第21章 残りの三点
最初の一人に伝え終えると、ネイルは、詠唱前から標的を見据えていた術者の近くへ向かった。
フードの奥で、瞳へ細く魔力を通した。
固有の魔眼〈万理眼〉が、誰にも気づかれないまま開く。
景色の上へ、魔素の偏りが淡い線となって浮かんだ。
術者から魔力が漏れているわけではない。それでも、視線と足先、周囲の魔素の乱れから、どこへ撃つつもりなのかは分かった。
「少し、いい?」
術者が収束を解き、向き直る。
「何か、気になるところがありましたか」
「その構えのまま、隣の標的にも撃てる?」
術者は標的を見てから、前に立つ剣士へ目を向けた。
「できます。ただ、狙いを変えると少し遅れて……。前衛にも、合わせてもらう必要があって」
「うん。二人で、一度試してみてくれる? 撃てないと思ったら、止めていいから」
術者が剣士へ声をかけ、二人で狙う標的を確かめた。
術者が正面の標的へ足先を揃える。剣士が横へ退くと、術者の掌に淡い光が集まった。
放つ直前、術者が手首だけを隣へ返す。
けれど、狙いを変えるのに少し手間取った。その間に剣士が動き、撃とうとした先に肩が入ってきた。
術者は放たず、掌の光を消した。
「今のは、私が動くのが早かったな」
剣士が肩越しに振り返る。
「こちらも、思ったより時間がかかった」
二人は互いの位置を確かめ、それからネイルを見た。
「今は、そこまででいいよ。続きは、魔法を撃たずに動きを合わせてみて」
「一つ、聞いてもよろしいですか」
「うん」
「どうして、構えは変えないんですか? いつもの撃ち方なら、もっと早く撃てるのですが」
「僕には、詠唱する前から狙いが分かったから」
術者は、自分の掌へ目を落とした。
「術式も詠唱も、外へ漏らしていないつもりでした」
「そこは、すごく綺麗だったよ。でも、目と足が先に向いてる。魔素の向きも、そっちに行ってる」
万理眼のことは言わず、見えたものだけを伝えた。
「そこも、隠した方がいいですか」
「全部は隠せないし、隠そうとして遅くなったら困るでしょ」
「はい。前衛を待たせてしまいます」
「だから、普段の撃ち方まで変えなくていいよ。狙いを読まれた時に、別の場所へも撃てればいいから」
術者は、二つの標的を見比べた。
「……なるほど。それで、構えは変えないんですね」
「うん。構えても撃たないとかね。やりやすいものからでいいと思う」
術者が剣士を見ると、剣士は射線から退いて頷いた。
◇
訓練が一巡した頃、ハルラスが休止を命じた。
装備を確かめ、水を取りながら、何人かは先ほど指摘された動きを静かに繰り返している。
先ほどの術者が、前衛の剣士を呼び止めた。
「術は出さないから、さっきの位置に戻ってもらってもいいか?」
剣士が頷いて戻る。術者は掌を隣の標的へ向け、二人で立つ位置を確かめ始めた。
ネイルは口を挟まず、しばらく眺めた。
ハルラスに促されて、修練場を見渡せる短い回廊へ向かう。
「ほかに、気になったところはございますか」
「ほとんどないよ。よく練習しているんだね」
「それでも、手練れの魔人を相手にすれば、今のままでは厳しいでしょうか」
ネイルは修練場を振り返った。
「今見た分だけだと、分からないかな」
ハルラスも、隣に立って隊員たちを見た。
「どうすれば、確かめられますか」
「敵役にも動いてもらう。さっきの二人も、どこへ撃つかは先に決められたでしょ。でも、戦ってたら、味方も思ったとおりには動けないから」
術者が掌を上げ、剣士がその前を横切った。今度は、掌が標的へ向く前に通り過ぎる。
「予定どおりにいかなくなってから、二人がどう動くかは、まだ見てない」
「合図を待たずに、自分で判断しなければならない場面もありますね」
「うん。それに、敵がどこを狙っているか分からないと、違う場所を守りに行っちゃうかもしれない」
ハルラスはしばらく黙っていた。
「一年前も、そうだったのでしょうか」
ネイルはハルラスを見た。
「我々は、相手の狙いを読み違えたのか。それとも、途中で立て直せなくなったのか」
「分からない。僕は、その場を見てないから」
ハルラスは何も言わなかった。
「見てない人の死を、分かったように扱うのは……よくない」
原因を一つに決めつければ、備えもそこへ偏る。敵が同じ手を選ぶとは限らないのに。
「ただ、次に考える時間は、少し増やせると思う」
「では、演習でも、敵役にこちらの動きを崩させるのですね」
「うん。今できていることは、そのままでいい。途中でうまくいかなくなった時に、どうするかを試してみたい」
ハルラスは手すりへ目を落とし、静かに息を吐いた。
「敵が何をしてくるかは、選べませんからね。ただ、訓練でどこまでやらせるべきか……」
「あなたたちまで残酷になる必要はないよ」
ネイルの声が、少しだけ静かになった。
「ただ、相手は残酷になれる。それを忘れないで」
ハルラスはしばらく目を閉じ、再びネイルを見る。
「では、その訓練を組んでいただけますか」
ネイルは返事に詰まった。
指摘するところまでは考えていた。自分で訓練を組むところまでは、考えていなかった。
(一人ずつ倒せばいい)
(最初の案に戻さないで)
(崩れた後も見たいのであろう?)
(それで全員倒したら、終わっちゃうでしょ)
否定しながら、修練場を見渡す。
整えられた標的。決められた開始位置。誰が前に立ち、誰が後ろから術を通すのかまで分かっている隊列。
その中へ、自分が入ったら。
ネイルの手が、ローブの上から常刃の柄へ触れた。
「次に僕が来る時、いつもの編成で、防衛演習をしてほしい」
「敵役は、誰が務めるのです」
朝、グリンへ尋ねた言葉を思い出す。
──見たい?
迷いなく返ってきた、はい、という答え。
「僕がやる」
ハルラスの視線が、常刃の柄へ落ちる。
「その剣を使うのですか」
「うん。でも、抜かない。鞘のまま使う。攻撃魔法も使わない」
ハルラスは一度だけ頷いた。
二人が回廊から戻ると、休止中の者たちの視線が集まった。
「次回の訓練では、ネイル殿に敵役を務めていただく。詳細は追って伝える」
修練場から、音が消えた。
誰もどよめかない。ただ、ネイルの腰にある何の変哲もない一振りへ、静かな視線が集まっていた。




