第15章 王命
《王樹魔導衆》の男は顔を上げ、静かにネイルの返答を待った。
ネイルは外套の前を握り、フードの奥から男を見上げる。
「……人違いでは?」
(無理があるだろう)
(うるさい)
男は困ったように眉を下げたものの、否定はしなかった。
「確認いたします」
男が合図すると、後ろの一人が書類筒から封書を取り出した。受け取った男は胸へ手を添える。
「《王樹魔導衆》で索敵を担当しております、グリンと申します」
グリンと名乗った男は、片側だけを細く編み込んだ金髪と、細身の眼鏡の奥に穏やかな目を持つエルフだった。揃いの外套の下には、王家に仕える者らしい深緑の上衣が覗いている。
「入域管理院からの報告を受け、お迎えに参りました。王城までご案内いたします」
ネイルの背後で、五人が息を潜める気配がした。
グリンは封書を両手で差し出す。
「こちらが、女王陛下よりお預かりした召喚状です」
受け取った書状は、冒険者ギルドで使われるものより厚く、指先に滑らかに馴染んだ。
封蝋には、ユグドラシルの枝を囲む王家の紋章が刻まれている。
ネイルが封を開くと、整った筆跡が短く並んでいた。
──ネイル・エクセリア殿。
人間領における長年の働きと、我が民を含む多くの者を救った功績を称え、王城へ招く。
可能な限り早く参上されたし。
アルフヘイン女王、ルーナ・アグラレス。
末尾には署名と、文面に重なる淡い魔力印があった。
偽造を疑う余地はない。
「……功績」
ネイルの口から、聞き慣れない言葉のように零れた。
パレードが愉快そうに笑う。
(主を称えるために、王家が迎えを寄越したそうだ)
(……帰っていいかな)
(本人の前で聞けばいい)
(それが面倒なんだよ)
グリンは、ネイルの戸惑いを見て取ったらしい。
「ご安心ください。逮捕や取り調べではありません」
「断るのは?」
「辞退にも、王城へ正式なご返答が必要です。この場でお断りいただくだけでは、済ませられません」
グリンは僅かに頭を下げた。
「突然のことですので、ご準備が必要でしたら、お待ちします」
ネイルは召喚状を持ったまま、リリィを見る。
「……ご飯を食べる約束が」
「今日はまだ終わってないよ」
リリィはすぐに答えた。
「終わったら戻ってきて。一緒に食べよう」
「……遅くなるかも」
「待ってる」
迷いのない返事だった。
ネイルは少しだけ目を伏せ、それからグリンへ向き直る。
「どれくらいかかる?」
「お戻りの時刻までは、私から確約できません。ですが、ご予定があることは王城へお伝えします」
「分かった」
ケンが一歩だけ前へ出た。
「ネイルさん。僕たちも同行した方がいいですか?」
契約は終わっている。それでもケンは、グリンではなく、ネイルの返事を待っていた。
ネイルは召喚状へ目を落とした。
王家が知っているのは、冒険者としての名と功績だけだ。五人を巻き込む理由はない。
「僕に届いたものだから。用件を聞いて、返事をしてくるよ」
「分かりました。何かあれば、《ブレイズ・フォーカス》を頼ってください」
「うん。またね」
ネイルは五人へ小さく手を振り、グリンへ向き直る。
「案内して」
グリンは一礼し、通りの先に待つ王家の箱馬車へ案内した。
露店の店主が手を止め、見物人が集まっている。三人そろった魔導衆の迎えは、よほど珍しいらしい。枝の上や屋根の縁では、精霊と妖精までこちらを見ていた。
ネイルが視線の数を考えまいとしていると、馬車の手前でグリンが足を止めた。
「ネイル様。乗車前に、最後の本人確認をお願いしてもよろしいでしょうか」
「名前だけじゃ、駄目?」
「報告されたお姿と合っているか、私どもの目でも確かめさせてください。人目の少ない場所へ移ることもできます」
グリンは周囲を見回した。
見物人は増えている。場所を移せば、三人を連れてさらに視線を引くだけだ。
隠して騒ぎを長引かせるより、自分で終わらせた方がいい。
「ここでいいよ」
ネイルはフードを後ろへ落とした。
白い髪が腰まで流れ、長い耳も露わになる。通りでこれだけの人に顔を見せるのは、いつ以来だろう。
落ち着かないまま、グリンを見上げる。
「これでいい?」
グリンの視線が一度止まった。それでも顔を覗き込むことはせず、すぐに深く頷いた。
「はい。確認いたしました。ご協力、感謝します」
