第17章 見抜く者
指南役を引き受けたネイルは、それでも話を終えなかった。
「ただ、一つだけ」
「何かしら」
「僕は、そこまで強くは──」
最後まで言い切る前に、ルーナがハルラスへ顔を向けた。
「だそうだけれど。ハルラス、あなたにはどう見える?」
問われたハルラスは、改めてネイルを見た。
その視線は顔や装備ではなく、ネイルの周囲に生じている揺らぎへ向けられている。
「少なくとも、今の揺らぎから読める出力だけなら、一般の守衛と大差ありません」
「それでも、あなたは違うと?」
「はい」
ハルラスは即座に肯定した。
「むしろ、おかしな点が一つあります」
ネイルの背へ、先ほどとは違う汗が滲んだ。
「王城で確認した活動記録と、今ここに見えている力が、あまりにも釣り合わないのです」
ハルラスの目が、細められる。
「それほど多くの危地を越えてきた者の揺らぎとしては──あまりにも、普通すぎる」
(裏目に出たな、主)
「記録の方が、大げさなんじゃないかな」
「その可能性も考えました」
ハルラスは否定しなかった。けれど、ネイルから視線を外すこともなかった。
「ですから、一つだけ──確かめさせていただきたい」
ハルラスの右手が、ゆっくりと腰の剣へ伸びた。
ルーナが、ごく小さく頷いた。
その合図を受け、ハルラスの指が剣の柄へ触れた。
殺気はない。
周囲の魔素にも、変化はなかった。
柄に触れた手には、余計な力が入っていない。肩も上がらず、腰も沈まない。話を聞いていた時と同じ姿勢のまま、そこに立っていた。
だからこそ、次に何が来るのか分からない。
深紅の絨毯が、ネイルの足元で強く皺を寄せた。
気づいた時には、グリンの背が視界から外れ、ネイルは謁見の間の入口近くまで退いていた。白い髪だけが一拍遅れて頬を打つ。
背中の黒い杖を抜く。
着地より早く、柄の先から夜色の刃が伸びた。
踵が絨毯を擦る。
背には、謁見の間の扉。
鎌の刃は列席者を避け、ハルラス一人だけを間合いに捉えていた。
顔を上げると、ハルラスの目はすでにこちらを捉えていた。杖から現れた刃を見上げることもなく、ネイルの手元と身体を見ている。
周囲で衣擦れが重なる。
「陛下──」
玉座のそばで、誰かが声を上げた。
列席者が得物へ手を伸ばしかけ、ハルラスの左手がそれを止めた。
同時に、その足が半歩だけ玉座の前へ移る。ネイルとルーナの間を塞ぐ位置だった。
右手は、まだ剣を抜いていない。
「そこまでで結構です」
ハルラスの声は、先ほどの会話と変わらなかった。
「……なら、先に手を離してくれる?」
ネイルは剣の柄を見た。ハルラスが小さく頷く。
やがて、その指が柄から離れた。
ネイルも刃を下ろす。黒い弧が柄へ沈み、杖の形へ戻っていった。
(やっちゃった)
(主にしては、随分と穏当だったぞ。昔なら、剣を抜く前に蹴り飛ばしていた)
(そうかな)
(少なくとも、床も相手も無事だ)
褒められている気はしなかった。
「試すような真似をして、すまなかった」
ハルラスは入口近くのネイルを見た。視線が一度、すでに杖へ戻った武器へ下りる。
「列席者を巻き込まず、扉への道も残した。あの一瞬に、それだけ選べれば十分です」
「そっちも、僕から目を離さなかったね」
「まだ、何をされるか分かりませんでしたから」
「もう何もしないよ。急に剣へ手をかけたりしなければ」
「承知しました」
柄から離れた右手を、ハルラスがゆっくり下ろす。
その動きを見届けて、ネイルも杖を握る指から力を抜いた。
ハルラスはルーナへ向き直り、胸へ手を添えた。
「女王陛下。私からも、ネイル殿を王樹魔導衆の指南役として推薦いたします」
「あなたが認めるのなら、問題はないわね」
ルーナは満足そうに頷いた。
ネイルは、入口近くに立ったまま二人を見る。
「まだ、僕の話が途中なんだけど」
「強くはない、という話だったかしら」
ルーナの目が、ネイルの手にある杖へ向く。
「……もういい」
先ほど自分で了承したはずなのに、今この瞬間、逃げ道ごと塞がれたような気がした。
グリンが振り返り、元の位置を手で示している。
「お怪我はございませんか」
「どこも、ぶつけてないよ」
「それでしたら、何よりです」
グリンは入口までの距離を一度見てから、脇へ寄った。
ネイルは黒い杖を背へ戻し、深紅の絨毯の上を歩いた。
来た時よりも、左右から向けられる視線が明らかに重い。
入口近くまで退くのは一瞬だったのに、元の位置へ戻る時間だけが妙に長く感じられた。
(戻る方が時間を使っているぞ)
(言わないで)
床の銀線まで戻ると、ルーナの声が柔らかくなった。
列席者の一人が、背中の杖について何かを尋ねかけた。
けれど、ルーナが先に片手を上げる。
