第23章 一か月の城
客室へ戻ったネイルは、《常刃》を腰に差し、旅鞄に残りの荷物を詰めた。
大半はパレードの異空間に収めてある。まとめ終えてもグリンは来なかった。
(門まで行こう)
(入れ違いにならないか?)
(侍女さんに伝えておけばいいよ)
濃緑のフードを被り、近くの侍女へ伝言を頼んで正門へ向かう。白い門柱を通ろうとすると、軽鎧姿の守衛が一歩前へ出た。
「お待ちください。ネイル様を、お一人で城外へお通ししないよう申しつけられております」
「そうなの?」
守衛が詰所へ確認しようとした時、王城から細身の影が駆けてきた。
首筋の金髪を揺らし、グリンがネイルの前で足を止める。走ってきたはずなのに、細身の眼鏡も深緑の上衣もほとんど乱れていない。
「お待たせいたしました」
「待てなくて、ここまで来た」
「そのようですね」
グリンは小さく笑い、守衛に二言ほど告げた。すぐに門の中央が開けられる。
「別の仕事から抜けてきたんでしょ。すぐに宿を決めよう」
「引き継ぎは済ませております。こちらも私の仕事です」
並んで門を出る。ユグドラシルの根に沿った石畳の道を歩き始めると、グリンが尋ねた。
「ネイル様は、どのような依頼を選ばれるのですか」
「一人で終わるもの。採取や、小さい魔獣の討伐かな」
「では、今回のような護衛は珍しいのですね」
「うん。六人で受けたのは、久しぶり」
「いかがでしたか」
前を歩く五人の背中を思い出す。
「悪くなかったよ」
グリンは眼鏡の奥で目を細め、それ以上は聞かなかった。
話しているうちに人通りが増え、二人は冒険者ギルドから一本裏の通りへ着いた。
木組みと白壁の宿は、花壇と窓硝子までよく手入れされている。青灰色の屋根の下に小さな庇があり、飾り立ててはいない。寝る場所としては十分に清潔に見えた。
「ここにする。ギルドに近いから」
ネイルのポーチには、未提出の依頼達成票が入っている。演習が終わった後に出しに行くにも、ここなら都合がいい。
扉を開ける。小さな鐘が鳴り、受付の奥にいた中年のエルフが顔を上げた。
グリン、濃緑のローブ、背の銀の紋章へと視線が移り、男は椅子を倒しかける勢いで立ち上がった。
「すぐに貴賓室をご用意いたします」
「安い部屋で大丈夫」
「で、ですが、王家の御客人をそのような部屋へお通しするわけには……。二階の角部屋でしたら、応接間も浴室もございます」
「寝られればいいよ。広い部屋は、落ち着かないから」
男は助けを求めるようにグリンを見た。
「ご本人の希望です。通常の宿泊客として扱ってください」
グリンの言葉に、宿の主人は帳簿を開き直した。
「では、冒険者の方が使われる通常のお部屋を。一か月で金貨一枚となります」
王都中央に近いなら、不当な値段ではない。それでも、ネイルはポーチを開く前に尋ねた。
「もう少し、安くならない?」
宿の主人が目を丸くし、グリンは眼鏡の位置を直した。
「通常の交渉です。難しければ、そうお伝えください」
「そ、そういうことであれば……銀貨九十枚ではいかがでしょう」
「八十五枚」
即座に返すと、主人の顔から怯えが少し消えた。代わりに、宿を営む者の目でネイルを見る。
「銀貨八十七枚で。朝食もおつけします」
「分かった」
一か月分を銀貨八十七枚で前払いし、鍵を受け取る。
交渉を終えた宿の主人は、ようやく王家の御客人ではなく、一か月泊まる客を見る顔になっていた。それがネイルには少し嬉しい。
(満足そうだな)
(最初より、銀貨十三枚も安くなった)
(金貨十五枚を受け取ったばかりではないか)
(それとこれは別)
グリンは何かを言いかけ、代わりに王城への連絡札を宿の主人へ渡した。
「僕も、伝言をお願いしてもいい?」
主人が帳簿から顔を上げた。
「はい。どちらへ?」
「エルモンド商会にいる、リリィへ。しばらく、ここに泊まるって」
「かしこまりました。宿の名も添えて、お届けします」
主人が別の紙へ書きつけるのを見て、ネイルは鍵をポーチへ収めた。
グリンが続けた。
「向かいの部屋には、王城の護衛が入ります」
「扉の前には、立たせないで」
「承知しました」
互いの線を決めると、グリンは城へ戻っていった。
案内されたのは、二階の廊下の奥にある小さな部屋だった。
白い布の掛けられた寝台と、窓際の机。荷物を収める木箱。仕切りの向こうには、小さな洗面室もある。休むために必要なものだけが、手の届く範囲に収まっていた。
ネイルは旅鞄と未提出の依頼達成票を机に置き、黒い杖を壁へ立てかけた。《常刃》は寝台の脇へ置く。
部屋の中央で、もう一度見回す。
「いいかも」
(王城の部屋とは随分違うな)
(広すぎないから、こっちの方が落ち着く)
寝台へ仰向けに倒れ込んだ。
手を伸ばせば、机に届きそうだった。起き上がらなくても、部屋のほとんどが見える。
長い旅で寝る場所は幾つもあった。そのどこでも、荷をまとめればすぐに出られた。
ここも、今はまだ同じだ。
王城の客室は、ルーナから借りた場所だった。この部屋は自分で選び、値段を決め、鍵を受け取った。
「ここを、一か月の城にしよう」
(安上がりな城だな)
(八十七枚だからね)




