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第28章 次の一杯

 ネイルはアルフヘインの門をくぐり、冒険者ギルドへ戻った。


 扉を開け、そのまま受付へ向かう。対応してくれたのは、朝と同じ受付の女性だった。


「ネイル・エクセリアさんですね。依頼の取り下げでしょうか?」


「ううん。討伐してきた」


 ネイルは討伐証明の牙を一本、カウンターへ置いた。


 受付の女性が、わずかに目を見開く。


 けれど、それも一瞬だった。牙を確認すると、淡々と書類の処理を進めていく。


「討伐を確認しました。こちらが報酬です」


 差し出されたのは、金貨一枚と銀貨四十枚。


 ネイルは報酬と、確認を終えた牙を受け取り、外套の内側へしまった。


「お疲れさまでした。次のご依頼も、よろしくお願いしますね」


 朝より、少しだけ言葉が増えた気がする。


(もしかして……いっぱい頑張ったら、もっと話してくれるのかな)


 そんなことを考えていると、背後から声がかかった。


「おう、エルフの姉ちゃん。鎧牙猪(アーマードボア)は倒せたか?」


 振り返ると、朝、声をかけてくれたドワーフがいた。


「じゃーん」


 ネイルはしまったばかりの牙を取り出し、見せた。


「本当に一人で倒してきたのか。大したもんだ」


「追いかけ回されたけどね……」


「だから言ったろ。あいつは速いって」


「うん。速かった」


 ネイルは牙をしまい、続けた。


「それと……肉も持ってきたよ」


「本当か?」


 討伐の話をした時より、声が弾んだ。


「心配してくれたから。君の分も」


「そりゃ、ありがたいな。じゃあ今日、一緒に食うか?」


「うん」


 ドワーフは食堂へ振り返り、空いている卓を確かめた。


「肉は焼いてもらおう。酒は俺が出す」


「いいの?」


「肉をもらって、酒まで出させるかよ」


 大きな手で背中を軽く押され、ネイルは食堂へ入った。


 ◇


 持ち込んだ肉を見た料理人は、まず空いていた大皿を二枚、調理台へ並べた。


「これ、全部焼いていいのか?」


「うん。食べる分だから」


 横から覗き込んだドワーフが、肉とネイルを交互に見た。


「姉ちゃん。何人で食うつもりだった?」


「二人」


「俺を買いかぶりすぎだ」


 結局、食べきれそうな分から焼いてもらうことになった。


 厨房の奥で火が強められ、肉を切る包丁の音が続く。


 窓際の卓へ腰を下ろすと、すぐに木杯が二つ運ばれてきた。ネイルの杯には、甘い香りのする果実酒が注がれている。


「無事の帰還に」


「お肉にも」


 木杯を軽く合わせる。


 一口飲むと、果実の甘さの後に、喉の奥へ温かさが残った。


「……おいしい」


「こいつは肉にも合うぞ」


 ドワーフが杯を傾けた時、隣の卓から聞き覚えのある笑い声がした。


 ネイルは木杯を持ったまま、そちらを覗き込む。


「ガルド?」


 椅子の背へ腕を掛けていた大男が、振り返った。


「おお、ネイルじゃねえか!」


 立ち上がる勢いで、卓の上の杯が揺れる。


 ガルドは隣で飲んでいた冒険者へ一声かけ、そのまま自分の杯を持ってやってきた。


「城の用事は終わったのか?」


「今日はお休み。猪を倒してきた」


「休みなのに働いたのかよ」


「簡単なのを、一つだけ」


 ドワーフが空いた椅子を足で引いた。


「知り合いなら座れ。肉が余る」


「いいねえ。ありがたくいただくぜ」


 ガルドは遠慮なく腰を下ろした。


 右肩の鎧には、旅の間に巻かれていた革帯がない。新しい金具の縁が、窓から入る光を返している。