「あの杖については、今日は聞きません。ハルラスの試しへ応じただけだもの。本人が話したい範囲を越えて、説明を求めることも許しません」
「承知いたしました」
問いは、それ以上続かなかった。
ネイルは目を伏せる。
秘密は一つ減った。それでも、その奥まで暴こうとはしないらしい。
ようやく終わる。
ネイルの肩から力が抜けかけたところで、ルーナは列席者へ向き直った。
「皆は下がって。ネイルと、少しだけ二人で話したいの」
ハルラスがルーナを見た。彼女が一度頷くと、それ以上は問わず胸へ手を添える。
グリンも列席者も、順に謁見の間を出ていった。
重い扉が閉まる。
広すぎる部屋に、二人分の呼吸だけが残った。
ルーナは玉座から立ち、階段を下りてくる。細いティアラの下で淡い金髪が揺れた。
「最後に、もう少しだけ顔を見せて」
「もう、見ていますよね」
「近くでは、まだでしょう?」
近くで見ると、やはり目元が似ている。
「……さっきより、近いよ」
「そのために下りてきたの」
ルーナは、もう一歩近づいた。
ネイルが半歩だけ身を引くと、ルーナは腕を伸ばした。
「少しだけ、失礼するわね」
両腕が、ネイルの肩と背へ回された。
「え」
避けようと思えば、避けられた。
けれど、二人きりになった途端、女王が抱きついてくるとは思わない。
対応を決めかねる間に、淡い金髪が白い髪へ触れた。
ルーナが耳元へ囁く。
「……あなたも、私と同じなのでしょう?」
ネイルの呼吸が止まった。
偽装の揺らぎは乱れていない。それでも、指先だけが強張る。
紫の瞳が開いた。
「今ので、確信したわ」
「ずるい」
「ごめんなさい」
ネイルは何か言い返そうとして、唇を結んだ。抱き返すことも、押しのけることもできないまま、両手が宙に浮いている。
(見抜かれたのではない。主に答えさせたのだな)
(分かってる)
分かっているからこそ、余計に悔しい。
「揺らぎで分かったの?」
「いいえ。私にも、普通のエルフのものにしか見えないわ」
ルーナは、抱擁を解いてもネイルの肩から手を離さなかった。
「最初は勘よ。似た顔立ち。積み上げてきた記録と、今見えている揺らぎの不釣り合い。それから、さっきの動き」
「それだけなら、まだ可能性でしかなかった。でも、私が『同じ』と言った時、あなたは何が同じなのかを聞かなかった」
「……違わない」
「では、私の勘は当たり?」
しばらく黙ったあと、ネイルは一度だけ頷いた。
魔眼も魔法も使わず、散らばった違和感をつなぎ、問いへの一瞬の反応から答えへ届く。
下手な魔眼より、よほど厄介だった。
「このことは、誰にも言わないわ」
「ハルラスさんにも?」
「ええ。あなたが話してもいいと思うまでは」
「いつかは話すって、決めたわけじゃないよ」
「それでもいいわ」
ルーナは、すぐに答えた。
「血縁があるかも、勝手には調べない。あなたが望まないことを、王家の都合で決めるつもりはないわ」
ルーナは、今度こそネイルの肩から手を離した。
「何者としてここにいるかは、あなたが決めることでしょう?」
「……ありがとう」
安堵したのも束の間、ルーナの笑みが少しだけ深くなった。
「ただ、それとは別に。今夜は王城の客室を使ってほしいの」
「どうして、そうなるの」
「明日は指南役としての初日でしょう。朝から迎えを寄越すより、その方が楽だもの」
「命令?」
「お願い。一晩だけ」
ネイルはしばらく考え、最後に小さく頷いた。
「一晩だけなら。でも、一度は街へ戻ってもいい?」
「ええ。外へ出るな、とは言っていないでしょう?」
「さっきから、決まることが多いから」
ルーナは口元へ手を添えた。
「戻る時は迎えを使って。客室も、それまでに整えさせるわ」
ルーナが扉を開けると、廊下で待っていたグリンがすぐに姿勢を正した。
「ネイルは今夜、私の客人として城へ泊まります。外出用のローブと、帰りの迎えを用意して」
「かしこまりました」
「明日の朝は、部屋まで迎えに行って。王城で迷わないように。……それと、逃げないようにね」
「逃げないよ」
ネイルが言うと、グリンは真面目な顔で頷いた。
「では、明朝お伺いいたします」
明日の迎えを断る余地が、さらに狭くなった。
ネイルの頭の中では、今日起きたことが順番を失って回り始めていた。
気軽に受けた片道の護衛依頼だった。
それが今では、勲章の授与が決まり、王樹魔導衆の指南役となり、ルーナ一人に正体を見抜かれ、今夜は王城へ泊まることになっている。
──詰んだ。
(なあ、主)
(なに)
(これからが、楽しみだな)
パレードの声は、いつになく弾んでいた。
(僕は、楽しくない)
(キヒヒッ。今は、そういうことにしておこう)




