第二十二話 水面に移る御影 ー神無月ー
放課後の訓練場。
神無月の陽に照らされ、
木の葉が水面に光を落とす
人の少ない端の区画で、春日は木刀を握っていた。
相手は、同じ一年。
「……本当に、いいのか?」
春日が声をかける。
相手は小さく頷いた。
「ええ。頼まれましたし」
淡々とした声。
どこか距離を取るような響きがある。
だが、冷たいわけではない。
むしろ、わずかに明るさすら感じさせる。
「あの……筆頭の春日さん、ですよね」
「ああ」
「湊川先輩の……その…」
「……澪先輩?」
御影は一瞬、言葉に詰まった。
どう返すべきか、分からない。
「そう、……演舞、見ました」
わずかな間。
「——あの演舞か」
春日は小さく呟いた。
木刀を握る手が、わずかに止まる。
「はい」
それ以上は言わない。
「では……始めよう」
春日は構える。
御影も軽く構えた。
「では、四間から」
独特の構え。
次の瞬間——
手裏剣が放たれる。
一直線。
春日は木刀で叩き落とした。
乾いた音。
(速い)
(正確だ)
「では、六間」
御影が下がる。
わずかに構えが変わる。
——再び。
空気を裂いて飛ぶ。
数が増えた。
一本ではない。
連続。
(……違う)
春日は目を細める。
単なる距離の違いではない。
「軌道を、変えた?」
御影は少しだけ首を傾けた。
「ええ。間合いで変えています」
「……なるほど」
春日は、落ちた手裏剣を見た。
(剣と同じだ)
間合いで技を変える。
当然のこと。
だが——
(ここまで“遠く”でやるか)
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数日前。 「おーい 御影!」
クラスメイトに呼ばれ振り向くと
教室の入口に立っていたのは、春日だった。
「少しの間でいい。二、三回でいい」
「一緒に、練習をお願いしたい」
御影は、内心で首を傾げていた。
(なんで私?)
一年で無敗 なのに、 変人で有名。
そんな男が、自分に頭を下げている。
「自分に、手裏剣を打ってほしい」
——その一言で、意味が繋がった。
鳴尾御影流手内剣術 その家元の娘
御影江梨子
いわゆる手裏剣術の使い手
力なき体格なき者の護身剣 として名のある流派である
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「それじゃあ——」
御影は、少しだけ口元を上げる。
「本気でいきますよ」
構えが変わる。
先ほどまでとは、明らかに違う。
「八間で」
「……八間?(約十五メートル)」
春日がわずかに目を細める。
距離が、さらに開く。
「届かない距離で、打つ」
御影の声は静かだった。
低く、沈むように。
次の瞬間。
——見える。
距離がある分、見える。
(意外に、遅い)
その判断は、浅かった。
いや——
見えていなかった。
頬をかすめる。
「っ……!」
反射で木刀を振る。
——遅れて、音。
地面に、二本。
(同時……?)
いや、違う。
時間差。
わずかにずらされている。
「今のは?」
「二段です」
御影は何でもないように言った。
「一つ目で“避け”を誘って、二つ目で当てる」
「あえて見せる……影打ちです」
春日は黙る。
ゆっくりと息を吐いた。
澪の、あの半歩。
避けさせて、取る。
「もう一度、お願いします」
春日は頭を下げた。
「それと——打つものが、常に同じとは限りませんよ」
手裏剣が飛ぶ。
木刀が応じる。
その繰り返しの中で。
少しずつ。
ほんのわずかずつ。
春日の“間合い”が、変わっていった。
御影は、それを見ていた。
技を覚えているわけではない。
理屈でもない。
“感覚”で、取り込んでいる。
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春日は素直に頭を下げた。
「御影さんの手裏剣、勉強になります」
(へぇ……)
(礼儀はあるんだ)
三年を素手で殴り倒した、という噂と結びつかない。
「……で、なんで手裏剣?」
御影は、ふと問う。
春日は少しだけ考えた。
言葉を選ぶように。
「避けて相手と、戦うためです」
御影の眉が、わずかに動く。
「剣が届かない間合いでも、崩される」
「だから、その外側を知りたい」
淡々とした説明。
感覚的な表現 御影にはよくわからい…
ただ、何か違う…
違和感?
「……ねえ」
少し間を置き、御影が声をかける。
「春日君」
「はい」
「勝ちたいの?」
春日は、前を見たまま答えた。
「当然です」
即答だった。
御影はわずかに驚く。
「じゃあ何? 勝ちがすべて?」
「もう勝ってるじゃん。いま筆頭でしょ?」
春日は少しだけ間を置いて——
静かに言った。
「——だから、勝つ」
「……だから、誰に?」
春日は答えない。
御影には、なんとなく感じた。
この人は、“勝ち”ではない。
“倒すこと”に囚われている。
純粋なのかもしれない。
だが——
(このままだと、先がない)
「少しだけ聞いていい?」
「……はい」
「どうして、今も私が手内剣を……手裏剣を学ぶか、分かる?」
「学ぶことに、理由がいるんですか?」
「理由……じゃないけど」
御影は少し考えて——
ぽつりと、言った。
「ねえ……手内剣で戦うくらいなら、銃の方がよくない?」
「え?」
「世の中、いろんな物があるよ。スタンガンとか、催涙スプレーとか」
「……確かに」
「じゃあ、なんで手内剣?」
「……便利だから?」
御影は苦笑する。
「うーん……便利だと思う?」
少しだけ間を置いて——
「確かに、“打つ”って意味では便利かもね」
「相手の”間”を打つ “間”をずらす という意味ではね。」
「でも、私はそれだけとは思わない」
「手内剣を学ぶ。それは、あくまで手段なのよね…」
「………」
春日は答えられない
御影は肩をすくめた。
「こうやって今も——学び合ってるんだし」
(学び合う?)
(いや、お願いしたのは俺だろ)
春日には、その言葉の意味が分からなかった。
(澪先輩なら、どう答える)
(鷹宮先輩なら——)
思考が、止まる。
(違う)
足りないのは、考えではない。
(見えていない)
いや——
(見えていないことすら、見えていなかった)
春日が、ふと動きを止め構えを解く。
「……なに? 急にどうしたの?」
御影も手を止める。
春日は、まっすぐ御影を見る。
怖いほど、まっすぐに。
「ちょっと怖いんですけど、春日君」
沈黙。
そして——
春日は口を開いた。
「……ありがとうございます」
「は?」
「どう言えばいいか、分からないけど」
「何に対してかも、分からないけど」
「でも——」
一歩、踏み出して。深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
御影は目を瞬かせる。
「え? 私、何かした?」
困惑する御影に、春日は答えない。
ただ、もう一度だけ頭を下げた。
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二、三回のはずだった稽古。
だが——
この日を境に。
春日は、御影のもとへ通うようになる。




