余白のない部屋
そのホムンクルスたちは、全員が同じ顔をしていた。
黒いワンピースに白いエプロン。
服装だけ見れば、王宮に仕える普通のメイドに見えなくもない。
ただし、普通ではない。
髪の長さも、前髪の分け方も、目元の形も、唇の色も、すべてが揃っている。
一人なら、美しい女だったかもしれない。
だが同じ顔の女が四人、五人と並んでいると、そこにあるのは美しさではなく、不気味さだった。
「お茶をお持ちしました、ノア様」
「本日の調整記録を机上へ置いております」
「三番実験槽の温度は安定しています」
声まで同じだった。
王宮付き錬金術師ノアの研究室では、それが当たり前の光景だった。
メイド型ホムンクルス。
雑務、記録、実験補助をこなすために作られた人工生命。
もっとも、この研究室に入れる者は限られている。
だから、この異様な光景を知る人間も少ない。
場所は王宮北棟の最奥。
幾重もの結界で隔離された一角。
そこは研究室というより、無菌の礼拝堂に近かった。
壁も床も磨き抜かれ、金属器具には曇りひとつない。
棚に並ぶ薬瓶のラベルは角度まで揃い、記録帳は同じ幅で積まれている。
魔導灯の光さえ、妙に静かだった。
その中央に、ノアは立っていた。
白衣の袖を肘までまくり、銀の器具を片手に、淡く光る液体の入った管を覗き込んでいる。
若い男だった。
王宮の控えの間で士官たちが噂していた通り、老いも疲れも感じさせない。
まるで時間だけが、彼を避けて通っているようだった。
「ノア様」
ホムンクルスの一体が声をかける。
「十番器の霊圧が低下しています」
「……見せて」
差し出された記録板を受け取り、ノアは目を通した。
数秒もかからず、原因に行き着く。
「接続部の第三環節だね。昨日の再構成で位相がずれたらしい」
記録板を返し、棚へ視線を向ける。
「補正式を出す。二番棚の青い石を取って」
「はい」
ホムンクルスは一礼し、迷いのない足取りで棚へ向かった。
歩幅まで正確だった。
ノアは実験槽へ向き直る。
透明な円筒の中には、薄い液体に満たされた人型の影が浮かんでいた。
完成前の器。
外形だけなら人間に近い。
だが肌の色は均一すぎて、閉じたまぶたの顔立ちは彫像のようだった。
生きているわけではない。
死んでいるわけでもない。
魂を受け止めるための、受け皿。
研究室の奥には、似たような実験槽がいくつも並んでいた。
小さなもの。途中で成長を止めたもの。完全な人型を保っているもの。
人間の骨格図。
霊脈配列図。
臓器の代替構造。
肉体と魂の接続様式。
そこに書き込まれた文字は、どれも端正で、理路整然としていた。
だからこそ、おかしい。
普通の錬金術師がここまで来るには、もっと無様な痕跡が残る。
焼け焦げた器材。
放り出された失敗作。
何度も書き直された設計図。
だが、この部屋にはそれがない。
失敗すら、整っている。
「ほんと、お前のところは入りにくいな」
唐突に、扉のほうから声がした。
ノアは驚きもせず、器具を置いて振り返る。
「珍しいね」
入口に立っていたのは、濃紺の軍服を着た男だった。
背が高く、姿勢がいい。
飾り気の少ない軍服でも、身分の高さは隠せない。
肩章と胸元の徽章が、彼が帝国軍の頂点に近い人間であることを示していた。
王に最も近い公爵家の当主。
そして、最強の魔法使いと呼ばれる男。
「軍の書類なら、昨日出したはずだけど」
「書類の話だけでここまで来るかよ」
男は軽く笑って、中へ入った。
その瞬間、研究室の空気が変わる。
魔力の流れが整った、というより。
見えない何かが、息を潜めたような感覚だった。
ホムンクルスたちが一斉に彼を見る。
同じ顔。
同じ角度。
同じ沈黙。
男は気にする様子もなく、研究室を見回した。
「相変わらずだな」
「それ、いい意味で?」
「どうだろうな」
棚、実験槽、床の円陣、机上の記録帳。
男の視線が順に滑っていく。
ただの見物ではない。
探っている。
ノアはそれに気づいていた。
だが、気づかないふりをした。
この男は厄介だ。
勘が鋭い。
余計なところで立ち止まり、沈黙の形まで拾っていく。