「鎧、買えたんだ」


「おう。肩も脇腹も、今度はちゃんと守れるやつだ」


 ガルドは肩当てを叩き、すぐに手を引っ込めた。


「まだ傷はつけたくねえけどな」


「守ってもらうんでしょ?」


「それはそれ、これはこれだ」


 ネイルは少し笑って、また杯へ口をつけた。


「ちょうどよかった。お前に聞いてみたいこともあってな」


 ガルドが杯を置く。


「俺たち《ブレイズ・フォーカス》に、昇級の話が来てる」


「そうなの?」


「Aだ」


 ドワーフが、飲みかけていた杯を止めた。


「そりゃ、めでたいじゃねえか」


「まだ返事はしてねえんだ」


 ガルドは太い指で、杯の取っ手を撫でた。


「上がりたいとは、ずっと思ってたんだぜ。けど、この前の道中を思い出すとな」


 ネイルは黙って続きを待った。


「お前がいなかったら、どうなってたかってよ。こっちに着いてからも、時々考えるんだ」


 新しい肩当ての下へ、ガルドの視線が落ちる。


 そこにはもう傷は見えない。けれど、ネイルには血に濡れた鎧が思い出せた。


「最後に群れを倒したのは、ケンだったでしょ」


「そりゃ、最後はな」


「そこへ集めたのは、ガルドとツバキだし。僕は横で見てたよ」


 盾が群れを押し返し、ツバキが回り込む個体を追い立てる。


 ケンの声でガルドがしゃがみ、その頭上を風の刃が抜けていった。


「君たちとなら、僕はまた仕事をしたいけどな」


 ガルドが顔を上げた。


 ネイルは、杯を両手で包んだまま続ける。


「Aに行きなよ。僕は、君たちがそこにいてもおかしくないと思ってるよ」


 ガルドはすぐには返さなかった。


 やがて口元を緩め、鼻の下を指でこすった。


「……お前がそう言ってくれるなら、前向きに考えるわ」


「うん」


「ケンにも話す。俺は、上がりたいってな」


「……で、お前は?」


「僕?」


「お前だって、Aに上がれるだろ」


「僕は、今のままでいいかな」


「人には勧めといて、それかよ」


「ガルドは、上がりたいんでしょ?」


 ガルドはネイルの顔を見て、笑った。


「……ああ。そうだったな」


 そう言って持ち直した杯を、ドワーフが自分の杯で軽く叩いた。


「次に飲む時が楽しみだな」


「おっさんは、上を目指さねえのか?」


「俺はまだCだ。まずはBだな」


「僕もBだよ」


「姉ちゃんは、もう知ってる」


 ドワーフが呆れたように笑い、三人で杯を傾けた。


 ◇


 厨房から、大皿が運ばれてきた。


 厚く切られた猪肉の表面には、濃い焼き色がついている。脂の弾ける音に混じって、潰した香草の匂いが立った。脇には焼いた芋が積まれ、肉汁を吸ったところだけ色が深い。


「熱いから、気をつけな」


 料理人の声が終わる頃には、ガルドが一切れ取っていた。


 口へ放り込み、すぐに目を見開く。


「あっつ……うまっ」


「どっちだよ」


「どっちもだ!」


 ドワーフは自分の肉を少し切り、湯気を逃がしてから頬張った。


 二度、三度と噛み、そのまま杯を取る。


「こいつはいい。噛んだ後も、脂の甘みが残る」


 ネイルも、小さく切った一切れを口へ運んだ。


 表面は香ばしく、中には歯を押し返す弾力がある。噛むと肉汁が広がり、後から香草の香りが鼻へ抜けた。


「おいしいね」


「おう。いい猪を仕留めたな」


 ネイルは、得意げに顎を上げた。


「僕が倒したからね」


 頬が少し熱い。杯の中身も、いつの間にかだいぶ減っていた。


(焼いたのは、あの料理人だがな)


(ちゃんと、おいしいところを持ってきたでしょ)


(それは認めよう)


