そのまま少し離れた場所へ連れていった。フィンは逆らわず、地図を折り畳みながらついていく。
「愉快だな」
アデルが二人を見送りながら言った。
「今だけだよ、きっと」
「そういうものか」
離れたところで、グリンがフィンの持つ紙を示していた。フィンが頷いて何かを答える。グリンがさらに言葉を続けると、少し丸まっていた背筋が伸びた。
やがて戻ってきた時には、フィンの笑みは少し控えめになっていた。
「お待たせしました」
後ろから、グリンも歩いてくる。
「ネイル様、お手間を取らせました」
「それくらい平気だよ」
「ああ。こちらは問題ない」
アデルも頷いた。
フィンは二人を見てから、地図を開いた。
「西門を出て、まずは薬草の群生地へ向かいます。道中の案内と周辺の警戒は、僕が。昨日の場所に近づいたら、ネイルさんにも確認をお願いします」
「うん。それなら任せて」
グリンが手元の紙から顔を上げた。
「頼みますよ、フィン」
「はい」
フィンは今度は目を逸らさず、小さく頷いた。
「では、行ってきます」
先に歩き出したフィンに、ネイルとアデルが続いた。