けれど、それだけだ。
ここにあるものを見ても、核心には届かない。
記録は整理してある。
実験槽も、円陣も、器も、すべて理論の範囲に収まっている。
肝心なものは、ここにはない。
大丈夫。
絶対に、ばれない。
「で、今日は何」
「世間話に来た」
「君が?」
「そんなにおかしいか」
「かなり」
ノアが即答すると、男は鼻で笑った。
「まあ、半分は嘘だ」
「残り半分は?」
「お前の顔を見に来た」
軽口のようにも聞こえた。
ノアは記録板を机に置き、次の器具へ手を伸ばす。
「僕たち、そんなに仲良かったっけ」
「同期だろうが」
「便利な言葉だね、それ」
「お前が勝手によそよそしいだけだ」
ノアは答えず、手元の作業を続けた。
男が呆れたように息を吐く。
「お前さあ、こっち見ろよ」
「見てるよ」
「見てないだろ。器具しか」
そう言って、男はノアの手首をつかんだ。
作業の邪魔にならない程度。
けれど無視はできない力だった。
ノアが顔を上げる。
「……何」
男は遠慮なくノアの顔を見た。
観察するように。
確かめるように。
「失礼だな」
「お前、まじで老けないな」
「いきなり何」
「前から思ってたけど、反則だろ」
「反則?」
「俺らが寝不足で死にそうな顔してる横で、お前だけ肌つや良すぎるんだよ」
ノアは一拍置いて、口元をゆるめた。
「努力の賜物じゃない?」
「絶対違う」
「ひどいな」
「錬金だろ、どうせ」
「どうだろうね」
「やってんな、お前」
「言いがかりが雑すぎるよ」
男は手を離した。
それだけなら、昔と変わらない軽口だった。
学生時代から、この男はこういう人間だった。
思ったことをそのまま口にして、遠慮なく人の内側へ踏み込んでくる。
ノアは、そういうところが苦手だった。
男は実験槽の前で足を止める。
液中に浮かぶ人型を見上げ、黙った。
「またホムンクルスか」
「“また”という言い方はひどいな」
「前にも見たから言ってるだけだ」
「改良してるんだよ。前より安定した」
「そうは見えないな」
「どこが?」
男は実験槽から目を離し、部屋の隅に控えるメイド型ホムンクルスたちを見た。
「全員、同じ顔だ」
当たり前すぎる指摘に、ノアは一度だけ瞬きをした。
「揃っていたほうが管理しやすいから」
「うまい言い訳だな」
「本当だよ。個体差があると調整の手間が増える」
「そういう問題か?」
「そういう問題だよ、錬金術ではね」
男は答えない。
最も手前にいたホムンクルスの顔を近くから見る。
整っている。
整いすぎている。
人間なら必ずあるはずの、左右差や癖や、生きてきた時間の跡がない。
そのくせ、何かを模した気配だけは濃かった。
「……お前」
男がノアを振り返る。
「今、何作ってる」
軽い声だった。
けれど問いの芯は鋭い。
ノアは机に手を置き、首をかしげた。
「いろいろ」
「曖昧な答えだな」
「錬金術師の研究なんて、たいてい複数同時進行だよ」
「その“いろいろ”の中に、人間は含まれてるか?」
研究室が静まり返った。
ホムンクルスたちは無表情のまま立っている。
実験槽の液体が揺れる音だけが、かすかに響いた。
「人間を作る気はない」
「“人間は”、って言い方だな」
「言葉尻を拾うの、趣味が悪い」
「お前にだけは言われたくない」
ノアは小さく息を吐いた。
「器だよ」
「器?」
「魂を受け止めるための、肉体寄りの構造」
言葉を選んでいるようでいて、声に迷いはない。
「……それを普通、“いろいろ”とは言わない」
「そう?」
ノアの視線だけが、男へ向いた。
「でも、まだ完成してない」
「どこまで行った」
「形の段階は越えた。安定もしてる。反応も悪くない」
「じゃあ何が足りない」
「そこだよ」
ノアは机の上の設計図を指で押さえた。
描かれているのは、人型の構造図。
骨格。筋繊維。魔力の通り道。霊的接続部位。
緻密すぎるほど、描き込まれている。
「器としては、もう十分なんだ」
「だったら完成じゃないのか」
「違う」
その一言だけ、妙に強かった。
男は黙った。
ノア自身も、言葉の強さに気づいたらしい。