 パレードにまで認められ、ネイルはますます胸を張った。


「追いかけ回された甲斐はあったな」


「大変だったんだよ。ずっと僕の後ろを走ってきて」


「そりゃ、追いかけられてたんならそうだろ」


 ガルドが笑った。


 ネイルも笑いながら、皿からもう一切れ取る。


 肉が減るにつれ、卓の端には空いた皿が重なっていった。料理人が次の大皿を置くと、隣の卓からも顔が向く。


 卓の間を皿が行き来するようになり、空いたところへ椅子が寄せられる。ネイルは自分の皿を引き寄せ、新しく来た杯の置き場を空けた。


「……ガルド。ここにいたんだ」


 聞き慣れた声に、ガルドが肉を頬張ったまま振り返る。


 食堂の入口に、ケンとリリィが立っていた。


「ギルドで待つって、そういう意味だったの?」


「ちゃんと待ってただろ」


「随分、楽しそうにね」


 ケンは困ったように笑い、その隣でリリィが目を丸くした。


「ネイルちゃんもいる!」


「リリィ。ケンも。お肉、食べない?」


 ネイルは隣の椅子を引いた。


 リリィは一瞬だけネイルを見つめ、それから嬉しそうに笑う。


「食べる。今日は、ネイルちゃんから誘ってくれたね」


「うん。僕が持ってきたんだ」


 ネイルはまた、少し顎を上げた。


 リリィがその顔を覗き込む。


「……お酒、飲んだ?」


「少しだけ」


「そっか。お水ももらおうね」


 リリィが給仕へ頼むと、木杯の隣へ水の入ったコップが置かれた。


 ネイルは一口飲む。冷たい水が、温まった喉を通っていった。


「宿の伝言、届いたよ。ギルドの裏なんだってね」


「近くていいでしょ」


「うん。これなら会いに行きやすい」


 リリィが隣に座り、ケンもガルドの向かいへ腰を下ろした。


 ネイルが二人の皿へ肉を取り分け始めると、ドワーフが大皿を引き寄せた。


「そっちは俺がやる。姉ちゃんの分が冷めるぞ」


「じゃあ、お願い」


 ネイルは手元の皿へ戻り、肉を一切れ頬張った。


 向かいでは、ドワーフが切った肉をガルドがケンの皿へ運んでいる。


「そんなに食べられないよ」


「うまいぞ?」


「おいしさの話はしてない」


 リリィが笑い、自分の皿を二人の間へ差し出した。


「じゃあ、その分は私に」


「セインとツバキは?」と、ネイルは尋ねた。


「二人とも、先に食べるって。セインが買ってきた本の話を始めちゃってね」


 リリィはそう答え、皿の上の肉へ目を輝かせた。


「私たちの分、残っててよかった」


「まだ焼いてないのもあるよ。二人の分も、包んでもらおうか」


「喜ぶと思う」


 ネイルは料理人を呼び、残りも焼いて包んでほしいと頼んだ。


 ガルドは、それを見届けてからケンへ向き直る。


「なあ。昇級の話なんだけどよ」


 ケンが杯を置いた。


「考え、決まった?」


「ああ。俺は受けたい」


 ガルドは照れくさそうに、ネイルへ顎を向けた。


「こいつにも背中を押された。俺たちがAにいても、おかしくないってよ」


 ケンがネイルを見る。


「本当に、そう思いますか?」


「うん。一緒に仕事をしたから、そう思う」


 短く答えると、ケンは手元の杯へ目を落とした。


 親指で縁をなぞり、ゆっくり頷く。


「……ありがとうございます」


 それからガルドとリリィを見た。


「僕も、受けたいと思ってる。セインとツバキも賛成だったし、ちゃんと返事をしよう」


「そうだね。これからも、五人で」


 リリィが頷くと、ガルドは勢いよく杯を持ち上げた。


「よし! 《ブレイズ・フォーカス》、前へ進むぞ!」


「まだ正式に上がったわけじゃないからね」


「分かってる! まずは気合いだ!」


 笑いながら、ケンも杯を上げた。


 リリィが続き、ネイルは手元の水のコップを持ち上げる。


 木杯に混じって、澄んだ音が鳴った。


 ドワーフも杯を掲げ、隣の卓からは事情を知らないまま祝う声が飛んできた。