静まり返っていた通りに、小さなどよめきが広がる。
「あの方を、魔導衆が迎えに……?」
「エルフだったのか」
王家に迎えられる姿へ視線が集まる。ネイルは急いでフードを被り直した。
(面倒)
(実に華々しい帰郷ではないか)
(ふざけないで)
馬車へ向かいかけたネイルが振り返ると、《ブレイズ・フォーカス》の五人もこちらを見ていた。
リリィは何か言いたそうに頬を膨らませたものの、最後には小さく手を振った。
待ってる。
先ほどの言葉を思い出し、ネイルも手を振り返した。
◇
濃緑色の馬車へ乗り込むと、グリンも同じ客室へ入り、残る二人は御者台と後方に分かれた。
「それでは、参ります」
グリンの合図で、グラウオックスがゆっくり歩き始めた。
道の人々が自然に脇へ避ける中、ネイルは窓枠に頬杖をつき、流れていく街並みを眺める。見覚えのない建物の向こうに、変わらずユグドラシルが枝を広げていた。
「……僕って、そんなにすごいの?」
向かいのグリンが、質問の意図を測るように瞬いた。
「依頼を受けて、終わらせてきただけなのに」
「その『だけ』で帰ってきた者たちの話を、私たちは何度も聞いています。コーネリアで救われた同胞の話は、王城にも届いていました」
「そうなんだ」
ネイルは膝の上の召喚状を折り畳んだ。
「それと、ご飯のこと。本当に伝えてくれる?」
「はい。お待ちの方がいらっしゃるのでしょう」
「リリィが。遅くなるかもしれないとは、言ったけど」
グリンは小さな手帳を開き、短く書き留めた。
「リリィ様とのお食事ですね」
「そういうのも、書くんだ」
「お伝えすると申し上げましたので」
ネイルは閉じられた手帳を見て、それからグリンへ頷いた。
「ありがとう」
やがて、ユグドラシルの根元に築かれた白い王城が見えてくる。城を覆う幾層もの防護結界と、その内側にある整った魔素の揺らぎを読み、ネイルは窓の外を見たまま呟いた。
「これなら、正面から来たくはないね」
「我々にとって、最も大切な場所ですから」
グリンの声には、静かな誇りがあった。
王城前の橋を渡る途中、透明な膜を通り抜けるような感覚が、ネイルの身体を一度だけ走った。
偽装の揺らぎは崩れていない。警報も鳴らなかった。それでも外套の前を握り直すうち、白い城門が音もなく開いていく。
(いよいよだな、主)
(……帰りたい)
(先ほど、帰ってきたばかりではないか)
言い返す言葉を探している間に、馬車は王城の結界内へ入った。
◇
正面玄関で馬車を降りると、グリンは謁見の作法を手短に告げた。床の印で止まり、彼に合わせて一礼する。それだけを頭へ入れ、ネイルは磨かれた床と枝葉を象った柱の間を進んだ。
戦場なら緊張しないのに、整いすぎた空気の中では、自分の足音まで気になる。
(主。右足と右手が一緒に出そうになっているぞ)
(……気のせいだよ)
グリンに案内された待合室で一人になると、ネイルは窓辺へ近づいた。
眼下の修練場では、《王樹魔導衆》が刃を交えている。
炎をまとわせた剣を、正面の剣士が受け止めた。攻撃は止まったが、その後ろで交代に入ろうとした仲間まで足を止めている。
「受けるな。後ろを見ろ」
修練場の端から、腰に剣を帯びた長身のエルフが告げた。
魔力で威圧しているわけではない。むしろ周囲の魔素に生む乱れは少なかった。それでも、重心と目の動きだけで、ネイルには分かる。
強い。
指示を受けた剣士は、今度は正面で受けず、斬撃を身の脇へ滑らせた。その隙に仲間が前へ出て、切っ先を攻め手の喉元で止める。
(構えじゃない。立つ場所を直したんだ)
ネイルがもう少し見ようと目を細めた時、男が顔を上げた。離れた上階の窓にいるネイルを迷わず捉え、小さく会釈する。
ネイルも反射的に頭を下げた。
(……少しだけ、剣を交えてみたい)
(王家へ呼ばれて最初に考えることが、それか)
扉が二度叩かれ、グリンが戻ってくる。
「準備が整いました。謁見の間へご案内します」
ネイルは灰緑色の外套を脱いで衣桁に掛け、黒い杖を背負い直した。
グリンの後ろを歩き、やがて一対の扉の前で足を止める。
「女王陛下。ネイル・エクセリア様をお連れいたしました」
短い静寂の後、扉の奥から透き通った声が返ってきた。
「入りなさい」
誰の手も触れていない扉が、静かに内側へ開き始めた。