やがて、声を落とす。
「……同じでなければ、意味がない」
「何と」
「さあ」
今度の笑みは上手すぎた。
「そこまで教えるほど、僕は君に親切じゃない」
ごまかした。
男には分かった。
分かるからこそ、それ以上追わなかった。
代わりに、研究室をもう一度見回す。
器。
受け皿。
安定した構造。
同じでなければ意味がない。
断片だけなら、理論として成立している。
問題は、その理論がどこへ向かっているかだ。
「錬金術師ってのは、結局そこに行くんだな。石だの金属だのいじってても、最後は人の形に手を出す」
ノアは眉をひそめた。
「偏見だな」
「事実に近い偏見だ」
男は実験槽の中の人影を見上げたまま続ける。
「で、それは何だ。王にでも言われたか」
「何を」
「延命。予備。後継。そういう下らない話だよ」
「買いかぶりすぎじゃない?」
「じゃあ、馬鹿王子のほうか」
「君、ほんとうに口が悪いね」
「今さらだろ」
ノアは笑ったが、否定はしなかった。
男はそこでようやく振り返る。
机上には、記録帳が寸分違わず積まれている。
開かれた設計図に、無駄な線は一本もない。
魔力式は狂気じみた精度で噛み合っていた。
「教師にでもなればどうだ」
男がふと話を変える。
「士官学校でも、宮廷付属の魔導院でもいい。お前の理論なら、次の世代に残したほうがいいだろ」
「そんな時間ないよ」
「何を急いでるんだ」
「別に」
ノアは書類をまとめ始めた。
指先は整っている。
ただ、動きだけが早い。
男はそれを見て、理解した。
こいつは研究に追われているのではない。
研究の先にある何かに、急かされている。
「お前の錬金、やっぱ綺麗だな」
男は何でもない調子で言った。
「褒めてる?」
「半分はな」
床の円陣、設計図、実験槽。
それらを順に見て、男は続ける。
「綺麗すぎる。余白がない。完成形しか置いてないみたいだ」
ノアの手が止まった。
その言葉だけは、軽口として受け流せなかったらしい。
「それの何が悪いの」
男は薄く笑う。
「悪いとは言ってない」
「じゃあ」
「息苦しい」
あっさりと言われて、ノアは眉を寄せた。
「珍しいこと言うね、君が」
「俺は魔法使いだからな」
男は実験槽のガラスに映る自分の影を一瞥する。
「余白のない術式は嫌いだ」
「不安定だから?」
「違う」
短く切って、男はノアを見た。
「入る余地がない」
その一言が、研究室に残った。
ノアは笑わない。
男も、それ以上は説明しなかった。
ちょうどその時、ホムンクルスの一体がお茶を差し出した。
男は受け取らず、その顔をもう一度見る。
やはり、どこかで見覚えがあった。
だが、思い出したくない種類の類似だった。
「……お前、昔からこういう顔が好きだったか?」
何気ないふうを装った問いだった。
けれど、ノアの返事は遅れた。
「どういう意味」
「花みたいに薄くて、壊れそうな顔」
「詩人みたいな言い方するね」
「してない」
「してるよ」
ノアは笑った。
だが、その笑みの奥で何かが閉じている。
「趣味なんじゃない」
「曖昧な答えだな」
「お互いさまだろ」
それで会話は終わった、ことにされた。
男はそれ以上踏み込まず、踵を返す。
「じゃあな」
「もう帰るの?」
「帰ってほしかったんだろ」
「たしかに」
扉の前で、男は足を止めた。
振り返らないまま言う。
「変なことするなよ」
「それ、今さら僕に言う?」
「今さらだから言ってる」
ノアは答えなかった。
男が出ていく。
重い扉が閉まり、研究室は静寂を取り戻した。
しばらく、ノアは動かなかった。
やがて息を吐き、額にかかった髪をかき上げる。
さっきまでの会話で疲れたのか。
それとも、触れられたくないものに触れられたのか。
その横顔にだけ、年相応の陰りがあった。
「……余白、か」
誰に聞かせるでもなく、つぶやく。
机の上の設計図へ目を落とす。
人体図。
霊脈。
接続式。
そして、端に小さく描かれた羽の意匠。
ノアの指先が、その羽をなぞった。
「そんなもの、いらないだろ」
自分に言い聞かせるような声だった。
「綺麗に揃えば、それで」