「Aになったら、次の一杯は俺たちが出すぜ!」


 ガルドが言った途端、食堂のあちこちから返事が上がった。


 ケンが片手で額を押さえる。


「……今の、どこまで聞こえたと思う?」


 ネイルは水を飲みながら、食堂を見回した。


「たぶん、ほとんど」


 ガルドが固まった。


 少し離れた厨房で、料理人まで手を上げていた。


 笑いが落ち着いたところで、リリィがネイルの腰へ目を留めた。


「そういえば、ネイルちゃん。剣も持ってるけど、使うの?」


「そうだよ。まだ話してなかったね」


 ネイルは頬を緩めたまま、外套の裾を少し持ち上げた。


「《常刃》っていってね。昔、ドワーフに作ってもらったんだ」


「その剣が?」


 向かいのドワーフが、杯を手にしたまま覗き込む。


 鞘にも柄にも、目を引く飾りはない。大皿を囲んでいる間は、誰も気に留めなかった一振りだった。


「うん。見た目は普通なんだけどね」


 ネイルは鞘ごと剣を腰から外した。


「危ないから、少し離れててね」


 リリィが椅子を引く。ケンも卓の端にあった杯を寄せ、場所を空けた。


 ネイルは周りを確かめてから、ゆっくりと柄を引いた。


 現れた刀身に、灯りが細く映る。


 ドワーフの口元から、笑みが消えた。


「……待て。もう少し、灯りの方へ」


「こう?」


 ネイルが手首をわずかに返す。


 刃元から切っ先まで、細い光の筋が滑った。ドワーフは杯を置き、身を乗り出しかけて止まる。


「この刃の通り……いや、研ぎだけじゃねえな」


 刃には触れず、角度を変えて見つめている。先ほどまでの大きな声が、独り言ほどに小さくなった。


「どこのどいつだ、こんなものを打ったのは……」


 刀身に映る灯りを見つめながら、ネイルは懐かしい声を思い出していた。


 《静かな打ち手》ドルガン。


 今にして思えば、名工だったのだろう。


 ふらりと立ち寄ったドワーフの国で出会い、少しだけ一緒に旅をした。


 目指したのは、未開拓地『鋼池(フェルム・ラクス)の深淵』。通称、『鋼池(フェルム・ラクス)』。


 鈍い銀色に覆われた、巨大な池だった。


 そこを満たしているのは、水ではない。熱せられているわけでもないのに固まらず、絶えず流れ続ける、液体の鋼。


 その表面に立つことはできないという。触れた足へ鋼がまとわりつき、もがくほどに身体を覆う。やがて、その重みに引かれて底へ沈んでいくのだと。


 そこに棲む生き物たちは、《剛殻》と呼ばれる外殻をまとっていた。鋼を遥かに上回る硬さを持ちながら、その身体は池の中を自在に泳ぐ。


 わざわざ獲物を追う必要もない。池に捕らわれたものが、沈んでくるのを待つのだという。


 ドワーフでさえ、容易には近づかない場所だと言われていた。


 ただ、この池では、長い年月をかけ、《剛殻》すら削る金属が生まれるという。


 深鋼(しんこう)。


 当時は、見た者がいるのかさえ定かではなかった。ただ、古い言い伝えが残っていた。


 深鋼は、鋼の沈む先、最も深き場所で生まれる。


 誰も帰らぬと語られていた、鋼池(フェルム・ラクス)の深層に。


「ネイル。おまえは行けるか、あの地へ」


「どうだろう?」


「相変わらず、否定はしないのか」


 ドルガンは、それで話が決まったように頷いた。


「いいものを打ってやる。行くぞ」


「あるかどうかも、分からないよ?」


「あるかないかなんて、行けば分かる」


「……そうだね。行こう」


 その深層は、意外にも銀世界だった。


 頭上には、幾重にも折り重なる白銀の流れがあった。淡い光がその表面を滑り、遠くまで銀色のうねりを浮かび上がらせている。深く潜ってきたはずなのに、そこに闇はなかった。


 ネイルが二人の周囲に張った薄い膜へ、鋼が絶え間なく押し寄せる。頭上から垂れた流れは膜に沿って広がり、左右からも銀の筋が這い上がってきた。池そのものの重みが、小さな空間を押し潰そうとしていた。


