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半歩 ~守・破・離 短き刃 長き道~  作者: 止水


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外伝 裏門 ー再開ー

桜の季節になった。


道場には、昼下がりの静けさ。

木の床に差し込む光が、やわらかく揺れている。


その中で、綾は静かに型をなぞっていた。


音がした。


壊れた裏門が、ためらいがちに開く。


「……失礼します」


綾は動きを止め、顔を上げる。


立っていたのは、自分より年上の青年。

見知らぬ男だった。


だが――


(……似ている)


かすかな面影。

記憶の奥をかすめる。


「私めは、橘と申します」

「湊川様、御宗家はご在宅でしょうか」


「父は、ただいま外しております」


一拍。


「……もしかして」


綾は、わずかに目を細める。


「宗一郎さんの、ご子息でいらっしゃいますか」


男の呼吸が、わずかに止まる。


「……ええ」


短い肯定。


「湊川様のご令嬢で」

「失礼いたしました」


「父をご存知でしたか」


綾は、うなずかない。


「……少しだけ」


それだけを返す。


視線は外さない。


男の喉が、わずかに動いた。


「初めまして 橘 はじめと申します」


「先日、私の父が亡くなりました」

「父の生前に、こちらの道場には父が大変お世話になっていたと聞いています」

「御宗家への報告に参りました」


沈黙。


…静かな間。


「では、奥へ。」

「父が戻るまで、しばしお待ちください」


男は、一歩、踏み入る。


――その一歩。


綾の視線が、わずかに揺れた。


(似ている)


形ではない。


“入ってくる間”。


空間に触れるような、あの歩き方。


――昔。


“場を乱さない動き”


宗一郎。


綾は、目の前の男を見る。


年齢は自分より上。

だが、その奥にあるものは、時間では測れない。


ただ――観る。


立ち方。

重心。

呼吸。


(やはり)


完全ではない。

だが、残っている。


技ではない。

形でもない。


“消えなかった何か”。


綾は、静かに立ち上がる。


「父は夕刻には戻ります」


「それまでのお時間 こちらでお待ちいただけますか」


「承知しました」


ーーーーーーーーーーー


道場の裾。


畳の敷かれた一角。


数名の門下生が、黙々と抜き付けを繰り返している。


時代は変わった。


それでも――


ここには、変わらない動きがある。


橘は、その片隅で静かに立っていた。


綾が茶を差し出しながら、

ふと問う。


「橘様は……」


「宗一郎様から、技を?」


わずかな間。


「……いくつかの、鍛錬を」


曖昧な答え。


綾は、その曖昧さごと受け取る。


「少し、拝見してもよろしいですか」


沈黙。


やがて。


「…簡単なものであれば」


木刀を取る。


短く、重い一本。


構える。


――半歩。


出る。


止まる。


進む。


ただ、それだけ。


だが――


空間が、動く。


「……」


綾は、観ている。


肩。

重心。

視線。


そして――呼吸。


(やはり)


残っている。


“あの間”が。






「……なんだ、あの動きは」


道場の入口で、深江が足を止めた。


空気が違う。


詰まっている。


奥に、綾



男の動き…

理解できないのに、分かる。


本能がそう告げる。


やがて。


男が踏み込む。


消えるような一歩。


男の身体が、わずかにずれる。


それでいて――完全に外れている。


静止。


時間が、止まる。


「……今の」


思わず、声が漏れた。


空気が解ける。


「すみません……」


だが。


深江の表情が、変わる。


(……見たことがある)


記憶が引きずり出される。


――昔。


父が、繰り返していた動き。

父にとっての”仮想の相手”。


負けたと語っていた、あの相手。


嬉しそうに。

悔しそうに。


(まさか……)


分からない。


だが。


確かに、そこにある。


“父が追い続けたもの”が。




深江は、一歩前に歩み出る


「私は深江と申します」

「この道場の内弟子です」


「失礼とは存じますが、お名前をお聞かせ願いますか?」


「私は、橘と申します」


一瞬の間。


深江の目が、細くなる。


「……橘」


小さく、呟く。


(やはり知らぬ名だ)

(本住吉流の系統者ではないな)



深江は、視線を外さないまま言った。


「失礼とは存じていますが、」

「すこしだけ――お手合わせを願えませんか」


道場の空気が、わずかに張る。


橘は、すぐには答えない。

そのまま、木刀を下ろした。


「……申し訳ありません」


静かな声。


「私は、手合わせを目的としてここへ参ったわけではございません」


一拍。


視線を落とす。


「それに――」


わずかに言葉を選ぶ。


「先ほどの動きは… 父の遺したもの」


「まだ、これが何であるか、自分でも分かっておりません」


顔を上げる。


「そのような状態で、他者と刃を交えるべきではないと考えております」


丁寧な断りだった。


理は通っている。


だが――

深江は、引かない。


「それでも、です」

一歩、踏み出す。


「さきほどの、あの動き」


手で空間を指す。


「あれが何なのか、私は知りたいのです」


橘の眉が、わずかに動く。


「見ただけでは、決して分かるものじゃないは重々に承知しています」


「だから、向かい合ってみたい」


さらに一歩。


「組み合ってみたい、試って見たいのです」


沈黙。


橘は、深江を見る。


真っ直ぐな目。

確かめる目。


けっして自己顕示ではない。



(……)


わずかに、息を吐く。


「……お断りさせていただきます」


「そこをなんとか」

即答だった。


「申し訳ありません ……お断りさせていただきます」


少し間をおいて、橘は

「でも、それで終わるなら…」


口元が、わずかに歪む。



橘の中で、何かが引っかかる。


さきほどの“間”。

踏み込む直前。


あの一瞬。


(……確かに)


相手がいて、初めて立ち上がるもの。


無言のまま、手が動く。


木刀を、持ち直す。


深江の目が、細くなる。


「……感謝します」


橘は答えない。


ただ、ゆっくりと構える。


自然な構え。


深江もまた、木刀を取る。


対する。


距離は、六歩。


互いに動かない。



空気が、変わる。

先ほどとは違う張り。


今度は、明確に“向き合っている”。


深江が、わずかに重心を落とす。

橘の呼吸が、整う。


間が、揺れる。


一歩、近づく。


さらに半歩。


止まる。


詰めるでも、引くでもない。


“探る距離”。



互いに、同時に思う。


次の瞬間。


わずかに、どちらも前へ出る。


間合いが縮む。


さらに――


詰める。


足音が、ほとんどしない。


だが、確実に近づく。


視線が絡む。


呼吸が重なる。


深江の口元が、わずかに上がる。


「いい……」


笑みが抑えきれない。


橘の目も、わずかに細くなる。


言葉はない。


((やれる))


間が、限界まで詰まる。


あと半歩で、届く。


その瞬間――


「――そこまで」


静かな声が、落ちた。


ぴたりと、止まる。


二人の動きが、同時に切れる。


綾だった。


いつの間にか、間合いの横に立っている。


視線は、穏やか。


「ここまでに…しておきましょうか」

「橘様、ありがとうございました」


「深江、これ以上は、父の客人に対して失礼です」


「それに…」

「ここは、学び舎です 立ち合いの場ではありませんね」


淡々とした言葉。


深江が、頭を下げる

「……申し訳ありませんでした」

「気持ちが入り過ぎました」


「こちらこそ出過ぎた真似を」

「失礼しました」

橘も、木刀を下ろし礼を取る


綾は、二人を順に見る。


その目の奥に、わずかな色があった。


(やはり… 宗一郎様の…)


確信に近いもの。

だが、それを口にはしない。



静けさが、戻る。

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