「こんな場所にあるの……?」


「さあな」


 ドルガンは足を止めずに答えた。ネイルも、それ以上は訊かずに隣を歩いた。


 やがて、ドルガンがしゃがみ込んだ。


 流れる鋼の隙間に、鈍く光る塊が覗いていた。周囲の銀が形を変え続ける中で、それだけは動かない。


 彼はしばらく眺めてから、そっと手を伸ばした。


 言い伝えにしかなかった、深鋼だった。


「俺はこれで、至上の武器を打つ」


 ドルガンは言った。


「それを、おまえに託す」


「ええ……。国とか、それこそ勇者に渡しなよ」


「おまえがいい」


 ネイルは、彼の顔を見た。


「……そっか」


「ネイルちゃん?」


 呼ばれて目を上げると、リリィがこちらを覗き込んでいた。


 杯の触れ合う音がする。向かいのドワーフは、まだ刀身を見つめている。


「すごいでしょ」


 ネイルが得意げに顎を上げる。


 ドワーフはその顔を見る余裕もないまま、深く頷いた。


「ああ。こいつは、すごい」


「ふふ」


「剣を褒められてるのに、どうしてネイルちゃんが嬉しそうなの?」


「大事に使ってるから」


 少し酔った声で答え、ネイルは《常刃》をゆっくりと鞘へ収め、腰へ戻した。


 納めてしまえば、また目立たない一振りだった。


 けれどドワーフの目は、まだ剣から離れなかった。


「それで、誰が打ったんだ……?」


「ドルガン」


 ネイルは、何でもないことのように答えた。


「一緒に、ちょっと旅をしたんだ。池までね」


「ドルガン……?」


 ドワーフが顔を上げる。


「《静かな打ち手》の、あの名工ドルガンか!?」


 隣でガルドが振り向いた。リリィも驚いて、ドワーフとネイルを見比べる。


「うん。そう呼ばれてたね」


「そう呼ばれてたって……」


 ドワーフは何か言いかけ、もう一度、鞘へ目を落とした。


「俺たちの間じゃ、今でも名の挙がる打ち手だぞ。その一振りが、こんなところに……」


 大きな手が、剣へ伸びかけて膝に戻る。


「……使い心地は、どうなんだ」


「いいよ。よく切れる。今でも」


 ネイルが答えると、ドワーフは鞘から目を上げた。


「そうか」


 今度は、ネイルの顔を見て頷いた。


「……いいものを見せてもらった」


 ネイルは、腰へ戻した《常刃》にそっと手を添えた。


(だってよ、ドルガン)


 君の軌跡は、まだ続いている。


 ◇


 ギルドを出る頃には、通りに灯りがともっていた。


 リリィは、セインとツバキへ持っていく包みを大切そうに抱えている。ガルドはケンに、次の酒代は共同費から出さないよう念を押されていた。


「ネイルちゃん、一人で戻れる?」


「すぐ裏だから。もう、お酒も抜けたよ」


「じゃあ、またね」


「うん。また食べよう」


 三人と別れ、ネイルは一人で裏の通りへ入った。


 少し歩いただけで、食堂の声は建物の向こうへ隠れた。


 自分の足音が、石畳に戻ってくる。


 宿の入口にいた護衛へ「ただいま」と声をかけ、二階へ上がった。鍵を回して部屋に入り、背負っていたパレードと腰の《常刃》を寝台の脇へ置く。


 外套を脱ぐと、袖にまだ肉を焼いた匂いが残っていた。


(楽しかったね)


(主は、肉を褒められるたびに同じ顔をしていたぞ)


(そんなに?)


(見せてやれないのが惜しいくらいだ)


 ネイルは窓硝子を覗いた。


 映った自分の顔を見ながら、少しだけ顎を上げてみる。


(……こんな感じ?)


(ああ、それだ)


 堪えきれず、ネイルは一人で笑った。


 杯をぶつけた音も、ガルドの大きな声も、まだ耳に残っている。


 次の一杯を飲む頃、あの五人はAになっているだろうか。


 壁の掛け具へ外套を掛け、寝台へ潜り込む。


 窓の外を誰かの足音が通り過ぎた。ネイルは枕へ頬を埋め、目を閉じた。


 ◇


 翌朝、扉を叩く音で目が覚めた。


「ネイル様。グリンです」


 寝台を降りて扉を開けると、深緑の上衣を着たグリンが一礼した。


「朝から失礼いたします。ハルラス様より、至急、王城へお越しいただきたいとのことです」


「何かあったの?」


「精霊保護林の件で、お力をお借りしたいと」


 ネイルは、目元へ持っていきかけた手を止めた。


 昨日、森の奥へ流れていった風。


 ネイルには目もくれず、木々の間を横切った小さな姿。


「……分かった。支度するね」


 ネイルは寝台の脇へ戻り、黒い杖を取った。

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